魔法使いと皇の剣

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4章 波乱

決意

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 黒雲が垂れ込め、病と死の気配に包まれた戦場を、ミエラはただ前を見据えて馬を走らせていた。

 その背に続くのは、かつて自らの進軍を阻もうとした王子レグラス。そして彼に従う仲間たち。
 彼らもまた、オーデントに襲いかかる異変の只中で民を救うべく、その志を共にし、馬蹄を響かせていた。

 戦場は混沌を極めていた。
 オーデントの兵は二手に割れ、一方はホイスタリンの残党を相手に応戦し、もう一方は突如発生した“異常”へ向けて奔走していた。
 それは、病の神の顕現ともいえる禍々しき力。腐敗の霧を纏い、あらゆる命を蝕む神の眷属たちの襲来だった。

 その光景に、レグラスの側近であるブランが声を荒げる。

「くそっ……! ホイスタリンと、病の神アスケラの眷属が手を結んだのか!?」

 その問いに、レグラスはわずかに眉を寄せながらも、冷静に応じた。

「……まだ断定はできん。だが確かなのは、彼らが共にオーデントを滅ぼそうとしていること。急ぐぞ、ミエラ!」

 オーデントの城壁が視界に入り始めたその時、ミエラは身体の芯を刺すような異様な感覚に襲われた。
 鼓膜を震わせる耳鳴りのように、見えぬ“結界”の存在が肌を刺す。彼女は振り返らずに口を開いた。

「オーデントは……すでに病の神のセイクリッドランドに変貌しています。あの結界と同質のものです……アルベストを包むそれと」

 その言葉に、ボルボがうめくように叫ぶ。


「おいおい……! そんな場所が国の中にできたら、生き残れる奴なんているのか? それに、俺たちも……巻き込まれるんじゃねぇのか?」

 ミエラは言葉を返せなかった。
 彼の言うとおりだ。あの異様な空気の中にいるだけでも正気を失いかける。
 それでも——彼女の胸中には、たった一人の仲間の顔が浮かんでいた。

(アイリーン……どうか、無事でいて)

 その祈りを胸に、ミエラは馬をさらに駆った。
 そのとき、進路を遮るようにして数体のグールが現れる。ミエラは即座に魔力を収束させ、力を解き放った。

 大地が軋み、グールたちの足元から現れた巨腕が彼らを弾き飛ばし、続けざまに地面へと叩きつける。
 まるで大地そのものが敵を拒絶するかのように、戦場の一角に嵐のような静寂が訪れた。

 その光景に目を見開く騎士たちの中から、一人の男が剣を抜き、叫んだ。

「止まれ! 騎士の紋章なき者よ、ここは戦場だ! いかなる理由でオーデントへ向かう!?」

 周囲の騎士たちも同様に警戒の目を向けるが、その緊張を一喝で打ち破ったのは、レグラスの凛然たる声だった。

「我が名はレグラス・オーデント! 先王バンベルグの第二子にして、現王ケイオス殿下の兄!」

 一瞬、空気が止まり——次の瞬間、騎士たちの間にどよめきが広がった。

「れ、レグラス王子……!?」

「ご無礼を!」

 誰もが信じがたい目でレグラスを見つめていたが、その威容と声は疑いようもなく“王家の血”だった。

 一部の騎士は膝をつき、武器を掲げてその帰還を称えた。

 レグラスは静かに、だが強く言い放った。

「今こそオーデントは最大の危機に瀕している。私はこの国を救うために戻ったのだ。誇り高き騎士たちよ、道を開けよ!」

 その言葉に、騎士たちは歓声を上げて左右に道を拓いた。

「ホイスタリンの残兵を国に入れるな! 誇りある剣で敵を断ち、慈愛の盾で民を守れ!」

 レグラスの命に、騎士たちは剣を掲げて叫んだ。

「オーデントのために! ケイオス殿下のために! そして——レグラス王子のために!」

 その声は、まるで国の命脈を取り戻すかのように戦場に響き渡る。
 彼の帰還は騎士たちの心に再び火を灯したのだ。

 レグラスはその光景を一瞥すると、ミエラに向かって力強く頷いた。

 ミエラは言葉なくそれに応じ、振り返らずに馬を走らせる。
 目指すは、今まさに病に蝕まれようとしている、かつての美しきオーデントの城下町。

 背後には、いまだ続く戦の怒声と、遠く響く悲鳴——
 けれど彼女の心は、今やただ一つの希望を求めてまっすぐに進んでいた。


 オーデントの城下町に踏み込んだ瞬間、ミエラは馬を止め、言葉を失った。

 あの賑わいと華やかさに満ちていた街は、もはや原型をとどめていなかった。
 石畳の路地には多くの人々が倒れ、響き渡るのは助けを求める叫び声と、崩れ落ちる建物の重苦しい轟音。
 空を覆っていたのは晴天ではなく、まるで天が怒りと共に吐き出したような重く淀んだ灰色の雲だった。

 上空では、病の神の眷属――異形の翼を広げたゲルグたちが羽ばたき、咆哮を上げながら騎士たちと死闘を繰り広げている。
 魔法と血飛沫が交錯するなか、オーデントの城下町は戦場そのものとなっていた。

 その光景に一瞬視線を奪われたミエラは、すぐに我に返ると手綱を引き、盗賊団のアジトがあった区画へと馬を駆けさせようとした。

「待て、どこへ行くつもりだ!?」

 レグラスの声が背後から飛んできた。

 振り返りもせずにミエラは返す。

「どこ…? アイリーンのもとです! 盗賊のアジト!」

 怒気を滲ませるように言い放つミエラに、レグラスは一瞬言葉を詰まらせ、それでも言いかけた。

「だが、まずは城を目指すべきだ……いや、それより避難民の誘導が先か……騎士たちと連携して……」

 焦燥と迷いがその声音に滲んでいた。

 ミエラはその様子に気づく。
 ――レグラスは本来、ここに来るはずではなかったのだ。
 アイリーンを救うという明確な目的を持つ自分とは異なり、レグラスには“この惨劇の中で何をすべきか”という判断軸が未だに定まっていない。

 だからこそ、視界に映る全てが重くのしかかっているのだろう。

 ミエラは、穏やかだが強い意志を込めて言葉を返した。

「レグラス様は、ご自身の使命を全うしてください。私は――アイリーンを救いに行きます」

 その瞬間、レグラスが何かを返そうとしたが、それを遮るようにボルボが割って入った。

「ここで言い争ってる時間はねぇ! 嬢ちゃんには俺がついてく。レグラス、お前はお前のやるべきことをやれ。今この時も、民が危険に晒されてる」

 その一言に、レグラスはハッとしたように街中から響いてくる悲鳴へと目を向けた。そして――決意を固めたように、強く言い放つ。

「民を助けながら城を目指す! だが優先すべきは民の命だ。もし城への道が塞がれているのならば、民と共に退く!」

 その言葉に従者たちも力強く頷き、即座に行動を開始する。

 レグラスは最後にもう一度ミエラを見据えた。
 その瞳には、運命の糸を確かに見定めた者の静かな決意が宿っていた。

「ここが我らの別れではないと、運命が示している。……だからこそ、行け。死ぬなよ、ミエラ」

 その言葉に、思わず顔を背けようとしたミエラだったが、やがて頷き、短く、しかし確かな声で応えた。

「レグラス様も、どうかご武運を」

 そのままミエラは、ボルボと共に馬を駆けさせ、瓦礫に満ちた城下を走り抜けていく。

 背後では、剣を掲げて奮戦する騎士たちの叫び声が、なおも燃えさかる戦火の中にこだましていた。
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