うちのお母さんは最低だ

ツバサ

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しばらくして目的の駅についたら、私たちは電車を降りる。ここで私は別の路線に乗り換え。ココロちゃんは地下鉄で大学に向かうので、一旦お別れだ。
「それじゃ、また後でね。雫ちゃん」
「うん。またね、ココロちゃん」
改札を出たら、ココロちゃんと手を振って別れる。歩いていくココロちゃんの背中を見届けると、私は昨夜のうちに調べておいたルートに従って、電車に乗る。
電車の中は満員ってわけじゃないけど、人がまばらに乗っていた。中には明らかにイベントに向かうような、アニメのフルグラフィックTシャツを纏う人もそれなりにいる。
座席もところどころ空いてるけど、私は当然のように入り口付近で立ったまま、フィックスを開いた。
私にとってフィックスは、北野さんと連絡するためのアプリだ。個人チャットの欄には、北野さんのアイコンしかない。だけど最近、私はフィックスのとあるサーバーに加入した。
そこでは私と同じようなコスプレに勤しむ人たちが楽しそうに会話を繰り広げている。ほとんどがアニメの話とかで、私に参加できる話題は少ないけど、眺めてるだけでも楽しい。
それにみんな、コスプレイヤーであることには変わらないけど、やるジャンルもバラバラで、だけど其れを受け入れている感じの空気がある。その空気が、とても心地いい。おかげで最近は、楽しい毎日を送れていた。
そこに誘ってくれたのは北野さんだ。今回、北野さんはそのサーバーのあわせの撮影の協力者として、イベントに参加するそうだ。
あわせとはコスプレ界隈の用語で、複数人で共同で撮影することを言う。あわせは大体、テーマを決めてやるんだけど、今回のテーマはダーク。どんな衣装でもいいけど、暗い雰囲気の衣装で統一してるらしい。ちょうど私の衣装にマッチするテーマだった。
それに加えて、最初、私は午後から参加する予定だったけど、ココロちゃんのおかげで午前中が空いたので、せっかくならどうかと誘ってもらえたのだ。
聞けば、サーバーの中に私のことを知ってくれてる人もいて、歓迎してくれていたらしい。だけど、私はコスプレする時、夜に自分の部屋でこっそりしてたから、誰かとコスプレするなんて、考えたこともなかった。イベント初参加の私なんかがあわせに参加していいのかなって逡巡したけど。
「大丈夫です。ヤミーさんはグループの人たちにも負けてませんから」
と、北野さんが強く太鼓判を推してくれたので、踏み切ることにした。
シチュエーションとポージングはあらかじめ聞いている。自分の担当するポジションは練習してきた。まあ、今回はあわせといっても、スタジオを借りたりするような本格的なものじゃないので、記念撮影みたいな感じでやっていいってことだけど。どうせなら、可愛くいい感じに写りたいのがコスプレイヤーの性だ。
 
フィックスのサーバーで、会場に着いたという報告が相次いでいたので、私も電車に乗っていることを報告する。
『うち、もう着替え終わった!』
私のメッセージに続いて、会場に着いた人が自撮りを送ってくる。ネット上で素顔を晒すことに抵抗がないのも、コスプレイヤーの性だろう。
送られてきた自撮りに写っているのは、満面の笑みを浮かべる女の人だ。この人はリラさんといって、このサーバーのムードメーカー的な存在だ。絵文字や記号を多用する人で、元気ハツラツな人であることが文面からも写真からも伝わってくる。確か、年は大学生。きっと、飲み会とかでは音頭を取って、ブイブイいわせる系の人なんだろう。
電車が目的地に着くまで、まだ時間がある。話の流れに沿って会話していると、
『あの。もしかして今、スマホの画面見てますか?』
突然、北野さんから個人チャットの方でメッセージが来た。
開いてみて、このメッセージはどういう意味だろうと思う。スマホで会話してるのだから、画面は見なきゃ出来ないのに。疑問に思いながら、素直に見てますと返信したら。
『後ろにいるの。もしかしたら自分かもしれないです』
私は思わず「え!」と声を上げて驚いて、ばっと後ろを振り返った。
すると、見上げるほど背の高い男性が吊り革を掴んで立っていて。
「……あの。もしかしてヤミーさんですか?」
一拍おいて、ダウナーで落ち着いた声で名前を呼ばれる。
『き、北野さんですか?』
肯定する前に、私は問いかけていた。まさか、リアルで誰かにその名前を呼ばれることがあるなんて思わなくて、動揺で声が震える。
「はい。そうです。まさかとは思ったけど、本当にヤミーさんだったんですね」
高いところから私を見下ろして、北野さんは落ち着いた笑みを浮かべた。眉を覆っていた前髪が揺れる。
瞬間、私の胸は爆発しそうなほどに高鳴った。
「あ、はい。ヤミーです。あの、初めまして!」
バクバクとなる心臓に比例して声が裏返った。
周りの乗客の視線が集まって、私は肩をすくめる。北野さんはそんな私に苦笑を溢すと、
「初めまして。すいません、驚かせちゃって」
「い、いえ。こちらこそ大げさに驚いちゃって。あの、本当にあの北野さんですよね?」
いつも文面や通話越しでしか会ったことのない北野さんの素顔を見るのは、とても新鮮で違和感がある。
テレビに出る有名人を街で見かけたら、こんな気持ちになるんだろうか。
反対に、北野さんは落ち着き払っている。それは私の顔をあらかじめ知ってるというのもあるけど、人生の経験値的な差がある気がした。
「はい。北野です」
北野さんはポケットに入れると、透明なケースを出して、名刺を取り出して、私に差し出した。
名刺を受け取ると、そこには確かに、北野さんが送ってくれたウェブサイトと同じ名前と、電話番号、SNSアカウントが記されていた。
「このアカウントって……」
名刺に載っているSNSは、私がやってるものと同じだ。でも、私が知っている北野さんのアカウントとは違う。
「あー、それは仕事用のアカウントです。流石にそっちで、ヤミーさん達と交流するわけにはいきませんから」
「そ、それは確かにそうですね」
北野さんが苦笑するので、釣られて私も苦笑いを浮かべる。
確かにビジネス用アカウントで、私みたいな人にリプライを送ったりするのは、ちょっと不恰好かもしれない。
「あ。これって……」
「どうしました?」
「このミラノトップロードって、確かイタリアのファッションショーですよね」
何気なく裏面を見ると、北野さんの経歴が載っていた。そのひとつに、ココロちゃんと話したミラノトップロードの項目を見つけた。そこを指で差して尋ねる。
「はい。そうです。向こうに留学してた時に出展したものです。でも、よく知ってましたね。そのファッションショー、日本じゃほとんど知名度ないのに」
「いえ。友達がこういうファッションショーとか好きで、知ってたみたいです。私は知りませんでした。でも、このファッションショーって向こうじゃ実績とかがないと出展できないんですよね?」
北野さんの顔を見上げる。
北野さんは、すぐに答えなかった。なぜか、私の顔をじっと見つめると、意味深な笑顔を浮かべた。
「まぁ、その時は師の紹介もあったので」
「へぇ、お師匠さんですか。北野さんのお師匠さんって、どんな方なんですか?」
北野さんのお師匠さんかー。きっとさぞかし凄腕の人なんだろう。
「……ええ、凄い人ですよ。でも、ヤミーさんのお友達もすごいと思います。ミラノトップロードなんて、こっちじゃインターネットで検索しても出てこないと思うんですが」
「そうなんですか? 私の友達はお父さんがよく海外に出張に行くから、現地の雑誌を持ってきてもらって、それで知ったって言ってましたけど」
「現地の雑誌……それって、イタリア語もわかるってことですか?」
「え? あ……どうなんでしょう?」
北野さんに言われて、私も気づく。確かにそうだ。あの時はそれどころじゃなくて気にしてなかったけど、現地の雑誌で知ったってことは、イタリア語が読めるってこと?
「まぁ、調べながら読んだのかもしれませんが、どっちにしろすごいですね」
北野さんが感心したように言った。
ココロちゃんからイタリア語とか英語を話せるって聞いたことはないから、私も北野さんの意見に賛成だ。
「はい。ココロちゃんは、本当にすごい人です。今の私があるのは、ココロちゃんのおかげですから」
「……そうなんですか?」
「はい。ココロちゃんがいなかったら、私、コスプレをここまで続けられなかったと思います」
私は北野さんから目を離すと、入り口の窓から外の景色に視線を移した。
ココロちゃんは私にとって最も親しい友達で、恩人でもある。彼女と出会わなければ、きっと私はコスプレ趣味を早々に諦めていたと思う。少なくとも、ヤミーが誕生することは絶対になかった。
「……その話、興味あります。よかったら、詳しく聞かせてもらえませんか?」
「いいですけど……そんなに面白い話でもないですよ?」
「構いません」
やけに迫真な雰囲気を纏っていた。
電車が目的地に到着するまで、まだ時間はある。
せっかく北野さんと対面したのに、私はなぜかココロちゃんとの馴れ初めを語り出すのだった。
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