お伽話 

六笠 嵩也

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第二章

2-24

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赤い夕陽が杉林の梢を照らす頃、鎮守の杜に囲まれた境内に積まれた松明に火が入る。辺りは煤けた匂いと子供たちのはしゃぐ声。昼間の野良仕事の土埃で汚れた手足や顔を清め、髪を整えた女たちが着飾るという程ではないが身綺麗にして集まってきた。
佐吉は頃合いを見計らって篠笛を吹き始めた。それに合わせて親父と喜一郎が太鼓を叩き、その周りでは狐と火男、お亀の面の男が剽軽ひょうきんな仕草で舞い踊る。
此処に居合わせる男の人数を勘案すると、堂に集められているのは村中の独り身の男全員というわけではなさそうだ。見知らぬ若い男が二、三人通りかかったが、それについて深く考えれば、自分の首を絞めて苦しくなるだけだということは分かり切っている。佐吉はただ燃え盛る炎を一心に見詰めて篠笛を吹き続けた。井桁に組まれた松明が徐々に燃え崩れてゆく。視界を占める橙色に燃え上がる世界の全てが、燃え堕ちて灰になってしまえば、鈴虫があの日望んだように二人で静かに永遠の眠りに就けるのだろうか。松明の炎が巻き上げる熱風と煙に思わず瞼を閉じると、傷んだ目に涙がしみた。


時を同じくして

嘉平の屋敷の土間には手拭いと笠で顔を隠した若い男が集まっていた。緊張した面持ちであと二、三人の到着を待っている。
その間に嘉平は庭に置かれた焙烙を辿って火を入れて行く。そして堂の前の松明に火を入れ、入り口の戸を叩く。

「母様、もうすぐ日も落ちますので、そろそろご用意願います。」

中からはお妙の声で短い返事が返ってきた。
堂の中では鈴虫を起こして水を飲ませようと風野がまたしても格闘している。

「まぁったく、もう!もうちょっと飲んで下さい。う~ん…嫌だって言うならばぁ、口移しでのませちゃうぞ。」

「…ぃやっ。」

「ふふっ、飲むのが嫌なの?口移しが嫌なの?」

ちょっぴり意地悪そうに微笑みながら風野がにじり寄ってくる。体温を分け合って半日も眠っていたいたせいか、二人の間に警戒心はすっかり無くなっていた。風野の感覚では駄々を捏ねる弟の面倒を見ている感じなのだろう。鈴虫としては、顎を掴まれて口を開けられるのは懲り懲りだし、口移しに強引に飲まされるは絶対に嫌だ。鈴虫は仕方なく不機嫌そうな顔をしながらも口を開けた。眠っている間に嘉平が堂に届けくれたのは白湯だったのか少し温もりが残っている。干乾びて割れかけた唇に一匙、一匙、丁寧に潤いを届けると、少し具合が良くなったのか進んで口を開けるようになった。風野はちゃんと言う事を聞いてくれれば機嫌が良いんだと、大人しく飲み込んでゆく鈴虫を少し大げさに褒めて見せた。これが年下を手懐けるコツなのだろうか。
ほんの束の間、心を緩ませる事の出来る時間を過ごせたような気がした。

しかし、鈴虫の体調が少し良くなるにつれて恐れていることが再び起こる。
鈴虫の頬がポッと赤らみ、体からホワッと良い香りが立ち上り始めたのだ。

「あぁ…これは葛の花の香り…なんて甘い…あぁ…うっとりするほどに甘い…あっ、まさか調子が良くなると強く?そんな…」

お妙が頷いた。

「そう、お察し通り。健康であれば天上世界をも凌ぐほどに素晴らしい芳香を放ち、死んだら香りは完全に消えてしまう。この子、食べて、寝たでしょう?それなのにこの程度。そこから察してこの子の体調は…風野さん、貴方には分かるわね?もう少し体が丈夫ならば堂の外まで及ぶ程に香るはずなのに、これでもまだまだ弱くて本来の御力を発揮してはいないのよ。」

風野は驚きはしたが、お妙の言う事の理屈は何となく理解できる。しかし、本来の御力というものが発揮されたときの状況は、全くもって想像が及ばなかった。

鈴虫は風野の袖の端をつまんで俯いた。眉間に皺を寄せて唇を噛み締めている。

「…うぅん…あの…猿轡…してくだせ。」

「えっ?何故?あれは、現身様のお望みだったか。」

鈴虫が頷く。
驚いて動きの止まった風野をよそにお妙がさっさと猿轡を噛ませた。

「さぁ、行燈に火をともしましょう。御客人がお待ちかねだ。今夜の御客人は血の気の多い若人だ。風野さん、そちらに控えて現身様に何かあったら助太刀をお願いいたします。」

濃紺の闇に橙色の炎が点々と並ぶ中を、ぞろぞろと黒い脚が通り過ぎるのはまるで影絵を見るようだ。嘉平が案内するのは一段と大きな炎の手前まで。そこから先はある種の結界。古びた堂の戸は別世界への入り口である。淡い光の中に黒い影達が吸い込まれて行くと、再び堂は真っ黒な塊となった。



「ようこそ、南海補陀洛浄土へお越し下さいました。こちらに御わしますのは観世音菩薩様の現身様に御座います。」

お妙は衝立を背に真っ直ぐに座っている。頭を下げて挨拶の言葉を述べながらも、居合わせた男達の顔と身形を上目遣いに窺い見た。ここに居るのは年の頃にして十五から二十歳、平均して十七歳頃だろうか。近隣の村から呼び寄せられた者達なので、顔を合わせるのはこれが初めての筈。緊張した面持ちでお互いをチラチラと窺っている。こんな体力の有り余った男に弄ばれては、鈴虫の弱った体はひとたまりもない。大方、嫁を娶る前の練習台として鈴虫で筆卸しでもしようという算段だろうと想像がつく。されば、こちらとしては、その若さを逆手に取って策を練ろうと言うもの。

案の定、本人たちは全く自覚していないが、男達は堂に入るなりこの得体のしれない甘い香りに侵食され始めている。隠そうとしても分かってしまう程に乱れた呼吸と額の汗、そして股の間に意識が行っている為か、どうにも怪しげに泳ぐ視線。これは何の経験も無い者であるが故。少々の刺激であっという間に限界を迎えてしまうだろう。

お妙はわざとゆっくり立ち上がり、衝立の後へと招き入れる。そこには古びた布団の上に足を投げ出して座っている鈴虫がいた。
お妙は鈴虫の着物の裾に手を掛けて、その白い脚の膝下辺りまでを露わにして見せた。固唾を飲む音が聞こえる。どうせ、姉妹があったとて、ここまで美しい白玉の肌を目にしたことなど無いはず。

「じゅ、順番にお相手して貰えるんですよね?その順番って…お妙様?」

「まぁ!なんてせっかちな事を仰るの?まずは皆さまご挨拶からでしょう?」

お妙は男達を一列に並べた。大勢いるとは思ったが、総勢で十名もいる。上流の村と下流の村、川を挟んで上流の村と対岸の村、そして下流の村、この村からは加わる者がいなかったが、同じ掟を共有する近隣の村から約束通りに代表の若者が二人ずつ送られてきたのだ。

「えぇ、まさか一度には無理でしょう。皆さんで順番を決めて下さいまし。一人につき一回切ですから良く考えて不満の出ないように決めたら宜しい。」

「ここは年長者からというのはどうだろうか。なぁ、皆様方?」

辺りが騒めき出す。

「皆様、待って下さい。話はまだ終わっておりません。この場に何のために集められたと存じますか?ただ楽しむためだけでは御座いません。この辺りの伝統について学んで頂くのが本来の趣旨に御座います。分かってらっしゃいますよね?そう…まずは、観世音菩薩様はご存じですか?」

唐突なお妙の言葉に周囲の騒めきが更に大きくなる。そうでなくとも体の内側から沸き起こる興奮をギリギリと抑え込んでいると言うのに、何故ここまで来て御仏にまつわる説教が始まるのか。相手が村長の御母堂でなければ殴りかねない程に苛立ちが熱を帯びている。

「あら、お返事が無いという事は、ご存じ無いのね?では、えぇっと、観世音菩薩様はですね…
 人には百八つの煩悩が御座いまして、その中の色欲の煩悩をですねぇ…
 そう、皆様がいま悩まされているのが色欲というものではございませんか?
 それをですねぇ、無明火と言います。覚えて下さいませ、むみょうかです。その無明火というのはですねぇ何とも扱い難いモノであるのはご自身でよく分かってらっしゃると思いますが…
 で、ですねぇ、ここにいらっしゃいます観世音菩薩様の現身様がですね、ご自身の法性華でお慰め下さるんです。
 法性華です、ほっしょうか、これも覚えて下さいませ。帰りにちゃんと覚えているか確認いたしますからね。
 で、ですねぇ、どうやって無明火を法性華で消すのかと申しますと…」

お妙の大して中身の無い話は延々と続いた。お妙としては呆けた婆を演じてでも、のらりくらりと時間稼ぎをしたい。その間に我慢できなくなった者が何人か勝手に爆ぜてしまえば良いのだ。

「さぁ、お待たせいたしました。私が御指南致しましょう。まずは、詳しいご説明から…」

堂の中が殺気立ってきた。そろそろ限界だろうか。お妙の額に一筋の汗が伝った。

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