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若き龍の目醒め 16
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「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
九郎は叫び声を上げて体を起こした。起き上がった。九郎の視界には見たこともない、広大な荒野だった。
(夢……か?)
九郎は起き上がって辺りを見回した。そこはまるで生き物の気配がない荒野。
(夢、なんてどうでもいいや……、それよりどこだ、ここは?)
上を見上げると、灼熱の太陽が九郎に容赦なく照りつける。
汗は流れ出すそばから蒸発してゆく。足下は赤い土。ところどころに岩が顔を出している。
あたりのまばらな草むらは、九郎の腰ほどの高さに伸びている。
遠くにぎざぎざした山並みと、それから森らしい影が見えている。他には何もない。いや、右手のほう、はるか先で何かが動いたような。
動物だろうか。ゆっくりと記憶を掘り返してみる。自分は確か、家に戻る途中ではなかったか。 ああ、そうだ、間違いない。思い出せるのは、夕方、家に戻る途中で本屋に向かったはずだ。それが一瞬で、どことも知れないところに放り出された?どこからかカチカチという音が聞こえる。それは自分の奥歯がぶつかり合っている音だった。
「落ち着け、みっともない」
その声は、奇妙なくらい冷静だった。まるで誰かが、九郎に叱咤するような……。
ともかく、声に出したおかげで、少しは動悸もおさまった。
ごくりと唾を呑みこみ、ゆっくりと立ち上がる。座っていた時と、風景は基本的には変化がない。
最初に気が付いたのは、太陽の位置が巻き戻っていることだった。気を失う前の記憶は夕方だったが、この太陽は中天をようやく過ぎたばかりにに見える。
(時間が戻るはずはないんだから……、つまり僕は丸一日近く寝てたってことか?)
九郎はそう考えた。時は戻らない。
そう考えた途端、なぜか痛みに似たものを胸の奥に感じた。理由のわからない、そんな思いを、九郎は首を左右に振って払い除けた。
「誰か……」
叫ぼうとして、口を閉じた。改めて周りを見渡す。陽光の強烈さ。植物の様子。土の色。空気の匂い。
どれもこれまで経験のないものに見える。ここは日本だろうか。もしそうでないとしたらアフリカかどこかだろうか。
「何を考えているんだ、僕は」
小声で呟いて、額を小突いた。
「何で僕を誘拐して、わざわざアフリカだかどっかに放り出さなきゃいけないんだよ」
もちろん、そんな理由はまるで思いつかない。だが理由がないからといって、今、自分が追かれている現実を否定できるものでもなかった。
「……あっつ」
九郎は上着を脱ぎ捨てた。真夏の気温だった。 そのくせ、湿気はさほどでもない?むしろ乾いている。やはり日本とは思えない気候だ。じゃあ、どこなのかと言われても、九郎には答えられない。
アフリカだと思ったのはテレビで見たサバンナの風景に似ていたからだが、そんなものがあてにならないのは、九郎自身もわかっている。
「あれもわかんない、これもわかんない、わかんない、わかんないか……っ!」
声が高まるとともに拳を振り上げて……。
「……やめとこ」
九郎は、ひょいと手をおろした。暴れようが泣き叫ぼうが、誰もなだめても助けてもくれないのだ。
「それに体力の無駄遣いをしている場合じゃないし」
九郎は、何度か深呼吸をして呟いた。自分でも驚くくらい、気持ちはクールだ。誰かが内側から支えてくれているような気がするくらいに。
冷静ではあるが、どうすればいいのかは、やはり思いつかない。
とにかく人を見つけたいのだが、どちらに行けばいいのだろう。
『どうやって、俺はここへ連れてこられた?』
脳裏に、そんな疑問が閃いた。そうかと、九郎は頷いた。
誰かと会話しているかのような自分に、九郎は気が付いていない。
地面は柔らかい。数歩、動いた足跡が残っている。
だから……。
「……なんの跡もないか」
ぐるっと見回してみたが、車のわだちの跡どころか、足跡も見つからなかった。
地面をこすって消した様子も見当たらない。
「いったい、どうやって……」
独り言が増えていることに気づいて、九郎は途中で口をつぐんだ。
(どうやって、僕を連れてきたんだろう)
考え込もうとしたら、また思考が閃いた。
(いや、どうせわからないことを、思い悩むのは後回しにしよう。行動するべきだ。まず、今、何ができるのかだが……所有物を確認しておくか)
「そういえば鞄も携帯も……、みんななくなってる……」
まわりを見回しても落ちてはいない。スラックスのポケットを探ってみるが、何もなかった。今度はさっき脱いだ上着のポケットをあらためてみる。
見つかったのは、駅前で受け取ったパチンコ屋の宣伝ティッシュと、二、三日洗っていないハンカチ、生徒手帳だけだった。
(これじゃあウーロン茶も買えない)
そう思ってから、自分の思考の間抜けさ加減に九郎は苦笑した。どこにも店や自販機などありはしないのだ。だが、そう思うほど、喉が渇いていた。これだけ汗を流せば当たり前のことだが。
(喉が渇いた……。水は……)
もちろん、ない。
九郎は、何か砂漠や荒野のサバイバルについてゲームで体験したり本で読んだことはなかっただろうかと思いめぐらせたが、何も思いつかなかった。
さっきまでの閃きも、もう囁いてくれない。
(とにかく、森のほうにいけば……)
そう思って、九郎は歩きはじめた。
日射病よけに、上着を頭にかぶり、ゆっくりと。
「……はぁ」
九郎がようやくため息をついたのは、日がとうとう完全に暮れてからだ。
泣き言を口にしてしまったら、ため息をついてしまったら終わりだと、それまでこらえてきたのだが、ついに限界だった。あたりは暗く、もう歩くこともおぼつかなかった。
いや、月は明るく、空には無数の星がある。暗さのせいより、疲労が重くのしかかっているのだ。まだ森には近づいていない。
たとえ泥水でも、雨水がたまったものでも、見つかればむさぼったろうが、何も見つからなかった。草をかじろうにも、かえって水分を吸い取られそうものばかり。
「……ちくしょう。だめかぁ……」
九郎は、ぽつんと荒野の真ん中に生えている小さな木の根元で、ガクンと砕けるように腰をおろした。野獣の襲撃があるかもしれないと思ったが、もう動けなかった。もうクタクタだ。
正確にどのくらいの時間を歩いたのかはわからないが、感覚的には半日以上歩き詰めだったような気がする。
直射日光に体力を消耗させられたせいでもあるだろうが、何より空腹と渇きがこたえた。九郎は、そのまま寝転がった。倒れ込んだ、というほうが正確か。
地面には、まだ陽光のぬくもりがいくらか残っている。
「いったい、何がどうなってるんだろうなぁ」
歩いている間、ずっと思考は堂々巡り(どうどうめぐり)を続けていた。考えたところで、手がかりが少なすぎて答えは出ない。
ここはどこなのか、誰が何の目的で、どんな手段で九郎を連れてきたのか。
「……どうでもいいや」
そのまま九郎は、寝転がったまま夜空を見上げた。
今はそんな疑問より、飢えや襲撃への恐怖より、そして、これからどうすればいいのかということよりも、九郎の頭の中で大きく広がっているのは、結局、今日も由紀子には電話できそうにないことを悔しがる気持ちだった。
「まったく、こんな時だっていうのに、僕ときたら……」
誰もいない孤独を紛らわせたくて、ことさらに大きな声で呟く。
だが―――。
(由紀子ちゃんに、もう一度会うまでは)
絶対に諦めない。
その気持ちが、こわばった背中を、痛みに苛まれる脚を、癒やす。
空には満天の星が輝いていた。九郎が見たこともないほどの無数の星だ。
(星かぁ……。そうだ、由紀子ちゃんと星を見た時も、自分がどこにいるのかわからない時だったな)
あれは、まだ小学校にあがる前だった。二つの家族がそろってキャンプに行って、バーベキューの夕食の途中だったように覚えている。
九郎と由紀子は、どういうわけか家族とはぐれて、森の中に迷い込んでしまったのだった。
帰り道がわからなくなったと気がついた瞬間、九郎は泣き出してしまった。
だが、由紀子は、同じようにぼろぼろと泣きながら九郎を励ましてくれた。
くじけそうになりながら、二人で支え合った。
そうだ。あの時、動かずに迎えを待とうと言ったのは九郎だったと思う。とても大きな根っこに抱かれて(いだかれて)、体を寄せ合って座って、星を見上げたのだ。
大きな木だったと思えたけれど、それは自分たちが子供だったからだろう。
(記憶は美化されるもんだから……)
本当は、今、寄りかかっているこの木と同じだったのかも知れない。
(だよな。記憶違いと言えば……あの時の由紀子ちゃん、なんか妙にウキウキしてたような……。そもそも、由紀ちゃんが森を探検しようって言い出して嫌がる僕を無理やり引っ張っていったんじゃなかったけ?……どんどん奥に行こうとするのを泣いて止めたら泣くなって殴られて……。あ、なんかだんだん腹立ってきた……ってそうじゃなくて!)
九郎はぶるぶるっと首を左右にふった。
(由紀子ちゃんは、いつも僕を励ましてくれるし、見た目は華奢だけど、ほんとは芯のしっかりした子で、美人だけどそれを鼻にかけたことがなくて)
自分に言い聞かせて、九郎は彼女の顔を思い浮かべようとした。夜空に煌めく星々を結んで、幼 なじみの少女の姿を描こうと試みる。
黒く長い髪、黒い瞳、簡素な着物姿に、腰には白い前掛け。
「え?あ?あれ?」
想像の中で思い浮かべた姿は、幼なじみの彼女ではなく、鍛冶場にある溶鉱炉の前で鉄を叩く、気が強いけどすこし間抜けな鍛冶師の娘……。
『違うっ!』
頭の中で怒鳴り声が炸裂して、九郎は激しくまばたきした。星空に浮かんでいた面影が、由紀子と雪の二重映しになって、ふっと消える。
「……やれやれ」
九郎は、そう言って口元を緩めた。あの娘の笑顔を思い出すと、気持ちがたぎる。
見知らぬ世界に放り出された、混乱した心が、向かうべき方角を示されたように動き出す。
このまま、眠っている場合ではないと、体に力がみなぎり体を起こした。
「そうだ。せめて、方角とか……」
九郎は星空に詳しくない。都会育ちだ。けれど、いくつかの有名な星くらいはわかる。
白鳥座、夏の大三角形、それから北斗七星。それを頼りに方角を……。
「……さっぱりわかんない」
けれど、どれ一つとして九郎は見つけることができなかった。
「日本じゃないから、星空も違うんだよ……な。南半球なのかもしれないし」
正体のよくわからない、もやもやした不安を九郎はその一言で押し殺した。
思いつきそうになった自分のアイデアも、この事態を説明できそうな言葉も、九郎は同時に封じ込めたのだ。
意識した途端に、絶望してしまいそうで怖かったからである。
自分の頭上に広がる、この満天の星空は、あまりにも違いすぎないか。そもそもいくら緯度が違うといっても、天の川はどこにある?
さらに九郎が見逃していることが一つある。
月の表面に浮かぶ模様が、まったく違っていた。
「ふわあぁぁぁぁ」
急速に眠気が襲ってきたのは、それ以上に考えることを、無意識が拒否したからなのかもしれない。
「眠るんなら……せめて木に登った方がいいのかな」
九郎は、眠っている間に野獣に襲われる自分の姿を―――。
想像するのを、止めた。
だが彼が寄りかかっている木の枝は、九郎の体重を支えるのにはいかにも頼りない。
一応は試してみるべきか、迷いながら立ち上がった時。
ゾクリと、背中が震えた。
九郎は叫び声を上げて体を起こした。起き上がった。九郎の視界には見たこともない、広大な荒野だった。
(夢……か?)
九郎は起き上がって辺りを見回した。そこはまるで生き物の気配がない荒野。
(夢、なんてどうでもいいや……、それよりどこだ、ここは?)
上を見上げると、灼熱の太陽が九郎に容赦なく照りつける。
汗は流れ出すそばから蒸発してゆく。足下は赤い土。ところどころに岩が顔を出している。
あたりのまばらな草むらは、九郎の腰ほどの高さに伸びている。
遠くにぎざぎざした山並みと、それから森らしい影が見えている。他には何もない。いや、右手のほう、はるか先で何かが動いたような。
動物だろうか。ゆっくりと記憶を掘り返してみる。自分は確か、家に戻る途中ではなかったか。 ああ、そうだ、間違いない。思い出せるのは、夕方、家に戻る途中で本屋に向かったはずだ。それが一瞬で、どことも知れないところに放り出された?どこからかカチカチという音が聞こえる。それは自分の奥歯がぶつかり合っている音だった。
「落ち着け、みっともない」
その声は、奇妙なくらい冷静だった。まるで誰かが、九郎に叱咤するような……。
ともかく、声に出したおかげで、少しは動悸もおさまった。
ごくりと唾を呑みこみ、ゆっくりと立ち上がる。座っていた時と、風景は基本的には変化がない。
最初に気が付いたのは、太陽の位置が巻き戻っていることだった。気を失う前の記憶は夕方だったが、この太陽は中天をようやく過ぎたばかりにに見える。
(時間が戻るはずはないんだから……、つまり僕は丸一日近く寝てたってことか?)
九郎はそう考えた。時は戻らない。
そう考えた途端、なぜか痛みに似たものを胸の奥に感じた。理由のわからない、そんな思いを、九郎は首を左右に振って払い除けた。
「誰か……」
叫ぼうとして、口を閉じた。改めて周りを見渡す。陽光の強烈さ。植物の様子。土の色。空気の匂い。
どれもこれまで経験のないものに見える。ここは日本だろうか。もしそうでないとしたらアフリカかどこかだろうか。
「何を考えているんだ、僕は」
小声で呟いて、額を小突いた。
「何で僕を誘拐して、わざわざアフリカだかどっかに放り出さなきゃいけないんだよ」
もちろん、そんな理由はまるで思いつかない。だが理由がないからといって、今、自分が追かれている現実を否定できるものでもなかった。
「……あっつ」
九郎は上着を脱ぎ捨てた。真夏の気温だった。 そのくせ、湿気はさほどでもない?むしろ乾いている。やはり日本とは思えない気候だ。じゃあ、どこなのかと言われても、九郎には答えられない。
アフリカだと思ったのはテレビで見たサバンナの風景に似ていたからだが、そんなものがあてにならないのは、九郎自身もわかっている。
「あれもわかんない、これもわかんない、わかんない、わかんないか……っ!」
声が高まるとともに拳を振り上げて……。
「……やめとこ」
九郎は、ひょいと手をおろした。暴れようが泣き叫ぼうが、誰もなだめても助けてもくれないのだ。
「それに体力の無駄遣いをしている場合じゃないし」
九郎は、何度か深呼吸をして呟いた。自分でも驚くくらい、気持ちはクールだ。誰かが内側から支えてくれているような気がするくらいに。
冷静ではあるが、どうすればいいのかは、やはり思いつかない。
とにかく人を見つけたいのだが、どちらに行けばいいのだろう。
『どうやって、俺はここへ連れてこられた?』
脳裏に、そんな疑問が閃いた。そうかと、九郎は頷いた。
誰かと会話しているかのような自分に、九郎は気が付いていない。
地面は柔らかい。数歩、動いた足跡が残っている。
だから……。
「……なんの跡もないか」
ぐるっと見回してみたが、車のわだちの跡どころか、足跡も見つからなかった。
地面をこすって消した様子も見当たらない。
「いったい、どうやって……」
独り言が増えていることに気づいて、九郎は途中で口をつぐんだ。
(どうやって、僕を連れてきたんだろう)
考え込もうとしたら、また思考が閃いた。
(いや、どうせわからないことを、思い悩むのは後回しにしよう。行動するべきだ。まず、今、何ができるのかだが……所有物を確認しておくか)
「そういえば鞄も携帯も……、みんななくなってる……」
まわりを見回しても落ちてはいない。スラックスのポケットを探ってみるが、何もなかった。今度はさっき脱いだ上着のポケットをあらためてみる。
見つかったのは、駅前で受け取ったパチンコ屋の宣伝ティッシュと、二、三日洗っていないハンカチ、生徒手帳だけだった。
(これじゃあウーロン茶も買えない)
そう思ってから、自分の思考の間抜けさ加減に九郎は苦笑した。どこにも店や自販機などありはしないのだ。だが、そう思うほど、喉が渇いていた。これだけ汗を流せば当たり前のことだが。
(喉が渇いた……。水は……)
もちろん、ない。
九郎は、何か砂漠や荒野のサバイバルについてゲームで体験したり本で読んだことはなかっただろうかと思いめぐらせたが、何も思いつかなかった。
さっきまでの閃きも、もう囁いてくれない。
(とにかく、森のほうにいけば……)
そう思って、九郎は歩きはじめた。
日射病よけに、上着を頭にかぶり、ゆっくりと。
「……はぁ」
九郎がようやくため息をついたのは、日がとうとう完全に暮れてからだ。
泣き言を口にしてしまったら、ため息をついてしまったら終わりだと、それまでこらえてきたのだが、ついに限界だった。あたりは暗く、もう歩くこともおぼつかなかった。
いや、月は明るく、空には無数の星がある。暗さのせいより、疲労が重くのしかかっているのだ。まだ森には近づいていない。
たとえ泥水でも、雨水がたまったものでも、見つかればむさぼったろうが、何も見つからなかった。草をかじろうにも、かえって水分を吸い取られそうものばかり。
「……ちくしょう。だめかぁ……」
九郎は、ぽつんと荒野の真ん中に生えている小さな木の根元で、ガクンと砕けるように腰をおろした。野獣の襲撃があるかもしれないと思ったが、もう動けなかった。もうクタクタだ。
正確にどのくらいの時間を歩いたのかはわからないが、感覚的には半日以上歩き詰めだったような気がする。
直射日光に体力を消耗させられたせいでもあるだろうが、何より空腹と渇きがこたえた。九郎は、そのまま寝転がった。倒れ込んだ、というほうが正確か。
地面には、まだ陽光のぬくもりがいくらか残っている。
「いったい、何がどうなってるんだろうなぁ」
歩いている間、ずっと思考は堂々巡り(どうどうめぐり)を続けていた。考えたところで、手がかりが少なすぎて答えは出ない。
ここはどこなのか、誰が何の目的で、どんな手段で九郎を連れてきたのか。
「……どうでもいいや」
そのまま九郎は、寝転がったまま夜空を見上げた。
今はそんな疑問より、飢えや襲撃への恐怖より、そして、これからどうすればいいのかということよりも、九郎の頭の中で大きく広がっているのは、結局、今日も由紀子には電話できそうにないことを悔しがる気持ちだった。
「まったく、こんな時だっていうのに、僕ときたら……」
誰もいない孤独を紛らわせたくて、ことさらに大きな声で呟く。
だが―――。
(由紀子ちゃんに、もう一度会うまでは)
絶対に諦めない。
その気持ちが、こわばった背中を、痛みに苛まれる脚を、癒やす。
空には満天の星が輝いていた。九郎が見たこともないほどの無数の星だ。
(星かぁ……。そうだ、由紀子ちゃんと星を見た時も、自分がどこにいるのかわからない時だったな)
あれは、まだ小学校にあがる前だった。二つの家族がそろってキャンプに行って、バーベキューの夕食の途中だったように覚えている。
九郎と由紀子は、どういうわけか家族とはぐれて、森の中に迷い込んでしまったのだった。
帰り道がわからなくなったと気がついた瞬間、九郎は泣き出してしまった。
だが、由紀子は、同じようにぼろぼろと泣きながら九郎を励ましてくれた。
くじけそうになりながら、二人で支え合った。
そうだ。あの時、動かずに迎えを待とうと言ったのは九郎だったと思う。とても大きな根っこに抱かれて(いだかれて)、体を寄せ合って座って、星を見上げたのだ。
大きな木だったと思えたけれど、それは自分たちが子供だったからだろう。
(記憶は美化されるもんだから……)
本当は、今、寄りかかっているこの木と同じだったのかも知れない。
(だよな。記憶違いと言えば……あの時の由紀子ちゃん、なんか妙にウキウキしてたような……。そもそも、由紀ちゃんが森を探検しようって言い出して嫌がる僕を無理やり引っ張っていったんじゃなかったけ?……どんどん奥に行こうとするのを泣いて止めたら泣くなって殴られて……。あ、なんかだんだん腹立ってきた……ってそうじゃなくて!)
九郎はぶるぶるっと首を左右にふった。
(由紀子ちゃんは、いつも僕を励ましてくれるし、見た目は華奢だけど、ほんとは芯のしっかりした子で、美人だけどそれを鼻にかけたことがなくて)
自分に言い聞かせて、九郎は彼女の顔を思い浮かべようとした。夜空に煌めく星々を結んで、幼 なじみの少女の姿を描こうと試みる。
黒く長い髪、黒い瞳、簡素な着物姿に、腰には白い前掛け。
「え?あ?あれ?」
想像の中で思い浮かべた姿は、幼なじみの彼女ではなく、鍛冶場にある溶鉱炉の前で鉄を叩く、気が強いけどすこし間抜けな鍛冶師の娘……。
『違うっ!』
頭の中で怒鳴り声が炸裂して、九郎は激しくまばたきした。星空に浮かんでいた面影が、由紀子と雪の二重映しになって、ふっと消える。
「……やれやれ」
九郎は、そう言って口元を緩めた。あの娘の笑顔を思い出すと、気持ちがたぎる。
見知らぬ世界に放り出された、混乱した心が、向かうべき方角を示されたように動き出す。
このまま、眠っている場合ではないと、体に力がみなぎり体を起こした。
「そうだ。せめて、方角とか……」
九郎は星空に詳しくない。都会育ちだ。けれど、いくつかの有名な星くらいはわかる。
白鳥座、夏の大三角形、それから北斗七星。それを頼りに方角を……。
「……さっぱりわかんない」
けれど、どれ一つとして九郎は見つけることができなかった。
「日本じゃないから、星空も違うんだよ……な。南半球なのかもしれないし」
正体のよくわからない、もやもやした不安を九郎はその一言で押し殺した。
思いつきそうになった自分のアイデアも、この事態を説明できそうな言葉も、九郎は同時に封じ込めたのだ。
意識した途端に、絶望してしまいそうで怖かったからである。
自分の頭上に広がる、この満天の星空は、あまりにも違いすぎないか。そもそもいくら緯度が違うといっても、天の川はどこにある?
さらに九郎が見逃していることが一つある。
月の表面に浮かぶ模様が、まったく違っていた。
「ふわあぁぁぁぁ」
急速に眠気が襲ってきたのは、それ以上に考えることを、無意識が拒否したからなのかもしれない。
「眠るんなら……せめて木に登った方がいいのかな」
九郎は、眠っている間に野獣に襲われる自分の姿を―――。
想像するのを、止めた。
だが彼が寄りかかっている木の枝は、九郎の体重を支えるのにはいかにも頼りない。
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