お伽話 

六笠 嵩也

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第三章

3-2

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日が落ちるまでに帰りつけるようにと、話が済むと上ノ村の長はお八重を残して早々に村を発った。
他の村との話し合いの場をもうけるべく、下準備をしておこうという考えだ。嘉平は草案作りに加わりたい気持ちもあったが、今のところはお妙と鈴虫の世話とで精一杯だ。上ノ村の長に心からの礼を申し述べると、その背中をお八重と共に見送った。

お八重を残したのは初めからの算段で、老体に鞭打たずとも良いようにとの計らいだったようだ。寝込むほどに体調を崩すとは思わなかったが、老女に二晩続けての徹夜はきつすぎるとの思い遣りだろう。夕餉の支度と寝床の支度、それに加えて鈴虫の世話までやらねばならなとなると重労働になるのを予想してくれていたのだ。嘉平が手伝うにしても、井戸と竈の往復はやはり若くなければ辛いものがある。

夕日が真っ赤に空を染めるころ、起きる気配の無い鈴虫を堂に残したまま嘉平たちは屋敷へと戻り、やっと起き出したお妙と三人でお八重の作った夕餉に箸をつけた。粟の入った粥と、青菜の和え物、根菜の入った味噌汁、質素ではあるが上々な腕前だ。お八重の作る飯の味に舌つづみを打ちながら、嘉平はまたしても先行きが不安になっていた。

「お八重さんの作る飯は本当に旨いですなぁ!お八重さん、いつまで此方に居て下さるのですかねぇ。」

「いぇ、そんなぁ~、まだまだ修行中です!でも、お口に合えば嬉しいです。父からは鈴虫様が薬湯を飲んだのを確かめてから帰って来いと言われています。それまでお世話になります。」

「そうですか!それは、それは、ありがたい。あぁ…こんな旨い飯を喜一郎にも食べさせてやれたら…と…思ったり…しま…して…」

そう言いながら嘉平はお妙の表情を窺い見た。お八重は料理の出来栄えを褒められたのが嬉しかったのか、にこにこと機嫌良さそうに微笑んでいる。その素直に喜ぶ笑顔が可愛らしい。嘉平は少しばかり安堵した。親の言付けで来ているのは仕方の無い事として、厭々食卓を伴にしているわけではなさそうだ。お八重は決して美人と言える顔立ちでは無いのだが、裏表のない明るさと、年の割にしっかりしている点が魅力的だ。家事全般も躾が行き届いている。正直なところこの調子では、来年の御開帳をお妙が取り仕切る事が出来るかどうか微妙であるので、嘉平としては何とかしてお八重を嫁に貰いたいのだ。

喜一郎が帰って来るのは明日の朝だろう。上手くすれば、あと何回か二人で話をする機会を設ける事が出来る。短い時間となるだろうが、ここは何とかして二人の仲を取り持たねばならない。親として出来る事は少ないが、ここに居る間に破談を無かったものにしてもらえるように全力を尽くさねばならないと心に決めた。

「お八重さん、それ程広くは無いが奥の客間をお使いください。寝床の用意は母様にきいてもらって…何か不自由があれば言って下さいね。本当に遠慮とかそういうのは要らないから、道具やらは自分の家だと思って好きに使って下され。」

「あっ、はいっ、お世話になります。有難うございます。」

「本当に上ノ村の長にはこんな良い娘さんがいらして幸せですなぁ!では、儂は鈴虫についていてやろうと思いますので、あとは好きにくつろいで下され。」

食後に甘い物でも出して点数を稼ぎたいところではあったが、あいにく何も美味そうな物が手元に無かった。
夕餉を終えると嘉平は足早に堂に戻った。鈴虫が夜半に目覚めて何か欲しがるかも知れないし、おかしな侵入者があってもいけない。
堂の扉を開けると鈴虫は相変わらずピクリともせずに眠り続けていた。それは一度空に羽搏いた蝶が、再びさなぎへと戻ってしまったかのような静けさだ。折角、煎じて貰った薬湯もすっかり冷めてしまっている。まだ片付けの済んでいなかった行燈の一つに火を灯し、鈴虫の額を冷やす手拭いを変えてから、嘉平は何も無い床板の上にゴロリと横になった。

誰も動く者が居なくなりシンと静まり返ると、遠くから篠笛の音が聴こえてくる。夜祭はこれが最後の晩。何の楽しみも無い村で、歌い踊って楽しめるのは年に一、二度である。若い男女は挙って出会いを求め、夜が更けるのを惜しんでいるのだろう。

「鈴虫や、佐吉の笛の音が聴こえるかい。あれはね、誰の為でもなく、お前の為に吹いているんだよ…きっと、そうに違いないよ…。それにしても、おかしなものだね…お前、黒い揚羽蝶になりたいって…蝶々になって飛んで行きたいって言っていたのに…寝返り一つ打ちやしない。これじゃぁ蛹に逆戻りだよ。…もちろん眠っても構わないんだよ。ほとんどの忌子は疲れて一昼夜眠ってしまう事もざらなのだから。でもなぁ、お前は体に蓄えが無いから…このまま燃え尽きてしまわないだろうか…」

熱を帯びて上気した鈴虫の頬に、格子窓から忍び込んだ月光が白い光の帯を描いている。それはまるで一夜限りを咲き誇る月下美人の花のように儚げな寝姿だ。

「…心配なんだよ。」

心細げな嘉平のつぶやきは闇に吸い込まれて消えて行く。

しばらくすると外で数名の人の歩み行く気配がしだした。薪の炎が消えて祭りが終わったのだろう。
明日からは刈入れが始まり忙しくなる。そして、鈴虫とお妙で勝ち取った戦利品も続々と届き始め、受取に忙しくなるだろう。お妙はもう少し休ませてやりたいので手伝いは頼めない。喜一郎とお八重、佐吉と鈴虫…。あれこれと考えれば考える程に悩みは増えて行く。

「鈴虫や…頼むから朝には目を覚ましてくれよ。このまま…いや、駄目だ!…やめておこう。おやすみ…鈴虫…朝にはきっと佐吉が待っているよ。…きっと…」

行燈の火が消えた。
瞼を閉じれば悩みの全てを忘れられるだろう。嘉平は鈴虫の細い指を手探りで探して握りしめる。決して遠くへ行かせないように、そんな願いを込めながら。


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