魔法使いと皇の剣

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4章 波乱

崩れた街並み

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 激しくうごめく騎士たちの混乱の中、アーベンは 冷静にその光景を見つめていた。

 周囲の護衛たちは慌ただしく動き回り、避難の準備に追われていたが、彼だけは 何が起きているのかを理解しようとしていた。

 馬に跨ろうとしたその瞬間——異変が訪れる。

 暗雲が、オーデントの空を覆い尽くした。

 空の青さは一瞬で奪われ、黒く濁った雲が不吉な影を落とす。
 そして、その暗雲の狭間から 異形の眷属たちが次々と舞い降りてきた。

 ——病の神アスケラの眷属、ゲルグ。

 彼らは 鋭い嘴と人間のような手を持ち、大の大人を軽々と押し潰せる異形の翼を広げながら、まるで死の使者のように街へ降り立っていく。


「何故だ……?」

 アーベンは ただ驚愕するだけの騎士たちとは違った。

 思考を巡らせ、彼らが どのようにオーデントへと到達したのか を考える。

 ベイルガルドの眷属がここへ来るには、二つのルートしかない。

 ——ガルド山と腐敗の森を越えるか、オステリィアを通過するか。

 だが、前者は 腐敗の神のセイクリッドランドが阻む。
 後者は オステリィアが通行を許さねば不可能なはず。

 どちらの可能性も低い。

 だとすれば——答えは一つしかない。

「……この地が、病の神のセイクリッドランドに変わったのか」

 アーベンの胸に、確信が広がる。

 オーデントはすでに終わっている。

 それを認識した瞬間、彼の決断は決まっていた。

「国を出る。」

 生き延びることこそが、彼にとって最優先だった。

 騎士たちに命じ、馬を走らせようとした——その時。

「……これは」

 街に出たアーベンは、その光景にわずかに目を見開いた。

 かつてのオーデントの誇り高い街並みは、今や 崩れ落ち、悪臭に満ち、死体が積み重なる屍の都と化していた。

 あちこちに 雑に引き裂かれた遺体が転がり、
 ある者は 病の魔法に冒され、苦悶の表情を浮かべたまま倒れている。
 皮膚がただれ、もはや誰なのか判別すらできない死者たち。

 そして——その 惨劇の張本人 であろう 二体のゲルグ が、街の中央にいた。

 ゲルグたちは 逃げ惑う女を押し潰し、鋭い嘴で肉を引き裂いていた。

 女性の 絶望的な悲鳴 が響く。

 その光景を目の当たりにした騎士の一人が、アーベンを振り返った。

 その瞳には 怒りと、決意と、期待が宿っていた。

(命令を、か……)

 アーベンは逡巡した。

 ここで 素通りするのが最も合理的な判断 だ。
 だが——もしここで見捨てたとすれば、オーデントを出たあと、この騎士たちの裏切りに遭う可能性がある。

「……仕方ないね」

 瞬時に結論を出し、アーベンは口元に薄く笑みを浮かべると、騎士たちに向き直った。

「見捨てて逃げるわけにはいかないね……」

 ため息混じりにそう呟き、 芝居がかった調子 で続けた。

「皆、すまない。私は民を捨てて逃げるわけにはいかない。共に戦ってくれるか?」

 騎士たちの顔に、迷いはなかった。

 彼らの瞳が 燃え上がるように光る。

「オーデントのために!」

 歓声と共に、騎士たちは一斉に剣を抜いた。

 アーベンは内心で 毒づきながらも、 わずかに苦笑し、彼らに頷く。

「……ならば、行こうか」

 剣を抜く。

「民を救え! オーデントの騎士よ!」

 その号令と共に、彼らはゲルグに駆けた。


 アーベンは、騎士たちの後方から手綱を引き、状況を見守っていた。
 その視線は冷静でありながらも、戦場の熱気と絶望を見逃さぬよう研ぎ澄まされていた。

 前方では、翼を大きく広げたゲルグが空へと舞い上がり、突撃してきた騎士たちを軽々とかわす。

 地上へと急降下すれば、彼の鋭利な脚と異形の腕が容赦なく兵たちを蹴散らしてゆく。

 さらに上空で魔法の詠唱に入ったその姿を見て、数人の騎士が即座に弓へと切り替え、矢を射った。

 鋭く放たれた矢は、確かにゲルグの肉体に突き刺さった。だが、それは巨大な眷属の動きを止めるには到底足りなかった。

 ゲルグは煩わしげに身を揺らすと、そのまま禍々しい魔法を放ち、無数の騎士たちを病と死の淵へと叩き込んだ。

 馬ごと倒れ伏す兵士たちは、もう人ではなかった者のように呻きながら地に崩れ落ちた。

 アーベンはその惨状を見据えながら、なおも思考を止めなかった。
 だが、ついに彼の存在に気づいたゲルグの一体が、空より声を放つ。

「忌まわしきオーデントの王子! 偽りの家系! アーベン・オーデント!」

 アーベンは顔を上げ、空に浮かぶその眷属を睨みつけた。

「名を叫ばれずとも、私は自分が誰かなのかは知っている。アスケラの眷属よ」

 ゲルグはその返答をあざけるように笑い、

「神を冒涜し、呪われし歪みを生んだ一族。貴様にはただの死では足りぬ。絶望と断罪が必要だ」

 アーベンは騎士たちの数を確認する。元は七十名を超えていた精鋭の護衛も、今では指折り数えるほどにまで減っていた。


 数名の騎士が彼を守ろうと必死に駆け寄ろうとしていたが、その努力すら無残に潰えようとしている。

(……このままでは、共に死ぬだけだ)

 即座に判断したアーベンは、意を決して馬の腹を蹴った。進路は城門――すなわち脱出路。
 自らの命だけは守り抜く。それが今、残された唯一の選択肢だった。

 空からその行動を見たゲルグは、思わぬ反応に一瞬動きを止めた。

「……逃げる、だと?」

 王族たる者が、自らの運命に抗うのではなく、恥も外聞もなく逃げ出すなど想定の外だったのだろう。

 アーベンは振り返ることもなく、馬を走らせる。
 悲鳴、断末魔、建物の崩壊音……それらすべてを背に、ただ前だけを見つめて。

 だが、その行動が許されるほど現実は甘くなかった。

 前方から逃げ惑う民の目が、恐怖に染まりながらアーベンの背後を指していた。

(……来たか)

 風を切る翼の音、地を揺らすほどの気配が背後に迫る。

「チッ!」

 その瞬間、何かが進路を塞ぐように放り投げられた。
 騎士の遺体だった。

 馬は本能的に驚き、急停止する。アーベンは反射的に馬から飛び降りた。

 刹那、頭上から迫る影が視界を覆う。
 巨大な翼と鋭利な脚が、先程まで彼が乗っていた馬の身体を無惨に引き裂いた。

 アーベンは地を転がりながらも、すかさず剣を抜き、迫る死に抗おうと立ち上がる。
 だが、眷属の巨躯と圧倒的な力を前に、勝機はほとんどなかった。

 その時だった。

 轟音——風を切る矢の音が空を裂いた。

 次の瞬間、ゲルグの片翼が引きちぎられ、彼の身体が傾ぐ。

 続く第二射。雷鳴のような音と共に、巨大な矢が眷属の頭部を貫き、血飛沫と共に地へ叩き落とした。

 アーベンは唖然としながら、矢が飛んできた方角を振り向く。

 そこにいたのは、蒼き鱗を纏った竜族——神の眷属、アイリーン。

 彼女は精緻な構えで弓を引き、堂々たる姿でそこに立っていた。

(なぜ……彼女が?)

 かつて自らが排除を命じた存在。神の眷属である彼女が、なぜ今この瞬間、自分を救ったのか。

 理解が追いつかぬまま、アーベンが目を見開いていると、鋭い声が響いた。

「王子様! 走りなさい!」

 その一喝に、アーベンはハッとし、再び足に力を込めて走り出した。

 ——背後に残る問いと矛盾を振り切りながら。
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