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14.魔女と奴隷と母の親友

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「アラン、オーウェンが来たわよ」
「おう。……おはよう」

 アランと呼ばれた寡黙な初老の男はエブリンの夫で、この森小屋の主である木こりだった。今日は仕事に行ってなかったの、ちょうどよかったわ、と言ってエブリンが暖かいお茶を淹れてくれた。

「娘がお嫁に行ってから、カップを三つ以上出すのも久しぶりだわね。今日はどうしたの? 新しい家族を見せに来てくれたんだったりして? それくらいのことでももっと訪ねてきてくれてもいいのよ」

 エブリンは柔和な笑みを浮かべてオーウェンたちの向かい側に腰かけた。アランはこちらも見ずに仕事道具の手入れをしている。

「そうだね。何から話したらいいやら……、まずこの娘なんだが……」

 オーウェンはザジの被っていた頭巾をはずして見せる。大きな鼠の耳がぷるんと飛び出て天井をまっすぐ向く。
 それを見たエブリンはあらまぁ……と目を丸くして驚いた。

「つい最近、奴隷市場で出会って連れて来ちまった。今はアタシの妻ってことにして仕事の手伝いをしてもらってる。それで、どうやら鼠の獣人のようなんで固い木を齧ってないと前歯が伸び続けちまう……んでいいんだよな?」
「オーウェン様のおっしゃる通りです」
「そこらの木を齧らせとくわけにもいかないし、よくないものを口に入れて病気になったり怪我されたりされても嫌だからおじさんに見繕ってもらいたいんだよ。頼めるかね?」

 オーウェンの言葉の最後の方はアランの方を向いて発せられた。アランは椅子から黙って立ち上がる。

「ついてきな。見てやる。娘っ子」
「ありがとうございます。よろしいですか? オーウェン様」
「いいに決まってるだろ、アタシも行く」
「オーウェンはちょっと残ってくれる?」

 庭に出ようとするアランについていくザジに続こうとするオーウェンをエブリンが止めた。

「……わかった。アンタ一人で行きな」
「オーウェン様、行ってきます」

 オーウェンは、上げかけた腰をもう一度椅子に降ろしてエブリンに向き合う。彼にとってエブリンは言ってみればもう一人の母親のようなものである。母エウェンが生きていたころはよくこの家の娘と一緒に字を勉強したりしたものだった。

「……ねえ、あの娘、奴隷なのよね? 連れて帰ってきたってことはあなたがあの娘を買ったっていうことでいい?」
「……そうだよ。アタシはあの子を買った」
「オーウェン。私と二人きりの時くらいエウェンの真似をしなくていいわ。あなたの言葉で話しなさい」
「ごめん」
「謝らなくていいのよ。それだけエウェンの存在はあなたの中で大きいのよね。たくさんいた奴隷の中からあの娘を選んだのもエウェンに似ているからじゃない? 私本当にびっくりしたのよ。あんまりあの娘がエウェンに似ているから」

 庭に飛んできた箒の前に座っていたザジは、エブリンの目には生前のエウェンにそっくりに見えた。オーウェンが産まれてから晩年にかけてのエウェンは皺くちゃの老婆の姿をしていたが、若々しさを失ったことによりかえって小さな少女のような佇まいを再び取り戻している不思議な魔女だった。

「オーウェン、あなた、エウェンの代わりが欲しかったの? どこを探してもエウェンの代わりなんていないわよ? エウェンはエウェン、ザジちゃんはザジちゃん。それはわかっている?」
「……そんなんじゃない。ぼくはもう大人だ。その、あの娘を見た瞬間、他の誰にも渡したくないと思った。その時にかあさんのことなんか考えちゃいなかったよ。それは本当だ」
「そう……あなたがそういうなら私はそれを信じるわ。私は、多分エウェンも、あなたはうちの娘か、そうでなければダリアちゃんと一緒になるのだろうと思っていて……。どちらも選ばなかったからもしかして妻をめとることに全く興味のない子なのかもしれないと最近は思ってたのよ。私があなたを心配してあれこれ言うのもひょっとして余計なお世話なんじゃないかって、そう思い始めてたわ」

「そんなこと……」

 ない、とは言い切れなかった。オーウェン自身、自分は性愛を他人に一切向けられない男だと思っていたからだ。

「アタ……、ぼくはさ。おばさんがぼくのこと、まだ運命の相手に出会ってないから、みたいなこと言うの、本当はすごく煩わしいと思ってたよ。運命の相手なんて言われたってぼくにはそんなこと全然わからないし。今だって全然わからない。長い間考えてたことだから今こうやって言葉にできてるだけだ。なのにあの娘を見たとき、理屈じゃなくて体が勝手に動いちゃったんだ。ぼく以外があの娘を買うのはすごく嫌だなって、ぼくがこの娘を連れて帰りたいってその時はそれしか考えられなかった」
「ううん……それは悪かったわ。ごめんね。でもやっぱりまだ不安に感じる。周りにいろいろ言われるのが嫌だったり、自分に自信が持てなくて奴隷でなんとかしようとして買ったんじゃないのよね? そこはどう?」

 オーウェンは少しの間沈黙した。正直、自分はどこかおかしいのではないだろうかと思っていたからだ。取引をしている先の男衆に娼館に誘われ、断ったら「おい! チンコついてんのかよ!」と揶揄いを受けたり、助産を頼まれた先の妊婦の夫に「あの若い男は大丈夫なのか」などと陰口をたたかれていたことを知ったりして、一人で悶々悩む日もあった。意識はしていないが、魔女を演じているのも母への思慕以外に、初めから『自分は男ではありません』という姿勢でいることで仕事をしやすくしているところもある。だが彼は男だ。振りしているだけでも、だんだん自分がわからなくなっていくということは世の中にはある。

「いろいろ言ってごめんなさいね。私、いろいろなことが見えすぎてしまうのよ。エウェンはそういうところが好きだって言ってくれたけど。私も私の娘も恋した相手と一緒になったけど、そうでない娘もたくさんいるってそれはわかるわよね? 借金の肩代わりをした家に嫁いだり、人脈を作るために嫁いでいく娘もいる。彼女たちは奴隷ではないけれど、その境目はかなり怪しいわよね。彼女たちは夫を好きにならないとやっていけないわ。ザジちゃんもそう。あなたを好きにならないとやっていけない。あなたは自分の意思で彼女をそういう舞台に引っ張り上げたのよ。その責任を、あなたは取れるの? オーウェン」

(アンタが自分の意思で始めたことはね、アンタが納得するまではちゃあんとやるもんだよ)

 この人は、なるほど、母の親友だな、とオーウェンは思った。

「ぼくが始めたことだ。ちゃんとやるよ」
「……そういうところ、エウェンにそっくりだわ。やっぱり血かしらねえ。まあ、そういうことなら頑張りなさいな。応援してるわ。お茶をもう一杯どう?」
「もらうよ。ありがとう。おばさん」

 話が終わったエブリンとオーウェンがカップを傾けていると、口に枝を咥えてバリバリかみ砕きながら両手いっぱいに木箱を抱えたザジが戻ってきた。

「ボリッボリッ、枝をいっぱいもらいまひた!!! ボリッ」
「行儀が悪い!! 齧りながら話すんじゃないよ!!」
「おかえりなさい。いいのが見つかってよかったわねえ」
「おじさん、ありがとう。いくら払ったらいいんだい」
「いらん。木っ端だ。好きなだけ持っていけ」

 やがて、オーウェンとザジの二人は木箱を抱えて箒に乗って帰って行った。エブリンは、彼女の親友がオーウェンの父親になる男を連れて来た時のことを思い出していた。

(今日からアタシがこいつの面倒を見るんだよ!! 止めても無駄さね!!)

「オーウェンもエウェンに似てるわよね。姿は父親そっくりなのに」

 妻の呟きに、寡黙な夫はそうだな、とだけ相槌を打った。
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