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しおりを挟む刺繍の図案を考えていた時、先日、レオナールが姉の見舞いにと持って来た花が目に入った。
濃い菫色の大輪の花に、黄緑色の茎と葉。白色の小花たちが、それを引き立たせている。
素朴で、見ていると心が落ち着くのだが、当の姉は「花と言えば《薔薇》」という人なので、
レオナールが持って来る花を気に入る事は無かった。
「何て辛気臭い花なの!安物だし!レオナールはセンスがなってないわね!ガッカリよ!
私の目の届かない場所に置いておいて!」
そんな事を思い出しながら、わたしは糸を刺した。
お茶の時間になり、メイドがお茶を運んできた。
「お茶をお持ちしました」
その声に、長ソファで横になっていた姉は慌てて体を起こした。
わたしは持っていた刺繍道具を姉に渡し、メイドを出迎えに行った。
だが、驚く事に、そこにはお茶のワゴンを押すメイドだけでなく、レオナールの姿もあった。
「母から刺繍をしていると聞いてね、様子を見に来たよ、順調かな?」
レオナールは穏やかだが、姉の顔は引き攣った。
「ええ、順調です、ですが、経過を見られるのは好きではありませんの。
出来上がった物を見て頂きたいわ」
「それじゃ、見ない方がいいね、折角だから一緒にお茶をしよう。
数日顔を見ていないからね、詳しく聞かせて欲しい___」
レオナールが姉の前のソファに座る。
メイドたちがケーキスタンドや皿を置き、紅茶を淹れた。
二人が気になりつつも、わたしはメイドたちと共に部屋を出た。
そこには紅茶と菓子の乗ったワゴンがあった。
「時間があるから、あたしたちもお茶にしましょう、クラリスの分もあるわよ!」
メイドが誘ってくれ、わたしはその輪に入れて貰いお茶をした。
ミラはわたしと同年代、マリーは少し上で、二人共お喋りが好きらしく、小声ではあるが賑やかだった。
恋人の話の話、町の噂話等…話は尽きない。
わたしは友達もいない身なので、新鮮だったし、
姉とレオナールの事から気を反らす事が出来て有難かった。
幾らかして、レオナールが部屋から出て来たが、彼はこちらを見る事無く、そのまま行ってしまった。
わたしは、姉の侍女だもの…
仕方ない事よと自分を慰めた。
わたしとメイドは部屋に入り、食器を片付けた。
メイドがワゴンを押して行き、わたしは刺繍の続きに戻ろうとした。
だが、姉が横から取り上げてしまった。
「これは何よ!こんな地味な刺繍しないで頂戴!私のセンスを疑われるじゃない!」
最初に言ってくれたら良かったのに…
恨めしく思いながらわたしは聞いた。
「どういった刺繍が良いでしょうか?」
「そうね、私を象徴するような、深紅の薔薇がいいわ!豪華で威厳と気品があるでしょう?
こんな、ちんけな刺繍、私には似合わないわ!」
姉はあっさりとそれを投げ捨てた。
わたしは姉に言われた通り、薔薇の刺繍を始めた。
「明日の昼食の時に渡すから、それまでに作っておいてよ」
姉に言われたので、わたしは夜の時間を使い、刺繍をする事になった。
ほとんど寝てはいないが、その甲斐はあって、刺繍は無事完成した。
わたしは丁寧にアイロンを掛け、畳み、姉に渡した。
「刺繍です」
姉はそれを捥ぎ取っただけで、労いの言葉も無かった。
いつもの事だし、問題が無ければそれで良かった。
姉は伯爵夫人から刺繍を褒めて貰えた様で、
食堂から出て来た姉は伯爵夫人に、ご褒美を強請っていた。
「私の侍女はセンスが悪いので、困っています。
化粧は下手だし、この髪型も野暮ったいでしょう?
私にレディースメイドを雇って頂けませんか?
もっと、次期伯爵夫人に相応しくなれると思いますわ___」
自分の事を貶され、わたしは酷く恥ずかしく、顔を上げる事が出来なかった。
これまでも姉は同じ事をしてきたが、その相手が伯爵夫人、レオナールの母親だと思うと、酷く悲しくなった。
「いいでしょう、直ぐに手配します。
今日は、そうね…ピアノを披露して頂けるかしら?音楽を嗜む事も大事ですからね___」
伯爵夫人は姉を連れて、ピアノが置いてあるパーラーに向かった。
姉は特別上手くはないが、弾けない事も無いので、わたしの出番は無い。
姉自身、そう思った様で、わたしの事は一瞥もくれなかった。
わたしは眠れていない事もあり、自分の部屋に戻る事にした。
部屋に入り、ベッドに倒れ込むと、あっという間に眠りに落ちていた。
目を覚ました時、まだ陽は高かったので、昨日、姉に投げ捨てられた、刺繍の続きを始めた。
姉はこの刺繍が、レオナールからの見舞いの花だと気付かなかった様だ。
気付いた処で、喜ばなかっただろうか?
「わたしなら、どんな物でもうれしいのに…」
ううん、ただ、彼の側にいられるだけでいい…
それが無理だという事は、百も承知の上だ。
「叶う事はなくても、望むのは自由よね?」
◇◇
翌朝、姉の望みは叶えられ、レディースメイドが部屋を訪ねて来た。
「アベラです、レオナール様の妹、スザンヌ様のレディースメイドを三年していました。
昨年、スザンヌ様が結婚なさったので、お暇を頂きました。
伯爵夫人からの要望は伺っていますので、どうぞ、お任せ下さい」
アベラは髪を綺麗に結い、装いも皺一つなく、上品で几帳面な性格が見て取れた。
そして、その腕も確かで、姉を鏡台に向かい座らせると、手際良く髪を梳き、
綺麗に結い上げた。
化粧も迷いなく施していく___
鏡に映る姉は、見るからに上品な貴婦人だった。
正に、伯爵夫人に相応しいと言える。
だが、それは姉の好みとは真逆と言っても良かった。
見る見る、鏡の中の顔は歪み、険悪になった。
「何なのよ、これは!私の美しさを全く引き出せていないじゃないの!
いいえ、引き出す処か、泥を塗ったも同然よ!
さっさとやり直しなさい!出来なければ、首よ!!」
姉は怒鳴り散らしたが、アベラは表情一つ崩さず、「それでは、失礼致します」と部屋を出て行った。
姉は唖然としていた。
アベラが戻って来ないと分かると、姉はわたしを怒鳴りつけた。
「ボケっとしてないで、早く何とかしなさいよ!」
わたしは姉の化粧を落とし、髪を解いた。
それから、いつも通りの髪型に結い、濃い化粧を施した。
わたしは、アベラを雇った伯爵夫人が何か言って来るかと恐々としていたが、そんな事は無かった。
姉は自分が悪い事をしたとは思っていない様で、昼食時、食堂に向かう際には、
「全く!伯爵夫人に一言言ってやるわ!」と息巻いていた。
その後、何人かレディースメイドが現れたが、姉の気に入る者はおらず、
大抵の場合、一刻も経たずに首にされていた。
姉も諦めたのか、強請るのを止めた様で、いつの間にか、誰も来なくなった。
そんな事がある中、伯爵夫人から、姉の部屋に楽譜とピアノが届けられた。
「ディオール、中々の腕前でしたよ、でも、もう少し練習した方がいいかしら?
弾ける曲が少ないでしょう?気兼ねなく、いつでも練習出来る様に、
部屋にピアノを運ばせました___」
練習嫌いな姉にとっては有難迷惑でしか無かったが、
相手が伯爵夫人では、断る事は出来ず、受け入れるしか無い。
「感謝しますわ」という姉の顔は引き攣っていた。
案の定、姉はわたしに練習させるだけで、自分はピアノに近付く事も無かった。
◇◇
伯爵夫人は数日掛けて、姉に敷地を案内した。
姉は覚える必要は無いと思っている様で、伯爵夫人の説明も聞き流している様だった。
わたしは、後々で姉から聞かれる事を考慮し、せっせとそれに聴き入った。
「ディオール、あなた、乗馬はなさるの?」
十代の頃、馬術大会に出ていたというだけあり、
厩舎を案内する伯爵夫人は、いつも以上に活き活きとしていた。
それに反し、人間以外の生き物を下等と思っている姉は、いつも以上に冷やかだった。
「いいえ」
「教えて差し上げましょうか?」
「いえ、結構です」
二人は知らないが、《馬好き》と《馬嫌い》であり、端で聞いていると冷や冷やした。
「馬は嫌いかしら?とても賢い動物よ?」
姉は無意識なのか、反射的なのか、鼻で笑った。
「考えた事もありませんわ、ただ臭くて、近付きたいとは思えません」
伯爵夫人が気を悪くしなかったとは思えないが、彼女が機嫌を表に出す事はなかった。
「そう、それじゃ、他を案内しましょう」とすんなりと厩舎を出て行った。
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