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寂れた古いダンジョン。
その奥に一匹のミミックがいた。
いつからそこにいたのか、ミミック自身ですら覚えていない。
しかし、棺ほどの大きさに成長したその体が、彼の生きてきた長い年月を物語っていた。
ダンジョンには、もはや探索者の姿はない。
石壁に刻まれた傷や、崩れかけた床が、かつて人の往来があったことを示しているだけだった。宝を求めて訪れた者たちの足音も、剣の擦れる音も、今ではすべて失われている。
良く言えば平穏。
悪く言えば退屈。
そんな毎日だった。
ミミックには日課があった。
ダンジョンの奥から入口へ、決まった順路を辿り、配置された宝箱を一つずつ確認して回ることだ。
石床に並ぶ宝箱は、どれも古い。
装飾は剥げ、金具はくすみ、開けられた痕跡も長いこと見ていない。ミミックはそれらの前で立ち止まり、内部に残るものがないかを調べていく。
もちろん中身は空っぽ。
かつては違った。
金貨の重なり合う音、宝石の放つ鈍い輝き、武具に宿る微かな力。価値あるものを見つけるたび、ミミックはそれらを自らの内へと収めてきた。外界に晒されるより、箱の中にある方が、宝は長く形を保つ。それがミミックの本能だった。
今では、保管する役目を終えた箱ばかりが残っている。
それでも、軟体の足で体を引きずりながら巡回は続けられた。
その日もいつもと同じように、最後の区画へ向かったときだった。
ダンジョンの入り口から一番近い宝箱の前で、ミミックは立ち止まった。
人間が来れば真っ先に空になる、期待できない宝箱。
しかし、今回は少し様子が違った。
蓋が、わずかに開いている。
金具には新しい歪みがあり、石床には最近ついた擦過痕が残っていた。
内部を確認する。
金貨はない。
宝石も、武具も、力を帯びた物品も存在しない。
代わりに、布に包まれた小さな塊が横たわっていた。
その塊は規則的に腹の部分が小さく上下し、呼吸をしていた。
体表に毛は少ない。
四肢は未発達。
角はない。
牙もない。
鱗、外殻、粘膜質の被覆も確認されない。
思い当たる生物は一つ。
人間。
成体と比べれば著しく小さい。
だが、骨格の配置、関節の数、呼吸の仕方は一致している。
ミミックは考えていた。
人間は宝ではない。
輝きもなければ、力の流れも感じない。
かといって襲ってこない人間を捕食する気にもならない。
そのとき、通路の奥から湿った息遣いが近づいてきた。
低く、荒い呼吸音。鼻を鳴らしながら、石床を踏みしめる音が続いている。
ゴブリンだ。
空気を吸い込み、吐き出しながら、何かを探している。
ゴブリンは宝箱の前で立ち止まった。
鼻先を寄せ、蓋の隙間を嗅ぐ。
内部の匂いを確かめるように、何度か大きく息を吸った。
涎を垂らしながら宝箱を開ける。
しかし、その中はすでに空だった。
首をかしげながら舌打ちのような音を喉の奥で鳴らし、再び空気を吸い込む。
鼻孔がひくりと動き、微かな温もりの残り香を捉えた。
……近い。
ゴブリンは石床に鼻を擦りつけるようにしながら、匂いを辿っていく。
通路の脇。
壁際。
そして、不自然な位置で立ち止まった。
そこにあったのは、大きな宝箱だった。
他の箱よりも一回り大きく、
装飾はほとんど剥げ落ち、
古びているはずなのに、なぜか安定して立っている。
匂いはそこに繋がっていた。
ゴブリンは笑った。
歯をむき出しにし、金具に手をかける。
目一杯力を込める。
動かない。
両手で掴み、体重をかける。
蓋はびくともしなかった。
ゴブリンは唸り声を上げ、蹴りを入れる。
鈍い音が石床に響くだけで、宝箱は揺れすらしない。
金具を噛み、爪で引っかき、
隙間に指を突っ込もうとするが、どこにも引っかかりがない。
開かない。
何度も鼻を鳴らし、混乱したように箱の周囲を回った。
匂いは確かにここにある。
それなのに、開けるどころか、壊せもしない。
やがてゴブリンは苛立ち、箱を殴りつけると、
意味のない怒声を上げて通路の奥へと去っていく。
ゴブリンの足音が完全に消え、
ダンジョンに再び静寂が戻る。
しばらくの間、宝箱は動かなかった。
外殻は固く閉じられ、
金具は最初からそうであったかのように噛み合ったままだ。
内部で、小さな塊がわずかに身じろぎした。
それだけだった。
泣き声も、助けを求める仕草もない。
外殻の内側を流れる感覚が、微かにざわめく。
これまでに無数の宝を収めてきたときと、同じ兆候だった。
長い年月で磨かれた、本能の動き。
人間は宝ではない。
何度考えても、その結論は変わらない。
それでも。
外界に置けば失われる。
このダンジョンは、人にとって安全な場所ではない。
魔物、罠、崩落、飢え。
いずれか一つでも致命的だ。
ミミックは知っている。
宝を失う悲しみを。
その瞬間を、何度も見てきたからだ。
守らなければならない。
その思考は、意識せずとも形を取りはじめた。
外殻がわずかに厚みを増し、
継ぎ目がさらに噛み合い、
魔力の巡りが内部へと集束していく。
外から開けることは、より困難になる。
匂いは遮断され、
音も最小限に抑えられた。
内部では、柔らかな部分だけが配置を変え、
小さな体を包み込む空間が作られていく。
圧迫しない。
冷やさない。
揺らさない。
それは今までの保管とは少し違う。
ミミックはその違いを明確に理解してはいなかった。
ただ、自分の中にあるものを、外に晒してはならないと感じている。
宝箱は、宝を守るために存在する。
ならば今、
この中にあるものは、守るべき対象なのだ。
ダンジョンの入口近くで、一つの宝箱が静かに決意を固めていた。
その奥に一匹のミミックがいた。
いつからそこにいたのか、ミミック自身ですら覚えていない。
しかし、棺ほどの大きさに成長したその体が、彼の生きてきた長い年月を物語っていた。
ダンジョンには、もはや探索者の姿はない。
石壁に刻まれた傷や、崩れかけた床が、かつて人の往来があったことを示しているだけだった。宝を求めて訪れた者たちの足音も、剣の擦れる音も、今ではすべて失われている。
良く言えば平穏。
悪く言えば退屈。
そんな毎日だった。
ミミックには日課があった。
ダンジョンの奥から入口へ、決まった順路を辿り、配置された宝箱を一つずつ確認して回ることだ。
石床に並ぶ宝箱は、どれも古い。
装飾は剥げ、金具はくすみ、開けられた痕跡も長いこと見ていない。ミミックはそれらの前で立ち止まり、内部に残るものがないかを調べていく。
もちろん中身は空っぽ。
かつては違った。
金貨の重なり合う音、宝石の放つ鈍い輝き、武具に宿る微かな力。価値あるものを見つけるたび、ミミックはそれらを自らの内へと収めてきた。外界に晒されるより、箱の中にある方が、宝は長く形を保つ。それがミミックの本能だった。
今では、保管する役目を終えた箱ばかりが残っている。
それでも、軟体の足で体を引きずりながら巡回は続けられた。
その日もいつもと同じように、最後の区画へ向かったときだった。
ダンジョンの入り口から一番近い宝箱の前で、ミミックは立ち止まった。
人間が来れば真っ先に空になる、期待できない宝箱。
しかし、今回は少し様子が違った。
蓋が、わずかに開いている。
金具には新しい歪みがあり、石床には最近ついた擦過痕が残っていた。
内部を確認する。
金貨はない。
宝石も、武具も、力を帯びた物品も存在しない。
代わりに、布に包まれた小さな塊が横たわっていた。
その塊は規則的に腹の部分が小さく上下し、呼吸をしていた。
体表に毛は少ない。
四肢は未発達。
角はない。
牙もない。
鱗、外殻、粘膜質の被覆も確認されない。
思い当たる生物は一つ。
人間。
成体と比べれば著しく小さい。
だが、骨格の配置、関節の数、呼吸の仕方は一致している。
ミミックは考えていた。
人間は宝ではない。
輝きもなければ、力の流れも感じない。
かといって襲ってこない人間を捕食する気にもならない。
そのとき、通路の奥から湿った息遣いが近づいてきた。
低く、荒い呼吸音。鼻を鳴らしながら、石床を踏みしめる音が続いている。
ゴブリンだ。
空気を吸い込み、吐き出しながら、何かを探している。
ゴブリンは宝箱の前で立ち止まった。
鼻先を寄せ、蓋の隙間を嗅ぐ。
内部の匂いを確かめるように、何度か大きく息を吸った。
涎を垂らしながら宝箱を開ける。
しかし、その中はすでに空だった。
首をかしげながら舌打ちのような音を喉の奥で鳴らし、再び空気を吸い込む。
鼻孔がひくりと動き、微かな温もりの残り香を捉えた。
……近い。
ゴブリンは石床に鼻を擦りつけるようにしながら、匂いを辿っていく。
通路の脇。
壁際。
そして、不自然な位置で立ち止まった。
そこにあったのは、大きな宝箱だった。
他の箱よりも一回り大きく、
装飾はほとんど剥げ落ち、
古びているはずなのに、なぜか安定して立っている。
匂いはそこに繋がっていた。
ゴブリンは笑った。
歯をむき出しにし、金具に手をかける。
目一杯力を込める。
動かない。
両手で掴み、体重をかける。
蓋はびくともしなかった。
ゴブリンは唸り声を上げ、蹴りを入れる。
鈍い音が石床に響くだけで、宝箱は揺れすらしない。
金具を噛み、爪で引っかき、
隙間に指を突っ込もうとするが、どこにも引っかかりがない。
開かない。
何度も鼻を鳴らし、混乱したように箱の周囲を回った。
匂いは確かにここにある。
それなのに、開けるどころか、壊せもしない。
やがてゴブリンは苛立ち、箱を殴りつけると、
意味のない怒声を上げて通路の奥へと去っていく。
ゴブリンの足音が完全に消え、
ダンジョンに再び静寂が戻る。
しばらくの間、宝箱は動かなかった。
外殻は固く閉じられ、
金具は最初からそうであったかのように噛み合ったままだ。
内部で、小さな塊がわずかに身じろぎした。
それだけだった。
泣き声も、助けを求める仕草もない。
外殻の内側を流れる感覚が、微かにざわめく。
これまでに無数の宝を収めてきたときと、同じ兆候だった。
長い年月で磨かれた、本能の動き。
人間は宝ではない。
何度考えても、その結論は変わらない。
それでも。
外界に置けば失われる。
このダンジョンは、人にとって安全な場所ではない。
魔物、罠、崩落、飢え。
いずれか一つでも致命的だ。
ミミックは知っている。
宝を失う悲しみを。
その瞬間を、何度も見てきたからだ。
守らなければならない。
その思考は、意識せずとも形を取りはじめた。
外殻がわずかに厚みを増し、
継ぎ目がさらに噛み合い、
魔力の巡りが内部へと集束していく。
外から開けることは、より困難になる。
匂いは遮断され、
音も最小限に抑えられた。
内部では、柔らかな部分だけが配置を変え、
小さな体を包み込む空間が作られていく。
圧迫しない。
冷やさない。
揺らさない。
それは今までの保管とは少し違う。
ミミックはその違いを明確に理解してはいなかった。
ただ、自分の中にあるものを、外に晒してはならないと感じている。
宝箱は、宝を守るために存在する。
ならば今、
この中にあるものは、守るべき対象なのだ。
ダンジョンの入口近くで、一つの宝箱が静かに決意を固めていた。
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