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第14話
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私は図書館の隣にあるアパートを賃貸で借りることにした。
なんと、築45年の公団リノベーション物件だった。
壁を取り払い、1LDKに改築されたその部屋は、一人暮らしには十分すぎるほど贅沢な空間だ。
住まいを投資物件と考える佳乃に相談すれば、きっと間違いなく反対されるだろう。
だから今回は、何も言わずに賃貸契約をした。
築年数が古いぶん家賃は格安だし、もし何かあればいつでも引っ越せばいい。
そんな気軽さが、かえって心地よかった。
レトロで懐かしい雰囲気がとても気に入っている。
陽当たりも良く、風の通りが気持ちいい。
窓の外には緑豊かな借景が広がる。
週末になると、雑貨屋やリサイクル家具店を巡りながら、お気に入りのものを少しずつ揃えていった。
そこで、夫から巻き上げた……と言うのも何だが、慰謝料代わりの現金が役立った。
それだけではない。
就職したばかりの頃、佳乃が勧めてくれた投資信託の利益も、毎月数万円ほどある。
そのおかげで、意外と贅沢な買い物ができる。
思い切ってイメージチェンジをしようと、美容室へ向かった。
「地味過ぎるってよく言われるので、若々しくて今っぽい感じにしてもらえますか?」
美容師さんにすべてお任せすることにした。
前髪は軽めに、表面にはレイヤーを入れ、ワンカールでS字を作るカット。
カラーはショコラブラウンで、柔らかい光をまとったような大人の艶感をプラス。
仕上がった髪を鏡で見た瞬間、思わず息を呑んだ。
「女性らしい雰囲気と、小顔効果で“あざとさ”をプラスしました」
「あざとい感じですか?」
「はい、そうです。だけど品もあるので、とても素敵ですよ」
美容師さんの言葉に、少し照れる。
区役所の仕事がら、派手過ぎるのは駄目だけど、これくらいなら許容範囲。
髪が軽やかに動き、顔の印象が驚くほど柔らかくなった。
「あの……なんか、ありがとうございます。イメージを変えたかったので、嬉しいです」
美容師さんにお礼を言った。
多分だけれど、凄く似合っている気がする。
なんだか気分もウキウキしてきて、そのまま洋服も買いに行った。
新しい髪型に似合う、少しあざとい服を購入することにした。
新しい服を試着室で纏った瞬間、スタッフの女性が感嘆の声を漏らした。
「すごくお似合いですね! まるで雑誌から出てきたみたいです!」
その言葉が、変化をさらに実感させてくれる。
休みの日には必ず買い物に出かけて、新しく買った洋服は私の新居へ運んだ。
仕事の日はいつもの洋服で出勤するけれど、職場の人たちはどうも私の変化に気が付いたようで。
「山上さん、めちゃくちゃ可愛いですね! すごく似合っています!」
「コンセプトは、あざとい系なのよ」
「なんですかそれ、性格と正反対じゃないですか」
「今、あざといを勉強中なの」
「目が合ったら、ニコッと微笑んでください」
後輩の飯田君がそんなアドバイスをくれる。
「鏡に向かって練習しなくちゃね」
冗談半分で、みんなで盛り上がった。
その賑やかな空気の中で、私はふと気付く。
変わったのは髪型だけじゃない。
自分自身が、前とは違う気がしていた。
***
夫は、私の変化に気づいていないのだろう。
髪を切り、メイクを変え、服装も以前とは違う雰囲気にしてみた。
でも、そのどれにも興味を示すことはなかった。
まるで私の存在が空気のように、当たり前すぎるものになってしまったかのようだった。
「お刺身が半額だったから、今日は少し贅沢にしてみたわ」
食卓に夕食を並べながら、斗真さんに声をかける。
せめて、食事の時間だけでも夫婦らしくありたかったのかもしれない。
「ああ、旨そうだ」
彼はそう言うと、スマホを見つめながら食事を始める。
夫の横顔は、俯いたことで影が生まれ、まるで私の側ではなく、遠い世界にいる人のように感じられた。
その顔を見ながら、ふと、昔のことを思い出す。
出会った頃、私はこの人の顔がとても好きだった。
夫は整った顔立ちで、学生時代は人気があり、私も彼の存在を意識していた一人だった。
博学で、いつも余裕があり、周囲から頼りにされることが多い人だった。
「なに?」
じっと顔を見ていたことに気づかれたのか、夫が不思議そうに問いかける。
「ん? 髪が伸びたなと思って。」
思わず、関係ない返事を返してしまった。
「ああ、最近カットに行ってないからな……」
「次の休みにでも行ってきたら?」
「ああ、そうするよ」
最近はこんな調子で、一言二言の会話はあるものの、それ以上続くことはない。
まるで「夫婦」という役割だけを、淡々とこなしているようだった。
夜遅くなるという連絡があると、私はセカンドハウスに帰り、そこで夕飯を食べる。
あのマンションで夫と過ごす時間よりも、ここで一人でいるほうがずっと落ち着く。
好きな音楽を流し、本を開き、誰にも気を遣わずに過ごせる時間。
泊まることはなくても、心の拠り所にはなっていた。
「早く離婚しましょう、と言わなくちゃね……」
そう思うものの、口に出すタイミングを掴めないでいる。
夫の愛情は、もう感じなくなっていた。 それでも、かつて愛されていた時間が確かにあったことを思い出す。
心のどこかで、まだ迷いが残っているのかもしれない。 幸せだった頃の記憶が、今の私を縛りつけている。
***
結婚して4年が経ち、私は28歳、夫は31歳になった。
最近の夫の様子が、今までとは違っていた。
女の影を感じる。
些細な変化ではなく、確かにそこに気配がある。
そう思っていた矢先、私は決定的な証拠を見つけてしまった。
それは、偶然だった。
夫がお風呂に入っている間に洗顔を済ませようと脱衣所へ向かったとき、 目に飛び込んできたのは、振動するスマホの画面だった。
メッセージが次々と届く。
送り主の名前を見た瞬間、全身に冷たい衝撃が走った。
佳乃……
スマホの画面に目が釘付けになる。
長年信頼してきた親友。
私が悩んだときには、いつも寄り添い支えてくれた存在だった。
誰よりも私の気持ちを理解し、相談をすれば的確な助言をくれる、そんな頼れる友人だった。
だからこそ、彼女が裏切ることなど想像すらしていなかった。
その可能性を考えたことすらない。
だが、今目の前に広がるスマホの画面に並ぶ言葉は、私が知っているはずの彼女とはまるで違う。
見慣れたはずの名前が、突然、知らない誰かのものに変わってしまったような錯覚に陥る。
『次はいつ会える?』
『もっと時間を作れるよ』
『加奈には絶対バレてない?』
このメッセージの意味を理解するのに、数秒かかった。
そして、理解した瞬間、血の気が引いていくのを感じた。
心臓が強く脈打ち、手のひらにじんわりと汗が滲む。信じていたものが音もなく崩れていく感覚に襲われ、喉の奥が詰まる。
なぜ……どうして佳乃が?
何が理由なのか、どうしてこんなことになったのか。
裏切りの理由を知りたい。
けれど、知るのが怖い。
驚きと混乱の中で息が止まり、次に何をすればいいのか、まったく分からなかった。
なんと、築45年の公団リノベーション物件だった。
壁を取り払い、1LDKに改築されたその部屋は、一人暮らしには十分すぎるほど贅沢な空間だ。
住まいを投資物件と考える佳乃に相談すれば、きっと間違いなく反対されるだろう。
だから今回は、何も言わずに賃貸契約をした。
築年数が古いぶん家賃は格安だし、もし何かあればいつでも引っ越せばいい。
そんな気軽さが、かえって心地よかった。
レトロで懐かしい雰囲気がとても気に入っている。
陽当たりも良く、風の通りが気持ちいい。
窓の外には緑豊かな借景が広がる。
週末になると、雑貨屋やリサイクル家具店を巡りながら、お気に入りのものを少しずつ揃えていった。
そこで、夫から巻き上げた……と言うのも何だが、慰謝料代わりの現金が役立った。
それだけではない。
就職したばかりの頃、佳乃が勧めてくれた投資信託の利益も、毎月数万円ほどある。
そのおかげで、意外と贅沢な買い物ができる。
思い切ってイメージチェンジをしようと、美容室へ向かった。
「地味過ぎるってよく言われるので、若々しくて今っぽい感じにしてもらえますか?」
美容師さんにすべてお任せすることにした。
前髪は軽めに、表面にはレイヤーを入れ、ワンカールでS字を作るカット。
カラーはショコラブラウンで、柔らかい光をまとったような大人の艶感をプラス。
仕上がった髪を鏡で見た瞬間、思わず息を呑んだ。
「女性らしい雰囲気と、小顔効果で“あざとさ”をプラスしました」
「あざとい感じですか?」
「はい、そうです。だけど品もあるので、とても素敵ですよ」
美容師さんの言葉に、少し照れる。
区役所の仕事がら、派手過ぎるのは駄目だけど、これくらいなら許容範囲。
髪が軽やかに動き、顔の印象が驚くほど柔らかくなった。
「あの……なんか、ありがとうございます。イメージを変えたかったので、嬉しいです」
美容師さんにお礼を言った。
多分だけれど、凄く似合っている気がする。
なんだか気分もウキウキしてきて、そのまま洋服も買いに行った。
新しい髪型に似合う、少しあざとい服を購入することにした。
新しい服を試着室で纏った瞬間、スタッフの女性が感嘆の声を漏らした。
「すごくお似合いですね! まるで雑誌から出てきたみたいです!」
その言葉が、変化をさらに実感させてくれる。
休みの日には必ず買い物に出かけて、新しく買った洋服は私の新居へ運んだ。
仕事の日はいつもの洋服で出勤するけれど、職場の人たちはどうも私の変化に気が付いたようで。
「山上さん、めちゃくちゃ可愛いですね! すごく似合っています!」
「コンセプトは、あざとい系なのよ」
「なんですかそれ、性格と正反対じゃないですか」
「今、あざといを勉強中なの」
「目が合ったら、ニコッと微笑んでください」
後輩の飯田君がそんなアドバイスをくれる。
「鏡に向かって練習しなくちゃね」
冗談半分で、みんなで盛り上がった。
その賑やかな空気の中で、私はふと気付く。
変わったのは髪型だけじゃない。
自分自身が、前とは違う気がしていた。
***
夫は、私の変化に気づいていないのだろう。
髪を切り、メイクを変え、服装も以前とは違う雰囲気にしてみた。
でも、そのどれにも興味を示すことはなかった。
まるで私の存在が空気のように、当たり前すぎるものになってしまったかのようだった。
「お刺身が半額だったから、今日は少し贅沢にしてみたわ」
食卓に夕食を並べながら、斗真さんに声をかける。
せめて、食事の時間だけでも夫婦らしくありたかったのかもしれない。
「ああ、旨そうだ」
彼はそう言うと、スマホを見つめながら食事を始める。
夫の横顔は、俯いたことで影が生まれ、まるで私の側ではなく、遠い世界にいる人のように感じられた。
その顔を見ながら、ふと、昔のことを思い出す。
出会った頃、私はこの人の顔がとても好きだった。
夫は整った顔立ちで、学生時代は人気があり、私も彼の存在を意識していた一人だった。
博学で、いつも余裕があり、周囲から頼りにされることが多い人だった。
「なに?」
じっと顔を見ていたことに気づかれたのか、夫が不思議そうに問いかける。
「ん? 髪が伸びたなと思って。」
思わず、関係ない返事を返してしまった。
「ああ、最近カットに行ってないからな……」
「次の休みにでも行ってきたら?」
「ああ、そうするよ」
最近はこんな調子で、一言二言の会話はあるものの、それ以上続くことはない。
まるで「夫婦」という役割だけを、淡々とこなしているようだった。
夜遅くなるという連絡があると、私はセカンドハウスに帰り、そこで夕飯を食べる。
あのマンションで夫と過ごす時間よりも、ここで一人でいるほうがずっと落ち着く。
好きな音楽を流し、本を開き、誰にも気を遣わずに過ごせる時間。
泊まることはなくても、心の拠り所にはなっていた。
「早く離婚しましょう、と言わなくちゃね……」
そう思うものの、口に出すタイミングを掴めないでいる。
夫の愛情は、もう感じなくなっていた。 それでも、かつて愛されていた時間が確かにあったことを思い出す。
心のどこかで、まだ迷いが残っているのかもしれない。 幸せだった頃の記憶が、今の私を縛りつけている。
***
結婚して4年が経ち、私は28歳、夫は31歳になった。
最近の夫の様子が、今までとは違っていた。
女の影を感じる。
些細な変化ではなく、確かにそこに気配がある。
そう思っていた矢先、私は決定的な証拠を見つけてしまった。
それは、偶然だった。
夫がお風呂に入っている間に洗顔を済ませようと脱衣所へ向かったとき、 目に飛び込んできたのは、振動するスマホの画面だった。
メッセージが次々と届く。
送り主の名前を見た瞬間、全身に冷たい衝撃が走った。
佳乃……
スマホの画面に目が釘付けになる。
長年信頼してきた親友。
私が悩んだときには、いつも寄り添い支えてくれた存在だった。
誰よりも私の気持ちを理解し、相談をすれば的確な助言をくれる、そんな頼れる友人だった。
だからこそ、彼女が裏切ることなど想像すらしていなかった。
その可能性を考えたことすらない。
だが、今目の前に広がるスマホの画面に並ぶ言葉は、私が知っているはずの彼女とはまるで違う。
見慣れたはずの名前が、突然、知らない誰かのものに変わってしまったような錯覚に陥る。
『次はいつ会える?』
『もっと時間を作れるよ』
『加奈には絶対バレてない?』
このメッセージの意味を理解するのに、数秒かかった。
そして、理解した瞬間、血の気が引いていくのを感じた。
心臓が強く脈打ち、手のひらにじんわりと汗が滲む。信じていたものが音もなく崩れていく感覚に襲われ、喉の奥が詰まる。
なぜ……どうして佳乃が?
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