悲劇の悪女【改稿版】

おてんば松尾

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18 誘拐

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*ミリアside


一瞬の出来事だった。
背後から大きな手が伸びてきて、頭から袋をかぶせられた。
息ができない。
叫ぼうとしても、喉の奥がひゅっと鳴るだけで声が出なかった。
小さな体は持ち上げられ空を浮かんだ。
そして、乱暴に何かの上へと投げ込まれる。

馬車のような揺れ。
布がこすれるような音、床を軋ませる靴音。

痛い。息苦しい。怖い。

五歳児の体では、抵抗する力なんてなかった。

男たちの声が耳に飛び込んでくる。
荒っぽく、下品な笑い混じりの声だ。

「早く走れ!見つかる前に離れるんだ!」
「ああ、分かってるって!」

そのやり取りの間にも、体は容赦なく揺さぶられた。

意識が遠のいていく。
何度目かの衝撃のあと、世界が静まり返った。



***


目を開けたとき、そこは見知らぬ部屋だった。

頭にかぶせられた袋は取られていた。

湿った木の匂い。どこか、小屋の中のようだ。
壁板の隙間から吹き込む生ぬるい風。

体を縛られて、身動きが取れない。
手足がしびれている。

うっすらと目を開けて辺りの様子をうかがう。
薄暗い中、三人の男の姿が見えた。
汚れた服を着た、ごろつきのような連中。

髭を伸ばした大男と、片目に傷のある男、痩せぎすで落ち着きのない男。
どの顔にも、まったく見覚えがない。

でもその奥に……一人、知っている顔があった。
三人の大人に隠れるような小さな身長の子ども。

――ジェイだ。


「成功したな。こいつの家は金持ちだ。余裕で三千万ゴールドは出す」

声変わりもしていない、子どもの声。
間違いなくジェイだった。

片目の男が、満足そうに笑う。

「まったくだ。裏庭の警備、まるでザルだったな。メイド一人しかいねえなんて、伯爵家のくせに甘すぎるぜ」

「裏口から抜け出してよく遊んだんだ。大人に見つからずに行き来できる」

ジェイが得意気に話している。

「へっへっへ……こりゃ楽な仕事だったな。あとは金の受け渡しだけだ」


三人が木製のカップを掲げ、酒を飲む。
下品な笑い声が、狭い部屋の中で反響した。

そして、ジェイが口を開いた。

「ちゃんと約束、覚えてる?金は、半分は僕に渡すって」

金……やはり、身代金目的の誘拐。そして、首謀者はジェイ。
この子、どれだけ腐っているの……

転生前の現代でも、これほどの悪事を働く子なんていないだろう。

「僕だって、こんなことバレたらただじゃ済まない。お仕置きどころか、家から追い出されるかもしれないんだよ」

大男がガラガラと笑う。

「わかってるって坊や。お前がいなきゃ、この嬢ちゃんは連れ出せなかった。約束は守る。ただし、身代金が手に入ってからだ」
「嘘ついたら許さないよ」
「おうおう、怖ぇ怖ぇ!八歳のガキに脅されるとはな!」

ごろつき達の笑い声がまた響く。

ジェイが、私を売った?

ジェイは今、身代金を半分寄こせと言っていた。

遊び半分で、嫌がらせのため私を誘拐したんじゃない。
お金が欲しかったんだ。

ルノー伯爵家は、父親の実家を名実共に追い詰めていた。
資金援助を打ち切り、仕事もできないように手を回していた。
窮地に追い遣り、根絶やしにするつもりだった。

それなら……ジェイが金を必要としているのも、納得できる。
でも、誘拐なんてハイリスクじゃない?犯人側に勝算はあるのだろうか……

それに、身代金を受け取っても、彼らが人質を解放するとは限らない。
金さえ手に入れば後は逃げることが先だろう。
そもそも、ジェイは、私の命なんてどうでもいいと考えている。

私は息を殺し、男たちの会話に耳を傾け、必死に状況を判断しようと試みた。

この時代はどういう誘拐が一般的なのかを考えた。
金銭を渡す側(被害者家族)は、子どもが生きていることを確認できなければ、安心して金を渡せないだろう。
人質の安全確認が不可欠だ。
となれば……「身代金と人質の直接交換」しかない。

「めちゃくちゃハイリスクじゃない……」

思わず声が漏れてしまった。



***


「おい!こいつ、目が覚めてるぞ!」
「おとなしくしなきゃ、首をへし折るからな!」

片目の男が鋭い目つきで私を脅した。
私は怯えた様子で、黙ってうなずいた。

呼吸を確保するためか、猿轡はされていない。

「泣き出すかと思ったが、おとなしいもんだな」

口が自由だからと言って、ここで子どもらしく泣きわめいても意味はない。
むしろ、犯人たちを刺激するだけだ。

そばにはニヤニヤと笑うジェイがいる。

「ははは!思い知ったか、ミリア!お前が生意気だから、こんなことになったんだ」

「……ジェイ……」

「この坊ちゃんはな、お前の情報を俺たちに渡して、金までくれたんだぜ」

「本当にラッキーな話だよな」

誘拐犯たちは下品な笑い声をあげた。

私は誘拐犯とジェイの関係がどんなものか、確かめたかった。
何か特別な絆があるのかと思ったが、違ったようだ。ジェイは金で彼らを雇っているだけだ。
金だけの関係。

雇っていると言っても、そんな大金をジェイ一人で動かせるはずがないと私は考えた。
はした金で動くこの男たち、何とか誘導できるかもしれない。

子どもの言いなりになって、こんなハイリスクな犯罪を犯すなんて。


「おじさんたち……私……」

「おう、なんだ?逃がしてほしいって言っても無駄だぞ。ははは」

「可愛らしい嬢ちゃんだな。人買いに売っても高く売れそうだ」

はい、朗報。私は人買いに買われる価値がある商品だから殺されない。
だけど、ちゃんと、確実に解放されるために、すべきことがある。


「おじさん。私は伯爵家の子どもなの……」

「ああ、そんなことは分かってるさ!だから誘拐したんだ!」
「声も可愛らしいお嬢ちゃんだなぁ」

下品な言葉に吐き気がする。
私は唾を飲み込み、できるだけ落ち着いた口調で言葉を続けた。

「そこの子は侯爵家の子どもよ」

私はジェイの方へ顎をしゃくった。

「……は?だからなんだ?」

大男は、眉を上げた。

「ははは!ミリア、今さら侯爵家の方が格上だって気づいたところで遅いんだぞ。お前はこいつらに金と交換されるか、殺されるか、どっちかの運命なんだ。泣いて頼んでも助けてやらねぇよ」

ジェイははしゃいだように笑った。

――馬鹿だ。


「伯爵家の子どもと侯爵家の子ども、どっちが価値があるか分かるでしょ?もし私の身代金の受け渡しが失敗したらどうするの?」

「何を言ってるんだ?伯爵家だからって解放されるわけねぇだろ!」

「だから、万が一に備えて、そこにいる侯爵家の子どもも一緒に人質にすれば身代金は二倍になるんじゃない?」

「……どういう意味だ?」

大男が私を真剣な目で見つめた。


「二人誘拐すれば、失敗したときの保険になるでしょう?それに、女の私と男のジェイ、どちらに高い値段が付くかはおじさんたちも分かるはずよ」

誘拐犯たちは互いに顔を見合わせた。

「ねえ、何か言いなさいよ。身代金が二倍になれば、おじさんたちにとっても得でしょ?せっかくここに一人で来てる貴族の坊やがいるんだし」

「やめろ、ミリア!」

「彼は大事な侯爵家の跡継ぎよ!」

「ミリア!」

悪いけど、どうせ誘拐されるならジェイも道連れにしてやる。
私はさらにはっきりと続けた。

「それに、ジェイが帰ってから私のことを家の者に話さないとは限らない。そんな危ないまねをおじさんたちが見過ごすはずはない」

どうか、あいつらが誘いに乗ってくれますように。
願いを胸に、私は冷静に言葉を重ね続けた。

「子ども二人でも一人でも、誘拐するリスクは同じでしょう?」

同じじゃないが、まぁ大丈夫だろう。

「な、な、何を言っているんだ!黙れミリア!」

そう言ってジェイが私に殴りかかろうとした瞬間――

大男がジェイの腕を掴んだ。



***



ジェイは縄できつく縛られ、私と同じく人質にされた。

「助けてくれぇぇぇ!!うわぁぁぁん!!」

ジェイの大声が部屋中に響き渡る。

バシンッ――!!

痩せぎすの男が、ジェイを平手打ちした。

「黙れ小僧」
「うわーーーーん!いたいよぉぉお!!」

今度は頭を叩かれる。

ジェイの泣き声はさらに大きくなる。

ああ……本当に馬鹿なんだから。

「ジェイ、泣いたらまた殴られるわよ。大人しくしていなさい」

私はなんて優しいのかしら、ジェイに助言してあげた。

「くそっ、ミリア!お前のせいなんだからな!!」

彼は聞く耳を持たないようだ。

あまりにもうるさいジェイに、誘拐犯は苛立った。
とうとうジェイは、口に猿ぐつわをかまされてしまった。

そして、暴れ回るからと、私よりさらにきつく縄で縛られた。

彼は身をよじりながらも、ぶるぶる震え、目に涙をためて怯えきっていた。

さっきまでの威勢はどこへ消えた?
自業自得だ。


私は、どうやってこの状況から抜け出すか。
それを必死に考えていた。




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