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美しい景色や地方の宿を堪能しつつ、3日目に辿り着いたのは、
ある大きな街の郊外、木々に囲まれ、緑豊かな丘に建つ、煉瓦造りの館だった。
然程大きくはないが、青色の尖がり屋根を乗せた細長い塔が、
本館脇や後方を飾り、古城を思わせた。

「絵画の様だわ…お母様、ここは一体、どなたの館なのですか?」

「ふふ、後でね、さぁ、行きましょう!」

母はにこやかに流し、わたしを急かした。

教えてくれたっていいのに…
わたしは連日の様に訊いているが、何故か母は何も教えてくれない。
きっと、碌な事じゃないわね…
経験上、そう思ってしまうものだ。

馬車を降りると、老年の執事が迎えてくれた。

「ブルック伯爵の妻アリアンナと娘のオードリーです」

母が執事に名乗ると、「ようこそお越し下さいました、どうぞ」と、中へ通された。
広々とした玄関ホールには、彫刻や絵画が飾られていて、目を惹かれたが、
それを楽しむ間もなく、パーラーへ促された。

パーラーの壁にも、風景画や静物画が幾つか飾られていたが、
そこでわたしも目を惹いたのは、黒く光る、艶やかで美しいピアノだった。

「よく来て下さいました、ブルック伯爵夫人、オードリー」

母よりも少し年上だろうか、上品な夫婦が、ソファから立ち上がった。

「こちらこそ、お招き下さりありがとうございます、アリアンナとお呼び下さい」
「それでは、私たちも、ショーン、カリーナとお呼び下さい」

三人はにこやかに挨拶を交わしているが、然程長い仲という訳でも無さそうだ。
眺めていると、夫妻の目がわたしに向けられた。
優しそうな目で、穏やかな顔立ちをしていて、見るからに人が良さそうだ。

「オードリーです、お招き頂きありがとうございます」
「まぁ、遠い所、良く来てくれましたね、オードリー」
「さぁ、どうぞ、座って楽にして下さい」

わたしたちがソファに座ると、直ぐにお茶と菓子が運ばれて来た。
社交辞令からか、夫人はわたしを「とても可愛らしい方ね」と表した。

「オードリーはお幾つ?兄弟はいらっしゃるの?」
「十七歳です、十歳の妹がおります、名はキャロラインです」
「オードリーは、王立ラディアンス学院に通っております」
「王立ラディアンス学院とは素晴らしい、才女ですな」
「ええ、オードリーは努力家で勉強家ですの、一年最後の成績は5番でした」

母が誇らしげに言う。
成績をひけらかすのは上品ではないし、今のわたしには、楽しい話題でもなかった。
いや、それ所か、胸はチクチクと痛んだ。
だが、母を止めるのは無理というもので、わたしは黙って流した。

「それは凄いですな、私の息子も王立ラディアンス学院に通っていてね、
男子部だから、知らないとは思うが…息子を呼びなさい」

ショーンが言い、執事が「畏まりました」と部屋を出て行った。
王立ラディアンス学院に通う息子…?
わたしは何やら嫌な予感がし、チラリと母を見た。
母は優雅に紅茶を飲んでいる。

「とても美味しいわ」

母の顔がいつにも増して、輝いている。
わたしの中で、いよいよ嫌な予感が強くなった。

もしかしてだけど、《お見合い》に来たんじゃないでしょうね?

婚約破棄されて、まだ一月が過ぎた位だ。
くよくよしない!終わった事よ!と、自分に言い聞かせてはいるけど…
次の相手なんて…
到底、まだ、そんな気分にはなれない。
それよりも、まずは、自分を立て直したかった。

思い過ごしよね?

わたしは疑いつつも、礼儀正しく、にこやかにしていた。
身に着いた良識と処世術の所為だ。

「オードリー、ピアノは弾けますか?」
「嗜む程度ですが…何か、お弾き致しましょうか?」
「是非、お願いするよ、君の好きな曲がいい」

ピアノを弾いていた方が、気も紛れるだろう。
わたしはソファを立ち、ピアノに向かった。

「嗜む程度」と言ったが、それは謙遜に過ぎない。
ピアノは幼少の頃から習っていて、音楽家には及ばないものの、
周囲を感心させる程度には弾ける。
わたしは指を構えると、「すっ」と息を吸い、激しく鍵盤に打ち付けた。

ジャ、ジャーン!!ジャーーン!!

わたしが選んだ曲は、今のわたしの心情を映し出す曲で、
重苦しい、激しい曲である。
雪の中を流離う旅人、そこに吹雪がやって来る!
打ち付ける冷たい雪と風は痛い程だ。身を縮め、耐えながら歩くも、
不安と絶望に襲われる___
そして、雪崩!!雪崩!!雪崩!!
全てを消し去り、静寂に包まれる…
春が訪れを告げ、曲は終わる…
暖かな光に、旅人は目覚めたであろう…

うん、素晴らしい曲だわ。

わたしの心もすっきりと晴れていた。
満足感に包まれ、手を下ろした時、大きく拍手が起こった。

「素晴らしい!」
「ええ、感動しましたわ、とてもお上手なのね!」

夫妻が、称賛と拍手を惜しみなく送ってくれた。
わたしは椅子を立つと、「ありがとうございます」とカーテシーを返した。
だが、夫妻の隣に、若い男がいるのに気付き、目を眇めた。

あの、ずんぐりむっくりな体型…
ダークブロンドの髪、深い青色の目、繊細な顔立ちではあるが、
厚い肉で輪郭も分からない。
これに当て嵌まるのは、一人だけだ___

ジェレミア・ハートフォード侯爵子息!

それでは、ここは、ハートフォード侯爵の…恐らく、別邸?
そして、目の前に並んで座っている夫妻は…
ハートフォード侯爵と侯爵夫人??
今更だが、わたしは、自分の言動に何か失礼は無かったかと、思い返していた。

どうして、教えてくれなかったのよ!お母様の馬鹿!!

内心で母を詰りつつ、わたしは恐る恐るジェレミアを見た。
彼は何故か、顔を顰め、視線を反らした。

嫌な感じ!!!

わたしはムッとしつつ、母の隣に戻る。

「オードリー、紹介しよう、私の息子、次男のジェレミアだ。
ジェレミアも音楽が好きでね、オードリーのピアノはどうだったかね?」

「はい、ご令嬢という事であれば、十分な腕前かと。
あなたは、こういった曲がお好きなのですか?」

つまらない感想だ。それに、全然褒めていない。
音楽家の腕と比べないで欲しいわ!
先程まであった高揚感も消えてしまった。

「はい、壮大でドラマチックで、それに元気が出ますわ」

「僕はもっと穏やかな曲が好きです」

ジェレミアが薄く笑う。

これって、もしかして、暗にわたしは振られているのかしら?
こんな所まで、騙し討ちの様に連れて来られた上に、虚仮にされて…
わたしが大人しく黙っていると思うの?

「わたくしには、穏やかな曲は、いささか薄っぺらく思えますが、
ジェレミア様は、きっと、夢やロマンがお好きなのですね」

ジェレミアの表情から笑みが消えた。

ふん!羊の様に、一生、夢を見ていればいいわ!

わたしは満足し、紅茶を飲んだ。

「オードリー、ジェレミアは三年生の最終成績で、法学部首席だったそうよ」

母が言ったので、わたしは思わず紅茶を吹きそうになった。

法学部の首席!?
一度顔が見てみたいと思っていたけど、この人なの!?
首席を取る様な人は、厚いレンズの眼鏡を掛けていて、いつも気難しそうな顔をして、
本を手放さない様な人だと思っていたけど…
全然、イメージとは違ったわ…
彼が手放さないのは、本では無く、食べ物に違いない。

「本当に?法学部の首席なの?」

わたしは驚き過ぎて、礼儀に反し、つい疑う様に見てしまった。
ジェレミアは素っ気なく言った。

「毎回誰かが一番になる、それが僕だっただけだよ」

ふ、ふ、ふ…
これが、首席の余裕という訳ね??
わたしなら口が裂けても言えない台詞よ!

「あなた、天才なの?」

「いや…」

「だったら、もっと、努力した自分を誇ればいいのに」

ジェレミアは少し驚いた顔になり、急に視線を反らした。

「ジェレミア、オードリーに庭園を案内してあげてはどうかね?」

侯爵が助け舟を出し、ジェレミアは「はい」と席を立った。
わたしも、「オードリー、行って来なさい」と母に押され、席を立った。

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