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第4話
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彼の出張旅行までに、ちゃんと伝えたいことがあった。
昨夜の夕食の席で言うこともできたけれど、せっかく楽しみにしている旅行なのだから、気分を害してはいけない。
キャンセルを促すようなことも、問い詰めるようなことも、何かを決定づけるようなことも。
だから、家を出る直前に伝えようと決めていた。
金曜日。
スーツケースを持ち、いつも通りに出社する夫を見送る。
「もし、斗真さんに私より好きな人ができたら、私はいつでも身を引くわね」
「えっ……?」
「いいえ、何でもない。気をつけて、行ってらっしゃい」
「……」
普段通りにできただろうか。
笑顔で彼を送り出せたかしら……
私は夫の背中を見送り、ゆっくりとドアを閉めた。
***
私はその日、普段通りに仕事を終えてマンションに帰ってきた。
斗真さんの夕食を考えなくていいのは楽だった。
自分のために何か作ることはしない。レンチンしたご飯に、おかずは豆腐だけで十分だ。
共働きだから家事は分担制だ。買い物や食事作り、掃除は私の担当。
彼は外で食べてくることも多いので、ほとんどが私の仕事みたいだけど不満はなかった。
斗真さんは洗濯を受け持ってくれていた。
彼はオシャレだから、自分の服はきちんと管理したいと思っているようだった。
私はあまり高価な服を着ないので、洗濯の仕方にこだわりはなかった。
クリーニングも、取りに行くのも彼が引き受けてくれるので、私の負担はなく助かっていた。
私の日常はルーティーン化している。
朝は朝食を作り夫を起こす。コーヒーは彼が淹れてくれる。
彼を送り出し夕食の残り物で自分のお弁当を詰める。
軽く掃除機をかけてから出社する。
仕事帰りにスーパーへ寄って買い物をする。トイレとお風呂を掃除し、夫のために夕飯を作る。
冷蔵庫には彼の好きなビール、ヨーグルトとバナナは切らさない。
旬の物を取り入れて、おかずを作る。
夕食時に「旨いな」と言ってもらえたら嬉しかった。
気づけば結婚してからずっと、彼のために準備し、彼のことを考え、彼のために毎日を過ごしていたような気がする。
決して義務ではなく、自然とそうしてしまうのは、結局のところ夫のことが好きだからなのだろう。
改めて思うと、なんだか少しだけ胸が苦しくなった。
夫から離婚を切り出されたら、私はこのマンションを出て行くことになるだろう。
その可能性を考えると、今のうちに自分の持ち物を整理しておくべきかもしれないと思った。
私の持ち物はほとんどが書籍だ。
本棚に並んだ背表紙を眺めるのが好きだった。
見開きの文字は紙の質感に溶け込み、パランス良く配置された文章は私にとっては完璧なアートだった。
ページをめくる音が静かな空間に響くのも素敵で、インクの匂いは懐かしさを感じさせて落ち着く。
私はこの愛おしい存在を、すべて電子書籍に置き換える決意をした。
好きな物を手放すのは寂しい。
けれど、持っていても荷物になるのなら、いっそすべてを捨ててスッキリするのも必要なことなのかもしれない。
私は前向きに考えることにした。
こう見えても割と諦めは早い方だ。
そして、本の重みから解放される。
その軽さが、私を次のステージに連れて行ってくれるはずだ。
新しい読書スタイルに、少しだけ期待しながら本との別れを決めた。
そして休日は部屋の整理に時間を費やした。
何となく一人暮らしの物件もネットで探したりした。
新しく図書館を建て直した区があって、一度その図書館へ行ってみたいと思っていた。
もし、図書館の近くに住むことができたなら、本棚はいらないんじゃないかと思った。
我ながら良い思いつきだ。
彼を送り出したとき、「私より好きな人ができたら私は身を引く」と言った。
夫はその言葉の意味を考えただろうか?
浮気相手との旅行が妻にバレていると思っただろうか?
帰ってきたら話し合うことになるかもしれない。
覚悟はできていた。
斗真さんは出張を取りやめることはなかった。
早く帰ってくるかもと、少し期待したけれど、それもなかった。
彼からは日曜の夜8時頃に帰るというメッセージがあった。
***
「ただいま」
「お帰りなさい。お疲れ様」
「ああ……これ、お土産」
特になんの変化もなく、普通にお土産を渡してきた夫。
しかもまさかの「とんこつラーメン食べ比べセット6食分」
謎すぎる……
夫は私に豚骨ラーメンを食べ比べさせようとしているのだろうか?
「お、おいしそうね、ありがとう。えっ……と、夕食は?」
「食べてきたから」
「そう。じゃぁ、お風呂沸いてるからどうぞ」
「ああ、ありがとう」
彼はそう言うと、自分の部屋へ入って行った。
斗真さんはとりあえず、福岡へ行ってきた証拠を、ちゃんとお土産として私に提出したのだ。
福岡と言えば博多ラーメンが有名だ。「本場のラーメンは食べた?誰と食べたの?どこのお店?」とか、私から話を振られたらどうするつもりなのだろう。
このお土産にどう対処するべきか、かなり悩まされた。
一応夫の夕飯の準備もしていたけれど、自分の分だけを食卓に並べた。
浮気旅行から帰ってきた夫に、気を遣って遠慮するのも馬鹿馬鹿しい。
夕飯くらい美味しく食べさせてもらう。
肉じゃがと焼き魚、お味噌汁にご飯。ほうれん草のおひたしに、だし巻き卵。
いつも通りの妻定食だ。
何となくテレビをつけて、バラエティーを見ながら食事をした。
お笑い芸人がボケてみんなからツッコミを入れられていた。
肉じゃがを口に入れると、いつもより味が薄かった。
明日はこれにカレールーを入れて、カレーにしてしまおうと思った。
その間に夫は出張の荷物を片付け、お風呂へ入った。
風呂上がりに冷蔵庫から缶ビールを出したから、私はいつも通り、お酒のあてになるようなものをお皿に盛ってテーブルの上に置いた。
「ああ、ありがとう」
台所へ行き食器を片付けていると、聞いてもいないのに彼は福岡の話をしだす。
どこの取引先の誰と仕事をしたか。何を食べたか、どう過ごしていたかだった。
「へぇ、そんなんだ。忙しかったのね」
「ああ。観光とか、いけたらいいなと思ったけど、あまり時間がなかった。夜は接待だったしな」
日曜に接待ね、どこの会社の人を接待するんだろう?
「大変だったね」
「ああ、でも、またゆっくり行ってみたいよ、いろいろ観光できそうな感じだったし」
「そうね。私、九州は行ったことがないからよく分からないけど、太宰府天満宮とか行ってみたいわね」
私を誘っているわけではないだろうけど、一応話を合わせておいた。
彼はなんだか少しほっとしたような表情になった。
今回は仕事での出張だったと、しっかり妻に伝えたかったという感じだろう。
彼が仕事じゃないことは知っている。
わざわざ言い訳を考えている姿は、少し痛々しく感じた。
私は斗真さんの浮気相手からのメッセージを受け取っている。
私のSNSのアカウントにDMで届いた画像は、福岡で一緒に観光を楽しんでいる斗真さんと浮気相手の姿だった。
昨夜の夕食の席で言うこともできたけれど、せっかく楽しみにしている旅行なのだから、気分を害してはいけない。
キャンセルを促すようなことも、問い詰めるようなことも、何かを決定づけるようなことも。
だから、家を出る直前に伝えようと決めていた。
金曜日。
スーツケースを持ち、いつも通りに出社する夫を見送る。
「もし、斗真さんに私より好きな人ができたら、私はいつでも身を引くわね」
「えっ……?」
「いいえ、何でもない。気をつけて、行ってらっしゃい」
「……」
普段通りにできただろうか。
笑顔で彼を送り出せたかしら……
私は夫の背中を見送り、ゆっくりとドアを閉めた。
***
私はその日、普段通りに仕事を終えてマンションに帰ってきた。
斗真さんの夕食を考えなくていいのは楽だった。
自分のために何か作ることはしない。レンチンしたご飯に、おかずは豆腐だけで十分だ。
共働きだから家事は分担制だ。買い物や食事作り、掃除は私の担当。
彼は外で食べてくることも多いので、ほとんどが私の仕事みたいだけど不満はなかった。
斗真さんは洗濯を受け持ってくれていた。
彼はオシャレだから、自分の服はきちんと管理したいと思っているようだった。
私はあまり高価な服を着ないので、洗濯の仕方にこだわりはなかった。
クリーニングも、取りに行くのも彼が引き受けてくれるので、私の負担はなく助かっていた。
私の日常はルーティーン化している。
朝は朝食を作り夫を起こす。コーヒーは彼が淹れてくれる。
彼を送り出し夕食の残り物で自分のお弁当を詰める。
軽く掃除機をかけてから出社する。
仕事帰りにスーパーへ寄って買い物をする。トイレとお風呂を掃除し、夫のために夕飯を作る。
冷蔵庫には彼の好きなビール、ヨーグルトとバナナは切らさない。
旬の物を取り入れて、おかずを作る。
夕食時に「旨いな」と言ってもらえたら嬉しかった。
気づけば結婚してからずっと、彼のために準備し、彼のことを考え、彼のために毎日を過ごしていたような気がする。
決して義務ではなく、自然とそうしてしまうのは、結局のところ夫のことが好きだからなのだろう。
改めて思うと、なんだか少しだけ胸が苦しくなった。
夫から離婚を切り出されたら、私はこのマンションを出て行くことになるだろう。
その可能性を考えると、今のうちに自分の持ち物を整理しておくべきかもしれないと思った。
私の持ち物はほとんどが書籍だ。
本棚に並んだ背表紙を眺めるのが好きだった。
見開きの文字は紙の質感に溶け込み、パランス良く配置された文章は私にとっては完璧なアートだった。
ページをめくる音が静かな空間に響くのも素敵で、インクの匂いは懐かしさを感じさせて落ち着く。
私はこの愛おしい存在を、すべて電子書籍に置き換える決意をした。
好きな物を手放すのは寂しい。
けれど、持っていても荷物になるのなら、いっそすべてを捨ててスッキリするのも必要なことなのかもしれない。
私は前向きに考えることにした。
こう見えても割と諦めは早い方だ。
そして、本の重みから解放される。
その軽さが、私を次のステージに連れて行ってくれるはずだ。
新しい読書スタイルに、少しだけ期待しながら本との別れを決めた。
そして休日は部屋の整理に時間を費やした。
何となく一人暮らしの物件もネットで探したりした。
新しく図書館を建て直した区があって、一度その図書館へ行ってみたいと思っていた。
もし、図書館の近くに住むことができたなら、本棚はいらないんじゃないかと思った。
我ながら良い思いつきだ。
彼を送り出したとき、「私より好きな人ができたら私は身を引く」と言った。
夫はその言葉の意味を考えただろうか?
浮気相手との旅行が妻にバレていると思っただろうか?
帰ってきたら話し合うことになるかもしれない。
覚悟はできていた。
斗真さんは出張を取りやめることはなかった。
早く帰ってくるかもと、少し期待したけれど、それもなかった。
彼からは日曜の夜8時頃に帰るというメッセージがあった。
***
「ただいま」
「お帰りなさい。お疲れ様」
「ああ……これ、お土産」
特になんの変化もなく、普通にお土産を渡してきた夫。
しかもまさかの「とんこつラーメン食べ比べセット6食分」
謎すぎる……
夫は私に豚骨ラーメンを食べ比べさせようとしているのだろうか?
「お、おいしそうね、ありがとう。えっ……と、夕食は?」
「食べてきたから」
「そう。じゃぁ、お風呂沸いてるからどうぞ」
「ああ、ありがとう」
彼はそう言うと、自分の部屋へ入って行った。
斗真さんはとりあえず、福岡へ行ってきた証拠を、ちゃんとお土産として私に提出したのだ。
福岡と言えば博多ラーメンが有名だ。「本場のラーメンは食べた?誰と食べたの?どこのお店?」とか、私から話を振られたらどうするつもりなのだろう。
このお土産にどう対処するべきか、かなり悩まされた。
一応夫の夕飯の準備もしていたけれど、自分の分だけを食卓に並べた。
浮気旅行から帰ってきた夫に、気を遣って遠慮するのも馬鹿馬鹿しい。
夕飯くらい美味しく食べさせてもらう。
肉じゃがと焼き魚、お味噌汁にご飯。ほうれん草のおひたしに、だし巻き卵。
いつも通りの妻定食だ。
何となくテレビをつけて、バラエティーを見ながら食事をした。
お笑い芸人がボケてみんなからツッコミを入れられていた。
肉じゃがを口に入れると、いつもより味が薄かった。
明日はこれにカレールーを入れて、カレーにしてしまおうと思った。
その間に夫は出張の荷物を片付け、お風呂へ入った。
風呂上がりに冷蔵庫から缶ビールを出したから、私はいつも通り、お酒のあてになるようなものをお皿に盛ってテーブルの上に置いた。
「ああ、ありがとう」
台所へ行き食器を片付けていると、聞いてもいないのに彼は福岡の話をしだす。
どこの取引先の誰と仕事をしたか。何を食べたか、どう過ごしていたかだった。
「へぇ、そんなんだ。忙しかったのね」
「ああ。観光とか、いけたらいいなと思ったけど、あまり時間がなかった。夜は接待だったしな」
日曜に接待ね、どこの会社の人を接待するんだろう?
「大変だったね」
「ああ、でも、またゆっくり行ってみたいよ、いろいろ観光できそうな感じだったし」
「そうね。私、九州は行ったことがないからよく分からないけど、太宰府天満宮とか行ってみたいわね」
私を誘っているわけではないだろうけど、一応話を合わせておいた。
彼はなんだか少しほっとしたような表情になった。
今回は仕事での出張だったと、しっかり妻に伝えたかったという感じだろう。
彼が仕事じゃないことは知っている。
わざわざ言い訳を考えている姿は、少し痛々しく感じた。
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