「すいか」はすでに割れている

ケロリビ堂

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1.スイカ

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 今年の夏もとても暑い。わたしは子供時代を過ごした祖父の家の畳に座って、ぼんやりと午後のテレビを見ている。

「翠花ちゃんよう、こんな時間のテレビなんか若い子には面白くないんに。じいちゃんは顔見せに来てくれて嬉しいけど、東京で過ごしてもよかったんだよお」
「いいんだよ。わたしがおじいちゃんの顔見に帰りたかったの。それに、教育実習は母校でやる予定だから一回挨拶に行かないとだしね」

 大学で教職を取っているわたしは夏休みで田舎に戻ってきていた。わたしの両親はずっと前に事故で帰らぬ人たちになってしまっていて、おじいちゃんが代わりにわたしを育てて大学まで行かせてくれたから、おじいちゃんのことは親だと思っている。

「お、誰か来たんかい」
「わたし出ようか」
「いいにいいに。翠花ちゃんは座ってな」

 玄関のチャイムが鳴り、おじいちゃんがそちらへ歩いて行く。

「おい、やめろ。そのすいかをそっと降ろせ」

 なにか揉めてる? わたしがスリッパをはいて廊下に出て、玄関の方を覗くと、大柄な男の人が網に入れたすいかを短く持ち、ぶんぶんと振り回していた。

「スイカちゃん、来てる聞いたっ! すいか、持ってきたっ!!」
「わかったから、ちゃんと大人しくおいで、な?」

 その男の人は真っ白な蓬髪を後ろで無造作に括って、長い前髪から覗く目をぎょろぎょろとさせていた。
 一瞬不審者かと思って警戒したが、わたしはその白い髪とぎょろつく目を知っている。

「カンにいちゃん、久しぶり。元気だった?」
「スイカちゃん、いたあ」

 わたしの顔を見て、カンにいちゃんはにたりと笑った。

「寛ちゃん、すいかは冷やしとくから、アイス食べな」
「おじー、ちゃん。ありがとう、ござ、ますっ! いただき、ますっ!!」

 カンにいちゃんは幼馴染だ。初めて子供の時に会ったときからひょろりと背が高く、本をよく読んで勉強のできる男の子だった。あとからわたしのほうが年上だって知ったけど、会ってから何年か、子供のわたしは彼の方が年上だと勘違いしていて、それが癖になって今でもカンにいちゃんと呼んでいる。

「アイス、とけてきてるよ」
「あ。ありがと。なんか、カンにいちゃんすごくおっきくなったからびっくりしてよく見ちゃった」
「スイカちゃんは、きれいになったね」
「やだ……」

 カンにいちゃんは人の目をじっと見て話す人だ。長い前髪の間からこっちを覗いているので、わたしは自分のピン留めで彼の前髪を留めてあげた。前髪を除けて額が見えると、大きな縫い傷がそこにある。
 カンにいちゃんは中一の夏、山で行方不明になって、そして瀕死の状態で発見された。一命をとりとめた彼の髪の毛は色が抜けて真っ白になってしまっていて、それまでは彼はここら一体では一番頭の良い男の子だったのに、それ以来なんだかよくわからなくなってしまった。

「だけどちょっと疲れてるように見える。いやなこと、あった?」

 大きな手が伸びてきて、わたしの眼鏡を外す。これは彼が聡明だった時からよくやる癖だった。

「そんなことないよ。でもそうね。大学の単位をちゃんととるのはちょっと大変かも」

 眼鏡を外されると視界がぼやけて、急に疲れを感じたような気がして私は眉間をつまむ。

「スイカちゃん、お勉強えらくてたいへんだ」
「そうだね。カンにいちゃんはどうしてるの? 随分たくましくなった気がする」
「おじさんの、工場で働いてる。毎日、げんき」

 ぐっと見せて来た彼の腕の筋肉はとても固そうだ。昔はひょろ長くて運動が苦手だったのに、今はそんなことは言われなければわからないくらい体格が良くなっていた。

「スイカちゃん、なつやすみ?」
「うん? そう、夏休みだから帰ってきたの」
「すいかわり、する?」
「すいか割り、かあ……じゃあ、明日……」
「あした、すいかわりする!」

 カンにいちゃんはすっくと立ちあがって、玄関の方にどすどすと歩いて行った。

「寛ちゃん、夕飯食って行かないんかい?」
「ん、いい! おじさんたちと、たべるやくそく。明日またくるから、すいか、ひやしておいてね!」
「わかったわかった、気ぃつけて帰りな」

 日が高く、まだ明るい夕方に白い頭が帰っていく。随分歩いて行ってもあまりにも大きくて、なんだか昔からいる神様みたいに見えた。

「寛ちゃんもなあ、山の中であんなことにならなかったら今頃翠花ちゃんと同じで、東京の学校行けるくらいの頭はあったはずなのになあ」

 精進揚げとおそうめんの夕食をちゃぶ台で囲みながら、おじいちゃんが言った。

「知ってると思うけどなあ、優しい子だから。寛ちゃんはなあ。山の神さんに気に入られちまったんだってみんな言ってるけどなあ」

 民俗学の授業で習った。山の神様は女神様だって。

「年頃の娘さんがいるうちとかは寛ちゃんが用もなしにそこらをうろついてるのあんまりよく思ってなくてな。でもなあ、知ってると思うけどなあ、寛ちゃんは優しい子だからなあ」
「うん、知ってるよ。カンにいちゃんは昔からずっと優しい人だよ」
「うんうん、子供のころは仲良かったもんなあ、翠花ちゃんはわかってるんだよなあ」

 お風呂から出て、わたしは二階の部屋で横になる。おじいちゃんはわたしのことをああ言ったけど、わたしは優しいカン兄ちゃんのことなんかしばらく忘れていたと思う。
 ここに帰ってきたのは、ついこの間まで付き合っていた男と別れて、夏休みの予定が全部おじゃんになったからだ。

(つまんねえ女だな。お前不感症なんじゃねえの。病院行けよ)

 その男と別れた原因はいろいろある。わたしがその男との付き合いより学業を優先させるのとか、セックスの時にわたしがAVみたいに喘がないのが気に入らないって、俺がへたくそみたいじゃねえかとかよく言ってて、ああいうのは演技なんじゃないのと言っても全然聞いてくれなかった。わたしと別れる前から付き合い始めていた新しい彼女はあの時の反応がそれはそれはいいらしい。けっこうなことだ。そんなことをわざわざ送ってこられるのがうざったいので、SNSはブロックした。

「すいか割りかあ……。昔よくカンにいちゃんとやったっけ。秘密基地、まだあるのかなあ」

 ここは海のない土地なので、カンにいちゃんと山遊びするときは川辺に行って、そこですいかを割って、それから秘密基地に行って……。

 昔の思い出を思い出そうとしていると睡魔が襲ってくる。そういえば最近ずっと眠りが浅かったかもしれない。

(もうあいつとは別れてるから……カンにいちゃんと二人きりででかけたって浮気じゃないんだ……)

 わたしはすうっと眠りに落ちていく直前に誰に言うとでもなくそんなふうに頭で思った。
 その日の夢はクレヨンで描いた絵日記みたいな映像がひっきりなしに流れて、内容はすいかを食べてる元彼とか、川に立ってる知らない女の人とか、最近見ちゃったホラー映画の映像とかがぐちゃぐちゃに混ざってしまって、心理学科の先輩に話したらなんて言うかなって感じの夢だった。結局その夜の眠りも浅いのだった。

 朝起きると、まだ全然早いのにもうカンにいちゃんは来ていた。

「こんなに朝から。工場のおしごとはお休みなの?」
「スイカちゃん帰ってるって言ったら、遊んできていいって言ってくれた!」
「そう……」

 わたしが帰ってきてるのも、カンにいちゃんとでかけるのも田舎だからこうやってすぐ筒抜けになってしまう。

「まあいいか……昔から仲良くしてたのだってみんな知ってるものね。カンにいちゃん、ちょっと待っててくれる? でかける準備するから……」
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