魔界沼の怪魚

瀬能アキラ

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魔界沼の怪魚

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 郷田社長が帰った後、私と巻田は釣りを再開した。草周湖から真貝沼へとポイントを替えながら、あの怪魚の行方を追っていた。だが、この日は全く姿を見せなかった。
 日が沈み、夜間に期待して、夜の十一時までねばってみた。だが、奴は現れなかった。疲れ果てた二人は、最終日となる明日にチャンスを残して宿に帰ったのだ。

 二人が宿に戻った頃は、既に日付が変わっていた。
 疲れているはずなのに、私は眠れなかった。同じ部屋にいる巻田も同様であった。
 「眠れないようだな」
 巻田が、寝床から声をかけてきた。
 「明日、奴は姿を見せるかな? 自分の休みは明日しかない」
 私は言った。明後日からは、出社しなければならない。谷本や笠原部長の顔も浮かんだ。
 「あの怪魚は必ず現れるはずだ」
 「奴の正体は、一体何だろうか。大きさからするとピラルクーかもしれないが、背びれの形状や巨大な尾びれが気になる・・・」
 私は、自問するように呟いていた。
 「ピラルクー・・・」
 巻田も呟いている。
 「背びれは棒状の形に、何かが絡みついているように見えた。それに、あの巨大な尾びれはピラルクーではないような気がするがな」
 私は、あの時に見た尾びれのでかさに、自分の手が震えたのを思い出したのだ。自分の知っているピラルクーとあ、少し違っているようにも思えるが・・・
 「ピラルクーが正体なのか、そうでないのか、釣り上げてみるまでは分からない」
 巻田は言った。確かに・・・

 昨夜は二人とも、なかなか寝つかれなかったため、目覚めたのが朝の九時を過ぎていた。私は少し体がだるい。
 「どうせ奴は、午前中は姿を見せない。焦ることはない」
 宿の部屋を出る前に、巻田が言った。
 私は部屋の窓から、外を眺めていた。今日は昨日とは違い、雲行きが怪しかった。
 「大丈夫かな?」
 私は巻田に尋ねた。
 「何が?」
 「天気だよ、外を見てみろ。天気が崩れそうだぞ」
 「そうだな、曇り空の方が逆にいいかもな。晴れている時よりも、奴は動き出すかもしれない」
 巻田も窓の外を眺め、言った。明確な理由は分からないが、天候が崩れば、あの怪魚も姿を見せて、ひと暴れするのではないだろうか。私も、そんな気がしていた。
 宿を出た二人は、それぞれの車で個人経営のような小さなスーパーマーケットに立ち寄った。自分らの食料と餌を買うためである。餌は勿論、あの怪魚のもであった。
 餌となるのは鶏肉、魚肉ソーセージなど、肉系のものを買った。奴は必ず食らいつくだろうと考えた。水鳥を捕食したのも、あの怪魚の仕業であると考えられる。他に考えられない。
 二人の車は、真貝沼の方へと向かった。天気は、今にも泣きだしそうである。
 幽霊ホテルのあった敷地から、ボート乗り場の方へと降りた。巻田が重機で整地した仮設道が、まだ使える。数ヶ月もすれば、再び雑草がはびこり、車両の走行はできなくなる。
 「あれ?」
 前を走っていた私は、ハンドルを握っている運転席から、思わず呟いた。見覚えのある車が一台止まっている。ボート乗り場の前である。青のミニバン、黒井今日子であった。
 私と巻田も、同様に車を止めた。
 二人が車内から降りると、黒井今日子も私らの存在に気づき、すぐに車内から降りてきた。今日もジーンズを穿き、上はGジャンを着ている。デニムのセットアップが、よく似合っていた。
 「こんにちは」
 私から、まず彼女に声をかけた。巻田も会釈する。
 「また、きてしまいました。気になって・・・」
 彼女は、そう言うと私達から目を逸らし、真貝沼の方へと視線を向けた。夫が亡くなった場所でもあった。
 「この真貝沼の周辺には、常識では考えられないものがいました。日本の淡水魚ではない、巨大な魚です。怪魚といってもいいでしょう。ご主人も、その怪魚に水面へ引き摺り込まれたのでは・・・」
 「・・・」
 私の言葉に、彼女は無言だった。考え込んでいる様子だ。
 「その怪魚は、実際に三メートル近くありました。昨夜、自分らは釣ったのです。しかし、上げることはできませんでした」
 「昨夜?」
 彼女は、こちらに視線を向け、問うのであった。
 私は、昨夜の顛末を彼女に詳しく語り、この周辺水域の状況も語った。アマゾン川に生息する外来魚の存在などについても語り、温暖化現象との関連についても話は進んだ。
 「モラルのない人達によって、日本の自然界に放された外来魚が繁殖し、更に温暖化の影響で大型化して怪魚となった・・・ 誰にも知られない、この沼沢地で餌を求めた怪魚は獰猛になった・・・」
 私の話を聞き終えた彼女は、考え深げに口を開く。
 「今も、この近くの水面下に潜んでいるはずです」
 私は真貝沼、草周湖を指し示しながら言った。
 「主人は、その獰猛になった怪魚に引き摺り込まれ、死んだんです。間違いありませんは・・・」
 「今から自分らは、その怪魚を・・・」
 「やめた方がいいです! あなた方も、主人と同じような目に!」
 黒井今日子は、勢いよく言うのである。
 「黒井さん、自分らは釣りに自信があります。素人ではありませんから」
 巻田が、彼女を制するように言った。
 「私の主人が釣り上げられなかったものを、あなた方が釣り上げられるはずがないでしょう!」
 彼女は激しく、巻田に言い返した。
 巻田は私に顔を向け、ばつが悪そうに黙り込んだ。
 「ごめんなさいね、少し言い過ぎました」
 少し間を置き、彼女は頭を下げながら言うのだった。
 「ご主人も、釣りの腕は達者だったんですね」
 私は言った。
 「主人は、この沼沢地に得体の知れない大物がいることを知ったのです」
 「どういった経緯で知ったのでしょうね?」
 私は気になり、彼女に尋ねてみた。
 「主人の釣り歴は、もう長いのです。私と結婚する以前からでしたから。四国周辺には、よく行っていたのです。私もついて行くことはあったのですが、主人が亡くなる二、三年前からは行っていませんでしたが」
 「ご主人は、どうしてここを知ったのでしょうね?」
 私は、自分の問いに戻した。
 「たまたまですよ。地図で見ると音木川の支流から流れ込んでいる沼沢地がある。今度、行ってみる、そんな風に言ってましたから」
 「それで、実際に足を運んだんですね」
 「そうです。大物がたくさんいて、人の手つかずのままで、穴場だなんて言ってました。あの幽霊ホテルのせいで、立ち入りが難しかったのでしょう。音木川の支流の方からだと、入ってくるのが難しいと」
 「郷田水産という養殖場がありますね」
 私は言った。郷田社長の話を思い出した。
 「ええ、主人も言っていました。私有地なので勝手には入れませんが、許可を得て何度か入っているようでした。主人は、ボートを持っていましたから」
 「ご主人も、遭遇したのですね。あの怪魚に」
 「主人は、怪魚の存在をつかんでいたようです。私に言ってましたから。今まで目にしたことのない魔物がいるって・・・」
 黒井今日子は、再び遠くの真貝沼の方へと視線を向けている。私は、彼女にかける言葉がみつからずにいた。
 「私は、これで・・・」
 彼女は、そう言い残して、私達の前から去って行った。
 彼女の車のエンジン音が遠のいていくと、私と巻田はボートをたぐり寄せ、準備をはじめた。空は、まだ昼間だというのに暗くなっていた。
 「雨がくるな」
 巻田は言った。二人は合羽も積み込んだ。
 三日目のボートである。この足漕ぎボートは重宝する。これがなければ、この沼沢地を広範囲に移動することはできない。怪魚を狙うチャンスも半減する。
 「頑張ってくれ」
 私は思わず言った。
 「誰に言っている?」
 巻田が、怪訝そうに問う。
 「ボートだよ」
 二人はペダルを漕ぎ、ボートは進みはじめた。ステアリングは私が握っている。
 「今日は何処から攻めるかな?」
 私は巻田に尋ねた。
 「奴は、草周湖か真貝沼のどちらかに潜んでいるはずだ。何処からでもいい」
 ボート乗り場から進み、まずは草周湖のほぼ中央付近に止めた。流れのない、どんよりとした水面である。水面下の様子は全く分からない。
 巻田はルアーで攻め、私は餌釣りで攻めてみることにした。
 私は飛ばし浮きに丸浮きと、重りをつけ、針には生の鶏肉をつけた。巻田のルアーは、スピナーである。
 二人は本格的に開始した。今にも泣きだしそうな空模様が、夕暮れ時のようだ。
 二十メートル程先に、私は飛ばし浮きの仕掛けを投げた。赤い丸浮きが水面にピョコンと立ち、奴が食らいつけば、浮きは水中へと激しく消し込むことになる。ハリスは大物用を使っているが、三メートルの怪魚をはじめから狙うなど考えていなかったので、かなりの無理がある。今回は仕方がない。
 私は目を凝らし、浮きを見詰めることにした。巻田は私の反対側で、ルアーを忙しそうに何度も投げている。
 三、四十分程たった頃であった。巻田が突然、竿の動きを止めたのだ。
 「どうした?」
 私は気になった。彼に問う。
 「今日は、俺も餌釣りに変更しよう」
 「それがいいかもしれないな。鶏肉もソーセージも多めに買ってある」
 「よし! そうしよう!」
 巻田も餌釣りへと、作戦変更となったのだ。
 ルアーを外し、私とほぼ同じ仕掛けでチャレンジする。しかし彼の場合、餌は魚肉ソーセージを使用するのだ。
 「さあ、何処からでもこい!」
 仕掛けを投げた巻田は、力強く言った。
 「餌は本物の肉だ。肉食の奴にとっては好物のはずだ。この近くにいれば、奴は必ず食いつくはずだ」
 私は、確信するように言った。あの巨体を維持するためには、絶対に必要な餌なのだ。
 二人は、辛抱強く待った。浮きを眺め、当たりを待つ。どうしたことか、この日は全く当たりがない。浮きはピクリとも動かない。餌が餌である。野鯉などは近寄ってこないだろう。
 いつの間にか、草周湖を転々としていた。午後となり、空はとうとう泣き出した。
 「合羽の出番か」
 巻田は一旦竿を置き、合羽を着はじめた。私も用意していた合羽を取り出し、着ることにした。二人とも偶然、緑の合羽だった。
 この時期だと雨のせいで気温が下がるはずであったが、妙な蒸し暑さを感じる。真夏のようなものではないが、合羽のせいか汗ばむような気がする。合羽を着ずに長時間、雨に濡れたままだと、風邪をひく可能性もあるのだ。合羽での釣りは、久々であった。
 二人は草周湖から、真貝沼へとボートを移動させた。
 二人の脳裏には、昨夜の出来事が鮮明に浮かんできた。このボートへの襲撃・・・ ちらほらと姿を見せた奴の姿・・・ 巻田の仕掛けに食らいついた強烈な力・・・ 
 三メートル近い謎の怪魚、その正体を突き止め、何としても釣りあげたい。今日が三日目の最終日。姿を見せてくれ・・・
 二人の赤い浮きは、雨に打たれながら水面に浮かんだままであった。何かが食いつけば、浮きは水面下へと沈む。だが、今までピクリとも動かない。餌が鶏肉や魚肉ソーセージだけに、野鯉やフナなどは食いつかないはずだ。
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