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「名前で呼んでくれ」

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「頼む、お前しか居ないんだよ」

じっと目を見つめられてそう言われると私が断れないことを、この男は知っているくせに。

だからこそ腹が立つ。

「今回だけですよ」

顔を背けながら言ったのに
「ありがとうアリス!助かる!」
と両手を握って喜んだ。

こんなにストレートに感情を出しているけど、このヒューイ先輩は成人男性で。
魔術師の中でもエリートと呼ばれる人で。仕事中は情に流されず冷静に判断を下すから「氷の魔術師」という名前まで広まっているほどの人で。

私のような下っ端文官に
「お願い」をするのは似合わないし、本気で喜ぶなんて、似合わないはずなのに。

ヒューイ先輩を見ていると、つられてしまう。
仕方ないな、と。

学園時代から、少しずつお願いをされていた。
本当にささいなこと。
ヘアゴムを貸して、とか。ペンを貸して、とか。
お礼に新品のものを返してくれた。
学園の委員会の手伝いとか、本を返しておいて、とか。
お菓子が余ったからもらってくれない?
なんていうのもあった。

本当は軽々しく口を聞けるような間柄ではないはずなのに、今でもヒューイ先輩は時々何かを頼みに来る。

今日のお願いはカフェで名前を呼んで欲しいと言われた。
王宮で働く人のための飲食店のあるエリアがある。
そこで、親しげに名前を呼んで欲しいと。

断ったんだけれど、どうしてもと頼まれた。
「上司の知り合いから縁談を勧められそうなんだよ。ちょっと親しい女性がいるって知られたらそれでいいから」

「先輩はモテるじゃないですか。そんなのやりたい人いっぱいいらっしゃるでしょう」

「うん。まあね、やってくれるだろうけど」

モテることは否定しないんですね
「そのまま本気でお付き合いを迫られそうだから困るじゃん?」

あ、なるほど。
私ならその心配はない、と。
心の奥がスッと冷えるのがわかった。
どんなに先輩が気さくに構ってくれても私は好きになったりしない。
好きになっても辛いだけだから。
何度も自分に言い聞かせてきたので、慣れている。

黒い髪に一筋だけ白い髪があるのも先輩だから似合う。幻獣の氷のような息がかかってそうなったらしい。
それから、手の甲に赤い刺し傷がある。それも毒蛇の牙のあと。

魔術師として戦ってきた証だからかっこいい。ヒューイ先輩がかっこいいのは単に事実だから、ドキドキしたとしても仕方ない。恋なんかじゃない。
どうにかなるはずがないんだから。
私は文官に合格したけれどギリギリで受かったんだと思う。上司にも期待されてないし。

ヒューイ先輩にも、女として見られていない。

でも、それはずっと前から。変わることはないんだから悲しむことではない。

終業後にカフェに行った。普通の格好だったけれど仕方ない。先輩と出掛けるならもっとお洒落したかった。

しばらくして先輩が来た。
仕事の格好のままだ。
忙しいんだろうな。

「アリス!お待たせ」

悔しいことに、やっぱり顔がいい。




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