魔界沼の怪魚

瀬能アキラ

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廃墟になった観光ホテル

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 火曜日となり、予定通り私達は解体工事の現場となる西洋村のパシフィックホテルに向かうことになった。
 私と谷本は早朝、高知市朝倉にある本社に出社し、社用車のライトバンで笠原部長を伴って走り出した。ハンドルを握るのは谷本。私は助手席。笠原部長は後部座席でリラックスした表情であった。
 「道中は長いから、安全運転で頼むぞ」
 笠原部長が後部座席から、谷本に声をかけた。彼は、はいと頷き、眠たそうな目を擦る。
 「とにかく室戸方面に向かって国道を東へ東へ行け。室戸を過ぎて西洋村に入ってから、現場への詳しい道案内はするから」
 私は谷本に言った。事前にパシフィックホテルの所在や地図などは用意してあり、必要な書類関係は私が持っている。
 早朝といっても既に夜は完全に明けており、三人は口数も少なく、パシフィックホテルへと向かうのである。高知市からだと西洋村まで、車で約二時間半の道程。現場開始と同時に、私達は現場近くに宿舎をかまえる予定であった。現場への通勤の負担が大きいからである。
 谷本の運転で車は室戸に入り、市街地から岬の方へは行かず、県道の山越えルートを選択した。こっちの方が近道であると、笠原部長のアドバイスである。岬の方へ行けば、私と巻田の極秘石鯛ポイントがあった。
 ここまでくるのに二時間が過ぎていた。
 「谷本、何処か自販機の前で止まれ。コーヒーでも買おう。部長、よろしいでしょう?」
 谷本の表情に疲れが見えたので、私は声をかけてやった。帰りは、私が運転するつもりである。
 「かまわんよ。もう少し行くと、この先の海側に公衆トイレと自販機コーナーのある広場が見えてくる。そこで休憩だな。俺もずっとタバコを我慢していたところだ」
 笠原部長は言った。彼は私と谷本がタバコを吸わないことを知っているので、ずっと我慢してくれていたのだろう。
 笠原部長の言った通り、広場が見えて車を止めた。私と谷本は自販機で缶コーヒーを買い、飲みはじめた。笠原部長は車から降りると同時に、タバコを吸いはじめた。
 「矢浦さん、随分、遠いところまできましたね」
 谷本が缶コーヒーを口にしながら言った。
 「そうだな」
 私は、目の前の太平洋を眺めながら相槌を打った。波は穏やかであったが、雲行きが怪しいことに気づいた。今朝の天気予報では、高知県の東部は曇りで、降水確率はゼロとなっていたはずである。しかし上空には、今にも泣きだしそうであった。
 ふと笠原部長の方に視線を向けると、まだ旨そうにタバコを吹かしている。
 結局、十五分程の休憩となった。鋼材を積んだ大型トラックが私達の横に止まった。
 「そろそろ行くか」
 トラックが止まったのを合図に、笠原部長が声をかけてきた。
 「部長、雨が・・・」
 空が泣き出したのに気づいた私は、手の平を上げながら言った。
 「なに、雨か、仕方ない、行くぞ!」
 笠原部長に続いて、私と谷本も車に飛び乗った。再び三人の乗るライトバンは走り出す。
 走り出して間もなく、車のワイパーが必要となった。
 「お前ら二人のどっちかが雨男だな。雨の予報は、確か出てなかったはずだ」
 笠原部長が後部座席から、私達に言うのである。
 「すみません、僕が雨男かもしれません」
 ハンドルを握る谷本がペコリと頭を下げ、言った。部長の鼻で笑う声が聞こえた。
 車は西洋村の津元に入った。村では、ここがメインストリートのようである。村役場や郵便局、学校、商店などの建物が国道を挟んで建ち並んでいる。
 「矢浦さん、道はあっているのですか?」
 心配そうに谷本が私に尋ねた。
 「大丈夫だ。このまま国道を徳島方面に向かって進め」
 私はそう言いながら地図を取り出し、確認する。
 「部長は昔、パシフィックホテルへは行ったことがあるのですか?」
 谷本の質問であった。
 「あるわけないだろう。この国道を通って徳島には何度か行ったことはあるがな」
 「谷本、このまま行くと右手にガソリンスタンドがあるはずだ。それを過ぎてすぐに左に入る道がある。それを入るのだ。そこからパシフィックホテルまでは、どうやら一本道のようだぞ」
 私は事前に用意していた地図を眺め、彼に言った。津元の町を過ぎると、再び国道の右手は海岸となっている。雨は既に本降りとなり、車のワイパーは間欠から忙しく連続で動いていた。最悪な現場の下見となりそうだ。
 「あれですかね、ガソリンスタンド?」
 谷本が言うように、視界の先にガソリンスタンドが見えてきた。雨と動くワイパーのせいで見ずらいが、車内から見るフロントガラスの向こう側に、確かに見えている。街中にある大型のガソリンスタンド施設ではなく、個人経営の小さなガソリンスタンドであった。
 「そうだな。あのガソスタを過ぎて左だな」
 私は言う。
 「これですね」
 地図の通り左折する道が現れ、指示器を出した谷本はハンドルを左に切った。
 ここから先は、一本道のはずであった。道は登り坂ではないが、山の奥へと進んで行く。
 「あっ!」
 谷本が何かに気づいたらしく、車を止めた。それは、パシフィックホテルを示す看板でもあった。しかし、赤や黒のスプレーが吹き付けられ、イタズラ書きまでされてあった。看板のいたる部分は剥がれて錆が浮き、その部分から錆汁となってたれている。
 「不気味だな・・・」
 私は思わず呟いた。国道から入ってからは、全く民家も見られない。自販機もなく、人影もない。道の周辺は田畑すらなく、うっそうとした雑木林が奥深く広がっているようだった。そのせいか薄暗く感じられる。
 車内の時計に目をやると、午前九時を少し過ぎていた。とてもそんな時刻とは思えなかった。
 「どうしましょう」
 谷本はブレーキを踏んだまま、不安な色を浮かべた。
 「どうしたもこうしたもあるか! 俺達は現場の下見にきたのだぞ! 行くしかないだろう」
 後部座席から、笠原部長が叱咤するように言うのである。仕事でなければ、私は帰りたかった。何か説明できないような雰囲気を感じ取った。谷本の横顔を見ると、彼も同様な様子である。
 「うあ!」
 突然、谷本が悲鳴を上げた。
 助手席の私も驚き、彼に目を向ける。すると、彼の肩に手が乗っかっていた。よく見ると、背後の笠原部長の左手である。
 「こら! 早く行け!」
 もじもじとしている谷本に対し、再び部長の叱咤である。
 「部長、威かすのはやめましょう」
 私は振り返り、笠原部長に言ってやった。
 「・・・」
 私は部長に言った瞬間、思わず体が固まった。恐怖のためである。後部座席にいる笠原部長の背後は、リアの窓ガラス。雨に濡れたガラス越しに映る景色・・・ 遠くに若い女性が立っている。傘を差し、白いシャツにブルージーンズ姿・・・ こんな場所に不釣合いのように感じる。
 「矢浦、どうした?」
 笠原部長は、私の異変に気づいた様子だ。
 「こんな雨の薄暗い日に、こんな寂しい場所に、女性が一人で立っている。幽霊だ・・・」
 目の錯覚かと思い、私は顔を両手で強く擦る。
 「矢浦さんまで、もうやめてくださいよ!」
 谷本は怒鳴るように言って、車を急発進させた。彼も恐怖のせいか、頭がパニックになったのか。
 急発進させたせいか、振り返っても女性の姿は確認できなかった。私の目の錯覚だったのか。確かに女性の姿であった。
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