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怪魚を追え!
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「ボートは俺が操作する! 獲物に専念してくれ!」
巻田は言ってくれた。
私はリールをロックし、巻く。獲物は少し疲れを見せたのか、それでも引きはおさまらない。
巻田が、巧みにボートを操作している。そのせいか、確実にリールを巻き取ることができている。まだ獲物の姿は見えないが、こちらに少しずつ引き寄せていることは確かだった。
竿を起こし、戻しを繰り返しながら、私はリールを少しずつ巻く。どのくらい時間が経過したのだろうか。必死である自分には、とても長く感じられる。
長期戦になってもいい。絶対に獲物は逃がさない。私は歯を食いしばった。
「もう少しだな」
水面に目を向けながら、巻田が言った。
ようやく、薄っすらと水面に浮き上がってきた。黒い大きな魚影だった。それも、かなりでかい。
「一メートルは、あるぞ・・・」
巻田は、いつの間にか、たもを手にしていた。魚影はボートに近づいている。
近づくにしたがい、獲物の大きさを実感した。巻田の言うように、メートル級の草魚だ。あまりのでかさに、恐ろしさもあった。
巨大草魚は、最後の抵抗を試みているかのように、暴れはじめた。
やはりメートル級の魚が暴れだすと、手がつけられない。
「駄目だ! このままだと持っていかれるか、切られるかだぞ!」
私は叫ぶ。ボートには近づいたが、たもが届くまでは、まだ少し距離がある。それに、たも網には入りきれないだろう。
「待て! 慌てるな!」
巻田は、私を落ち着かせようとする。
「予想以上に手強い・・・」
私は呟く。それでも堪えながら、リールを少し巻いていた。
知らぬ間に魚影は水中に消え、どうやらボートの真下付近にいるようだった。
私は竿を起こし、腰を下げて踏ん張っている。竿は先から水面に向け、激しくしなって曲がっていた。
「いかんぞ! 駄目だ!」
私の叫びは、最早、絶叫に近かった。獲物は、今度はボートの直下に激しく潜りはじめたのだ。
次の瞬間、私は竿先から、水面に引き摺り込まれた!
間一髪、巻田が私の体を押さえた。しかし、体はボートの床に叩きつけられ、竿を握る両腕の肘から先は水面下にある。竿は絶対に離すまい。ボートが傾いているのが分かった。
竿とリールは水面下で持ったままであるが、危険だと感じた私は、リールをフリーにする。同時に獲物は走りはじめる。
その隙に、私は体勢を整え、竿とリールを水中から引き上げた。
「巻田、ギャフはどうした?」
私は言った。ギャフとは、大物狙いの釣りに必需品とされるもので、網に入らない巨体の魚のボディに引っ掛け、引き上げる棒状のものであった。先には大きなフックがついている。
「駄目だ、車に置いてきた・・・」
巻田と同様に、私も自分のギャフを持っていたが、車から降ろすのを忘れていた。
「怪魚を狙っていたはずなのに、完全になめていたな・・・」
どうすることもできなくなった今、悔しさを滲ませながら私は洩らしてしまった。
「諦めるのは、まだ早いぞ」
何かを悟ったのか、巻田は言った。
「どういうこだ?」
「あそこを見てみろ!」
私は重い竿を握りしめたまま、目を向ける。すると右岸側に、木製の桟橋が見えたのだ。二隻の船外機が係留されている。今まで獲物との格闘で、目に入っていなかった。
「あの桟橋に着けるぞ!」
巻田は言った。遠い距離ではない。ここから七、八十メートル先であった。
再び巻田にボートの操作を任せ、自分は獲物に集中する。何とか持ち堪えてくれ!
リールをフリーにすると、獲物の走る方向は、自分らの目指す桟橋の下流の方だった。
私は巻田に、そのことを伝える。
「いいぞ、いいぞ、そのまま突っ走ってもらえ!」
彼は獲物の動きに合わせ、ボートを巧みに操作してくれている。
リールをロックし、巻く。獲物の走る方向とボートの動く方向が同じせいか、相乗効果のようになって、リールは巻きやすくなった。それでも竿先から自分の腕に伝わる重さは、相変わらず重くて強烈なのだ。
リールは巻けるだけ巻き取り、自分と獲物の距離は徐々に縮んでいるようだった。ボートも桟橋に近づいた。
「このまま桟橋に着けるからな」
冷静に巻田は言ったが、私はボートから移れるかどうかだった。
巻田の操作で、二人の乗ったボートは桟橋に横づけされる。更にボートのロープで桟橋に係留した。
巻田の体は、完全に桟橋に降りた。
「矢浦! こっちにこい! 不安定なボートの上より、こっちの桟橋の方が勝負になるぞ!」
確かに彼の言う通りであった。足元のふらつくボート上よりも、足元のしっかりとした桟橋の方が力も入るのだ。
獲物に引っ張られたままの状態からでは、自分は身動きができず、また一旦リールをフリーにし、巻田のいる桟橋に飛び移った。
「ここから、また勝負だ」
私はリールをロックし、巻く。だが、やはり簡単には、やらせてくれない。メートル級の魚は、伊達ではなかった。いくら足元がしっかりした場所であっても、リールを巻いて獲物を引き寄せることは難しかった。
「どうだ?」
「自分の力では、とても無理だ・・・」
私は、巻田の問いに答えた。相手も、こちらの岸側にくれば負けると思っているのか、一向に力を弱める気配がないのだ。
「化け物だ、本当に草魚なのか?」
疲労感を募らせながら、私は言った。
「草を食ったこんな大物は、草魚以外は考えられんぞ」
「おーい! お前らは、何をやっている!」
巻田が言った途端、私達の背後から、怒鳴るような声が響いてきたのだ。声はダミ声のようでもあった。
私は一瞬だけ、振り向いた。そこには、大柄な中年男性が立っていた。背は180センチぐらいあり、頭は額から禿げ上がり、目はギョロッとして口髭と顎髭を生やしている。更に下っ腹は飛び出し、足元は白い長靴であった。とても近づきがたい風体なのだ。年齢も不詳である。
一体こんな男、何処からきたのだ。自分らが桟橋にボートを勝手に係留させ、釣りをしていることを咎めているのだろうかと思った。
「取り込み中だ! 見て分からないか!」
巻田も男性に負けじと、怒鳴り返すように言った。
「・・・」
「大物が掛かっている!」
巻田に気圧されたのか、男性は、無言でのしのしと近寄ってくる。
「おい、かなりの大物じゃないか」
男はダミ声で、私達に言った。
「これ以上、どうしょうもできないのですよ」
私は男に言った。竿先の獲物は、また強い引きを見せた。
「どうやら、どでかいナマズが掛かってしまったな。この辺は、ナマズだらけだからな」
男は言った。
「ナマズじゃない! 草魚だ! 草を食っているからだ」
巻田は言う。
私は獲物の強い引きにより、また体ごと持っていかれそうになる。そろそろハリスが切れるのではないかと、不安になった。
「分かった、助けてやろう」
男は、そう言うと、私と巻田の前を通り過ぎ、桟橋に係留されている船外機に乗った。
「何とか水面まで浮かせろ! そしたら、俺がこれで引き上げてやる!」
男は、船外機の上から言った。彼の手には、何とギャフが握られている。
私と巻田は、思わず顔を見合わせて苦笑した。船外機の持ち主のようだった。
男は船外機のロープをほどき、エンジンをかけた。スタンバイOKのようだった。
ここから先は、また私と獲物の格闘となる。男の言うように、獲物が水面に浮いてくればいいのだが・・・
リールをフリーにはせず、こうなったら根比べである。もう獲物には、自由に泳がせない。ハリスが切れたら、それまでだ。
五分、十分と経過した。
「うん・・・」
私は、おやっと思った。
「どうした?」
巻田は、私に問う。
「だいぶ力が弱ってきたかな」
リールがジリジリと巻き取れる。つまり、こちらの岸に引き寄せているのであった。
「おい! 頑張れ!」
男はジェスチャーを交え、こちらに向かって叫んだ。船外機は既に桟橋から離れ、獲物が浮き上がるのを待っているようだった。
手応えは相変わらずあったが、こちらに分があるように感じはじめた。
その時であった。向うの水面に、巨大な物体が浮き上がったのだ。
船外機の男も、それを見逃さなかった。ギャフを水面に叩きつけるようにして、針先を獲物に引っ掛けたようだった。
今度は、男と獲物の格闘となった。大柄である男は、自分らよりも腕力がありそうだ。ギャフを両手で引き上げはじめると、獲物の巨体が水面から顔を見せた。草魚だった。巨鯉ではなく、その巨体は紛れもなく草魚である。
大きな飛沫を散らしながら、男は船外機に引き上げたのだ。
「やったぞ! やったぞ! アハハハ・・・」
男は、まるで自分のことのように奇声を上げ、喜んでくれている。
私も嬉しくなり、巻田とガッツポーズを交わして喜んだ。
「やったじゃないか!」
巻田は笑みを浮かべ、言った。
「無事、闘いは終わったようだ。あのオジさんのおかげだ」
私が言い終えると、船外機の男は桟橋に船を着けた。
「こりゃ、でけえぞ! こんなバカでかい草魚は、俺も初めてだな」
そう言う男とともに、桟橋に草魚を上げてみた。そのでかさに圧倒される。今まで自分が釣り上げた獲物の中では、間違いなく最大だ。
私は早速、計測してみた。何とスケールは一メートル69センチを示していたのだ。一メートルを遥かに超えている。
「矢浦、これは、草魚の日本記録だぞ! 草魚は最大二メートルにもなるらしいが、日本の河川で釣られるものは、最大でも一メートルを少し超える程のものだ」
巻田は言った。
「よし、写真を撮っておこう」
私は携帯電話を取り出し、カメラ機能を使って撮影する。草魚はまだ時折暴れるが、巻田と船外機のオジさんに協力せてもらい、スケールをあてて撮影した。
確かに一メートル69センチあった。巻田の言ったように、草魚釣りの日本記録となるかもしれない。最初から狙っていた訳でもない。運よく偶然釣れたのだ。
巻田の隣にいる船外機のオジさん・・・ この人の協力のおかげでもある。一体何処の人だろうか。見た目とはまるで違い、感じの良い人柄だ。
ギャフを使い、私は何とか獲物の巨大草魚を持ち上げ、巻田と並んで記念撮影をした。撮影にも船外機のオジさんは、優しく手伝ってくれた。
「この草魚は、どうするのだ?」
船外機のオジさんは、私に問いかけた。
「勿論リリースします。恐らく、この辺の主でしょうからね」
三人は丁重に、草魚を水面に放した。プカーンと、しばらくは浮いていた。腹を横にしたままである。大きな鱗が太陽の光に照らされ、銀色に輝いて美しい。
一向に動こうとはしなかった。力尽きて、このまま死んでしまうのだろうか。かわいそうだと思った。巻田と船外機のオジさんも、じっと見守っている。
だが、しばらくすると、草魚は体勢を替え、ゆっくりと動きはじめたのだ。大きな尾びれを水面にバシャンと叩きつけ、水飛沫が飛んだ。
それが私達との別れを告げたかのように、草魚は水中へと消えて行った。三人は、ほっとした。
「次に出会う時は、もっとでかくなっているかな・・・」
私は、水中へと消えて行く草魚を見送りながら、そっと呟くように言った。
「君が釣った今の草魚も、勿論でかい。しかしな、この辺には、もっとでかい奴がいるぞ」
私の言葉を耳にしたのか、船外機のオジさんは言った。私と巻田は、気になるところであった。
「確かに、この辺には大きな魚がいそうですね。釣り人や、他の人の姿も見られないし。手つかずのまま残されているような」
私は言った。
「ここへくる前に、野鯉やナマズ、ウナギが釣れたけど、他にどんな魚がいるのです?」
巻田の問いである。
「私は船外機で、この辺をうろうろするのだが、幽霊ホテルの前の草周湖周辺で、馬鹿デカイ不気味で得体の知れない奴がいるんだ」
オジさんの答えに、私と巻田は、思わず顔を見合わせる。
「どんな魚です?」
巻田が再度問う。
「見たこともないような、でかい背びれに巨体だ。魚影からすると、体長は三メートルぐらいはあるな」
「奴だ!」
巻田は、叫ぶように言った。私も同じ思いである。自分らが、この前から草周湖で目撃していた例の怪魚であった。
「君らも見たのか?」
私はここで、今までの自分らの経緯を語ることにした。パシフィックホテルの解体工事から、今日の釣りに至るまでのことであった。
「そうか、君らは、あの幽霊ホテルを取り壊してくれた建設会社の人間だったのか。でも変な噂がたっていたので、壊してくれてありがたい。地元の人間らは、喜んでいるだろうな」
私の話を聞き終えると、オジさんは言った。
「そう言ってもらえると、助かります」
私は言った。
「しかし、あの幽霊ホテルがあったために、あの辺の沼沢地には、誰も近づかなかった。長い間、手つかずに近いままだったのだ。だから、君らも目撃したという怪魚は、私と君らしかしらないのだ」
「実は、その怪魚を密かに狙ってもいた」
巻田が、オジさんに真顔で言うのである。
「やめとけ! 今釣った草魚の倍以上はあるぞ。下手すりゃ、殺されるぞ」
「確かに、あの怪魚は、さっきの草魚よりかはでかいかもしれないが、殺されるというのは、少し言い過ぎでしょう」
巻田は、少し鼻で笑うように言う。
「君らは、この辺の地形などは知っているのか?」
「解体工事の着工前に、だいたいは調べて知っていますが」
私が言った。
「幽霊ホテルの前の真貝沼と草周湖は自然の水路でつながっており、草周湖から、この目の前の音木川の支流にもつながっている。更に、ここから下れば音木川の河口はすぐなんだ。そこから上流に行けば、音木川の別の支流が枝分かれしており、そこを進めば真貝沼の西につながっている。つまり、真貝沼と草周湖、音木川の支流と本流、河口は大きくつながっているのだ。それも、全ての流域の水深が深い!」
オジさんの説明に、私は少し、改めて周辺水域について考えてみた。完全に閉鎖された沼沢地ではないのだ。
巻田は言ってくれた。
私はリールをロックし、巻く。獲物は少し疲れを見せたのか、それでも引きはおさまらない。
巻田が、巧みにボートを操作している。そのせいか、確実にリールを巻き取ることができている。まだ獲物の姿は見えないが、こちらに少しずつ引き寄せていることは確かだった。
竿を起こし、戻しを繰り返しながら、私はリールを少しずつ巻く。どのくらい時間が経過したのだろうか。必死である自分には、とても長く感じられる。
長期戦になってもいい。絶対に獲物は逃がさない。私は歯を食いしばった。
「もう少しだな」
水面に目を向けながら、巻田が言った。
ようやく、薄っすらと水面に浮き上がってきた。黒い大きな魚影だった。それも、かなりでかい。
「一メートルは、あるぞ・・・」
巻田は、いつの間にか、たもを手にしていた。魚影はボートに近づいている。
近づくにしたがい、獲物の大きさを実感した。巻田の言うように、メートル級の草魚だ。あまりのでかさに、恐ろしさもあった。
巨大草魚は、最後の抵抗を試みているかのように、暴れはじめた。
やはりメートル級の魚が暴れだすと、手がつけられない。
「駄目だ! このままだと持っていかれるか、切られるかだぞ!」
私は叫ぶ。ボートには近づいたが、たもが届くまでは、まだ少し距離がある。それに、たも網には入りきれないだろう。
「待て! 慌てるな!」
巻田は、私を落ち着かせようとする。
「予想以上に手強い・・・」
私は呟く。それでも堪えながら、リールを少し巻いていた。
知らぬ間に魚影は水中に消え、どうやらボートの真下付近にいるようだった。
私は竿を起こし、腰を下げて踏ん張っている。竿は先から水面に向け、激しくしなって曲がっていた。
「いかんぞ! 駄目だ!」
私の叫びは、最早、絶叫に近かった。獲物は、今度はボートの直下に激しく潜りはじめたのだ。
次の瞬間、私は竿先から、水面に引き摺り込まれた!
間一髪、巻田が私の体を押さえた。しかし、体はボートの床に叩きつけられ、竿を握る両腕の肘から先は水面下にある。竿は絶対に離すまい。ボートが傾いているのが分かった。
竿とリールは水面下で持ったままであるが、危険だと感じた私は、リールをフリーにする。同時に獲物は走りはじめる。
その隙に、私は体勢を整え、竿とリールを水中から引き上げた。
「巻田、ギャフはどうした?」
私は言った。ギャフとは、大物狙いの釣りに必需品とされるもので、網に入らない巨体の魚のボディに引っ掛け、引き上げる棒状のものであった。先には大きなフックがついている。
「駄目だ、車に置いてきた・・・」
巻田と同様に、私も自分のギャフを持っていたが、車から降ろすのを忘れていた。
「怪魚を狙っていたはずなのに、完全になめていたな・・・」
どうすることもできなくなった今、悔しさを滲ませながら私は洩らしてしまった。
「諦めるのは、まだ早いぞ」
何かを悟ったのか、巻田は言った。
「どういうこだ?」
「あそこを見てみろ!」
私は重い竿を握りしめたまま、目を向ける。すると右岸側に、木製の桟橋が見えたのだ。二隻の船外機が係留されている。今まで獲物との格闘で、目に入っていなかった。
「あの桟橋に着けるぞ!」
巻田は言った。遠い距離ではない。ここから七、八十メートル先であった。
再び巻田にボートの操作を任せ、自分は獲物に集中する。何とか持ち堪えてくれ!
リールをフリーにすると、獲物の走る方向は、自分らの目指す桟橋の下流の方だった。
私は巻田に、そのことを伝える。
「いいぞ、いいぞ、そのまま突っ走ってもらえ!」
彼は獲物の動きに合わせ、ボートを巧みに操作してくれている。
リールをロックし、巻く。獲物の走る方向とボートの動く方向が同じせいか、相乗効果のようになって、リールは巻きやすくなった。それでも竿先から自分の腕に伝わる重さは、相変わらず重くて強烈なのだ。
リールは巻けるだけ巻き取り、自分と獲物の距離は徐々に縮んでいるようだった。ボートも桟橋に近づいた。
「このまま桟橋に着けるからな」
冷静に巻田は言ったが、私はボートから移れるかどうかだった。
巻田の操作で、二人の乗ったボートは桟橋に横づけされる。更にボートのロープで桟橋に係留した。
巻田の体は、完全に桟橋に降りた。
「矢浦! こっちにこい! 不安定なボートの上より、こっちの桟橋の方が勝負になるぞ!」
確かに彼の言う通りであった。足元のふらつくボート上よりも、足元のしっかりとした桟橋の方が力も入るのだ。
獲物に引っ張られたままの状態からでは、自分は身動きができず、また一旦リールをフリーにし、巻田のいる桟橋に飛び移った。
「ここから、また勝負だ」
私はリールをロックし、巻く。だが、やはり簡単には、やらせてくれない。メートル級の魚は、伊達ではなかった。いくら足元がしっかりした場所であっても、リールを巻いて獲物を引き寄せることは難しかった。
「どうだ?」
「自分の力では、とても無理だ・・・」
私は、巻田の問いに答えた。相手も、こちらの岸側にくれば負けると思っているのか、一向に力を弱める気配がないのだ。
「化け物だ、本当に草魚なのか?」
疲労感を募らせながら、私は言った。
「草を食ったこんな大物は、草魚以外は考えられんぞ」
「おーい! お前らは、何をやっている!」
巻田が言った途端、私達の背後から、怒鳴るような声が響いてきたのだ。声はダミ声のようでもあった。
私は一瞬だけ、振り向いた。そこには、大柄な中年男性が立っていた。背は180センチぐらいあり、頭は額から禿げ上がり、目はギョロッとして口髭と顎髭を生やしている。更に下っ腹は飛び出し、足元は白い長靴であった。とても近づきがたい風体なのだ。年齢も不詳である。
一体こんな男、何処からきたのだ。自分らが桟橋にボートを勝手に係留させ、釣りをしていることを咎めているのだろうかと思った。
「取り込み中だ! 見て分からないか!」
巻田も男性に負けじと、怒鳴り返すように言った。
「・・・」
「大物が掛かっている!」
巻田に気圧されたのか、男性は、無言でのしのしと近寄ってくる。
「おい、かなりの大物じゃないか」
男はダミ声で、私達に言った。
「これ以上、どうしょうもできないのですよ」
私は男に言った。竿先の獲物は、また強い引きを見せた。
「どうやら、どでかいナマズが掛かってしまったな。この辺は、ナマズだらけだからな」
男は言った。
「ナマズじゃない! 草魚だ! 草を食っているからだ」
巻田は言う。
私は獲物の強い引きにより、また体ごと持っていかれそうになる。そろそろハリスが切れるのではないかと、不安になった。
「分かった、助けてやろう」
男は、そう言うと、私と巻田の前を通り過ぎ、桟橋に係留されている船外機に乗った。
「何とか水面まで浮かせろ! そしたら、俺がこれで引き上げてやる!」
男は、船外機の上から言った。彼の手には、何とギャフが握られている。
私と巻田は、思わず顔を見合わせて苦笑した。船外機の持ち主のようだった。
男は船外機のロープをほどき、エンジンをかけた。スタンバイOKのようだった。
ここから先は、また私と獲物の格闘となる。男の言うように、獲物が水面に浮いてくればいいのだが・・・
リールをフリーにはせず、こうなったら根比べである。もう獲物には、自由に泳がせない。ハリスが切れたら、それまでだ。
五分、十分と経過した。
「うん・・・」
私は、おやっと思った。
「どうした?」
巻田は、私に問う。
「だいぶ力が弱ってきたかな」
リールがジリジリと巻き取れる。つまり、こちらの岸に引き寄せているのであった。
「おい! 頑張れ!」
男はジェスチャーを交え、こちらに向かって叫んだ。船外機は既に桟橋から離れ、獲物が浮き上がるのを待っているようだった。
手応えは相変わらずあったが、こちらに分があるように感じはじめた。
その時であった。向うの水面に、巨大な物体が浮き上がったのだ。
船外機の男も、それを見逃さなかった。ギャフを水面に叩きつけるようにして、針先を獲物に引っ掛けたようだった。
今度は、男と獲物の格闘となった。大柄である男は、自分らよりも腕力がありそうだ。ギャフを両手で引き上げはじめると、獲物の巨体が水面から顔を見せた。草魚だった。巨鯉ではなく、その巨体は紛れもなく草魚である。
大きな飛沫を散らしながら、男は船外機に引き上げたのだ。
「やったぞ! やったぞ! アハハハ・・・」
男は、まるで自分のことのように奇声を上げ、喜んでくれている。
私も嬉しくなり、巻田とガッツポーズを交わして喜んだ。
「やったじゃないか!」
巻田は笑みを浮かべ、言った。
「無事、闘いは終わったようだ。あのオジさんのおかげだ」
私が言い終えると、船外機の男は桟橋に船を着けた。
「こりゃ、でけえぞ! こんなバカでかい草魚は、俺も初めてだな」
そう言う男とともに、桟橋に草魚を上げてみた。そのでかさに圧倒される。今まで自分が釣り上げた獲物の中では、間違いなく最大だ。
私は早速、計測してみた。何とスケールは一メートル69センチを示していたのだ。一メートルを遥かに超えている。
「矢浦、これは、草魚の日本記録だぞ! 草魚は最大二メートルにもなるらしいが、日本の河川で釣られるものは、最大でも一メートルを少し超える程のものだ」
巻田は言った。
「よし、写真を撮っておこう」
私は携帯電話を取り出し、カメラ機能を使って撮影する。草魚はまだ時折暴れるが、巻田と船外機のオジさんに協力せてもらい、スケールをあてて撮影した。
確かに一メートル69センチあった。巻田の言ったように、草魚釣りの日本記録となるかもしれない。最初から狙っていた訳でもない。運よく偶然釣れたのだ。
巻田の隣にいる船外機のオジさん・・・ この人の協力のおかげでもある。一体何処の人だろうか。見た目とはまるで違い、感じの良い人柄だ。
ギャフを使い、私は何とか獲物の巨大草魚を持ち上げ、巻田と並んで記念撮影をした。撮影にも船外機のオジさんは、優しく手伝ってくれた。
「この草魚は、どうするのだ?」
船外機のオジさんは、私に問いかけた。
「勿論リリースします。恐らく、この辺の主でしょうからね」
三人は丁重に、草魚を水面に放した。プカーンと、しばらくは浮いていた。腹を横にしたままである。大きな鱗が太陽の光に照らされ、銀色に輝いて美しい。
一向に動こうとはしなかった。力尽きて、このまま死んでしまうのだろうか。かわいそうだと思った。巻田と船外機のオジさんも、じっと見守っている。
だが、しばらくすると、草魚は体勢を替え、ゆっくりと動きはじめたのだ。大きな尾びれを水面にバシャンと叩きつけ、水飛沫が飛んだ。
それが私達との別れを告げたかのように、草魚は水中へと消えて行った。三人は、ほっとした。
「次に出会う時は、もっとでかくなっているかな・・・」
私は、水中へと消えて行く草魚を見送りながら、そっと呟くように言った。
「君が釣った今の草魚も、勿論でかい。しかしな、この辺には、もっとでかい奴がいるぞ」
私の言葉を耳にしたのか、船外機のオジさんは言った。私と巻田は、気になるところであった。
「確かに、この辺には大きな魚がいそうですね。釣り人や、他の人の姿も見られないし。手つかずのまま残されているような」
私は言った。
「ここへくる前に、野鯉やナマズ、ウナギが釣れたけど、他にどんな魚がいるのです?」
巻田の問いである。
「私は船外機で、この辺をうろうろするのだが、幽霊ホテルの前の草周湖周辺で、馬鹿デカイ不気味で得体の知れない奴がいるんだ」
オジさんの答えに、私と巻田は、思わず顔を見合わせる。
「どんな魚です?」
巻田が再度問う。
「見たこともないような、でかい背びれに巨体だ。魚影からすると、体長は三メートルぐらいはあるな」
「奴だ!」
巻田は、叫ぶように言った。私も同じ思いである。自分らが、この前から草周湖で目撃していた例の怪魚であった。
「君らも見たのか?」
私はここで、今までの自分らの経緯を語ることにした。パシフィックホテルの解体工事から、今日の釣りに至るまでのことであった。
「そうか、君らは、あの幽霊ホテルを取り壊してくれた建設会社の人間だったのか。でも変な噂がたっていたので、壊してくれてありがたい。地元の人間らは、喜んでいるだろうな」
私の話を聞き終えると、オジさんは言った。
「そう言ってもらえると、助かります」
私は言った。
「しかし、あの幽霊ホテルがあったために、あの辺の沼沢地には、誰も近づかなかった。長い間、手つかずに近いままだったのだ。だから、君らも目撃したという怪魚は、私と君らしかしらないのだ」
「実は、その怪魚を密かに狙ってもいた」
巻田が、オジさんに真顔で言うのである。
「やめとけ! 今釣った草魚の倍以上はあるぞ。下手すりゃ、殺されるぞ」
「確かに、あの怪魚は、さっきの草魚よりかはでかいかもしれないが、殺されるというのは、少し言い過ぎでしょう」
巻田は、少し鼻で笑うように言う。
「君らは、この辺の地形などは知っているのか?」
「解体工事の着工前に、だいたいは調べて知っていますが」
私が言った。
「幽霊ホテルの前の真貝沼と草周湖は自然の水路でつながっており、草周湖から、この目の前の音木川の支流にもつながっている。更に、ここから下れば音木川の河口はすぐなんだ。そこから上流に行けば、音木川の別の支流が枝分かれしており、そこを進めば真貝沼の西につながっている。つまり、真貝沼と草周湖、音木川の支流と本流、河口は大きくつながっているのだ。それも、全ての流域の水深が深い!」
オジさんの説明に、私は少し、改めて周辺水域について考えてみた。完全に閉鎖された沼沢地ではないのだ。
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