Two grave holes for three

あきたいぬ

文字の大きさ
6 / 7
社員旅行編

出発直前

しおりを挟む
12月19日、朝9時ちょうど。
 私は集合時間より一時間ほど早く、ロンドン駅に着いていた。通勤のラッシュを過ぎたものの駅は混雑していて、背の高い私は肩を縮こませながらベンチに座り、せわしなく歩いている人々にぼんやりと目を向けていた。
 二日前、スタンリーにああ啖呵をきったはいいものの、私はどうするべきか頭を抱えていた。一人ひとり聞き込みに行けばいいのか、しかしどう聞いたものか。「スタンリーのことを知っているか?」いや知っているに決まっているだろう。「ここ最近、なにか気になることは?」それではざっくりしすぎている。「君がスタンリーを嵌めたのか?」直接的すぎて却下だ。そこまで考えて私はようやく、私は人と何かを話すことがとんでもなく苦手なのだと言うことに気がついた。そりゃあそうだろう。この外見のせいで、今までろくに人が近づかなかったのだから。
「おにいさん、お花はいかが?」
ぐるぐると考えを巡らせているところに、ふと鈴を転がしたようなかわいらしい声が飛び込んできた。いつのまにか目の前に、ぼろ布を纏った少女が立っている。まっすぐに差し出された手には、茎を丁寧に紙で覆ったバラが一輪握られていた。
「ありがとう、お嬢さん。」私はなるべく笑顔を作り(それでもだいぶぎこちなかったが)差し出されたバラを受け取った。「いい花だね。いくらだい?」
「一ポンドですわ。」少女は花を買ってもらったことにいくらか緊張が緩んだようだった。反対側のかごの中にはもう花は残っていない。これで最後だったのだろう。
「そうか、一ポンドか。よし、ちょうど小銭が重くて難儀していたんだ。この際だから受け取ってもらえるかな?」
私は少女の返事を聞かず、そのかごの中に財布に残っていた小銭をあらかた投げ込んでしまった。一ポンドよりは明らかに大きな額に少女は目を丸くしたが、すぐににっこりと私に笑いかけるとそのまま駅の出口へと駆けていった。余計なお節介だっただろうか、とチラリと思ったが、その様子を見て少し安心する。
 幼い子供が己の生計を立てることは、ここらでは珍しいことではない。彼女以外にも、あたりを気をつけて見ればそこいら中に働いている子供は存在する。靴磨きの少年、掃除婦、中には際どい格好をして、自身の二倍ほど年齢の開きのある男の服の裾を引っ張る子もいた。哀れだと思う気持ちはあるが、だからといって皆を救うことはできないとわかっている。だからせめて、自分の手の届く範囲のことだけでも、やれることならやりたいと思うのは──傲慢、なのかもしれないが。
 そこでふっと、一週間前ほどに出会った子供のことを思い出した。エミリアのことだ。彼女も、あの花を渡した少女と同じくらいの年齢だったな、と思う。黒い髪の美しい娘だった。あのあと、依頼料を支払うために再び研究所を訪れたのだが、三度訪れてもその扉が開くことはなかった。親族であるスタンリーに相談してみても、「君から金は取らないよ」の一点張りで、結局今日まで来てしまっている。あの女を退けたことで私には約束通り安眠が訪れたが、胸のつかえは取れなかった。あの奇妙な研究所のことも、スタンリーの兄弟だという彼のことも、エミリアのことも、そして──エミのことも。
(あれは夢にしては、あまりにも夢らしくなかった。)
 私の手の手を取ってEMIと書いたあの感覚は、今でも覚えている。そこには確かに質量があり、熱があり、子供の特有の柔らかさがあった。 
(あの子は一体、誰なんだろう?)
「トマス!」
私の思考は、急に上から降りかかってきた声によって中断された。旅行鞄を持ったスタンリーが、私を不思議そうに見下ろしている。
「スタンリー。おや、もうそんな時間か?」
「そうさ。おおよそ集まってきている。さっきから何回か話しかけていたんだが・・何か考え事か?」
「そうなのか、すまない・・いやなに、たいしたことではない。」
私は握っていた花を胸に挿すと、鞄を持って立ち上がった。
「さて、では行こうか。」

 ロンドン駅五番ホームは、我が社の社員でごった返していた。大企業、とまでは行かないが、小規模でもない会社の社員が一堂に会したとあって、駅員もてんやわんやである。あらかじめ列車の予約をしておいたようだが、この人数では混乱も避けられないだろう。さてどうしたものか、と思案していると、スタンリーが私の腕を引っ張って、列車のちょうど端の方へ連れ出した。
「ここはまだ空いているぜ。列車は貸し切りだそうだから、今のうちに入っちまおう。」
スタンリーが言ったとおり、端の方の席は空いていた。先の方から喧噪が聞こえてくる。車内は落ち着いた雰囲気で、四人で一つの部屋が割り当てられていた。スタンリーはその内一つの605と印字されているドアにつかつかと歩み寄ると、ノックもなしにがらりと勢いよく扉を開けた。
「おい、スタンリー・・!」
「心配ない、知り合いだ。」
「知り合いであっても、ノックの一つはしてほしいけどね。」
部屋の奥には、先客が一人。少し舌っ足らずな英語に、黒い髪に黄色がかった肌をしている、小柄な男だった。年は・・ティーンかそこらにしか見えないが、ここにいると言うことは我が社の社員、スタンリーに気安く話しかけていたことを鑑みても、30代あたりだろう、と見当をつける。
「トマス、紹介しよう。彼はハルアキ。ハルアキ・ヤスベだ。ハルアキ、こっちがトマス・スミス。前に話しただろう?」
「前も何も、君の話題の半分はスミスのことじゃないか。よろしく、スミス。外国人には僕たちの名前は言いにくいそうだから、好きなように呼んでくれると嬉しいな。」
「ではハルと。僕たちということは、君は・・」
「ハルは日本人なんだ。会社には他にもう一人いる。」
 ハルの話を引き継いで、スタンリーが言った。「そしてここの部屋は俺たち三人が使う作戦室、といったところだ。」
「作戦室?」
思わず聞き返すと、スタンリーはにやりと笑って言った。私はこのスタンリーの笑顔に見覚えがあった。いたずらが成功したときの幼い子供が見せるような、そんな顔だ。
「名探偵殿の事務所といった方が良いか?」
ガタン、と一つ大きく揺れて、列車が動き出す。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

明日結婚式でした。しかし私は見てしまったのです――非常に残念な光景を。……ではさようなら、婚約は破棄です。

四季
恋愛
明日結婚式でした。しかし私は見てしまったのです――非常に残念な光景を。……ではさようなら、婚約は破棄です。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

夫から「用済み」と言われ追い出されましたけれども

神々廻
恋愛
2人でいつも通り朝食をとっていたら、「お前はもう用済みだ。門の前に最低限の荷物をまとめさせた。朝食をとったら出ていけ」 と言われてしまいました。夫とは恋愛結婚だと思っていたのですが違ったようです。 大人しく出ていきますが、後悔しないで下さいね。 文字数が少ないのでサクッと読めます。お気に入り登録、コメントください!

幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。

灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。 曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。 婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。 前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。

【完結】愛されないあたしは全てを諦めようと思います

黒幸
恋愛
ネドヴェト侯爵家に生まれた四姉妹の末っ子アマーリエ(エミー)は元気でおしゃまな女の子。 美人で聡明な長女。 利発で活発な次女。 病弱で温和な三女。 兄妹同然に育った第二王子。 時に元気が良すぎて、怒られるアマーリエは誰からも愛されている。 誰もがそう思っていました。 サブタイトルが台詞ぽい時はアマーリエの一人称視点。 客観的なサブタイトル名の時は三人称視点やその他の視点になります。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

悪役令嬢は手加減無しに復讐する

田舎の沼
恋愛
公爵令嬢イザベラ・フォックストーンは、王太子アレクサンドルの婚約者として完璧な人生を送っていたはずだった。しかし、華やかな誕生日パーティーで突然の婚約破棄を宣告される。 理由は、聖女の力を持つ男爵令嬢エマ・リンドンへの愛。イザベラは「嫉妬深く陰険な悪役令嬢」として糾弾され、名誉を失う。 婚約破棄をされたことで彼女の心の中で何かが弾けた。彼女の心に燃え上がるのは、容赦のない復讐の炎。フォックストーン家の膨大なネットワークと経済力を武器に、裏切り者たちを次々と追い詰めていく。アレクサンドルとエマの秘密を暴き、貴族社会を揺るがす陰謀を巡らせ、手加減なしの報復を繰り広げる。

処理中です...