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幸せな日常 ◇◇美鈴視点
あと一歩踏み出すだけ
しおりを挟む会社においてはわたしの上司で、プライベートにおいてはわたしの……恋人の高倉維月さんは、あまり自分のことを語らない人だ。
ただの『上司と部下』という関係だった頃からも、アフターにお酒を飲みに行くことはあった。そうした期間があったにも関わらず、高倉主任のプライベートって知らない事が多かった。
別段隠している風ではなかったから、訊けば、大抵は困った顔もせずに教えてくれる。
「詮索されるの、イヤじゃありませんか?」
と、少しばかり不安になって訊けば、
「美鈴になら構わないよ」
と、こちらが困るような事を言って返してくる。
お兄さんがいるのは知っていたけど、妹さんがいるのは知らなかった。
学生の頃からずっとテニスをやってて、今もサークルに所属してることも、最近知った。
腕時計マニア(本人はマニアってほどじゃないと言うけれど)らしくって、何本も腕時計を所有してる。デジタルよりアナログ時計の方が好きらしい。いくつかコレクションボックスに収納していて、意外なところでこだわりを持つ人なんだと、新たな発見もした。
ピーマンが嫌いだって知って、つい笑ってしまったし、玉子焼きは甘い砂糖入りはどちらかといえば苦手らしいことも、教えてもらった。
訊けば、維月さんは話してくれる。
だけどわたしに訊き返してくることは、少ない。
わたしを気遣ってくれてるのだと気づいたのは、……つい最近。
ずっとそうしてくれていたんだって、遅まきながら、ようやく気がついた。
維月さんの過去のこと、知りたくないのに時々知りたくなる。
聞いたら落ち込むかもしれない自分を分かっているから、維月さんの過去の『彼女』のことなんて、知りたくなかった。
つき合う前にはそんなこと全然思わなかったから、わたしが直接聞くことはなくても、そういう話の流れになった時だって、別段平気で、聞いていられた。
高倉主任に興味がなかったわけじゃない。むしろ関心はあった……と思う。でも一線は敷いていた。意識するのが怖かったのかもしれない。
いまだって怖さはある。でもそれは以前とは違う怖さだ。
知るのが怖い。その意味合いが変化してきてる。
高倉主任……ううん、上司ではない『維月さん』は、どうだったのかな?
維月さんも、こんな風にわたしに対する心の変化を自覚していたんだろうか。
わたしはほとんど無意識に、維月さんを見上げていた。
維月さんはキッチンに立ち、朝の目覚めを促してくれるコーヒーを淹れてくれていた。
ほんわりと漂ってくるコーヒーの香りに心が緩んでくる。眠気はまだ去らない。まどろみの向こうの維月さんを見つめている。 「何、美鈴?」
わたしの視線に気づき、維月さんは微笑を浮かべる。
わたしと違って寝起きのいい維月さんは、わたしと違っていつでも余裕たっぷりに見える。
そんなことないよって維月さんは笑うけど、そんなこと、あると思う。
「維月さん、あのぅ……」
ぼんやりと寝ぼけた頭では思考をまとめることもできないし、抑えることも当然できない。
わたしはぽろりと言葉をもらした。
「維月さん、……わたしのこと、好き、ですか?」
「…………」
頭も身体も、ふわふわ夢見心地。わたしはまだ半分眠ってるのかもしれない。
維月さんの夢を見てるのかもしれない。
力が抜けて、そのまますぐ後ろにあるソファーベッドに身体を預け、目を閉じてしまった。
「美鈴」
日曜の朝はもっとゆっくりしてていいよね。あと……もうちょっと…………
「美鈴?」
すぐ近くで、維月さんの優しい声がする。苦いような甘いようなコーヒーの香りと一緒に、維月さんの手が、わたしの頬に触れている。
維月さんがわたしの横に腰かけて、肩を貸してくれた。ベッドに戻ろうとしたのだけど、この方がずっと心地いい。
「…………だよ、美鈴」
維月さんはわたしの髪を指に絡め取り、そして耳元でささやいた。
「ん……、わたし、も……」
あともう一歩踏み出して、そして維月さんの心に近づこう。
たった一言があれば、きっと、それはできるはず。
うつらうつらと夢と現実をたゆたってるわたしの頭を維月さんは優しく撫ぜてくれる。とっても気持ちよくて、もう目は開けてられない。
維月さんはいつもさりげなくわたしの心に触れてくる。少しずつ、時にはちょっと……かなり強引に、わたしの心に触れ、優しく撫ぜて癒してくれる。
詮索をするのではなく、そうしてわたしの心を知ろうとしてくれる。
くすぐったくて、でもとても嬉しかった。維月さんになら、わたしの心を見せてもいいかなって。
わたしにも、できるのかな……?
わたしも維月さんの心を知りたい。
維月さんみたいにさりげなくも強引にもできないけれど。
不器用なわたしだから、わたしの気持ちを伝えるというやり方しかできないけれど。わたしの問いに維月さんは応えてくれる。そんな知り方しか、できない。
だけど気持ちを伝えることは、わたしにとってとても勇気がいることだから。せめてそのくらいのことはしなくちゃって、思う。
いつだって、維月さんの反応を見たいって思ってる。
いまなら寝ぼけを言い訳にしてしまえるし、なんてちょっとずるいことを考えながら。
寝ぼけてても、本心には違いないもの。
伝えよう、素直に。
「好き、です、維月さん」
眠り込んでしまったから、維月さんの反応は窺えなかったけれど。
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