この度、配信者と結婚しまして〜大型犬系後輩君と秘密のレッスン〜

透弥

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第2章

元カレ殺ス

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 ゆっくりと、少しずつ。ほろほろと心のわだかまりが崩れていく気がした。
 だからか、少し勇気を出してみようと思った。
 
「亮君。あの……手を、に、にごらせてもらっても?」

 一瞬、言葉の意味を測りかねて、亮は瞬きをした。
 でもすぐに、それが「握らせてもらってもいいですか」の言い間違いだと気づく。由紀らしくて喉奥でふっと笑みをこぼした。

「にごらせてもらう、って。かわいい言い間違いですね」

 由紀の顔が、恥ずかしさに赤くなる。両手で頬を覆って、情けなくうめいた。

「ち、違うの、ちゃんと言おうとしたんだけど」

 そんな彼女の仕草も、ゲーム内のゆきんこの姿と重なって、余計に愛おしくてたまらなかった。

「じゃあ……にごっても、握っても。どっちでも、嬉しいです」

 そう言って、亮はそっと右手を差し出した。
 由紀は、ためらいながらも、その手に自分の手を重ねた。
 
 あたたかかった。
 
 人の手って、こんなに温かいんだっけ、と思った。何も語らなくても、その熱が、少しずつ凍えていた心をじんわりと解かしていく。
 亮の手は、大きかった。指先も、掌も、全てがすっぽりと包まれてしまうような感覚。優しく握られているはずなのに、指の1本1本が、すでに相手に委ねられているようで、どこか心許なく、けれど安心でもあった。
 その温もりは、じわり、じわりと肌の奥へと染み込んでいく。
 由紀はそっと、視線を落とした。骨ばった亮の手は、節も筋もくっきりしていて、包容力をそのまま形にしたようだった。彼の指がわずかに動くたび、自分の指がそっと撫でられているようで、くすぐったくて、胸の奥がきゅっと締め付けられた。

「……こんなに、違うんだね」

 自然に言葉がこぼれた。

「手の大きさがですか?」
「はい……。なんか、びっくりしました」

 由紀の言葉に、亮がくすりと笑う。

「背もですけど。手もでかいって言われるんですよ。中学の時から。……でも、由紀さんの手が細すぎるだけかも」

 そんなふうに言って、彼はそっと握る力を少しだけ強めた。壊れ物を扱うような、けれど、決して手放さないという確かな圧で。
 由紀の指先が、反射的にきゅっと亮の指を握り返す。
 まるで、それだけでいろんな気持ちが通じ合ってしまうようだった。
 
 “恋の練習”──、そんな言葉に逃げ込まなければ、踏み出せなかった。けれど今は、その手の中に、確かな実感があった。
 握った手の中で、2人の心臓の鼓動だけが、ゆっくりと重なっていく。
 由紀が、ほんの少しだけ亮を見上げる。
 彼もまた、優しい目で見つめ返していた。

「……あの」

 亮が口を開く。

「よかったら。一緒に、洋服、買いに行きませんか」

 由紀は目を瞬かせた。

「洋服、ですか?」
「うん。“服装が子供っぽい”って、昔言われたって、話してたでしょ」
「あ……」

 思い出して、少しだけ顔を曇らせる。

「好きな服選ぶ時も、その言葉がいちいち引っ掛かってたりしないかって思って」

 図星だった。

「由紀さんが自分のこと、少しでも好きになれるように……。なんて、おこがましいかもしれないけど。俺、そういうお手伝いができたら、すごく嬉しいです」

 亮の声は、まるで“行こうよ”と押しつけるのではなく、“一緒にいてもいい?”と問いかけるような、静かなやさしさを持っていた。
 由紀は目を見開くと小さく、微笑んだ。

「……亮君って、ほんと……ずるいですね」
「えっ、ずるい……?」
「そうやって……さらっと、優しいこと言っちゃうんですもん」
「由紀さんにだけでですよ。やさしいの」

 由紀は、ふっと俯く。その髪の陰に隠れて見えなかった。表情は、でも少し微笑んでみえた。

「……はい。行きましょう、洋服。買いに」

 亮の顔が、ぱっと明るくなる。

「ほんとに?やった……!」

 握ったままの手が、そっと揺れた。
 それはまだ、不器用な“恋の練習”の第一歩。けれど2人の間には、ほんの少しあたたかい春のような、始まりの気配があった。
 
 ***

 玄関の扉が閉まる音がして、ほんの少し遅れて、静けさが戻ってきた。
 亮の足音が廊下を行く気配を耳にしながら、由紀はその場にしばらく立ち尽くしていた。ついさっきまで彼と繋いでいた右手を握りしめたまま。

 あたたかかった。

 それだけのことなのに、胸の奥がずっとざわついている。目に見えない何かが、確かに、自分の中で動き始めていた。

「……何やってるんだろ、私」

 ふと呟いた声は、部屋に虚しく響いた。
 コーヒーの香りはもう薄れていて、ソファには亮の温もりだけが残っている。

 彼は本気だった。言葉も、眼差しも、優しさも、全部。

 でも、私は──。由紀は唇を噛んだ。

 “恋の練習”なんて。そんな都合のいい話、あるわけがないのに。
 それなのに怖さよりも、嬉しさが勝ってしまっていた。

「バカみたい」

 そう言って、目尻を拭った。涙じゃなかった。ただ、なぜか瞼が熱かった。

 彼は優しい。真っ直ぐすぎるほどに。

 そんな彼を、私なんかが甘えて、汚しちゃいけない。何度もそう思ってきたのに、さっきの“はい”は、誰よりも自分の心が素直に返事をしていた。
 それが、怖かった。
 でも──。由紀は、そっと右手を胸に当てた。鼓動が速い。

 もしかしたら。ほんの少しなら。
 “練習”じゃない何かに、近づいてもいいのかもしれない。
 そう、思った。

 ***

 住宅街を抜け、日の落ちた国道を車が走る。
 車内には、静かにラジオの音楽が流れていたが、亮の耳にはほとんど届いていなかった。
 ハンドルを握る手が、じんわりと汗ばんでいる。
 それが喜びのせいなのか、別の感情によるものなのか、自分でももうよくわからなかった。

「告白、できた」

 思わず小さく、声に出す。それだけで、胸がぐっと熱くなった。

 由紀に、「好き」と言えた。

 彼女は、すぐには返事をくれなかったけれど、それでも拒まなかった。
 手を握らせてくれた。震えるように、小さな手で。
 それだけで、十分すぎるくらい幸せだった。

「はぁ……やばい。可愛すぎ……ゆき姉ちゃん」

 溶けるような笑みが自然と漏れる。頬が熱い。

 実家でやや緊張しつつ、タメ口で話した由紀も。
 帰りの車で眠りそうになるのを堪えてる由紀も。
 手を合わせた時に、控えめに笑っていた由紀も。
 全部が全部、写真で収めたいぐらいに可愛かった。

 こんなに嬉しいことがあるのか、と改めて思う。ずっと夢見てた、「ゆき姉ちゃん」との再会。そして、こんな風に、日々を過ごして、気持ちを伝えられる日が来るなんて。

 でも。

 脳裏をよぎるのは、彼女が語った“大学時代の元彼”の存在。
 ──モラハラ、ゴムなし、浮気。

「……ふざけんなよ」

 声が低くなる。笑っていた口元が、歪んだ。
 あんな男に、ゆき姉ちゃんが汚された。
 身体だけじゃない。言葉で、思考で、尊厳を。彼女を踏みにじって、傷つけて、今でもその影を落としてるなんて。

 ──死ねばいいのに。いや、殺してやりたい。

 自然に言葉が出た。あの時、あの話を聞いてる最中、手が震えるのを抑えるのに必死だった。額には青筋が立ち、握っていた手に、爪が食い込んでいた。
 もし目の前にそいつがいたら、確実に殴っていた。

 ──でも。

 由紀は、亮の手を取ってくれた。
 恋の練習、という甘えた言葉を、受け止めてくれた。
 それはきっと、過去の傷を抱えている彼女なりの、最大限の歩み寄りだった。

 ──絶対、誰にも渡さない。

 車窓に映る街灯の光を睨むように見つめながら、亮は心の中で強く誓った。

 彼女の心にまだ影があるなら、全部照らしてやる。
 優しさで、温もりで、甘さで。
 それでも誰かがその影を掴もうとするなら。その時は、容赦はしない。
 前から距離感が近いと思っていた克也にも、目を光らせなければならない。
 青いその目に、嫉妬の紫が滲む。

 ──でも大丈夫。
 “仮のパートナー”でも、始まったのなら。
 俺が本物にしてみせる。
 
 その思いだけを胸に、亮はアクセルを少しだけ踏み込んだ。
 
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