魔界沼の怪魚

瀬能アキラ

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怪魚との対決

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 巻田の死から、ゆっくりとした時が流れていた。自分には、そう感じるのであった。友を失った悲しみ、失意、多くの思いが混ざり合い、心を締めつけていく。
 もう釣りなど二度としない。釣りなどしていなかったら、巻田は今でも元気なはずであった。しかし、釣りを通じて友となったのだから、釣りをしていなければ彼とは友となっていなかっただろう。複雑な思い・・・
 巻田の死は、ボートからの転落による事故死として片づけられた。確かに、そうなのかもしれない。ボートからの転落は、間違いのない事実である。私も水面に投げ出されたのだから。彼の直接の死は溺死であった。幾つかの謎は残るものの、警察は事故死として解決された。
 謎の一つでもあった水中木に、水中で絡まっていた巻田の体・・・ 一体どうやって、あそこまで引き摺り込まれたのか。あの怪魚に引き摺り込まれたのだ。三メートルのあの怪魚・・・ 警察では、三メートルの怪魚の存在など、取り合おうとはしなかった。その証拠に、巻田の体は無傷に近かったという。自分らは確かに、真貝沼の中央付近で足漕ぎボートから転落したが、警察では自分らの勘違いで、水中木近くで転落したのだと決めつけた。
 警察の見解では、巻田と私は大雨と強風によって水面に投げ出され、巻田は、そのまま近くの水中木に沈み、絡まって溺死した。警察の発表した新聞記事などには、そう記されていた。私の事情聴取による証言は、信じてもらえなかった。あの怪魚の存在なども、大雨の天候不良などによる錯覚であったとされた。水中を捜索していた、あの日のダイバーらも、そんな怪魚の存在などなかったとした。
 巻田の死という事実は、もう変わらないが、自分にはどうしても納得できなかった。相崎にも相談したが、警察としては事故死として決まった以上、もうそれ以上は介入しないという。個人的には彼も私の友人の一人であるため、力にはなってくれるではあろうが、どうしていいか分からない。
 私達が目撃し、遭遇した、あの三メートル近い怪魚は、警察からすれば幻想の物であると見ているようだった。幻想なんかではない。あそこには、あの怪魚が絶対に存在するのだ。私は、巻田が怪魚の背中から引き抜いた銛をまだ持っていた。家まで持ち帰り、部屋で眺めている。これが動かぬ証拠だ。
 自分ら以外にも、あの怪魚と遭遇し、この銛を放っていたのだ。やはり今も、奴は真貝沼周辺の何処かにいる。巻田の命を奪った正体を私はどうしても知りたい。巻田・・・

 その後、私は仕事先の建設現場が、高知市の海岸工事に替わっていた。現場監督の私と谷本も同じであった。谷本にも当然、今回のことは全て語っている。
 「矢浦さん、気持ちは分かりますが、元気を出してください」
 谷本が私のそんな姿を見て、現場事務所で言った。手には缶コーヒーを持って、私に渡そうとする。事務所の時計は、ちょうど午前十時を示していた。
 「休憩か。一息入れよう」
 私は机の書類から目を離し、彼から缶コーヒーを受け取った。
 「谷本、お前は信じるよな? あの怪魚の存在を・・・」
 私は缶を開け、コーヒーを一口飲んで言った。
 「ええ、まあ、確かに・・・」
 歯切れ悪そうに谷本は言う。
 「あの現場の解体中に、遭遇したよな」
 私は、同意を求めるように彼に言う。
 「はっきりとは言えませんが、大きかったような・・・」
 「おい、寂しいことを言うなよ、あれは三メートル近い怪魚だったはずだ」
 「そうですね・・・」
 あれから時間が経っている。彼の記憶も薄れてきているのか。しかし彼も、あの怪魚を目撃している一人であることは確かなのだ。

 私はどうしても、このままでは気持ちの整理ができなかった。身も心も真貝沼へと引き摺られるようだった。再び、あの場所へ向かうことにした。
 高知市から東へ、車でやく二時間半走った。現場が休日となる日曜日に行く。私一人である。もう巻田は、いないのだ。彼とともに釣りを楽しんだ日々を思い出す。釣り以外でも、仕事でも同じであった。
 巻田らとともに解体した幽霊ホテル。その建物があった高台に車を止め、目の前の真貝沼を見降ろす。あの怪魚を釣ろうという思いには至らない。巻田の命を奪った奴の正体を暴きたかったが、自分一人の力では自信がない。もう、関係のない郷田社長まで巻き込みたくなかった。
 私の手元に残ったのは、巻田が奴の背中から抜き取った柄のついた銛であった。それを手にしながら、真貝沼を見降ろした。これが刺さったまま、奴は生き続けていた。自分らは、これが奴の背びれだと思っていた。以前にも何者かが、奴を仕留めようとしていたのは間違いないだろう。
 今も、あの怪魚は、真貝沼の水中木の辺りを中心に生きているのだろう。確かに巻田を引き摺り込んだ・・・ あの水中木の下まで・・・
 巻田の遺体には、目立った外傷は見られなかった。しかし、彼の着ていた合羽の左腕の部分が破れていたのを私は見ていた。警察は、はじめから破れていたものだろうと断定した。
 私の推測では、巻田の左腕を咥え、ねぐらである、あの水中木の下まで引き摺り込んだ・・・ 合羽の破れは、その時のものかもしれない。きっとそうだ・・・
 私は、その後も二度、三度と足を運んだ。確かな目的はない。何気なく、巻田が私を呼んでいるような気もした。
 三度目に足を運んだ時であった。十一月の下旬頃である。もうそろそろ本格的な冬の気配を感じる頃でもあった。
 前回と同様に車を止め、今日は双眼鏡を持ってきていた。水中木の辺りに照準合わせ、レンズを覗き込んだ。五分、十分、ニ十分と覗き込んでいた。しかし、何の変化も現れない。奴の魚影でも現れるのかと思ったが、静かな何の変哲もない水面のままだった。
 場所を替え、草周湖にもレンズを向けた。ボート乗り場には、足漕ぎボートもそのままだった。私と巻田が乗って横転したボートも、元通りに係留されている。釣り用に屋根を取っ払っているので、すぐに分かる。ここで釣りをしていなければ、巻田は死なずにすんだ・・・
 再びレンズを真貝沼に向ける。水中木の辺りから、私と巻田がボートから水面に投げ出された沼の中央付近を見ていた。一羽の水鳥が水面に・・・
 まさか・・・ 前に目撃した光景・・・ 水面に浮かんだ水鳥に向かって、黒い何かが近づいている。巨大な魚影ではないか。背びれは見えないが、大きさは、まさに、あの怪魚の姿であった。奴だ! 巻田を引き摺り込んだのだ。水鳥は、全く気づく気配がない。
 次の瞬間であった。水鳥は、巨大な魚影によって水中に引き摺り込まれた。羽をばたつかせたが、怪魚の力には敵わなかった。あっという間に、水中に姿を消した。怪魚も一緒に・・・
 やはり今も、真貝沼の主となって生きていた。水鳥を捕食したのだろうが、巻田まではできなかった。自分は、どうすればいい・・・ 何度もここに足を運び、何がしたい・・・ 巻田の仇を討ちたいが、そのすべが・・・ 
 「矢浦さん!」
 突然、私は声をかけられ、更に肩まで軽く叩かれ、死ぬ程驚かされた。誰もいないと思っていただけに、私の驚きは半端ではなかった。思わず手にしていた双眼鏡を地面に落とした。
 声の主は、若い女性のようだった。ゆっくりと振り向くと、笑みを浮かべた黒井今日子の姿があった。ジーンズにGジャンのセットアップ姿で、こちらをじっと見詰めている。
 「黒井さん、久し振りですね。いつの間に?」
 「先程から。私の足音や車のエンジン音は聞こえませんでしたか?」
 彼女に言われたが、私は全く気づかなかった。一心不乱に双眼鏡のレンズを覗き込み、その先の様子に心を奪われていた。
 落とした双眼鏡を拾い上げる。
 「もう知っているでしょう?」
 私は、彼女に尋ねた。勿論、今回の一連のことであった。巻田の死・・・
 「ニュースや新聞の記事で見ました」
 彼女の笑みが消えた。
 「だったら・・・」
 「亡くなられたのは、矢浦さんと一緒にいらした、あの方でしょうか?」
 彼女は、私の言葉を遮るように言った。
 「そうです。私の友人、巻田です」
 彼女も巻田のことは、当然知っているはずであった。
 「警察の発表では、大雨などによってボートから水面に転落して亡くなった水難事故だとしていますが、本当は違います。黒いさんのご主人と同じように・・・」
 私は目の前の黒井今日子に、自分と巻田があの日に遭遇したことを全て語ることにした。彼女の夫も、真貝沼の水面にボートから転落して亡くなっている。恐らく、あの怪魚に引き摺られ・・・
 「巻田さんも、ここに潜んでいる魔物にやられてしまったのですね。私の主人と同じですよ」
 私の話を聞き終えると、彼女は言った。
 「ここは魔物の潜んでいる沼、魔界の沼、魔界沼なんです」
 彼女は、なおも言った。
 「黒井さんは、私達に忠告してくれていましたね。ご主人と同じ目に遭うからと。それを無視し、釣りに挑んでしまった私達・・・」
 彼女は、私の表情に目をじっと向けている。
 「そうだ」
 ふと私は、あることを思い出して呟いた。
 「どうしました?」
 「あなたに見てもらいたいものがあります」
 私が思い出したのは、怪魚の背に刺さっていたプラスチック製の柄のついた銛である。怪魚の背びれと見誤っていたものであった。
 「なんでしょうか?」
 私は自分の車に戻り、手に取ってきて彼女に見せた。
 「怪魚の背中に、ずっと刺さったままでいたものです。巻田が水中に引き摺り込まれる直前に、力ずくで引き抜いたものなんです」
 彼女に手渡した。
 彼女は手に取り、柄や銛の部分を手で触ったりして、目を向けはじめる。
 「これって・・・」
 彼女は手にしたまま、言い淀んだ。
 「これを背びれだと思って、見誤っていました」
 「いや、そうじゃなくて、これは主人の水中銃のものだわ」
 「亡くなられたご主人の水中銃?」
 私は尋ねた。
 「スピアガンとも呼ぶらしくて、銛をゴムの力で打ち出して魚を捕らえるもの。水中では水の抵抗のため、銛の飛ぶ距離は数メートルぐらいだけど、地上で発射すると数十メートルは飛ぶらしくて危険ね」
 「ご主人が、その水中銃を使ったというのですか?」
 「主人が亡くなった時、ボートの上に水中銃が残されていました。通常は使用していなければ、銃本体とゴムで柄のついた銛は結ばれたままのはずですが、柄の途中から折れて銛がなくなっていたのです。主人が怪魚に向け、狙って撃った。きっとそうよ、間違いないわ。巻田さんが引き抜いたという、この銛に私は見覚えがある。主人のものだわ・・・」
 「ご主人はボートの上から、水面の怪魚に向けて撃ったのですね」
 やはり、そうだったのかと私は思った。彼女の夫も一人、怪魚と格闘していたのだ。
 「私の推測ですけど、一人で釣り上げることができないと悟った主人は、持っていた水中銃を怪魚に向けて撃った。そして狙い通り、怪魚の背中に刺さったのですが、あまりの力で銛の柄は途中から折れた・・・」
 彼女の言うように、折れた柄の銛は、その後も怪魚の背に刺さったまま残っていた。
 彼女は手にしていた折れた銛を私に戻そうとしたが、私は受け取らなかった。ふと、ある思いが自分の心を過ぎる。
 「私は今、あなたの気持ちが分かったような気がします」
 私は、彼女の顔を見詰めながら言った。彼女も私の顔を見詰め、次の言葉を待つようだ。
 「あなたは、ご主人を亡くして何度も、この場所に足を運んでいる。自分も友人の巻田を亡くし、こうして引き寄せられるようにして、この場所に何度もやってきている・・・」
 「何故でしょうね?」
 彼女は私を見詰めたまま、問うように言う。
 「ご主人や巻田の命を奪った、あの怪魚が、この沼にいるかぎり、自分らはずっとやってくるでしょう」
 私は答えた。
 「そうでしょうね。でも、このままでいいのでしょうか?」
 彼女は再び、私に問いかけるように言った。
 「矢浦さん、決着をつけましょう」
 彼女の問いかけに考えあぐねていた私に、はっきりとした口調で彼女は言った。
 「決着?」
 「そうよ、決着をつけないと、このままでは終わることができません」
 「あの怪魚を仕留めようと?」
 「私は女ですから、一人の力ではどうすることも。矢浦さんは男性ですし、釣り人で魚の知識も私以上にありますから。主人と巻田さんの仇を一緒に討ちましょう」
 彼女の言葉に、自分一人ではないことに改めて気づいた。二人の命を奪った、あの怪魚を釣り上げ、正体を暴いて何もかもはっきりとさせること。それしかない。今、自分がやるべきことなのだ。やってやる。見ててくれ、巻田!
 私は心の中で決意し、目の前の彼女に伝えることにした。
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