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「えい!!」
バシィッ!
「あっぶなっ! ウィル、それ狙いが全然違う!」
「ご、ごめんなさいっ、ルトン兄さん! 足に当たらなかった!?」
魔王城の朝の中庭に、鞭の音と悲鳴と謝罪の声が響き渡る。
ウィルルー・ラシュネル18歳は、今日も今日とて鞭の狙いを外して頭を抱えていた。
「ラシュネルの血族は一人残らず鞭が使いこなせるはずなんだけどなぁ……。」
ウィルルーより100歳ほど年の離れた兄のルトンが、呆れた顔でこちらを見ている。
「ぼくもラシュネルの血族なんだよ!血族なのっ!代々魔王様に鞭使いとして仕えてきた由緒正しい一族の一員なんだよ!ただちょっとぼくが、ほんの少しだけ、才能が……。」
「ない?」
「はっきり言わないでっっ!」
ウィルルーはその場にしゃがみこんで地面を叩いた。
ラシュネル家といえば、魔王国の中でも名の知られた名家だ。代々最高の鞭使いを輩出し、魔王の側近として仕えてきた誇り高き一族。長兄のシェルンなどは、今や魔王様の右腕たる宰相として活躍しており、頭脳だけではなく、その鞭の腕の名声さえ魔王国全土に響いている。
しかし。末弟のウィルルーだけは、少々……いや、かなり様子が違った。
原因はおそらく祖母にあるということは、決して口に出さないものの、ウィルルーはもちろん周りも分かっていた。
東の人族の女性を妻に迎えたのは、ラシュネル家の2代前の当主である。
寿命が短かかったため顔を合わせた事が有る者は少ないが、薬学に詳しい魔法使いで、亡くなった今でも多くの魔族に尊敬されている。もちろんウィルルーら兄弟にとっても自慢の祖母である。
人族と魔族が婚姻すること自体は珍しくはないが、ウィルルーほど人間の特徴が子孫に顕性するのは大変稀な事だった。
髪も目も魔族らしいところはなく、丸い耳に柔らかな茶色の髪と瞳、血色の良い肌の色をしたウィルルーは、完全に人間にしか見えない。
寿命も、何百年もの時を生きる多くの高位魔族のようにはいかず、人間のそれに近いだろうと御典医に言われている。
若干小柄ではあるものの、十八歳で既に「青年」と呼べる見た目に育ってしまい、一番年の近い兄のルトンとはどちらが年上か推測するのは難しいほどだ。
「だからって絶対に諦めないのはウィルのえらい所だと思うよ。」
ルトンが苦笑しながら手を差し伸べる。
「もちろん諦めたりしないよ!ぼくは誇り高いラシュネル家の末弟だもの、絶対うまくなってみせる!」
ウィルルーは地面から鞭を拾い上げ、ぶんと振り回す。
シュッ! …………ぽとり。
「……。」
「……。」
「も、もう一回!」
「うん、頑張れー。」
ルトンはひっそりと笑いをかみ殺した。
その日の夕方、ウィルルーは魔王の執務室へお茶を運びに向かった。召使としての業務の一つである。
廊下を曲がったところで、扉の向こうから声が漏れ聞こえてきた。
「北の王国が動きました。今年の西の収穫が壊滅的だったのを利用し、食糧を融通する代わりに我らへ攻め込むよう囁いているとのことです。」
「言語道断だ。日ごろから北の狡猾な連中は西の者を『むちもうまいの民』と言ってはばからない。簡単に丸め込めると考えているのであろう……。」
低く静かに響くのは、魔王国すべての民に等しく恐れられ、等しく慕われる魔王と、長兄シェルンの話し声だ。
扉の外で、ウィルルーは目を輝かせた。
(えっ!?西のほうに、『鞭もうまい』人たちがいるの!?)
「援助で先手をとれれば、北の王国の釣り餌を無意味にできます。しかし西への使節は……誰を立てましょうか。」
「それが悩みどころだ。武骨な者を送っても威圧になる。かといって政治の匂いがする者も——。」
「失礼しますっっ!!」
ウィルルーは思い切り扉を開けた。
兄と魔王様が、驚いたようにこちらを向く。
「……ウィルルー。」
シェルンが目を細める。蒼い双眸が「お前は盗み聞きをしていたのか」と無言で語っていた。
「盗み聞きじゃないです!たまたまです!ところでっ。」
ウィルルーは一歩、執務室に踏み込んだ。
「魔王様、ぼくを西に行かせてください!」
突拍子もない発言に、シェルンが額に手を当てる。魔王の赤い瞳が、じっとウィルルーを見た。
「……理由を聞こうか。」
「西の民は『むちもうまいの民』でしょう!ぼく、鞭がうまくなりたいんです!援助物資を届けながら鞭を直接学べるなんて、一石二鳥です!」
ウィルルーは割とよこしまな考えを持っていた。
シェルンと魔王が静かに見つめ合う。そして魔王は静かに口を開いた。
「……そうだな。西の民が、北の者どもに『むちもうまい』と呼ばれていることは確かだ。」
「魔王様!?」
魔王は何事か進言しようとしたシェルンを目で制した。
「ウィルルーを特使に任じる。」
「御意っ!!」
ウィルルーは飛び上がって喜んだ。それを見ながら、魔王様の口元がほんのわずかに緩んでいたことに、ウィルルーは気づかなかった。
出発の朝は、薄い霧が出ていた。
早い時間にもかかわらず、城門の前までシェルンが見送りに来ていた。朝の光の中、紫色の瞳でウィルルーを見つめる。
「気をつけて行け。」
「はい!」
「向こうで無茶をするな。」
「はい!」
「鞭の練習を現地でしようとするな。」
「……。」
「なぜ返事がない。」
「え、いやあ。あはははははは。」
鞭を習いに行くつもりのウィルルーなので、当然返事はしない。シェルンは小さく溜め息をつき、それからウィルルーの頭に大きな手をそっと乗せた。
「帰ってきなさい。ちゃんと。」
「……っ、はい!」
馬車が動き出す。小さくなっていく魔王城を、ウィルルーはずっと見ていた。
(鞭、うまくなって兄さんたちを驚かせるぞ!)
馬車が遠ざかり、土埃の向こうにその姿が完全に見えなくなるまで、シェルンは一人で見送った。
ウィルルーは、シェルンら兄たちと違って寿命が短い。自分たちと比べてあまりに速く進む彼の時間を想うと、家族としては胸が締め付けられることもある。しかし、だからこそラシュネル家では、彼を特別扱いや過保護な甘やかしで縛ることはしないと決めていた。
限られた命ならば、その一分一秒を、彼が望むことのために使わせてやりたい。それが家族の愛の形だった。
(あんなに楽しそうに未来を語るのだ。止める理由などないな。)
時間の流れが速いウィルルーのことだ。この任務を経て、次に再会するときには、きっと一回りも二回りも大人になって帰ってくるのだろう。
シェルンは、かすかに残る弟の気配を惜しむように空を見上げ、それから静かに踵を返した。
バシィッ!
「あっぶなっ! ウィル、それ狙いが全然違う!」
「ご、ごめんなさいっ、ルトン兄さん! 足に当たらなかった!?」
魔王城の朝の中庭に、鞭の音と悲鳴と謝罪の声が響き渡る。
ウィルルー・ラシュネル18歳は、今日も今日とて鞭の狙いを外して頭を抱えていた。
「ラシュネルの血族は一人残らず鞭が使いこなせるはずなんだけどなぁ……。」
ウィルルーより100歳ほど年の離れた兄のルトンが、呆れた顔でこちらを見ている。
「ぼくもラシュネルの血族なんだよ!血族なのっ!代々魔王様に鞭使いとして仕えてきた由緒正しい一族の一員なんだよ!ただちょっとぼくが、ほんの少しだけ、才能が……。」
「ない?」
「はっきり言わないでっっ!」
ウィルルーはその場にしゃがみこんで地面を叩いた。
ラシュネル家といえば、魔王国の中でも名の知られた名家だ。代々最高の鞭使いを輩出し、魔王の側近として仕えてきた誇り高き一族。長兄のシェルンなどは、今や魔王様の右腕たる宰相として活躍しており、頭脳だけではなく、その鞭の腕の名声さえ魔王国全土に響いている。
しかし。末弟のウィルルーだけは、少々……いや、かなり様子が違った。
原因はおそらく祖母にあるということは、決して口に出さないものの、ウィルルーはもちろん周りも分かっていた。
東の人族の女性を妻に迎えたのは、ラシュネル家の2代前の当主である。
寿命が短かかったため顔を合わせた事が有る者は少ないが、薬学に詳しい魔法使いで、亡くなった今でも多くの魔族に尊敬されている。もちろんウィルルーら兄弟にとっても自慢の祖母である。
人族と魔族が婚姻すること自体は珍しくはないが、ウィルルーほど人間の特徴が子孫に顕性するのは大変稀な事だった。
髪も目も魔族らしいところはなく、丸い耳に柔らかな茶色の髪と瞳、血色の良い肌の色をしたウィルルーは、完全に人間にしか見えない。
寿命も、何百年もの時を生きる多くの高位魔族のようにはいかず、人間のそれに近いだろうと御典医に言われている。
若干小柄ではあるものの、十八歳で既に「青年」と呼べる見た目に育ってしまい、一番年の近い兄のルトンとはどちらが年上か推測するのは難しいほどだ。
「だからって絶対に諦めないのはウィルのえらい所だと思うよ。」
ルトンが苦笑しながら手を差し伸べる。
「もちろん諦めたりしないよ!ぼくは誇り高いラシュネル家の末弟だもの、絶対うまくなってみせる!」
ウィルルーは地面から鞭を拾い上げ、ぶんと振り回す。
シュッ! …………ぽとり。
「……。」
「……。」
「も、もう一回!」
「うん、頑張れー。」
ルトンはひっそりと笑いをかみ殺した。
その日の夕方、ウィルルーは魔王の執務室へお茶を運びに向かった。召使としての業務の一つである。
廊下を曲がったところで、扉の向こうから声が漏れ聞こえてきた。
「北の王国が動きました。今年の西の収穫が壊滅的だったのを利用し、食糧を融通する代わりに我らへ攻め込むよう囁いているとのことです。」
「言語道断だ。日ごろから北の狡猾な連中は西の者を『むちもうまいの民』と言ってはばからない。簡単に丸め込めると考えているのであろう……。」
低く静かに響くのは、魔王国すべての民に等しく恐れられ、等しく慕われる魔王と、長兄シェルンの話し声だ。
扉の外で、ウィルルーは目を輝かせた。
(えっ!?西のほうに、『鞭もうまい』人たちがいるの!?)
「援助で先手をとれれば、北の王国の釣り餌を無意味にできます。しかし西への使節は……誰を立てましょうか。」
「それが悩みどころだ。武骨な者を送っても威圧になる。かといって政治の匂いがする者も——。」
「失礼しますっっ!!」
ウィルルーは思い切り扉を開けた。
兄と魔王様が、驚いたようにこちらを向く。
「……ウィルルー。」
シェルンが目を細める。蒼い双眸が「お前は盗み聞きをしていたのか」と無言で語っていた。
「盗み聞きじゃないです!たまたまです!ところでっ。」
ウィルルーは一歩、執務室に踏み込んだ。
「魔王様、ぼくを西に行かせてください!」
突拍子もない発言に、シェルンが額に手を当てる。魔王の赤い瞳が、じっとウィルルーを見た。
「……理由を聞こうか。」
「西の民は『むちもうまいの民』でしょう!ぼく、鞭がうまくなりたいんです!援助物資を届けながら鞭を直接学べるなんて、一石二鳥です!」
ウィルルーは割とよこしまな考えを持っていた。
シェルンと魔王が静かに見つめ合う。そして魔王は静かに口を開いた。
「……そうだな。西の民が、北の者どもに『むちもうまい』と呼ばれていることは確かだ。」
「魔王様!?」
魔王は何事か進言しようとしたシェルンを目で制した。
「ウィルルーを特使に任じる。」
「御意っ!!」
ウィルルーは飛び上がって喜んだ。それを見ながら、魔王様の口元がほんのわずかに緩んでいたことに、ウィルルーは気づかなかった。
出発の朝は、薄い霧が出ていた。
早い時間にもかかわらず、城門の前までシェルンが見送りに来ていた。朝の光の中、紫色の瞳でウィルルーを見つめる。
「気をつけて行け。」
「はい!」
「向こうで無茶をするな。」
「はい!」
「鞭の練習を現地でしようとするな。」
「……。」
「なぜ返事がない。」
「え、いやあ。あはははははは。」
鞭を習いに行くつもりのウィルルーなので、当然返事はしない。シェルンは小さく溜め息をつき、それからウィルルーの頭に大きな手をそっと乗せた。
「帰ってきなさい。ちゃんと。」
「……っ、はい!」
馬車が動き出す。小さくなっていく魔王城を、ウィルルーはずっと見ていた。
(鞭、うまくなって兄さんたちを驚かせるぞ!)
馬車が遠ざかり、土埃の向こうにその姿が完全に見えなくなるまで、シェルンは一人で見送った。
ウィルルーは、シェルンら兄たちと違って寿命が短い。自分たちと比べてあまりに速く進む彼の時間を想うと、家族としては胸が締め付けられることもある。しかし、だからこそラシュネル家では、彼を特別扱いや過保護な甘やかしで縛ることはしないと決めていた。
限られた命ならば、その一分一秒を、彼が望むことのために使わせてやりたい。それが家族の愛の形だった。
(あんなに楽しそうに未来を語るのだ。止める理由などないな。)
時間の流れが速いウィルルーのことだ。この任務を経て、次に再会するときには、きっと一回りも二回りも大人になって帰ってくるのだろう。
シェルンは、かすかに残る弟の気配を惜しむように空を見上げ、それから静かに踵を返した。
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