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第4章:辿り道
50.賢者の油断
しおりを挟む力の差は歴然と言っていい。
劣弱賢者に成り果てた俺を間近で見ていたのは、ベナークだっただけに、その時から敵と呼ばれる相手とまともに戦って来なかったようだ。
ベナークにとっての最大の敵こそ俺であり、力と知性のある賢者に相違なかった。
元々勇者としての強さはそこそこあったが、デニサの魔の力を借りた程度では、所詮知れている。
「くそっ、くそっーーー!! 何で俺が劣弱賢者なんかにーーー!!」
ベナークは、たかが俺の属性要素ごときで我を忘れつつあり、怒りと失望を舌先に乗せ、負け惜しみともいうべく戯れ事を吐き捨てた。
「人質が……俺にはまだアクセリの人質を、手中に収めてるんだぞ? いいのか? 薬師の女を魔に引き込んでも……」
「ほぅ? お前ごとき元勇者に、そんな真似事が出来るとは初耳だな」
「俺じゃなくても、手は下せるからな。少しでも弱い部分が残っていれば、容易いことだった」
「ん? 誰が弱いんだ?」
『ア、アクセリッ! わたしのことよりも、パナを!』
ルシナは傀儡(かいらい)にされながらも、意思はハッキリしていて、姉であるパナセのことだけを心配している。
そんなルシナを守っているのは、竜化したストレと保護者のごとく傍にいるクリュスだ。
「この女……コイツも賢者に従う愚かな女か」
「どうした? お前の実力を俺に見せつけるんじゃなかったのか?」
「言われなくとも始末してやるよ。俺の手では無く、油断を作ってくれたコイツでだ!」
『アクセ……リ……パナ、パナを……ゲホッうぅっ……』
な!?
俺の油断、そしてオハードの油断で、ルシナは同じく傀儡にされていた奴の剣で、背中を斬られていた。
斬られたことで傀儡は解かれ、ルシナはそのまま、その場に倒れ込んでいく。
ストレにせよ、クリュスにしても、近くにいたオハードに警戒をしていなかったということになる。
「はははは!! ざまーみろ! アクセリなんかに味方する女を操り続けたところで、何の得も無い!」
パナセは氷の要素が閉じ込めたままで、とりあえずの心配は無い。
だが、これが俺の油断だった。
パナセさえ……そうではなく、ルシナ、クリュス、ストレ……召喚のアミナス。
誰一人として、油断を生ませてはいけなかったのだ。
倒れたルシナの元に駆けると、かなり傷が深いように思える。
同じ薬師(くすし)でも、パナセならば傷を移せるが、ルシナはそうではない。
そして束の間の瞬間だったが、目を離した隙にベナークは、手にしていた剣もろとも魔の一部と化し、人間であるはずの姿を変え、闇の人間として現わしていた。
「くくく……勇者である意味なんてすでに無いからな。俺は貴様さえもう一度、闇に葬れればいいだけのことだ!!」
「ちいっ!」
ルシナの傷口は徐々にではあるが、広がりを見せて行く。
紅い鮮血が彼女の意識と熱を奪っていくのを、ただ見ているわけにはいかない。
「ストレとクリュス! 少しでいい。ベナークの動きを止めてくれ」
「分かった。主(ぬし)さまも気を付けて」
「アクさまのご命令とあらば、いつでもお受けしますわ。無事に終わったあかつきには、わたくしを思いきりぶって頂けますわね?」
「あぁ!」
この際何でも言うことを聞くしかない。
「そしてアミナス! お前はオハードを鎮めてくれ! 召喚士なら出来るはずだ。いいな?」
「わ、分かったのだ」
ルシナの体温が下がっていく。
傀儡のまま、彼女を放置していたことが俺の油断であり、残酷な行為でもあった。
ベナークが直接手を下さずとも、隙を作ったままここに戻って来た、オハードの油断だったのだ。
「ルシナ……死なせはしないからな」
「……パナを、パナを……」
「我が祈りを……ルシナ・アウリーンに捧ぐ。命の要素ハイーム! ここに来たれり」
「……大丈夫、大丈夫……アクセリ」
「すまない、ルシナ。必ず助ける。だから、ゆっくり回復をしていてくれ……」
「ん……ん、パナを……」
ルシナの冷え切った手を強く握りしめ、命の要素を浴びたルシナをただ見守るしか出来ないのか。
パナセを呼ぶルシナの手は冷たくなり、表情も苦しそうだ。
いくら祈りの要素を呼び出したからといっても、回復効果は微々たるものに過ぎない。
ルシナはパナセとは違うのだと、俺自身に言い聞かせながら、ベナークばかりに気を取られ過ぎていたことに後悔するばかりだ。
肝心のパナセだが、氷の要素はこういう時だけは忠実に言うことを聞き、パナセを硬い氷の空間に閉じ込めている。
何だかんだ言いながら、今までパナセは氷の要素に触れる機会が多かったことが、大いに関係する。
受ける側は、攻撃にせよ守られるにせよ、冷たく凍えるような思いしか記憶に残っていないだろう。
だが、氷の要素からしてみれば、氷との相性を着々と固め、受け入れてくれていると判断するものだ。
しかし急いては事を仕損じてしまう。
パナセを氷から解放することを考えるよりも、ルシナを守りながらベナークを仕留めねばならんのだが――
「くそが! こんな雑魚ども、すぐに葬ってアクセリを滅してやるのに!!」
「そいつは残念なことだな。だが俺も同じことを考えていたぞ。ベナーク、お前は賢者自らの手で消し去って差し上げよう」
「けっ!!」
ベナークの力は俺がいた時と、大して変わっていない。
しかし魔女デニサが与えた小賢しい魔の力は、無駄に面倒なことになっている。
てっきり戻って来ないかと思えば、ここに自力で戻って来ていたオハードを、いとも容易く傀儡するなどと、勇者らしからぬ魔力によって操っているようだ。
『……赤い血――』
この声はパナセか?
黒騎士に言われたことを守れなかったといえばそれまでだが……まさか氷の要素を解くというのか?
人間誰しも心乱す時はある。あるが、パナセのそれは異質なモノだ。
激しい衝撃音と共に、俺がかけた氷の要素を、いとも簡単に割ってしまった。
『ルシナ……血、赤い血……』
「落ち着け、パナセ! 俺だ、アクセリはここだ!!」
『許さない……許さ――ない。たとえ、勇者でも……魔王でも――』
ちぃっ! 何という凄まじい魔力と圧力だ。
黒騎士の言った通り以上の魔力を秘めていたということか。
「全てを――」
これはまずいことになる。
万能者の真は、全能と謳う賢者とはまるで異質なものだ。
いつものパナセはすでにそこになく、万能者としてこの地、この場を全て消してしまう彼女しか残っていない。
こうなればルシナを……いや、違う。
パナセを正気に戻し、ベナークをどうにかするしか手立ては無いか。
全ての始まりであるこの俺の油断を消して、そして今度こそパナセを救ってやる。
「こら、パナセ! 俺の言うことが聞けないのか?」
「……全てを」
やはりとも言うべきか、黒騎士によって封じられていた血の記憶が、ルシナの血を見たことで呼び覚まされてしまったようだ。
血を見て意識を何かに奪われるほど、パナセにはいい記憶が残されていなかったのだろう。
氷の要素から抜け出したパナセは、俺やルシナの姿は見えていない。
見えているのは、血を出させてしまったオハードと、それを感じさせるベナークだけだ。
「もういい……もう、全て消す……」
何のために黒騎士に認められたのかと自問自答するが、パナセがこうなることも見越して契ったはず。
それならば、俺が取れる手段はこれしかないだろう。
「――血迷ったか、アクセリ」
「いや、どのみち俺は、お前をこのまま生かすことは考えていなかった。まして、オハードなんぞまでもを傀儡(かいらい)するお前を、許すことはないのでな」
「……あんな役にも立たない薬師(くすし)に惚れ込んだってわけか」
「役には立つぞ。お前よりもよっぽどな」
「口の減らねえ賢者が! 離れやがれ!! くそーーーー」
「しつこさは勇者だったお前と同等だ。悪いが最後まで付き合ってもらう」
ベナークを抑えていたクリュスとストレも、次第にその勢いを失いかけていた。
そこに来てパナセの無意識的暴走は、彼女らにも止めることは出来ないと判断。
物凄く嫌で、近付きたくも無かったが、パナセの目を覚ますにはこれしかない。
もちろん無駄死にをするつもりはなく、ベナークに気付かれることのない要素を、体内に発動済みだ。
まさかベナークを道連れにするくらい、体ごと密着させる日が来ようとはな。
「は、離れろ、この野郎!!」
「どうした? お近づきの再会だぞ。密着していても、攻撃して来れるはずだ」
「背後から近付いといてよく言いやがる! くそ、くそがーーー!!」
あまり、いや、極力やりたくもなかったが、クリュスとストレに向き合っていたベナークの隙をつくことに成功した。
かつ棒のように動かないオハードをかわし、俺はベナークの背後から近付いて力づくで押さえている。
羽交い締めのようになり、密着した状態だがこれならば、パナセを真正面から眺めることが出来そうだ。
『パナセ、俺の所まで来い! そして、万能者としての力をベナークに与えてやれ!!』
「正気か!? お、俺を道連れにするとは、昔から卑怯な賢者め!」
「今さらのことだ」
ベナークの背後に回ることで、パナセからは見えていない。
これならコイツも倒され、俺もパナセの手にかかれば……
パナセを面白い女に戻し、キチンとした薬師として育ててやれるだろう。
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