悲劇の悪女【改稿版】

おてんば松尾

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5 焚火

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* ミリアside


曇天の重苦しい空の下、私は何とか焚火を作らなければと考えていた。

原作では、私は死んでしまうキャラクターなのだ。
春先とはいえ、寒い夜を生き延びることができるかどうかは正直分からない。

この湖で一晩過ごすのは、間違いない。火は必須だと思った。

日本にいた頃、感染症による屋外志向の高まりでキャンプブームが来ていた。
私は何度か友人たちに誘われてキャンプへ行ったことがあった。

寒い夜を快適に過ごすためには、焚火はマストだと、そのときに教わった。


「お母様、私、寒くて死んでしまいそうなの……お願い。薪を集めてきて。火を起こしてほしいの」

母も私が湖に落ちたことで、かなり体力を消耗しているだろう。
けれど、彼女には気合で動いてもらう。
何せ命がかかっている。
父は戻ってこないのだ。

五歳児の体力では満足に薪は集められない。

「ミリア……心配しなくても、もうすぐお父様が迎えに来るわ。大丈夫よ」

母は優しく私の髪を撫でた。

「お母様、それでも、数時間はかかるはずよ。私はずぶ濡れだし、服を乾かしたいわ」

濡れた服は体温を吸収してしまう。
だから脱いで正解だった。
けれど、父のコートはぶかぶかだし、服の隙間から風が入ってそれほど温かくはない。

「干したとしても、すぐに服は乾かないわよ」
「大丈夫よ、焚火の火に当てれば、きっとすぐに乾くわ。だって暖炉の前に置いた物は乾くのも早いでしょう?」

「まぁ、ミリア……あなた、いつの間にそんな話方をするようになったの?まるでお姉さんになったみたいよ?」

母は不思議そうに私を見つめた。

「あなたは、湖に落ちたのだから、あまり動いてはいけないわ。助けが来るまでできるだけ、じっとしていましょうね」

肩をすくめながら、困ったように笑みをこぼす母。

彼女に誰も迎えに来ないと教え、失望させるわけにはいかない。

父親を信じて希望を持って、母は馬車を待っているのだ。

……なんて、残酷なんだろう。
胸の奥が熱くなり、怒りが込み上げる。

夜になってから、母は馬車が来ないことに絶望する。
それが、この小説のストーリー。

「お母様、私は大丈夫よ。怪我はしていないわ。でも、この寒さには耐えられないの」

「そうね…‥このまま何時間も待っていたら、風邪をひいてしまうかもしれないわね。分かったわミリア」
「ありがとうお母様。少しでも風が当たらない場所を探して焚火をしましょう」

そう言って、私は母親を動かした。

確か、小説では「ティナはミリアを抱きかかえ、大木の根元へと身を寄せた」と書いてあった。
私たちは、そこで一夜を明かすはずだ。

けれど、大木の根元より、もっといい場所があるかもしれない。
風が当たらない場所を明るいうちに確保しようと、私は辺りを見回した。

残された荷物は、小さなバスケットとブランケット、そして、父がミリアに掛けてくれたロングコート。
頼れる物資は、それだけ。

私は持って来ていたバスケットを開けて、中を見た。

「うわ!サンドイッチ、クッキーに飲み物も入ってる!」

やったと思った。
物語りの中に、バスケットの中身は書かれていなかった。
けれど、ピクニックに来ていたのだから、食事も持って来ているのは当然。

「食べる前だったのね!」

私は喜んで声を上げた。


***



私たちは大木の根元に場所を造った。
地面が平らなのがここしかなかったからだ。

「お母様、これでは焚火がすぐ消えてしまうわ。もっと薪を集めて」
「え……でも十分あるでしょう?」

母が集めた枝は、子どもの両手に抱えられるほどの量だった。

――駄目だ。

これでは数時間しかもたない、夜の間ずっと火を焚いておくには心もとない。

まだ陽が照って、明るいうちに、できるだけ薪になる木を集めてもらいたい。

できるだけ大きな薪を集めてほしいものだけれど……


「お母様、桟橋の板を使いましょう!」
「そんなの駄目よ。せっかく誰かが作ってくれたのだから、橋が壊れてしまうでしょう」

いや、いや、そこは今気にするところじゃない。

「大丈夫よ。もう古びているし、木は腐っていたわ」

私は母の手を取って、桟橋のところまで歩いた。

やはり、思っていた通りだった。
切りそろえられた板は薪にはちょうどいいサイズだった。

「お母様、もう半分腐っているわ……蹴って」

「えっ!」

「この手すりを、蹴ってちょうだい」

「そ、そんな、はしたないことは……」

私は近くに落ちていた棒切れを、野球のバットのように構えて、思い切り手すりに向かい振りかぶった。
母の小さな悲鳴と共に、古びた手すりは簡単に壊れた。

「ピーピリッピー!ミリアは木材を手に入れた」

隠しアイテムがポップアップで出現した瞬間のような効果音を口ずさむ。

「ミリア……あなた……大丈夫?」

母の眉が跳ね上がり、視線が宙をさまよった。


***


ありがたいことに、雨が降っていなかったのか、乾燥した枝がたくさん落ちていた。
小枝と、桟橋の板で、今夜は何とか持ちこたえられそうだと思った。


「お母様、もう夕陽が沈むわ!きれいね」

湖の向こうに見える夕焼けは、汚染されていない澄んだ空気にきれいに馴染んでいた。

母は、午後に馬車が去って行った道をじっと見つめていた。
さっきから、そわそわしているのが分かる。
迎えの馬車が来てもおかしくない時間はとっくに過ぎている。


「お母様、日が暮れる前に早く薪に火をつけましょう!」

私はできるだけ明るく話しかけた。

ランプは火打ち金と火打石で点火するタイプの物だった。
母が、つけ方を知っていて良かったと思った。

「オイルランプだから、火をつけるのには困らないわね……」

良かったと思い私はほっとした。

「ランプの火を、小枝に移すわね。さぁ、危ないからミリアは離れていなさいね」

木の幹の下にブランケットを敷いて、バスケットを置く。
私の服は木の枝にかけて、風よけになるように工夫した。


「……ついた」

乾いた音とともに、火が枯れ枝に移る。
一瞬の沈黙のあと、組み上げた枝に、音を立てて火が燃え広がる。
橙色の光が頬を照らして、煙が細く空へと昇っていった。

その光は、寒さに震える身体を包み、心に染み渡るような命の灯だった。

私は息を呑み、焚火の前に膝をついた。

――火がある。

ただそれだけで、生きていられると思った。


「お母様、これで暖かく夜を過ごせるわ!」

火の暖かい色に、希望ってこんなふうに静かにやってくるんだなと感動した。

「……夜……」

母の顔を見ると、目に涙が浮かんでいた。 

でもそれは、嬉しさや安心の涙ではない。

そう――父が迎えに来なかった。 

その現実に、母は心を折られていたのだ。


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