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最終回

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 深夜零時、真珠のような月明かりを頼りに一人の中年男性、大木戸が、ホテルの前に立つ。
「まるで獣の檻に入るようだ」
 大木戸はホテルの前で立ち尽くす。悪魔の心臓も凍らせるような寒気がする。
 大木戸はため息を吐いて、ホテルの回転ドアを潜った。
 中は最低限の照明のみで、薄暗い。
 エレベーターまで一本道なのにミノタウロスが住む迷宮に迷い込んだようだ。
「アリアドネの糸はない。怪物が気まぐれを起こさないように、祈るだけだ」
 大木戸はエレベーターで最上階へ向かう。

 最上階に着くと汗が噴き出る。右手にレストランがある。その先に狂太郎がいる。
「エクスカリバーも無ければ、魔よけの鏡もありゃしない。あるのは口先だけ」
 大木戸はレストランの扉を開けた。
「お前が、大木戸か?」
 勝ち気で、それでいて優し気な雰囲気の女性、サテラが、大木戸を見て言った。

「その通りだ、サテラ君」
「私の顔と名前を知っているのか」
「狂太郎から、私の能力を聞いているだろう?」
「聞いている。だけど改めて怖いと思った」
「ヒトラーやスターリンが泣いて喜ぶだろう。最も、政治家となれば誰もが欲しがるだろうが」
 大木戸は一歩歩む。
「このまま立ち話で話を進めるかね?」
「残念だがそうしてくれ。後、それ以上近づかないでくれ。狂太郎が襲い掛かってしまう」
 レストランの奥で、狂太郎が目を血走らせていた。その目は大木戸の挙動を余さず監視する。
「分かった。話をしよう」

「単刀直入に言おう。神の代行者を殺してほしい。そのために情報を渡す」
「何だと! 代行者はお前の仲間だろ!」
「それは違う。私たちは脅されているだけだ」
 大木戸は苦々しく唇を噛む。
「管理者は君たちと同じく、代行者によってここに連れてこられた犯罪者だ。もちろん、君たちと同じく記憶を消去されて」
「私たちと同じ? ならなぜ管理者に?」
「おそらく、私たちが突出して強力な能力を持っているからだ。時を止める能力、風を操る能力、洗脳する能力。ここの世界に来ても全く恐怖を感じない存在だ」
「つまり代行者は、お前たちを縛るために管理者にした?」
「半分はそれだろう。そしてもう半分は、その強力な能力でここに来た犯罪者を管理させることだ。もっと言うなら、恐怖の象徴として存在させるためだ」
「恐怖の象徴?」
「私の想像でしかないが、代行者は犯罪者の更生を目的にしていない。恐怖政治で従わせるために、ここに犯罪者を送り込んでいる」
「従わせる? 何のために?」
「神様気分を味わいたい。私はそう考えている」
「妙な話だ。それだと代行者は神様ではないということか?」
「少なくとも、この世界の創造神ではあるだろう。だがそれはこの世界だけの話。私たちが本当に想像する神ではない」

「つまりてめえは、代行者から解放されたいから、俺に情報を話すのか」
 狂太郎がサテラの隣に立つ。
「その通りだ。そして、代行者を倒した暁には、私を現世に蘇らせてほしい」
「俺がそんなことできるのか?」
「できる。君の能力なら代行者の能力もコピーできるはずだ。だから代行者は君を恐れている」
「なるほど。命乞いか」
「その通りだ」

「情報を寄越せ。気分次第で生き返らせてやる」
「ありがたい」

「代行者の居場所を知っているのは、メリーというワープ能力者だ。彼女の能力をコピーし、彼女の記憶を読み取れば君は代行者の元へ行ける」
「メリー。あの子供のことか」
「そうだ。彼女は代行者のメッセンジャーや管理者たちの監視という役割を持っている。言わば、代行者の右腕だ。最も彼女は代行者を嫌っているから、監視役としては役に立っていないがね」

「メリーはどこに居る?」
「彼女は代行者の傍にいる。これは、代行者が彼女を離さないからだ。代行者は彼女が君に捉えられることを恐れている」
「打つ手なしじゃねえか」
「そうでもない。彼女は代行者の目を盗んでヴィーナスシティにちょくちょく顔を出している」
「ほう?」
「彼女はヴィーナスシティの管理者、サニーと仲が良い。サニーに匿われているヘクタールとも仲が良い。だからヴィーナスシティへ行けば、彼女を捉えることができるはずだ。最も、君が近くに居ることを悟られれば、すぐに逃げてしまうだろう」
「隠密か。めんどくせえ」
「そうでもない。メリーはヘクタールやサニーのことを大切に思っている。ヘクタールやサニーが危険にさらされれば、必ず助けに行く。つまり、君はヴィーナスシティへ堂々と行き、サニーを半殺しにすればよい。そうすれば、彼女は必ずサニーを助けに現れる。前もそうだったんじゃないか?」
「そういえば、そうだったな」

「もう一つ、ヘクタールが君を倒すために行動している」
「嬉しい情報だ!」
 大木戸は狂太郎の笑みを見て、ついていけないとため息を吐く。
「ヘクタールは管理者のみならず、そこら辺のゴロツキたちとも接触し、君を倒す術を考えている。グズグズしていると、君は殺されてしまうだろう」
「次にあいつと会った時が、事実上の頂上決戦って訳か! 代行者を殺す前座には丁度いい!」
「君という男は……神話の化け物のほうがまだ可愛げがある」

「情報はそれだけか?」
「話すことは以上だ」
「分かった。俺の気分が変わる前に、さっさと消えろ」
「そうさせてもらう」

 大木戸はレストランの出入り口で足を止める。
「二つだけ余計なお喋りをさせてもらう」
「なんだ? 特別に許可してやる」
「君は代行者を前世で見た記憶が無いか?」
「なんだと! お前はあいつの正体を知っているのか!」
「分からない。ただ、なぜか見覚えがある顔だと思っている。そして、私の家族がこの世界に来たことで確信に近いものを感じている。奴は、私たちと同じ世界の住人だ」
「なぜそう思った?」
「私の家族は、私を恨み、君に私を殺すように依頼した」
「何?」
「私の顔に見覚えが無いのかね? 私はキッチリ覚えているよ」
 狂太郎はじっと大木戸の顔を見る。
「思い出した。お前はあの時の夫か」
「そうだ。資産家の大木戸だ」
「言っておくが、お前の家族に依頼されたから殺したわけじゃねえ。ただ単に、金が欲しかったから強盗に入った。それだけだ」
「妻と子供たちの記憶を覗いたら、ネットの掲示板に、君に私を殺してほしいと書き込んだようだが?」
「そんなの見てねえ」
「なるほど。その答えを聞いて確信した。代行者は、普通の人間だ。ただ何かのきっかけでこの世界の創造神となった。それだけの存在だ」
「なぜそう思う?」
「私たちの家族は、罪らしい罪を犯していない。依頼すれば殺人教唆に当たるだろうが、書き込んだだけで、しかも君がそれを見ていないならただのいたずらだ。それなのにこの世界に居る。おかしいと思わないか?」
「確かに、妙だ」
 サテラが同意する。大木戸は続ける。
「代行者は私怨でここに人間を送っている。その私怨はどこで生まれたか? 元の世界。そうとしか考えられない」
「なるほど。今の段階では役に立たねえが、元の世界に戻ったら、暇つぶしに探して、殺してやろう」

「最後のお喋りだ。これは忠告だが、君はもっとサテラ君を大切にしたほうがいい」
「あ! 喧嘩売ってんのか!」
「忠告だ。君は、ヘクタールが襲ってくるまで待つつもりだろう。それは彼女も危険にさらす。それを覚えておくといい」
 大木戸はそれだけ言うと、立ち去った。

「どうするつもりだ?」
 サテラはソファーに座る狂太郎にしなだれかかる。
「ヘクタールを待つ」
「そうか」
 サテラは狂太郎を抱きしめる。
「私の心配はしなくていい。存分にやれ」
「ふん!」
 狂太郎はサテラの頭を撫でる。
「お前たちは、俺から離れたほうがいいな。静流や舞、全員」
「なぜだ?」
「ヘクタールは一度、俺を殺した。不老不死を得ていたから助かったが、あれは俺の負けだった。次に会う時は、本当に負けるかもしれない。だから、危険だ」
「だったらすぐに殺しに行こう! 私も手伝う! 人殺しは嫌だが、お前が死ぬのはもっと嫌だ!」
 サテラは涙で狂太郎の胸を濡らす。
「私はお前から離れない! 絶対に! たとえ洗脳されたとしても! 絶対にお前を追いかける! 必ず」
 狂太郎の目から一筋の涙が流れる。
「俺は、人殺しを止められない。しかも強烈な破滅願望を持っている。お前を幸せにすることはできない」
 狂太郎はサテラの目を見る。
「俺のことは忘れろ。静流たちにも伝えろ。お前たちは自由だ」
「待て! 狂!」
「アルカトラズとプリズムの施設があれば、生活に不自由しない。ここでお別れだ」
「止めろ! 狂!」
「サテラ、お前は俺が初めて愛おしいと思えた女だ。お前に会えて、本当に良かった」

「ん?」
 サテラはソファーから身を起こす。
「私は何をしていたんだ?」
 ポロポロとサテラの目から涙が零れる。
「なぜ私は泣いているんだ?」
 サテラは夜のレストランで、一人、涙を流した。


「さてと!」
 狂太郎は闇夜のプリズムの大通りを歩く。
「暇つぶしに、ここら辺の犯罪者たちを殺して回るか」
 狂太郎は一度、ホテルへ振り替える。
「あいつらが、平和に暮らすためにも」
 狂太郎はホテルから目を離すと、悪魔のような笑みを作る。
「さあ! 殺してやるぞ!」
 狂太郎は闇夜をかける。かける。かける。
 終わりの時は近い。その時まで。

--------------------------------完--------------------------------------
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