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社員旅行編
急な発案
しおりを挟む昨日から降っていた雨は勢いを増し、どこか陰鬱な雰囲気が漂う室内で、それは唐突に発表された。
「社長からのお知らせを掲示しましたので、皆さん今日中にご覧ください。」
社長秘書を務めるのは、無口だがよく気づくことが認められて抜擢されたジョン・テルクトーである。私と負けず劣らず無骨な顔をしているが、彼は会社でも有名な愛妻家である。一度会社の集まりに顔を出したことがあるが、いやはや彼に似て気の利く奥さんで、私のような者にも臆せず笑って話してくれたことは素直に嬉しかった。
そんな彼が私のいる課まで足を運ぶことは珍しくない。社長はよく彼を通じて社内掲示を行うから、彼はいつもいろいろなところを走り回っている。しかし無口な彼が、わざわざ声を張って掲示を見るように促すのはこれが初めてではないだろうか。いつもはいつの間にか張られているものを私たちが見つけるだけなのに。これはいつもとは違う、なにか重要なことなのだろうか?
他の同僚も私と同じことを思ったのか、仕事の手を止め、わらわらと社内掲示に群がっていく。ワンテンポ出遅れた私は、掲示の方は後回しにして、今まさに部屋を出ようとしているテルクトーを呼び止めた。
「やぁ、テルクトー。今日はどんな知らせなんだ?君がわざわざ声を張るなんて珍しいな。」
「社長からのお達しでな。」テルクトーは憮然とした様子でそう言った。
「社長から?」
「ああ。必ず社員全員に、今日中にこれを知らせろ、と。」
その時、張り紙を見ていた同僚たちからワッと歓声が上がった。歓声が上がるなんて、よほどいい知らせなのだろうか。首をひねっていると、テルクトーがぼそりと呟いた。
「・・・そんないいものではないがな。」
「え・・?」
私がどういうことか聞き返す前に、テルクトーはさっさと出て行ってしまった。仕方がないので、だんだん人が少なくなってきた頃を見計らって、私も掲示板に近づく。インクの乾ききっていないその紙には、こんな内容が書かれてあった。
{~社員旅行のおしらせ~
皆さんの普段の頑張りを評価し、また皆さんのチームワークのさらなる向上を目指して、社員旅行を実施します。
期間:明後日12月19日~12月21日
集合場所:ロンドン駅五番ホーム前
集合時間:朝十時
宿泊費や交通手段等の手配は会社の方で致します。
なお、期間中は会社のすべての業務が休みになります。
基本は全員参加です。やむを得ず参加できない場合は今日明日中に社長室まで。}
「まさかこんな催しをやるなんてなぁ!」
「全員強制参加にしなくてもいいのに・・行くけど。」
「しかしどこに行くんだ?目的地が書いていないようだが・・」
「駅集合ってことは列車の旅かしら?」
等々。最近まとまった休みがなかった私たちにとっては、いくら強制といえど仕事から離れて旅行ができるという響きは魅力的だった。未だざわついている社員たちを横目に、しかし私は先ほどのテルクトーの言葉を反芻する。
(そんないいものではない・・か。)
まさかこの旅行には何か秘密でもあるのか?そんな懸念がある以上、私は他の同僚たちのように無邪気に喜ぶことはできなかった。
──
「で、結局行くのかい?」
「行くさ。せっかく宿泊費や旅費は全部出してくれるんだから。」
「ま、確かに。行かなきゃ損、だもんな。」
そう言ってスタンリーは快活に笑い、エールを一杯あおる。昼だというのにまぁいい飲みっぷりだ。
課の違う彼と食事をする機会はあまり多くない。今日はたまたま、私が立ち寄ったファストフード店で、彼が昼から飲んでいるのに出くわしたのだ。
「君はどうするんだ?行くのか?」
「行く。いい機会だからね。しかしそうか、あのテルクトーがねぇ・・」
「彼を知っているのか?」
「まぁ・・そうだな、恐ろしく仕事ができる、ということくらいかな。面識はないが、よく掲示板に貼りに来るだろう?それで、な。」
「そうか・・」
私はフィッシュアンドチップスをつまみながら呟いた。「社長が彼に何か言ったのかな・・」
「とすると、なんだ?この旅行には社長の隠された意図があって、彼はそれを知っている・・とか。」
「案外、そうかもしれない。」と私は言った。「いずれにしろ、やましいことがなければ心配する必要もない。胸を張っていればいいさ。」
「そりゃあ、君はな。多くの社員は君のようにそう簡単に割り切ることはできないさ。」スタンリーは苦笑する。
「君もやましいことはしていないだろう・・というより、こんな昼から酒を飲んでいていいのか?午後も仕事はあるだろう?」
そう聞くと、スタンリーは「あ~・・」と明後日の方を向いた。
「なんだ、なにかあったのか?」
「いや、実はな。近々、君の課に移動になるらしいんだよ、俺。」
「はぁ!?」
思わず私は持っていたグラスを取り落としそうになって、慌てて床に落ちる寸前にキャッチした。訝しげにこちらを見る店員や客に軽く詫びたあと、私はスタンリーに向き合って、小声でまくし立てた。
「どういうことだ?君、今の仕事が好きだ、自分に合ってるって言っていたじゃないか!それに君は課のエースだし・・命令か?なにがあった?」
「そう熱くなるなよ、落ち着けって、トマス。」
「これが落ち着いていられるか!」
「まぁ聞け。」
スタンリーは少し難しい顔をすると、持っていたグラスを私の目の前に突きつけて制した。言いたいことはもっとあったが、スタンリーの真剣な顔は稀だ。私はため息をついて、スタンリーに続きを促した。
「一言で言えば、嵌められたのさ。」
「嵌められた?」
「ああ。俺が持っている案件の情報が、ライバル社に流れた。今日それを上司に伝えられてな。身に覚えは全くないが、責任とってってことで・・ま、君の課に移動ってのは建前だ。俺が今持っているすべての案件を引き継いだら俺はクビって話さ。」
「そんなことが・・しかし、誰がそんなことを?」
「上司は『おまえがやったんだろう』の一点張りだ。聞く耳持ちやしない。まぁスパイか、会社の内部の人間か・・ってところだ。もう俺には関係のない話だが。」
「納得いかないな。」
私は眉をひそめてスタンリーに詰め寄った。「なぁ、君は本当にこれでいいのか?」
「私はそこまでこの会社に思い入れはないからな。十分稼いだし、早いが隠居でもしようかと思っているよ。仕事がしたかったらまた探すさ。旅行はちょうど行きたかったし。」
「旅行・・そうだ、旅行だよ!」
私は何かとてつもなくいい案がひらめいたとばかりに腰を浮かした。
「社員旅行は、会社のほとんどの人間が参加するんだろう?そこで君を嵌めた奴が誰か探るんだ!」
「え?」
「奴を上司に引き渡せば、上司もきっと納得するだろうさ。」
スタンリーは困ったような顔をしていたが、私はどうしても引く気になれなかった。会社に思い入れはないと言っていたが、彼は本当に仕事に熱心だし、会社を支える屋台骨でもある。そして何より──彼に身に覚えのないことで彼が訴追されるのは、堪えがたいことでもあった。スタンリーは何か言いたげに視線を泳がせたが、私の様子に根負けしたのか、少し微笑んで言った。
「それじゃあ、よろしく頼むとするかな、名探偵さん。」
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