魔界沼の怪魚

瀬能アキラ

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魔界沼の怪魚

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 雨が少し強くなってきた。水面に打ちつける雨粒が多くなってくる。
 そんな中、私の携帯電話が鳴っているのに気づいた。雨音に混ざって聞こえている。
 合羽の内側に手を入れ、携帯電話を取り出す。着信は、郷田社長からであった。
 「はい、矢浦です」
 「郷田だが、矢浦君、どうだ? 今日もやっているのか?」
 郷田社長の声だった。
 「今日で最後の三日目なんで、何とかやってますがね」
 「雨が降っているはずだが、それでもやっているの?」
 郷田社長は、天候を心配してくれているようだ。
 「合羽を着て雨対策はOKなんですが、何故か今日は、さっぱり・・・」
 私は彼に、今日の様子などを語ったのだ。
 「予報では、明日の朝まで雨は続くといっていたがな」
 郷田社長は言う。
 「昼間の晴天よりも、獲物は、こんな天候の方がやってきそうな雰囲気なんですがね。奴を狙うために、餌は鶏肉やソーセージを使っていますが・・・」
 「夜中まで続けるの?」
 「分かりません。天候が、あまりにも激しくなると、やめるでしょうが」
 「その方がいいかもしれない。もし、奴が掛かったら、また電話をくれないか」
 「分かりました」
 「それと、帰る時は、連絡をくれないか。心配だからな・・・」
 郷田社長は、私らの釣果も気になるようだが、この天候も心配のようだった。
 彼との電話を終え、私と巻田は、まだ粘って奴を狙っていた。天候は更に崩れ、雨脚も強くなっていた。
 携帯電話の時計を見ると、午後の三時を過ぎている。今回は、もう潮時かなと思いはじめた。
 巻田の方に視線を向けると、彼にも、さっぱり当たりもないようだ。雨脚も強くなってきたせいで、浮きの当たりも見ずらくなっている。
 「巻田!」
 私は、巻田に声をかける。雨脚のせいで、自分の声も自然と大きくなる。
 「どうした?」
 「見ての通りだ。今日は駄目だぞ。天候も、こんな調子だし、日が暮れる前に引き上げた方がましだ」
 「そうだな」
 渋るようであったが、巻田も頷きを見せた。
 「また別の日に、再チャレンジだ。ここには、あの怪魚の存在を確認した。正体は謎のままだが、奴は逃げないよ」
 「分かったよ、矢浦。撤収だな」
 彼が、そう言った時であった。雷が鳴りはじめ、遠くで稲光を見た。
 二人はリールを巻き、竿を片付けようとした。だが、次の瞬間であった。ボートに衝撃を感じたのだ。
 立ち上がってリールを巻き取っていた二人はバランスを崩し、水面に落ちそうになった。奴だ! とっさに感じた。昨夜と同じ状況である。
 「奴だな! このボートの直下付近にいるぞ! 今日は早いが、きやがったな!」
 巻田は身構え、興奮気味に言った。体勢を整え、身構えた私もボート周辺の水面下に目を向ける。
 「いたぞ!」
 私は、ボートの後方の水面に浮かび上がってくる魚影を発見したのだ。巨大な魚影だった。
 「くるぞ!」
 私は再び叫ぶ。
 見えた! 巨大な魚影は、私のいるボートの側方に近づき、あの突出した棒状の長い背びれが水中から顔を出した。こいつは、何の真似だろう。自分らの闖入者に対し、敵意を向けているのか。それとも興味を示し、近づいているだけなのだろうか。
 「何だ! こいつは?」
 巻田は自分の竿を置き、私の真横にやってきた。二人は、奴の背びれに目を向けている。
 背びれを水面から出したまま、怪魚はボートのすぐ真後ろまで近づいてきたのだ。
 「矢浦! ギャフをかせ!」
 巻田が叫ぶように、私に言った。
 私はボートの後方に置いていたギャフを手に取り、彼に手渡した。郷田社長に借りていたものである。
 「どうするつもりだ?」
 私は彼に問う。
 「これで仕留める! 今の俺達の仕掛けでは無理だ。こいつの正体を暴いてやる!」
 「いきなり、そんなもので傷つけるのはやめろ!」
 私は、彼を止めようとした。本来ギャフは、釣った魚を引き上げるものである。それを直接、泳ぐ魚体に突き刺すなど、私は頷くことはできない。
 巻田は私の制止を振り切り、すぐそばに浮き上がっていた魚体の背に、何とギャフを突き刺して引っ掛けたのだ。棒状の背びれ付近だった。
 その直後、水面に赤い血が広がった。この怪魚の血であることは間違いない。痛々しく思えた。
 当然のように次の瞬間、怪魚は物凄い力で暴れはじめたのだ。巻田は、とっさに片手で棒状の背びれをつかんだ。
 「ぐあ!」
 巻田は叫ぶ。
 二人のボートは激しく傾き、立っていた私はバランスを崩す。三メートル近い怪魚の力は、半端ではない。昨夜、自分らは釣り上げることはできなかった。身をもって、その恐ろしさを知っている。
 「巻田! やめろ! このままだと、水面に引き摺り込まれるぞ!」
 私も必死に、叫ぶように言った。
 巻田の持つギャフは、まだ奴の魚体に引っ掛けたままのようだ。もう一方の片手で、棒状の背びれをつかんだままなのだ。
 「絶対に離さんぞ! こいつの正体は何なのだ! この背びれは、何か違和感を感じるがな・・・」
 「違和感? どういうことだ?」
 私が巻田に尋ねた時であった。怪魚は更に暴れはじめ、彼一人の力では、とても押さえつけることなどできなかった。
 ボートは転覆し、二人は水面に投げ出されてしまった。最悪の状況である。
 「巻田! 何処だ! 何処にいる!」
 私は一瞬、彼を見失っていた。水面の水が合羽から体内に伝わり、冷たさを感じる。
 「巻田!」
 不安の中、もう一度、彼の名を叫んだ。
 いない・・・ 彼がいないのだ。巻田の姿が何処にも見えなかった。
 「何処だ! おい! 巻田! 巻田!」
 私は何度も、彼の名を叫ぶ。
 水面に浮かんだままの私は、周囲を必死に見回した。それでも、彼の姿は見あたらない。不安な思いの中、不思議な気もした。何故、彼が見あたらない・・・
 横転したボートが底を見せ、私の前で浮かんでいる。巻田を水面に引き摺り込んだ奴の物凄い力で、ボートは横転したのだ。私も巻田も水面へ・・・
 巻田! 巻田! 声には出さなかったが、我に返ったように再び彼を捜す。やはり、何処にもいない。水中へと奴に引き込まれたのか? バカな・・・ そんな・・・
 私は、冷静になろうとする。雨脚が更に強まる。事の重大さに気づき、心が動揺しはじめた。
 水面に浮かんだ私の体の合羽に、激しく雨粒が打つ音。同様に水面にも。激しくなった雨脚のせいで視界も悪くなった。遠くが白く煙ったように見えはじめた。
 「巻田!」
 今度は、ありったけの力で彼の名を叫ぶ。しかし、無情にも雨音によって、かき消されていった。
 巻田は本当に、あの怪魚によって水中に引き摺り込まれたのだろうか。やはり信じられない。ギャフで奴の魚体を突き刺して引っ掛け、あの棒状の背びれを押さえ込んだ。私が彼を見た最後であった。その後、怪魚の逆鱗にでも触れたかのように、激しく暴れはじめたのだ。
 私には、この暗い水中に潜って彼を捜すこともできない。ふと携帯電話が頭に浮かんだ。郷田社長に助けを求めようと思った。
 しかし、ポケットから取り出した携帯電話は、水面に落ちたため、水でぐっしょりと濡れて使い物にはならない。万事休すであった。
 途方に暮れる。雨脚も弱まる気配は全くない。何処からか落雷が鳴る。
 ここは真貝沼の、ど真ん中。その水面に一人で浮かぶ私・・・ ひとまず横転したボートにつかまろう。雨と水面の水で濡れた体が、急に寒さを感じはじめた。
 何だろう・・・ 横転して浮かぶボートに手を掛けようとした時であった。
 水面に浮かぶ、それを手にした。ギャフであった。巻田が手にしたものだった。先はステンレス製のフック状に鋭く尖ったものであるが、柄の部分が木製であるため、水面に浮かんでいる。巻田が水中に引き込まれる瞬間、手を離してはずれたのか。
 私はギャフを手にしたまま、自分の体を預けるようにしてボートに乗りあがった。完全に底の部分が上を向いている。
 おや? また、何かを見つけた。ちょうどボートの部分に棒状のものが乗り掛かっている。それも黒っぽい。妙に見覚えがあった。あの怪魚の背びれか? 似ている。間違いない。長さは50センチ程だろうか。巻田は必死の力で水中に引き込まれる直前に、奴の背中から引きちぎった・・・
 私は、それも手に取った。
 「何だこれは・・・」
 それを手にした私は、思わず呟いてしまった。あの怪魚の正体の謎が解けたような気がしてきたのだ。
 ギャフをボートの上に置き、両手で、その棒状の背びれを確かめる。巻田がボート上から、奴の背びれをつかんだ時、違和感を感じると言った意味が分かった。これは魚の背びれではないのだ。
 棒は一センチ程の径で黒いプラスチック製のもの。長さは約50センチぐらいか。その先は、金属製の一本ものの銛であった。銛の先には釣り針のように、返しがある。一度魚体に刺されば、抜けないようになっている。プラスチック製の柄は、途中から折れたような痕跡だ。
 私は推測する・・・ 私達以前に、あの怪魚に遭遇した者がいた。この銛で奴を仕留めようとしたが、柄の途中から折られ、逃げられてしまった。しかし、奴の背中には銛が刺さったままの状態で残った。それが背びれのようになって見えていた・・・ 草や藻もそれに絡まっていた・・・
 いつから刺さったままだったのか。あんな背びれの魚体など、はじめからいるはずがなかった。惑わされていた。三メートル近い淡水魚・・・ それは、やはりピラルクーなのだろうか。ピラルクー・・・
 巻田は、そのピラルクーによって、水中へと引き摺り込まれた・・・ 何としても巻田を・・・しかし、どうすれば・・・
 雨脚が相変わらず強い中、ボートに乗りあがったまま冷静になろうと、私は考えた。このままここにいても、埒が明かない。ここから泳いで対岸の岸へ行くのが、無難だろう。車まで戻っても、もう車は使えない。自分のズボンのポケットを探ったが、車の鍵はない。自分の車の鍵は、ボートに積み込んでいたカバンの中である。そのカバンもボート上にあった釣り道具など一式とともに、水中へと沈んでしまった。巻田の車も、彼がカギをかけていたのを覚えている。彼の姿がない今、それもどうすることもできない。
 ボート乗り場まで何とか戻れば、別の足漕ぎボートがあるはずだ。それを使って巻田の捜索をするか、草周湖から音木川の支流へと向かい、郷田水産に助けを求めるかだ。
 私は意を決した。ここから泳いで真貝沼の対岸に向かうことにする。泳ぎは苦手ではない。この真貝沼は草周湖の半分程の大きさである。泳げない距離ではない。しかし一瞬だが、不安が過ぎった。巻田のように、私も水中へと引き摺り込まれるのではと・・・
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