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しおりを挟む作り込まれた前庭とは別に、館の離れに幾つか花畑があり、
館で飾る花はここで選んで摘んでいるという事だった。
「玄関、パーラー、回廊等の花は、私が選び、活けています。
明日の朝、玄関の花は、ディオール、あなたに任せましょう___」
伯爵夫人からの言い付けに、姉はその場では頷いたが、
部屋に戻るや否や、悪態を吐き出した。
「どうして、伯爵夫人が花なんかを活けるのよ!!
そんなの、メイドか庭師の仕事でしょう!馬鹿にしてるわよ!!」
散々、悪態を吐いた後、姉はわたしに言い付けた。
「あんたがやっておきなさいよ!
絶対に、誰にも見つかるんじゃないわよ!ヘマしたら、タダじゃおかないから!」
これで問題は解決とばかりに、姉は長ソファで足を投げ出し、爪の手入れを始めた。
翌朝、わたしは人に見られない様、陽が出る前に庭に行かなくてはいけなかった。
それを除けば、マイヤー男爵家でも、花を活けるのはわたしの仕事だったので、手順に困る事は無かった。
必要な物は分かっているし、それらが小屋に揃っている事も、伯爵夫人が説明してくれていたので、分かっていた。
わたしは、小屋に置いてある手袋を嵌め、鋏と桶を持ち、花畑に出た。
「玄関だし、明るい色がいいかしら?」
目に入った明るい黄色の花に手を伸ばす。
大輪だし、きっと目を惹くだろう。
それを主軸にして、色合いを合わせ、花や葉を選ぶ…
切った花を桶に入れ、玄関に向かった。
花瓶にある花を抜き、水を換え、茎の長さを調節しながら、花を活ける。
誰かに教えて貰った訳ではない、少しばかり本で読んだ事がある位なので、自信は無かった。
「これで、いいかしら?」
少し離れ、完成した花瓶を眺める。
鮮やかで華やか…
自分では良いと思うが、伯爵夫人の意見は推測出来無かった。
姉が活けたとしても、然程変わりは無いと思うが、出来が悪ければ、姉は容赦なくわたしを責めるだろう。
「仕方ないもの…」
わたしには大したスキルはない。
仕方ないと諦め、わたしは小屋に手袋と鋏、桶を返しに行った。
昼食の後、伯爵夫人は姉を連れて、玄関ホールに行き、花を見てくれた。
「明るくて気持ちが良いわね、良く出来ていますよ。
この花を選んだ理由はあるのかしら?」
当然、姉に答えられる筈はない。
伯爵夫人と一緒で、今初めて見たのだから。
それに、姉はわたしに何一つ聞いて来なかった。
姉はツンと澄まし、一言、「目を惹いたので」と答えた。
伯爵夫人はそれ以上、聞いたりはせずに、花瓶の花を何本か入れ替え、整えた。
「この方がいいでしょう?」
少し変えただけで、それは素晴らしく良くなった。
どうしてかしら?魔法の手みたい!
わたしは感嘆の息を漏らしたが、姉は興味無さそうにしていた。
「今日はピアノを聴かせて貰おうかしら、新しい曲を覚えたかしら?」
「ピアノですか?是非、お聞かせしたいのですが…
実は、花を摘んだ時に指を痛めてしまって…」
「まぁ、大変!見せて頂戴」
伯爵夫人は驚いたが、勿論、これは、姉の言い訳に過ぎない。
姉は一度もピアノに触れていないのだから、新しい曲など弾ける筈もなかった。
姉は手を重ねて指を隠した。
「少し痛めただけですので、大丈夫です。
でも、ピアノはまた後日にして頂けますか?」
「そうね、指が治ってからにしましょう、それでは今日は___」
そんな事を話していた時だ、玄関のノッカーが鳴り、来訪者を告げた。
直ぐに執事が玄関を開けた。
「ピエールか、邪魔するよ___」
入って来たのは、若い、茶髪の男性だった。
美形という程ではないが、何処か華がある。
下がった目尻、大きな口元の端は上がっていて、愛嬌があった。
「ジョルジュ、来る予定だったかしら?」
予定外の来訪らしく、伯爵夫人はそれとなく咎めていたが、相手の男、ジョルジュは全く気にしていない様子だった。
「伯父の顔が見たくなったんだよ、甥なんだから、いつ訪ねて来たっていいだろう?
それより、ロゼール、そこの凄い美人は誰だい?」
ジョルジュの目が姉に向かう。
姉はまんざらでもない様で、微笑を湛えていた。
「ディオール=マイヤー男爵令嬢、レオナールの婚約者候補よ。
ディオール、紹介するわ、こちらはレオナールの従弟、ジョルジュ=フレミー男爵子息」
「こんな美人が婚約者候補なんて、羨ましいな!よろしく、ディオール!」
「ええ、よろしく、ジョルジュ」
ジョルジュは当たり前の様に、姉の手を取ると、その甲に口付けた。
わたしは驚きに唖然としていた。
従兄の婚約者候補に対して、あまりに馴れ馴れしい___!
伯爵夫人も良く思わなかった様で、二人に割って入った。
「ジョルジュ、泊まって行くの?」
「勿論、そのつもりさ!俺は伯父さんに挨拶して来るから、部屋を用意しておいてくれよ!
ディオール、また後でね!」
驚く事に、姉は笑みを浮かべ、手を振っていた。
「…ピエール、急で悪いけど、お部屋を用意して貰える?
料理長にも伝えておいてね…」
執事とメイドたちは、ジョルジュを迎える準備で忙しくなった。
伯爵夫人も気を削がれた様で、
「落ち着かないわね、ディオール、今日は部屋で休んで頂戴、指をお大事にね」
そう言うと、直ぐに何処かへ消えた。
姉は部屋に戻りながら、ニヤニヤとしていた。
「面白そうな人じゃない、暫くは退屈しなくて済みそうね。
男爵子息というのは残念だけど、レオナールなんかより余程いいじゃない…」
姉の漏らした言葉に、わたしの胸はざわざわとなった。
お姉様は我儘よ!
レオナールの婚約者候補の座を奪ったというのに、他の男性に興味を持つなんて!
しかも、レオナールと比べ、ジョルジュの方が良いとまで言うのだ!
姉は上向志向なので、レオナールを捨て、《男爵子息》を選んだりはしないだろうが、それでも、良い気はしなかった。
もしも、お姉様がレオナール様を本気で愛しているなら、わたしも諦められたのに!
辛くても、レオナール様の為と思えばこそ、姉の命にも従ってきたというのに!
だけど、これでは、レオナールが可哀想だ___!
◇
「晩餐には、当然、ジョルジュも出るわよね、彼は伯爵の甥だもの___」
姉は晩餐の支度に気合を入れていた。
伯爵、伯爵夫人、レオナールは上品な装いを好む様で、
普段は姉も、「あの人たちが相手じゃ、着飾るのが無駄ね」と投げやりだったが、
今夜は一目で目を惹く、派手な首飾りを選んでいた。
ドレスも豪華で、小さな宝石が散りばめられている。
だが、その理由が、ジョルジュの気を惹くためだと思うと、憎たらしくなった。
勿論、わたしなんかが口を挟める筈もなく、食堂の中に消える姉を黙って見送るしかなかった。
晩餐を終え、食堂から出て来た姉は、見るからに上機嫌だった。
わたしは気もそぞろで、晩食を味わう所か、何を食べたかさえ覚えていないというのに…
「あの女!偉そうにしているけど、元は男爵令嬢だったんですってよ!」
あの女というのは、伯爵夫人の事だろう。
姉は仕入れた情報を嬉々として話していた。
「男爵令嬢なら、私と同じじゃない!
いいえ、容姿は私の方が上だから、私の方が格上よ!」
容姿で格上になるなど、聞いた事は無いが、姉の中ではそうなっている様で、意気揚々としていた。
「そうと分かれば、もう、あの女の好きになんてさせないわ!
ジョルジュもロゼールの言う事は聞かなくていいと言ってたし、ロゼールもジョルジュには頭が上がらないんだから!
当然よね、ただの男爵令嬢なんですもの!
それに引き換え、ジョルジュの母親は伯爵令嬢よ、つまり、レオナールよりも血統は上なの!」
端から聞いていると、唖然とする話だ。
血統などと言い出せば、先祖代々の墓を暴かなくてはいけない。
わたしには、どうして、男爵子息が伯爵夫人、伯爵子息を下に見ているのか、全く理解が出来なかった。
それに、姉自身、ジョルジュの方がレオナールよりも血統が上だと、喜んでいる様に見える。
姉はレオナールの婚約者候補であって、ジョルジュなど、全く関係はないのに!
それに、伯爵夫人は偉そうになんてしていないわ…
伯爵夫人は、自ら使用人たちを紹介し、館内、敷地を歩き、丁寧に説明してくれていた。
社交には音楽が良いと、ピアノと楽譜を用意してくれたし、花の活け方も教えてくれた。
伯爵夫人は、姉を次期伯爵夫人として、教育してくれているだけだ。
だが、翌日から、姉は宣言通りに、伯爵夫人に対する態度を変えた。
昼食時には、食堂へ行かず、「ジョルジュに領地を案内して貰います」とジョルジュと一緒に館を出て行ってしまった。
帰って来たのは、晩餐の支度を始める頃だ。
この事を良く思わなかったのか、伯爵夫人が姉の部屋を訪ねて来た。
「ディオール、明日は居てくれますか?
まだまだ、覚えて欲しい事がありますからね」
「残念ですが、ジョルジュ様から誘われておりますので、
そちらは、ジョルジュ様がお帰りになってからにして頂けますか?」
「あなたがジョルジュの相手をする必要はありませんよ」
「お言葉ですが、客人をもてなすのも、伯爵夫人の大事な務めではありませんか?」
「ジョルジュは親戚ですからね、必要以上にもてなす必要はありません。
それに、ディオール、あなたはまだその権限を持っていませんよ?」
そう、姉はレオナールの婚約者候補というだけで、婚約者ですらないのだ___
「あなたはここに何をしに来ているのか、覚えていて?
そんな事では、あなたを次期伯爵夫人とは認められませんよ」
姉は、言い返しはしないものの、鋭い目付きで伯爵夫人を睨んでいた。
伯爵夫人はサッと踵を返し、部屋を出て行った。
その後、姉は酷く荒れていた。
「フン!あんたに認められなくたっていいわよ!
伯爵とレオナールが私を認めればいいんだから!」
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