お伽話 

六笠 嵩也

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第二章

2-23

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風野は鈴虫の肩の傷の手当てを済ませると、自らの体温を分け与えるように優しく抱き締めていた。

「現身様、現身様…苦しいですか?お水、飲めますか?まだお返事は出来ないか…。何か温かい食べ物を用意してもらいましょう。ね、嘉平様と、そちらのお嬢さん?粥か何か現身様が食べれそうな物をお願いします。あ~、あと、着る物!この襤褸は着せちゃダメ。こんな湿気た物を再び着せたら体温を奪われて体が弱ってしまう。」

お八重は朝日に背を向けて堂の入り口に立ち尽くしたまま動けなくなっていた。改めて陽光の下で見た堂の中の全容に愕然としてしまったのだ。もちろん、性交渉の後始末をされる男の子の裸体を細部まで見たのも初めてだ。そして何より、甘い残り香と青臭い精液の匂いの混沌に完全に圧倒されてしまった。昨夜の行燈の薄い光の中で垣間見た光景はこんなにも凄惨なものだったのだろうか。時として少女の股座を濡らすような淫猥な情事の結末は、余りに悲惨で見るに堪えないものであった。

「お八重さん?大丈夫?しっかりして。儂と一緒に厨へ行きましょう。みな、何かしら腹に入れて少し眠った方が良い。それと…それと、今晩と明日の晩の事を…この状態では、この子がお勤めをすることは難しいでしょう。取り止めにするのは掟に反します。他の村への面子も立ちません。ですが…貴方がその目で見た一部始終を話して聞かせて、せめて人数に制限をするように手配を頼みたい。上ノ村へ帰ってお願いしてもらえませんか。」

お八重はその眼を大きく見開いたままカクカクと首を縦に振った。

嘉平と連れ立ち朝餉の支度に火を熾す。今から穀類をかしぐには時間が掛かりすぎるので、沸かした湯に刻んだ青菜と味噌を落とした。出汁も無く単純な味ではあるが体を内側から温めるには十分だ。ともかく鈴虫の口に何か入れ、他の物は順次届ければ良いだろう。お八重は出来上がった味噌汁を一杯だけ急いで飲み干し、上ノ村への帰路へと就いた。

嘉平はお八重を見送ると、堂へ戻る為に少々荷造りをした。鍋と椀と木匙と箸と、あとは着替えと…あれこれと思いつくままに抱え込んで堂へと届ける。
僅かな時間をも惜しむように、疲れ切った鈴虫は眠ろうとしていた。そのせいあってか甘い香りはかなり抑えられている。しかしいつ何時状況が変わるとも知れない。嘉平は念を入れて鈴虫から距離を取り続けた。

「母様、あとは頼みました。万が一にも間違いがあってはいけませんから、儂は念のために離れていようと思います。」

「あぁ、そうだね。」

堂の戸が閉まると、お妙と風野と鈴虫の三人だけが残された。
嘉平から着替えと食事を受け取ったお妙は、まず鈴虫の股に当て布を巻いてゆく。鈴虫の意識が無くとも流れ続ける粘液を抑え込むためだ。

「お妙様、本当に今夜もこの子を働かせるのですか。私には無謀に思えるのです。」

お妙は下を向いたまましばらく考え込んでいた。しかしいくら時間を掛けて考えても導き出される答えは同じ。

「えぇ、無謀ですが止めるわけにはいきません。止める事が出来ないのは何年も前から分かっていた事。それに合わせて体を丈夫にしてやれなかったのは私共の責任に御座います。もしこの子がこれで旅立つことがあれば、私も一緒に行ってやろうと…それくらいの覚悟は御座います。」

お妙は風野の手を借りながら鈴虫に生成の単衣の長着を着せてゆく。鈴虫が二人の手の軌跡を薄っすらと瞼を開けて追っているが、何をされているのか理解しているとは思えない様子だ。

「鈴虫や、目が覚めたかい。青菜のお汁があるからお食べなさい。」

「すずむし…え?鈴虫?この現身様の名は鈴虫様と仰るのですか。」

「えぇ、夏の終わり、秋の初めに産まれた子。可愛い声で鳴くように鈴虫と名付けました。しかし、ほれ、この通り、口数の少ない子です。まぁ、でもこの名も仮のもの。真の名は…貴方達には教えませんよ。」

「もちろん無理は申しません。申し遅れましたが、私は風野かざのと申します。慈照様にお仕えしておりますが、素性の明かせぬ影の者に御座います。故に、連判状の名はお伏せ下さい。」

「えぇ、畏まりました。慈照様は何だかんだと理由を付けて真の名を記しませんでした。そう考えると、風野様の方が誠実でいらっしゃると、この老婆は判断いたします。言っては悪いが…貴方の主は何というか…何かが欠けている…そう、年寄りの勘が申しております。」

「年寄りの勘か…実際、あの方は幼少の頃より仏門での修行に入りましたので、母に愛でられたとこも、父に勇ましさを褒められたことも御座いません。年はもう三十路に近いと言うのに人との関りに多少のズレがあると言うか…僧侶としての学はあるのです。そして、気高き精神も…でも、何か本当に大切な事をまだ学ばれていないように感じられます。どうか、そのあたりを察していただきお赦し下さい。」

「風野様、言い得て妙。はははっ、貴方、面白いわ!」

風野は少しだけ寂しそうな笑顔を返す。

「お妙様、お疲れでしょう。どうかお屋敷にお戻り頂いて体を横にしてお休みください。私がなんとかして食べさせておきます。はぁ…食べ終えたら…私も疲れましたので現身様と添い寝しとう御座います。もちろん良からぬことをしようというのではありませんよ。私が郷里に残した兄弟も、このように細い手足をしておりました…だからという分けでは無いけれど、今は現身様を抱き締めてお守り申し上げたい。そんな心持ちに御座います。」

お妙は風野の潤みがちな瞳を見詰めた。この瞳に偽りは無さそうだ。
飢えの苦しみを知る物であれば、この辺りの村々が苦肉の策として少年を献上する事を理解できるであろう。

「ふふっ、風野様はよく気が利くお方です。そしてとてもお優しい…。ではお言葉に甘えさせていただきます。どうか、私共の大切な現身様をお願い致しますよ。」

確かに一晩中気を張り詰めて大の男と対等に渡り合ったのだから、お妙の疲労も相当なものであったろう。ここは風野を信じて鈴虫の世話をお願いした方が今後のためだ。お妙はゆっくりと膝に力を入れて立ち上がり、深い息と共に縮こまった腰を伸ばすと、風野に深々と頭を下げて堂を後にした。

「ねぇ…鈴虫様、あなたは慈照様に抱かれて…あぁ、やめましょう、こんな話。それにしても…あなたは固く口を閉ざし、何も話してはくれないのね。いいよ、お話ししましょうとは言わないから口を開けて食べてちょうだい。現身様、さぁ、起き上がらなくても良いですよ。口に入ってきたら飲み込むだけでいいですからね。はい、あ~んして。」

鈴虫がゆっくりと瞼を閉じる。今までされるがままに任せていたが、話くらいはちゃんと聞いていたのだろうか。それも怪しい程ゆっくり首を横に振る。

「おら…死んだら…月見草に…なるんだ…月見草は…きれい…だ…」

「え…鈴虫様…私と話してくれるの!?月見草って?月見草がどうしたの!?あっ、ほら、眠っちゃダメだってば!食べなきゃお妙さんも嘉平さんも皆が泣いちゃうよ!」

それでも聞いてか聞かずか、鈴虫は薄っすら笑みを浮かべて首を横に振る。風野は鈴虫の体を抱き締めずにはいられなかった。泣いているのは他の誰でもない、風野だ。風野の耳には記憶の中の吹雪のすさ音が子守唄のように聞こえている。凍る雪原に裸足で立ち竦むような寂しさが体を這い上がって来る。このまま諦めたら大切なものを無くしてしまいそうな嫌な予感がしてならないのだ。

「はらわた…嬲られると吐き気する…食いたくねぇ…吐くし…」

「ダメ!食べなきゃ、死ぬ!……死んじゃうんだよ…アンタ、水も飲んでないじゃないか!本当なんだよ、本当に食べないと人は死んじゃうんだよ!大丈夫、これからぐっすり眠るだけだから!傍にいるから!」

下顎をきつく掴んで無理やりに口を抉じ開ける。嫌がったところで大した力も無い。呼吸を妨げないように一匙、一匙、と慎重に喉の奥に流し込む。

椀に二杯の青菜の味噌汁。たったそれだけの物を賭けて風野と鈴虫は全力の攻防を見せた。そして、二人ともすっかり残りの体力を使い果たし、瞼の落ちるままに抗えない。

「アンタのお陰で…約束してくれたんだ。御館様が誰も飢えない土地に変えてくれるって…約束してくれたんだよ。だから…アンタは私の恩人だ…ね、だから死んだら駄目。私がアンタを守るよ…」

半分まで板で塞がれた明り取りの格子窓から昼間の光が降り注ぐ。折れそうな程に細い鈴虫の肩を抱き締めると、トクン…トクン…トクン…と心臓の音が伝わってくる。親にはぐれた仔猫のように身を寄せ合えば、お互いの温もりが穏やかな眠りに導いてくれるだろう。眩しくないように堂の隅で体を寄せ合って風野と鈴虫は眠りに就いた。


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