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悲劇の悪役令嬢は回帰して王太子を人柱に
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✦9:00 AM~ 密やかな祈り
残された猶予は、ほんのわずかしかない。
人柱の儀式まで、あと数時間だ。
私は部屋に戻るとすぐ、念のため扉が開かないよう細工を施した。
この時間は、聖女が祈りを捧げる神聖な刻。誰もこの部屋には来ないはずだ。
私は深く息を吸い込み、魔力を一点に集中させる。
視界が揺らぎ、空気がねじれる。
……次の瞬間、私は大神官の私室に立っていた。
よかった……部屋の中には人の気配はない。
神聖さのかけらも感じられないこの部屋には、濃密な欲望の香りが漂っていた。
壁には高価な絵画、悪趣味な金の燭台、そしてその隣には、聖杯が飾られている。
私は本棚の隙間に、そっと指を滑り込ませた。
以前、大神官がこのあたりに手を伸ばしていたのを見たことがある。
きっと、何かが隠されているはずだ。
壁を撫でていると、指先がレバーのような突起に触れた。
それをしっかりと掴み、音を立てぬよう、ゆっくりと下げる。
カチリ。
わずかに床が浮き上がった。
持ち上げてみると、そこには黒檀で作られた大きな箱が隠されていた。
中に収められていたのは……宝石。
民が救いを願い、神殿へと差し出した供物。
まばゆい光を放っているはずなのに、私の目には、欲に穢された濁った塊にしか見えなかった。
神が、宝石など望むはずがない。
これは大神官が、己の私欲のために集めたもの。それ以外の何物でもなかった。
私は手早く宝石を袋に放り込んでいく。
けれど、まだ足りない。もっとあるはずだ……。
再び転移する。空間がねじれ、空気がはじけた。
次に現れたのは、神官たちが協議に使う会議室。
重厚な扉を抜け、突き当たりの壁へと目を向ける。
隠された戸棚を見つけ、そっと扉を開いた。
中には、金貨の詰まった麻袋、精緻な金細工の置物、そして三つ並んだ宝石箱が、静かに輝いていた。
神官たちの、欲の保管庫だ。
すべてを素早く袋に詰める。だが、まだ足りない。
さらに転移。
今度は帳簿室。タペストリーの裏に隠された金庫。
そこには権利書があった。農地、鉱山、果ては村そのものの名義変更書類。
「寄進」と書かれているが、実態は奪取だ。
さらに奥には、孤児院の名義を使って建てられた別邸の証書。そして——
「……これ……私の名前?」
捏造された寄付記録。
まるで私が私欲に溺れ、宝石や贅沢品を要求していたかのような帳簿の写し。
どこまで私を蔑めれば気が済むのか。
「いい加減にして……」
怒りを呑み込み、罪の証を手際よく袋に詰める。
微かな金属音に神経を尖らせながら、時間との戦いのように動き続けた。
急がなければ。
袋は限界だ。口が閉まらないほどに膨らんでいる。
それを両手で抱え、私は神殿の最上階へと転移した。
塔の最上階。そこは、壁のない吹きさらしの空間。
巨大な鐘が、天井から鎖で吊るされている。
私は袋を傾け、中身を一気に石の床へとぶちまけた。
紅玉、翡翠、青玉。宝石たちが光を放ちながら、床一面に散らばっていく。
鐘の下に立ち、私は空に向かって呼びかけた。
「風よ、聖女の使いたちよ。ここへ集いなさい。今こそ、願いをその翼に託す時が来たわ」
私の声が風に乗り、空へと舞い上がる。
すると、羽音とともに、無数の白い精霊たちが飛来した。
かつて私が聖女だった頃、精霊たちはよく私のもとを訪れていた。
それは、私が毎日欠かさず祈りを捧げていたから。
精霊たちは今なお私を忘れず、こうして再び集まってくれた。
光をうっすらまとったその羽は風に揺れ、陽の光を受けてキラキラと輝いている。
変わらぬ姿で舞うその光景が、懐かしくて涙がこぼれそうになった。
「お願い。これを、必要な人々に届けて。」
まだ……誰かのために使える光がある。
私は宝石に祈りの加護を込めた。誰かの醜い心に穢されぬように。
「東の貧民街へ。母の病に苦しむ家族のもとに」
「西の修道院へ。孤児たちが泣く夜のために」
「南の慈恵院へ。住む場所を失った民たちへ」
「北の山の村へ。凍えた子どもたちのもとへ」
精霊たちが軽く羽を触れ合わせると、まるで互いを励ますように風が巻き上がり、宝石の輝きを優しく包み込む。
彼らの瞳には強い意志が宿っている。命令を待つのではなく、自らの使命を理解し、宝石を選び取って空へと飛び立っていくのだ。
光の粒を抱えた精霊たちは、ひとつまたひとつと、塔の隙間から滑るように飛び去っていった。
誰にも気づかれることなく、空へ……そして街へ。
金貨を預かった風の精霊は、市場の裏手にある食堂の陰へとそれを落とした。
土地の権利書は、本来の孤児院の手へと戻った。
捏造された書状は火の精霊によって燃やし尽くされ、灰となって空へと還っていった。
これは、報復ではない。還元だ。
私は神官たちに心の中で「ざまあみろ」と笑った。
精霊たちが残されたすべてを運び終えたかどうかは、まだ確認できない。
私は塔の中央に立ち、振り返った。
「あとは、あなたたちに任せるわ。お願いね……」
魔力を練り、視界を歪ませ、空間を裂く。
次の瞬間、私は元の部屋に戻っていた。
香の煙が漂い、部屋は静かに時間を刻んでいる。
誰にも気づかれることなく、私は“聖女の祈り”を終えたことになっている。
まるで、何事もなかったかのように。
けれど……
ほんの少しだけ、空気が澄んでいる気がした。
小さな窓をそっと開ける。
風が肌を撫で、すべての音を吸い込むように、世界が少しだけ整った気がした。
その瞬間、何かが浄化されたかのように、呼吸が軽くなった。
残された猶予は、ほんのわずかしかない。
人柱の儀式まで、あと数時間だ。
私は部屋に戻るとすぐ、念のため扉が開かないよう細工を施した。
この時間は、聖女が祈りを捧げる神聖な刻。誰もこの部屋には来ないはずだ。
私は深く息を吸い込み、魔力を一点に集中させる。
視界が揺らぎ、空気がねじれる。
……次の瞬間、私は大神官の私室に立っていた。
よかった……部屋の中には人の気配はない。
神聖さのかけらも感じられないこの部屋には、濃密な欲望の香りが漂っていた。
壁には高価な絵画、悪趣味な金の燭台、そしてその隣には、聖杯が飾られている。
私は本棚の隙間に、そっと指を滑り込ませた。
以前、大神官がこのあたりに手を伸ばしていたのを見たことがある。
きっと、何かが隠されているはずだ。
壁を撫でていると、指先がレバーのような突起に触れた。
それをしっかりと掴み、音を立てぬよう、ゆっくりと下げる。
カチリ。
わずかに床が浮き上がった。
持ち上げてみると、そこには黒檀で作られた大きな箱が隠されていた。
中に収められていたのは……宝石。
民が救いを願い、神殿へと差し出した供物。
まばゆい光を放っているはずなのに、私の目には、欲に穢された濁った塊にしか見えなかった。
神が、宝石など望むはずがない。
これは大神官が、己の私欲のために集めたもの。それ以外の何物でもなかった。
私は手早く宝石を袋に放り込んでいく。
けれど、まだ足りない。もっとあるはずだ……。
再び転移する。空間がねじれ、空気がはじけた。
次に現れたのは、神官たちが協議に使う会議室。
重厚な扉を抜け、突き当たりの壁へと目を向ける。
隠された戸棚を見つけ、そっと扉を開いた。
中には、金貨の詰まった麻袋、精緻な金細工の置物、そして三つ並んだ宝石箱が、静かに輝いていた。
神官たちの、欲の保管庫だ。
すべてを素早く袋に詰める。だが、まだ足りない。
さらに転移。
今度は帳簿室。タペストリーの裏に隠された金庫。
そこには権利書があった。農地、鉱山、果ては村そのものの名義変更書類。
「寄進」と書かれているが、実態は奪取だ。
さらに奥には、孤児院の名義を使って建てられた別邸の証書。そして——
「……これ……私の名前?」
捏造された寄付記録。
まるで私が私欲に溺れ、宝石や贅沢品を要求していたかのような帳簿の写し。
どこまで私を蔑めれば気が済むのか。
「いい加減にして……」
怒りを呑み込み、罪の証を手際よく袋に詰める。
微かな金属音に神経を尖らせながら、時間との戦いのように動き続けた。
急がなければ。
袋は限界だ。口が閉まらないほどに膨らんでいる。
それを両手で抱え、私は神殿の最上階へと転移した。
塔の最上階。そこは、壁のない吹きさらしの空間。
巨大な鐘が、天井から鎖で吊るされている。
私は袋を傾け、中身を一気に石の床へとぶちまけた。
紅玉、翡翠、青玉。宝石たちが光を放ちながら、床一面に散らばっていく。
鐘の下に立ち、私は空に向かって呼びかけた。
「風よ、聖女の使いたちよ。ここへ集いなさい。今こそ、願いをその翼に託す時が来たわ」
私の声が風に乗り、空へと舞い上がる。
すると、羽音とともに、無数の白い精霊たちが飛来した。
かつて私が聖女だった頃、精霊たちはよく私のもとを訪れていた。
それは、私が毎日欠かさず祈りを捧げていたから。
精霊たちは今なお私を忘れず、こうして再び集まってくれた。
光をうっすらまとったその羽は風に揺れ、陽の光を受けてキラキラと輝いている。
変わらぬ姿で舞うその光景が、懐かしくて涙がこぼれそうになった。
「お願い。これを、必要な人々に届けて。」
まだ……誰かのために使える光がある。
私は宝石に祈りの加護を込めた。誰かの醜い心に穢されぬように。
「東の貧民街へ。母の病に苦しむ家族のもとに」
「西の修道院へ。孤児たちが泣く夜のために」
「南の慈恵院へ。住む場所を失った民たちへ」
「北の山の村へ。凍えた子どもたちのもとへ」
精霊たちが軽く羽を触れ合わせると、まるで互いを励ますように風が巻き上がり、宝石の輝きを優しく包み込む。
彼らの瞳には強い意志が宿っている。命令を待つのではなく、自らの使命を理解し、宝石を選び取って空へと飛び立っていくのだ。
光の粒を抱えた精霊たちは、ひとつまたひとつと、塔の隙間から滑るように飛び去っていった。
誰にも気づかれることなく、空へ……そして街へ。
金貨を預かった風の精霊は、市場の裏手にある食堂の陰へとそれを落とした。
土地の権利書は、本来の孤児院の手へと戻った。
捏造された書状は火の精霊によって燃やし尽くされ、灰となって空へと還っていった。
これは、報復ではない。還元だ。
私は神官たちに心の中で「ざまあみろ」と笑った。
精霊たちが残されたすべてを運び終えたかどうかは、まだ確認できない。
私は塔の中央に立ち、振り返った。
「あとは、あなたたちに任せるわ。お願いね……」
魔力を練り、視界を歪ませ、空間を裂く。
次の瞬間、私は元の部屋に戻っていた。
香の煙が漂い、部屋は静かに時間を刻んでいる。
誰にも気づかれることなく、私は“聖女の祈り”を終えたことになっている。
まるで、何事もなかったかのように。
けれど……
ほんの少しだけ、空気が澄んでいる気がした。
小さな窓をそっと開ける。
風が肌を撫で、すべての音を吸い込むように、世界が少しだけ整った気がした。
その瞬間、何かが浄化されたかのように、呼吸が軽くなった。
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