上 下
5 / 13

5 エリーゼ/

しおりを挟む
◆◆ エリーゼ ◆◆

エリーゼは毎日の様に、ヴァンサン伯爵家に行き、ナゼールを慰めた。

「ナゼール様ぁ、どうか、気を落とされないでぇ」
「ミシェルは、ナゼール様を吹っ切ると言っていたものぉ…」
「ナゼール様が幸せになる事がぁ、ミシェルの願いなのよぉ」

そして、数日後、エリーゼの狙い通り、それは届いた。
ヴァンサン伯爵家からの、縁談の打診だ。

「エリーゼ!ヴァンサン伯爵が、おまえをナゼール様の妻にしたいと言って来たぞ!」

父は驚きながらも歓喜していた。
それはそうだ、男爵令嬢が伯爵家に嫁ぐなど、滅多に無い事だ。

「まぁ!うれしいわぁ!お父様、早く返事をなさってぇ!
こういう事は、早い方が印象も良いのよぉ!」

エリーゼは返事を急がせた。
翌日には、両親と共に伯爵家に呼ばれ、
伯爵、伯爵夫人、ナゼールと会う事となった。

伯爵は機嫌が良く、エリーゼたちを歓待したが、ナゼールは暗い顔をしていた。
礼儀正しくはしていたが、何処か虚ろだった。
エリーゼは構わずに、ナゼールや伯爵、伯爵夫人に愛想を振り撒いた。
伯爵も伯爵夫人も愛想良く、目配せをしていたので、自分を気に入った事が分かった。

「二度も婚約破棄をしては、結婚を急がねば余計な詮索をされる。
そうなれば、前の婚約者も肩身の狭い思いをするだろう。
それでだが、結婚は予定通り二月後と考えている。準備は整っておる、心配はせずとも良い。
エリーゼ、急だが受けて貰えるか?」

「はい、謹んでお受け致しますぅ」

エリーゼは言葉少なく返事をしたが、内心では歓喜していた。

二月などと言わず、直ぐにでも結婚したい位よぉ!

◆◆

次の日には、エリーゼはミシェルに報告に行った。

「昨日、ヴァンサン伯爵から、あたしの家に縁談の打診が来たのぉ…
あたしは勿論、断るつもりだったわぁ!親友のあなたを裏切る事は出来ないものぉ!
でも…お父様が、あたしに内緒で受けてしまったのぉ…
あたしの家はミシェルの家程裕福じゃないでしょぉ?
伯爵家からの申し出を断る事は出来ないってぇ…
ああ、ごめんなさい!ミシェル!こんなの、酷いわよねぇ?
あたしの事、恨んでくれていいからぁ…」

エリーゼは涙を流し、謝った。
ミシェルは未だベッドに寝たままで、動く事も出来ないらしい。
彼女はただ、緑色の目を大きく見開き、顔色を失くした。
だが、驚きが過ぎると、震える声で言った。

「いいのよ、エリーゼ、仕方ない事だもの…
わたしは婚約破棄された身だから、次の相手が誰でも、わたしには関係無い…
いいえ、あなたで良かったわ…あなたなら、ナゼールを任せられるもの…
ナゼールをお願いね、エリーゼ」

「ああ、ありがとう!ミシェル!あなたって、本当に、優しいのねぇ…」

思ってもいない癖に、偽善者ね!と、エリーゼは内心で嘲笑う。
エリーゼは素知らぬ顔で、意地悪をした。

「伯爵は予定通りに結婚式を挙げたいと言うのぉ、結婚式は二月後よぉ。
ミシェルも出席してくれるぅ?あなたは一番のお友達だものぉ、絶対に来て欲しいのぉ」

自分が挙げる筈だった式に招待されるなんて、滑稽よね?
当然、ミシェルは断った。
青い顔で、震えながら。

「ごめんなさい…足を怪我しているの、人が集まる所には行けないわ…
きっと、迷惑を掛けるもの…」

「二月先だものぉ、治っているわよぉ、ねぇ、お願い、ミシェル!」

治る筈がない!
一生、動けなくしてやりたい所だわ!
内心で呪いの言葉を吐きながら、エリーズは無邪気な笑みを向ける。

「ごめんなさい、約束は出来ないわ、酷い怪我なの…」

「無理言ってごめんねぇ、ミシェル…」

エリーズは謝り、部屋を後にした。

「ふふふ!ミシェルの、あの絶望した顔!!
ああー、スッキリしたぁ!」

でも、ミシェルが悪いのよ?
あたしの方が先に好きになったのに、あたしの方が先に声を掛けたのに、
あたしから、ナゼール様を奪ったんだから!

「当然の報いよ!もっと、苦しめてやっても良かったわ!
でも、あたし、そんな酷い事は出来ないわぁ、だって、ミシェルは《親友》だものぉ」

それよりも、ミシェルには、自分の幸せな姿を見せ付け、分からせたい。
幸せになるのは、自分みたいな人間だと。
ミシェルの様な地味な女は、指を咥えて羨ましがっていれば良いのだ___

「安心してねぇ、ミシェル、あたしがナゼール様と幸せになるからぁ!」


翌日、エリーゼはナゼールを訪ね、ミシェルの言葉を伝えた。

「あたしたちの事、ミシェルに話したのぉ、でもぉ、少しも驚いていなかったわぁ、
それ処か、次の相手は誰でも良かったけどぉ、あたしで良かったってぇ。
二人で幸せになってねってぇ、喜んでいたわぁ」

ナゼールは、自分への未練が感じられず、ショックを受けていた。
エリーゼは構わずに、ナゼールに優しく甘く、囁いた。

「ミシェルはぁ、ナゼール様の事ぉ、そんなに愛してはいなかったみたいねぇ。
あたしなら、あんな風には言えないしぃ、吹っ切るなんて無理よぉ」

「そんな…気付かなかった…」

「ミシェルは案外、冷たい所があるからぁ、ナゼール様も早く忘れた方がいいわぁ、
ナゼール様も幸せにならなきゃ!」

エリーゼは慰める様に、ナゼールの肩を撫でた。
そして、ピタリと体を付け、抱擁する。
心が冷え冷えとしていたナゼールは、その体温と柔らかさに、本能的に縋り付いたのだった___



◇◇ ミシェル ◇◇

「ミシェル、いいかしら?あなたにお見舞いよ___」

扉が叩かれ、母が顔を覗かせた。
その弾んだ声に、わたしの失っていた感情が少しだけ目を覚ました。
そんな筈は無いというのに、ナゼールが来てくれたと期待したのだ。
だが、痛む体を何とか起こしたわたしの目に入ったのは…
赤毛ではなく、ダークブロンドの背の高い、三十歳位の男性だった。

彼は大股でわたしの所まで来ると、真剣な顔でわたしを覗き込んだ。
その灰色の瞳に、既視感があった。

「ミシェル、大変だったね、もう、大丈夫だ___」

低く、温かみのある声。
大きな手がわたしの髪を優しく撫でる。
わたしは手を伸ばし、彼の服を掴んでいた。

「グエン兄様!」

わたしは「わっ!」と声を上げ、泣いていた。





グウェナエル=フォーレ伯爵。

わたしの母、イレーヌの七歳下の弟で、わたしにとっては叔父だ。

グエンはわたしが生まれた時から、わたしを知っている。
母が良く話していたが、グエンはわたしの誕生を待ちわび、
予定日の一月前から男爵家に居座っていたらしい。
彼は当時十三歳で、赤ちゃんを見るのが初めてだったのだ。

初めての対面で、「可愛い!ちっちゃい!天使みたいだね!」と、わたしを気に入ってくれ、
それからもう一月、男爵家に居座り、わたしの世話を手伝ってくれたらしい。

それから、グエンはわたしを妹の様に思い、大事にしてくれた。
誕生日には必ず贈り物をしてくれ、
夏になれば、わたしを伯爵家に招待してくれ、一緒に夏を過ごした。
弟のローランが生まれると、弟も一緒に招いてくれた。

伯爵家は大きく、敷地も広く、わたしには《夢の家》に見えた。
伯爵家の庭を駆け回り、子供用の隠れ家で過ごす。
釣りをしたり、果物を採ったり、ピクニックをしたり…
普段、大人しい自分も、伯爵家に行くと子供らしくなれた。
いつもグエンが相手をしてくれたからだ。

『釣りが出来ないと、立派な令嬢にはなれないぞ!』
『ミシェル、りっぱなれいじょうになれないのぉ?』
『大丈夫、僕が教えてあげるから!』
『ミシェル、がんばるね!』
『よし!いいぞ!流石僕の妹だ!』
『うん!』

わたしはグエンに憧れていた。
グエンは小さなわたしから見ると、何でも出来、恰好良かった。
どんな難題も、簡単に解決してしまうのだ!
それに、凄く、優しい。
世界で一番優しい人だと思っていた位だ。

グエンが大好きで、『妹』と呼ばれるのが、自慢だった。
わたしたちは、本当の兄妹みたいに、仲が良かった。

『ああ、ミシェル!大丈夫か?怪我したかな?見せて…』

わたしが怪我をした時には、グエンは自分の方が辛そうな顔をし、
丁寧に手当をしてくれた。

二人で泥だらけになって館に帰り、一緒に叱られた事もある。
二人で目配せをして、舌をペロリと出した。

グエンとの思い出は、尽きない程あった。

だが、それは、わたしが十三歳の夏で終わった。

その夏、グエンがロベール男爵家を訪ねて来た。
グエンは一日居ただけで、翌朝には帰ってしまった。
わたしが目を覚ました時には、もう居なかった。

わたしは、グエンに嫌われてしまったのではないかと、落ち込んだ。

母は、「グエンは伯爵を継いだばかりで、忙しいのよ」と言っていた。
グエンの父が前年に亡くなったのは、わたしも知っている。
伯爵家までは馬車で三日は掛かるので、訃報を聞き、家族で駆けつけた時には、
葬儀はとっくに終わっていて、埋葬も済んでいた。

グエンは酷く落ち込んでいた。
わたしは慰めたかったが、一緒に泣く事位しか出来なかった気がする。

それ以降、グエンの家には招待されなくなった。
寂しい気持ちだったが、招かれないのに行く訳にはいかない。
その内、わたしも学校に入り、忙しくなったので、辛く思う事も無くなった。

誕生日に贈り物、記念日にカードを贈り合う以外、
わたしたちは、すっかり疎遠になっていた。

グエンは大人になり、子供の相手が嫌になったのだろうと、自分を納得させた。

そのグエンが、目の前にいる___

わたしは子供に戻ったかの様に、グエンに縋り付き、泣いていた。
グエンはそっと、わたしを抱擁し、ただ黙って、頭や背中を撫でてくれた。
わたしはその温もりと優しさに安堵し、眠りに落ちたのだった。
しっかりと、グエンの服を握り締めて。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

「君は運命の相手じゃない」と捨てられました。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,356pt お気に入り:9,931

契約妃は隠れた魔法使い

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:156pt お気に入り:89

乙女ゲーム関連 短編集

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,427pt お気に入り:156

あまり貞操観念ないけど別に良いよね?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,917pt お気に入り:2

王妃となったアンゼリカ

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:169,123pt お気に入り:7,830

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:1,200

処理中です...