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しおりを挟むこの恋は、もう終わり…
ランメルトに刺繍を渡し、お別れをする事が出来た。
もう、思い残す事は無い。
わたしはジョルジュとの縁談を前向きに考えようと心に決め、デラージュ公爵邸に帰ったのだが、
その数時間後、事態は急変した___
「グレース様が二階から転落し、意識不明です、至急王宮へ___」
早馬の知らせに、両親とわたしは馬車を飛ばし、王宮に駆けつけた。
姉は自室のベッドに寝かされており、頭には包帯が巻かれていた。
閉じられた瞼、ピクリとも動かない表情は、死んでしまったかの様に見え、
わたしは震えが止まらなかった。
「ああ、グレース!!」
「グレース!一体、何があったんだ?」
母は号泣し、父は説明を求めて医師に詰め寄った。
医師は「こちらに」と両親だけを呼び、出て行った。
わたしは姉の枕元まで来て、その場に崩れ落ちていた。
「お姉様…」
どうして、お姉様がこんな事に!
わたしが姉を羨んだから?嫉妬したから?
わたしは無意識に、姉を呪っていたのだろうか?
「違う!こんなの、望んでいないわ!お姉様を返して!!」
わたしは両手に顔を伏せ、泣いていた。
翌朝、姉の意識が戻った。
だが、その姿は、これまでの姉とは程遠かった。
「うふふ、あはは、ふふふ…」
虚ろな目で、笑ってばかりいる。
話し掛けても、視線が合う事は無く、明らかに異常が見えた。
医師の話では、「頭を強く打った所為でしょう、打ち所が悪かった」と言う事だった。
「先生、グレースは、治らないんですか?」
「それは、神しかご存じない事です」
誰にも分からず、そして、打つ手も無かった。
姉は二階のテラスから転落した様だ。
争った形跡はなく、「事故」と言われたが、テラスには胸の高さまでの手摺があり、
それを乗り越えて落ちたのだから、《何か》はあった筈だ。
姉は何故、身を乗り出したのか…
姉は頭の怪我、左腕の骨折、打撲はあったが、命に別状は無かった。
デラージュ公爵邸へ連れ帰る事になったが、臣下が挨拶に来ただけで、
ランメルトの姿は見えず、わたしはそれが酷く気になった。
どれ程辛く、苦しんでいるだろう…
◇◇
ランメルトと姉の婚約は、姉が意識を取り戻したその日の内に破棄された。
翌日、ランメルトの側近であるクレモンが館を訪れ、それを告げた時、
わたしたち家族は愕然となった。
怪我だけならばまだしも、正気を失ったとなれば、王子妃になれる筈はなかったが、
あまりに姉が可哀想で、わたしたちは無意識にそれを考えない様にしてきたのだ。
「___ランメルト殿下のご意向ではありません、王室の決定です」
せめてもの慰めかもしれないが、父の顔は色を失くし、母はとうとう声を上げて泣き出した。
侍女たちが母をパーラーから連れ出し、場がしんと静まり返る中、
クレモンが神妙な顔つきで申し出た。
「殿下も大変心配しております、どうかグレース様のお見舞いをさせて下さい」
「申し訳ないが、それはお断りする!
グレースも今の姿を見られたくないと言う筈だからな!」
父は高圧的で、その口調は厳しく、責めている様にも聞こえた。
普段の父も少し高慢な処はあるが、それでも、こんな父の姿を見るのは初めてだった。
クレモンは暗い顔で視線を落とし、押し黙る。
わたしは黙っていられず、口を挟んでいた。
「お父様、ランメルト様はお姉様を心配しているのよ!
どうか、会わせてあげて下さい、遠くから、一目見るだけでも良いではありませんか」
「煩い!おまえに何が分かる!本当に心配しているなら、殿下自らが来る筈だ!
一年も婚約していたというのに、部下を寄越すなど、信用ならん!あの臆病者め!!
グレースがどんな思いでいるか、おまえには分からんのか!」
父がランメルトに暴言を吐くなど、これまで一度もなく、信じられなかった。
場が場であれば、不敬罪で捕まるだろう。
「殿下はその様な方ではありません!」
クレモンが凛とした声で言う。
だが、父は「フン!」と顔を背けただけだった。
わたしは父の剣幕に怯んでいたが、ランメルトの事を思えば、引く事は出来なかった。
わたしは膝の上で拳を握った。
「お父様、ランメルト様はご自身で会いに来たいに決まっています!
でも、ランメルト様は王子殿下です、ご自身が望んでも周囲が許さないのですわ。
これまで、ランメルト様はお姉様の事を大事になさっていたではありませんか!
こんな事になってしまい、どれ程心配なさっているか…」
ランメルトも自分で会いに来たかっただろう。
それすら、自由にならないランメルトが可哀想に思えた。
愛する者が傷付き、苦しんでいる時に、傍にいられないなんて…
どれ程辛く、悔しい思いをしているか…
「グレースに会う事は許さん!
だが、どうしてもと言うのであれば、気付かれない様、遠目になら許そう…」
父は渋々折れると、パーラーを出て行った。
「シャルリーヌ様、ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ、父の非礼をお詫びします、どうぞ、こちらです…」
わたしはクレモンを庭に案内した。
姉の部屋は三階にあったが、正気を失っている今、何かあってはいけないと一階に移したのだった。
「こちらでお待ち下さい」
わたしは木の側にいる様に、クレモンに言った。
ここからならば、窓越しに姉の姿が見える。
わたしは引き返し、姉の部屋を訪ねた。
「ソフィ、暫くわたしが見ているので、お茶にしてきて下さい」
介助に雇ったソフィを部屋から出し、わたしは姉のベッドに向かった。
姉はベッドの上で体を起こし、うさぎの人形を抱き、「うふふ」と笑っている。
その目の焦点は合っていない。
「お姉様、綺麗にしましょうね…」
わたしは頭の包帯を避け、その髪を丁寧に梳かした。
髪留めを…と引き出しを開け、わたしはそれを見つけた。
ランメルトが贈った、菫色の花飾りの付いた、髪飾り___
わたしは良く見える様に、横髪を少し取り、髪飾りを付けた。
「綺麗よ、お姉様…」
包帯は痛々しいが、それで姉の美しさが損なわれる事は無い。
遠目にならば、それこそ以前の姉と少しも変わらないだろう。
「天気が良いから、カーテンを開けますね」
陽を遮っていたカーテンを開けると、明るい陽が入ってきた。
だが、姉は気付いていないのか、振り向く事は無かった。
窓の外、木の側にクレモンが立っている。
クレモンはじっと、こちらを見ていた。
ランメルトの代わりに…
◇◇
「王宮での事故」という事もあり、王室からは多額の慰謝料が支払われる事になった。
だが、どれだけ金を積まれた処で、わたしたち家族には何の慰めにもならない。
事故以降、館は重苦しい空気に包まれていた。
天真爛漫な弟のルシアンでさえ、口を聞かず、部屋に籠る様になった。
姉は助けがあれば動く事は出来るが、自分で判断する事は出来ない。
目が覚めている時は、「うふふ、あはは」と笑っているだけで、言葉も交わせない。
メイドたちも恐れて近付かない程で、看護の心得のある介助、
ソフィとベティが交代で世話をしてくれている。
わたしも姉の為に何かしたいと思い、手伝いをさせて貰っていた。
そうして、事故から五日が過ぎた頃、わたしは父から書斎に呼ばれた。
「王室は、ランメルト殿下の次の相手として、おまえを指名して来た…」
父は渋い顔をしていた。
わたしもそうだ、一気に全身から血の気が引いた。
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