幻冬のルナパーク

呼び捨て

「はい絵海、運転お疲れさま」


私は初めて彼女の名前を呼び捨てにした。声が生まれたばかりの子ヤギのように震えた。


「ありがとう」彼女が目を開けてにっこり笑って私を見た。私はうまく吸えない息をなんとか吸い込みながら笑顔を返した。

絵海がジュースを一口飲んで、美味しいねとつぶやく。私も緊張をごまかすようにジュースを飲んだ。

冷やしたブドウをそのまま搾ったような爽やかな味だった。毎日こんなに心が満ち足りて、笑顔が自然にこぼれるような日々だったらどんなに人生に満足するだろうと思った。


昼食を食べて少し休んでから、また出発した。

高速を降りて下道をしばらく走ると、保育園や葬式ホールがぽつぽつと並んでいる以外、田んぼと古い家しか見当たらなくなった。

水田では夏の日差しをふんだんに浴びた稲の葉が、風にそよいで整備された草原のように揺れていた。


「ほら、あの左側に見えるのがうちよ」


　絵海が指した先には年季の入った木造の二階建ての一軒家があった。家は道路に面してコンクリートの塀があり、
その内側の小さな庭にはつつじやアジサイが植えられていた。家の横には庭のような細長いスペースがあり、絵海はそこの奥に車を入れた。隣は田んぼになっていて、家との境目に垣根が一列に植えられていた。


「まあ古い家だけど、どうぞ」そう言って絵海が車から降り、私も後に続いた。


　その時庭に面した家の縁側から、髪の長い若い女性が出てきた。


「お姉ちゃん、よく来たね」


　絵海よりも背が高いが、よく似た大きな目が印象的な女性だった。


「あ、あなたがお姉ちゃんの話してた玲ちゃんだね。今村早苗です。よろしくね」


早苗が絵海とそっくりな笑顔で言い、私も挨拶を返した。