魔法使いと皇の剣

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4章 波乱

病の眷属

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 ロスティンの短刀が静かにジャズの首筋をなぞるように当てられ、冷たい刃がその肌に食い込んでいた。しかし、ジャズは恐れるどころか、まるで愉悦に浸るような笑みを浮かべている。

 ジンはそんなジャズをただ黙って見ていた。
 彼は、つい先ほどまでの惨劇を目の当たりにしたばかりだ。
 かつて《梟の夜会》を束ねていた男、エース—— 自身の父親 を下僕へと貶め、その命が無残に絶たれる様子を まるで退屈な芝居でも見るかのように 眺めていたこの男を、ただ冷静に見据えていた。

 ロスティンが短く吐き捨てる。

「さて、こいつはどうする? 少なくとも俺は、生かしておいても良いことにはならないと思うが?」

 ジャズはその言葉に皮肉げな笑みを深め、ロスティンを見返した。

「お前のために、大事な親父様を捧げたってのに、ずいぶん冷たいな?」

 ロスティンは一瞬、目を伏せるようにしたが、すぐに冷え切った声で返す。

「……そうかい」

 彼の握る短刀がわずかに沈み込む。ジャズの肌をかすかに裂いたが、それでもジャズの表情は変わらなかった。

 ジンはその様子を見ながら、特に口を挟むことはしなかった。
 この場での 命のやり取りに保証などない。
 ロスティンが殺すと決めるなら、それもまた仕方のないことだった。

 しかし—— その瞬間 だった。

 突如として、照りつけていた日の光が翳る。

 不吉な暗雲が、まるで 何かが目覚める予兆のように 空を覆い尽くしていく。
 ジンは反射的に視線を上げた。


「……なんだ?」

 先ほどまで快晴だったはずの空が、一瞬にして濁った雲に包まれた。
 それはただの天候の変化ではない。
 空気が変わったのだ。

 ロスティンも異変を感じ取り、険しい顔で空を見上げる。

「……おいおい、なんだぁ? この雲は……」

 ただの曇りではない。
 まるで 天が何かに蝕まれていくかのような異質な重み を帯びた雲。
 肌にまとわりつくような 圧迫感。
 —— "何か" が始まろうとしている。

 そんな中、ジャズだけは異変に驚くどころか、 歓喜 に満ちた表情へと変わっていた。

 彼は目を見開き、まるで 待ち望んでいた瞬間が訪れたかのように 高らかに笑う。

「……ああ、やっと来たか……! あぁ……これで、つまらねぇ日々ともおさらばだ!」

 ジンとロスティンは、同時にジャズに視線を向けた。

 ロスティンはすぐに短刀をジャズの喉元に深く押し当てる。

「嬉しそうだな? ……知ってることがあるなら、話してもらおうか?」

 だが、ジャズの笑みは消えない。
 むしろ ロスティンの刃が首に食い込んでいることすら愉しんでいるような表情 だった。

「知ってるさ……だが、教えてやる義理はねぇな」

 ロスティンは、そのまま低い声で告げる。

「……お前の首と引き換えなら、どうだ?」

 ジャズの笑い声が、今度は 純粋な嗤い へと変わった。

「ははっ、やれるもんならやってみろよ。"それ" で、すべてが止められると思うならな」

 ジンとロスティンは、その言葉の意味を測りかねながらも、静かに雲を見上げた。

 雲の裂け目から、異形の鳥が舞い降りてくるのが見えた。最初は一羽、そしてそれは瞬く間に増え、オーデントの街全体に広がっていった。

「……鳥か?」

 ジンは微かに呟いた。
 だが、それはただの鳥ではないことは一目で分かった。

 大の大人の背丈を優に超える巨躯。
 長く捻じれた首と、黒く不気味に輝く瞳。
 翼とは別に、人間のような腕を持ち、爪が鋭く輝いている。

 それらは、迷いなくオーデントに飛来し、そして そのうちの一羽がまっすぐこちらへ向かってきた。

「向かってくる……!」

 ジンが低く呟く。隣にいたロスティンもまた、驚愕したようにその光景を見上げていた。

「くそっ……! こういうことだったのかよ……」

 ジャズに注意を払っていたロスティンが、思わずそちらに意識を向けてしまう。
 ジンも慌ててジャズを見たが、逃げるでもなく、攻撃するでもなく、ジャズは 余裕の表情のまま、それを待っていた。

 街の至る所に異形の鳥たちが降り立ち、そして ついにジンたちの前にもその姿を現した。

 黒い翼を広げた鳥は、ジンたちを見下ろした後、ジャズに視線を向け、低い声で何かを呟いた。
 それは 古代語 だった。

 ジンはそれでようやく理解した。

(……こいつは、眷属 か。)

 だが、ジャズの様子がおかしい。
 異形の鳥に話しかけられたジャズは、どこか 恥じるような表情 を浮かべながら、うつむいた。

「俺は……自分を忘れてた……魔法で使う古代語しか分からない……」

 その言葉には、明確な 屈辱の色 が滲んでいた。鳥は首をかしげるような仕草を見せた後、低く響く声で尋ねる。

「お前は何だ?」

 ジャズはビクリと身体を震わせ、叫ぶように答えた。

「俺はジャズ! 吸血鬼だ! アスケラ様の眷属の!」

 しかし、その答えを聞いた異形の鳥は、静かに呟いた。

「……人の名がついている吸血鬼など知らぬ。 だから問うたのだ。お前は何だ?」

 周囲に緊張が走る。

 ジンはそのやり取りの意味を掴めず、ジャズを見た。ジャズの顔には、はっきりと 焦り が浮かんでいる。

「……人に育てられた。だが、真の王が……! 奴がアスケラ様が俺を必要としていると! そして望む形になれば元の吸血鬼になれると! アスケラ様への誓いで! その誓いで俺は——」

 必死に叫ぶジャズ。しかし——

「知らぬ。」

 鳥は、冷たく、それだけを言い放った。

 ジャズの顔から 血の気が引いた。
 口を開いたまま、呆然とするジャズに、鳥は静かに告げる。

「だが、お前は確かに眷属である。吸血鬼。しかし……別の血が入っている。 別と交わり生まれた者は、信仰が薄れる。お前は、まことの眷属か?」

 ジャズは 歓喜に満ちた表情 で頷いた。
 その瞬間、鳥は 再び冷たい声で問いかける。

「ならば、お前と共にいる者たちは 敵か?」

 ジャズの唇が、ゆっくりと歪んだ。
 冷酷な笑みを浮かべ、頷く。

 ジンの指先が、微かに震えた。

(……まずい。)

 鳥が翼を大きく広げる。
 ——その時だった。

「貴方は、病の神アスケラ様の眷属であられますか?」

 ジンの問いに、鳥は攻撃の動きを止めた。

「……そうだ。我らは ゲルグ。アスケラ様の眷属。」

 ジンは膝をつき、一礼する。

 ロスティンとジャズは 訝しげにジンを見た。

「私はジンと申します。アスケラ様にお目通りしたく——」

 しかし、ゲルグはジンの刀へと視線を向け、淡々と言った。

「神の力を持っている。強い力。 既に神との繋がりがある者が、何故アスケラ様を望む?」

 ジンは、一瞬迷ったが、意を決して言葉を紡ぐ。

「私はゴリョウ大陸よりこの地を訪れました。我が国では今、大陸を越え、アスケラ様を信仰される方々の "神の肉" の脅威に晒されています。その訳をお聞きしたく参りました。」

 ジンの言葉に、ゲルグは 感情なく 答えた。

「知らぬ。 我ら眷属は、アスケラ様と共にある。大陸を越え、興味もないお前たちの土地へ行くことなどない。」

 ジンは思わず目を見開いた。

(……こいつらは、本当に何も知らないのか?)

 それとも "知らされていない" のか?
 ジンが思案していると、ゲルグは冷たく告げた。

「その問いの解を求め、アスケラ様に会うことは認めぬ。去れ。お前の居場所ではない。」

 ジンは奥歯を噛み締めた。
 だが、ここでこれ以上食い下がれば、確実に敵とみなされる。

「……お答え、感謝いたします。」

 そう言い、立ち去ろうとした時だった。

「止まれ。」

 ジンとロスティンは振り向いた。

 ゲルグは、翼を広げながら 鋭い視線をロスティンに向ける。

「神の力を持つ者だけだ。」

「……俺はどうなる?」

 ロスティンの問いに、ゲルグは 冷淡に言い放った。

「神への愚行の代償となる。」

 ジンは静かにロスティンを見つめる。
 ロスティンも、真剣な眼差しを返した。

 ジンは ゆっくりとため息をつき、低く告げた。

「……申し訳ございません。この者は 私の連れ となります。どうか、共にこの場を去ることをお許しいただけないでしょうか?」

 しかし、ゲルグの答えは 冷酷だった。

「ならぬ。」

「オーデントは、病を受けなければならぬ。」


 その言葉に呼応するように、オーデントの街の至る所で 悲鳴と建物の崩れる音 が響き渡った。

 人のいなくなったはずのこの区画にまで、絶望の残響 は押し寄せてくる。

 ロスティンは舌打ちし、諦めたように呟いた。

「……結局は奪われる側から変わらないか」

 その声には 疲労と虚無が滲んでいた。

 彼はちらりとジンを見やり、 "行けよ" と目で合図した。
 ロスティンの言う通りだ。

 目的を優先するべきだ。

 ——だが。

 ジンは目を閉じ、聞こえてくる叫び声に耳を澄ませた。

 神により、人々が蹂躙され、病に侵され、命を喰われる音。

 指先が、ゆっくりと刀の柄を握りしめる。
 目を開くと、鋭い光がその奥に宿っていた。

「……ジン?」

 ロスティンの戸惑いをよそに、ジンは静かに刀を抜いた。

 その鋭い煌めきに、ゲルグはゆっくりと翼を広げる。

 甲高い咆哮が轟いた。

 まるで 大気そのものを震わせるかのような叫び声 が響き、ジンの鼓膜を揺らす。
 ロスティンとジャズは反射的に耳を塞ぐ。

 だが、ジンは動じなかった。

 目を伏せ、一度深く息を吸う。
 そして、まっすぐに "審判を下す者" を見据えた。

 ゲルグの瞳が、僅かに細められる。

「……裁きを。」

 その一言が 決戦の幕開けを告げた。

 ジンは 葛藤を胸の奥に沈め、ただ戦う者の心 だけをそこに残した。
 ジンの刀が、風を裂き、戦場の空気を変えた。
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