りんねに帰る

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第二部

第三十五話――化け物

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 ――芸人。それは人々を目で、耳で楽しませることに魂を注ぐ者達だ。街にはそんな者達が多く集まり、それぞれが思い思いの磨き抜いた芸を披露する大通りがあるらしい。アタシは支援院から出してもらえないから、そんな魂と魂のぶつかり合う様を見たことは無い。何度か街へ行きたいとアリスさんに頼んでも「いけませんわ。もっと大人になってからでないと、迷子になってしまいます」と言って一切連れて行ってはくれない。今の所街へ行ったことのあるのは、ユウとマイグリーぐらいのものだ。他の子達は支援院に来てからは一度も敷地内から出たことが無い。しかし、しかしだ。今日という日は街へ行こうだなんて誰も考えない。なぜかって? そりゃあもちろん、芸人がこちらにやってくる日だからだ。

 当番にあたる皆の気合いの入りようは、それはもうすごかった。ナプラ姉弟の二人は今までと変わらない洗練された手捌きだったが、その隣で風呂掃除を任されるカリガドとジャリン、そしてラパムに天輪丸。彼らの連携は今までに見ない速度であったらしい。後で聞いた話によれば、天輪丸なんかは飛んでいたとか。ミアリとアタシの洗濯当番なんて、アタシが杖生活になる前よりも早かった。杖も慣れてしまえば手より遠くに届く分、いくらでもやりようがあるというものだ。
 この日の皆の連携は、きっと日々の積み重ねによる賜物――なんかじゃない。芸人がやってくるという期待感と、それを目前にしてこなさなければならない仕事という敵への憎しみが、かつて無いほどに噛み合った結果の奇跡であった。そうして見事に敵を撃退したアタシ達に、その時はやって来たのだ。
 そこは広場。

「みなさん! これからやって来ますのは、ヨナグ・ニグにて極地に至る絶技とまで言われた稀代の旅芸人。テンラ・リツィヒさんですわ!」

 アリスさんの囃し立てにオーディエンスのバイブスは最高潮。どれが誰の声なのかもよく分からないぐらい、普段の何倍ものテンションだ。今だけは、この個性豊かな支援院の皆が完全に一つとなってさえいるように思える。すると、何やら遠くの方からどんちゃんどんちゃんと賑やかな鼓笛の奏でが聞こえてきた。

「あー! あれ!」

 期待にしんと静まった中で、ジャリンの声が響き、その指差す方を一斉に注目した。

「なに、あれ」

 誰が言ったか、そんなのどうでもいいくらいに皆の心境は一致していたことだろう。なに、あれ。
 リズミカルで楽しげな鼓笛に紛れ、がっちゃがっちゃ、ぎっしぎっしといった、衝突と軋みの旋律が混ざり始めた。

「やあやあやあ! とうとうやって来たなあ! 楽しくってついつい、楽器を買いすぎてしまったようだ! アッハハハハハ!!」

 高らかにそんな笑い声をあげる虹色の星型眼鏡の彼は、高価に見える赤や黄のスーツに、質素な麻のズボンを身につけ、靴はこれまた先端の尖った星空見たいな深い青とキラキラの靴。嘘みたいに不揃いな服装だが、そんなものが気にならないほど、彼の風体の異様さは別にあった。太いロープで体に積み上げ縛り付けた打楽器の数々を、何やら長い棒のようなもので見事なまでに演奏してのけている。極め付けに口もとには二本の笛を咥え、明らかに別々の旋律を奏でる。大量の打楽器を演奏しながら、二本の笛を吹きながら、喋りながら、歩いている。極地? 絶技? いえいえ、そんなの関係ありません。彼は紛れも無く化け物です。

「ああ! 楽器があ!」

 再び誰かのあげた声。皆がきっと同じことに気付いたことだろう。彼の背負う楽器を縛るロープが、その負担に耐えかねて引き千切れたのだ。

「ここがアステオ聖教支援院かい! 僕の名前はテンラ・リツィヒ。面白きを求め、面白きにこの身を費やす旅芸人さ!」

 崩れる楽器の中で、彼は自己紹介を始めた。頭上から襲い来る全ての楽器達をお手玉のように掴んでは投げ掴んでは投げ、体の至る所で転がしながら。
 ――圧巻。今後のアタシの人生、この人以外に圧巻という言葉を使う機会はもう無いというほど、圧巻であった。多分、この場の全員、開いた口が塞がらなかっただろう。

「えーっと、アリス・ソラフさん……だっけ。こんな素晴らしい場所に僕を呼んでくれてありがとう! 皆を満足させられる自信は無いけれど、せめて精一杯楽しもうと思うよ!」

「え、ええ……」

 既に満足どころの騒ぎでは無い。それなのに彼は、まるで自分が一番、誰よりも楽しんでいるかのような笑みでその神技を続けている。それは彼をここに呼んだ張本人であるところのアリスさんですら唖然とするほど。彼からの感謝にまともに受け答えを出来ないでいる。
 その後、彼のこの世のものとは思えない舞台はしばらく続いた。魂を注いだとか、人生を捧げたとか、そんな雰囲気を微塵も感じないほどの彼の気軽さと、努力ではどうにもならないような人間離れした身体能力による奇怪で珍妙な技の数々と、おおよそ一人とは思えない程の演奏を並行して行う光景に、アタシ達はもはや感動すらしなかった。何か、夢とか幻の類の時間であるようにすら思えた。多分一生の思い出になるのだろうが、これほど心の動かない時間も無いだろう。人は凄過ぎるものを見ると、何も感じなくなるらしい。
 ふっと夢が覚めるように、アタシの耳朶を打つ声が聞こえてきた。それはアタシ達の後ろの方。

「リンディーが……? ほんとだ。あの人が訳わかんなすぎて気付かなかった。ちょっと探してきます」

「ええ、お願いカティ。ワタクシがここを離れる訳にも行かなくて……」

 それはアリスさんとカティ姉のひそひそ話の声だった。他のみんなはまだ夢の中にいるようで、気付いていない様子だ。どうしたんだろう。カティ姉も施設の裏の方へ歩いて行っちゃった。最後列にいたアタシは誰にも気付かれずにアリスさんの元へ寄った。

「ねえねえ、どうしたの?」

「ああレリィナ。リンディーが戻っていないのよ。テンラさんがあまりに凄すぎて、全員がいることを確認し忘れてましたの……」

 そういえば、リンディーがいない。振り返ってもう一度、芸人さんの芸に圧倒される彼らを見てみても、リンディーの姿が見えない。あの空気感があまりにリンディーらしくないから、いないことに気付かなかった。

「アリスさん、カティ姉はリンディーを探しに行ったんでしょう? アタシも探してみるね」

「でも、彼の芸は見なくていいの?」

「うーん。なんだかお腹いっぱいって感じ。それより、リンディーにも見せてあげなくっちゃ、かわいそうだよ」

「そうよね。レリィナ、頼めるかしら。ワタクシがお客人を置いてここを離れるわけにも行かないの」

「うん、当番のところ見に行ってみるね」

 そう言ってアタシは、どんちゃかどんちゃか鳴り止まない異次元の芸人を背に、リンディーを探して図書室へ向かった。


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