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5章 運命
ミュリエル
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教会の高窓から差し込む夕暮れの光が、長椅子や石の柱を橙色に染め、空気に静寂と敬虔な重みを与えていた。アーベンはその柔らかな光の中、ひとり椅子に腰かけ、静かに窓の外に沈む陽を眺めていた。まるで、過去と向き合うように。
やがて、重く錆びついた扉が軋み、堂内に二人の影が差し込む。ひとりは、威厳を湛えた短髪の中年――ミュリエル・エタハル。常に眉間に皺を寄せたその表情は、重圧と責務を刻んできた証。もう一人は、若く整った顔立ちに父の面影を宿す青年――サラサル・エタハルであった。
ミュリエルは無言でアーベンの隣に腰をおろし、息子は一歩下がった長椅子に静かに座った。あまりにも自然な仕草に、旧友との再会を思わせる気配すら漂っていた。
「お待たせして、申し訳ない。殿下。」
その一言に、アーベンは微かに口元を歪め、乾いた笑みを浮かべた。
「構わないさ。むしろ、来てくれたことに礼を言う。……だが、“殿下”はもう過ぎた称号だ。今の私は、ただの亡国の者に過ぎないよ、閣下。」
その言葉に対し、ミュリエルは表情を変えず、無機質に続けた。
「ご友人から、ある程度の事情は伺いました。旅のための物資や金銭の提供、そして少しばかりの対話を希望していると。……正気の沙汰とは思えませんな。」
後方から、サラサルの呆れたようなため息が漏れる。その空気を受けながらも、アーベンは動じず、むしろ薄笑みを深めていた。
「その通りだ。だが、私の願いはそれだけだよ。」
ミュリエルは眉をひそめ、椅子に深く背を預けてから言葉を継いだ。
「オーデント家は滅び、ケンニグの血を引く正統の王、サイスル殿下が即位された。彼はベイルガルドの災厄を鎮め、今や慈愛の加護をこの国にもたらしておられる。民の目には、それはまさしく“救い”として映っているのです。」
「……その慈愛の加護の影で、いったいどれだけの命が奪われたか、耳にされておりますか?」
アーベンの問いは、冷たく冷静なものだった。
ミュリエルは沈黙ののち、曖昧に首を横に振った。
「私は現場を直接見たわけではありません。公式には、“先王ハンベルグ殿が招いた災厄”と伝えられています。とはいえ、民の間では……貴方の見解もまた噂として広まっている。」
アーベンは静かに目を伏せた。そして、ふたたびミュリエルに問いかける。
「それを踏まえた上で……あなたは何故、忠誠を変えた? オーデントが崩れる以前から、事の成り行きを予見していたのだろう?」
ミュリエルはゆっくりと息を吐き、わずかに首を振った。
「いえ、あのような結末になるとは知りませんでした。ですが、私は“もしもの時”に備えて、既にサイスル殿下に忠誠を誓っておりました。……それは私だけではなく、多くの者が。」
その言葉の裏に、現実主義と生存の知恵がにじむ。ミュリエルはさらに続けた。
「ケイオス殿下は、優れた指導者でありました。ですが、その治世は王都の繁栄を謳う一方で、地方は信仰者狩りと戦の備えによって疲弊していた。限界は、確かにあったのです。」
アーベンはその言葉を聞き、何も言わずに小さく頷いた。
「……確かに、ケイオスのやり方がすべて正しかったとは私も思わない。だが、ベイルガルドのやり口を正当化できるものではない。神罰という名を借りて、ただの虐殺を行ったに過ぎない。」
ミュリエルの目が細まり、静かに、重く語る。
「ええ。彼の国が正義などとは思っていません。しかし、それでも――アーベン殿、私は貴方に王となってほしかった。民を導くのに必要なのは、理想ではなく現実を知る者です。」
アーベンは、皮肉ともつかぬ笑みを浮かべながら、肩をすくめた。
「よく言われたよ。だが、誰が王になろうと同じことさ。方向性が変わるだけで、状況が良くなるとは限らない。私のような者に期待しても、結局は破綻する。」
ミュリエルは静かに頷きながらも、視線を外さず告げた。
「だからこそ…貴方のような者に託したかった。」
そして、もう一つの問いが発せられた。
「…アーベン殿。何故、今さらこの街に現れたのですか? 何を望んでここに?」
アーベンは答える。
「確かめたかったのだ。あなたがどちらに忠誠を誓っていたのか、そして今、何を選ぼうとしているのか。」
ミュリエルは重く首を振った。
「私はどちらが勝とうが構いませんでした。だからこそ…両者に忠誠を誓った。オーデントにも真なる王にも」
それにアーベンは微笑んだ。
「それもまた正解だろうね。」
沈黙の中、ミュリエルは椅子を立ち、淡々と告げた。
「…物資と幾ばくかの金を、ドーユンを通じて届けさせましょう。かつて仕えた王家への、せめてもの情けです。ですが覚えておいてください。もし再びこの街に現れたなら――私は貴方を捕らえ、サイスル殿下に差し出します。」
アーベンはそれを素直に受け取り、深く頭を下げた。
「感謝するよ。閣下。」
しかし、ミュリエルの眼差しはすでに冷えていた。
最後に、呼び名ではっきりと線を引く。
「残念でした。アーベン・オーデント。」
その言葉には、過去への別れと現在の立場を明確にする意志が込められていた。
父を促し、サラサルが立ち上がる。二人の背中が教会の扉へと消えていくのを、アーベンは黙って見送った。
誰もいなくなった教会。闇が静かに堂内を満たす中で、アーベンはわずかに笑みを漏らした。
(やはり……勝つ方に仕える。それが貴族というものさ。変わらんな)
やがて、重く錆びついた扉が軋み、堂内に二人の影が差し込む。ひとりは、威厳を湛えた短髪の中年――ミュリエル・エタハル。常に眉間に皺を寄せたその表情は、重圧と責務を刻んできた証。もう一人は、若く整った顔立ちに父の面影を宿す青年――サラサル・エタハルであった。
ミュリエルは無言でアーベンの隣に腰をおろし、息子は一歩下がった長椅子に静かに座った。あまりにも自然な仕草に、旧友との再会を思わせる気配すら漂っていた。
「お待たせして、申し訳ない。殿下。」
その一言に、アーベンは微かに口元を歪め、乾いた笑みを浮かべた。
「構わないさ。むしろ、来てくれたことに礼を言う。……だが、“殿下”はもう過ぎた称号だ。今の私は、ただの亡国の者に過ぎないよ、閣下。」
その言葉に対し、ミュリエルは表情を変えず、無機質に続けた。
「ご友人から、ある程度の事情は伺いました。旅のための物資や金銭の提供、そして少しばかりの対話を希望していると。……正気の沙汰とは思えませんな。」
後方から、サラサルの呆れたようなため息が漏れる。その空気を受けながらも、アーベンは動じず、むしろ薄笑みを深めていた。
「その通りだ。だが、私の願いはそれだけだよ。」
ミュリエルは眉をひそめ、椅子に深く背を預けてから言葉を継いだ。
「オーデント家は滅び、ケンニグの血を引く正統の王、サイスル殿下が即位された。彼はベイルガルドの災厄を鎮め、今や慈愛の加護をこの国にもたらしておられる。民の目には、それはまさしく“救い”として映っているのです。」
「……その慈愛の加護の影で、いったいどれだけの命が奪われたか、耳にされておりますか?」
アーベンの問いは、冷たく冷静なものだった。
ミュリエルは沈黙ののち、曖昧に首を横に振った。
「私は現場を直接見たわけではありません。公式には、“先王ハンベルグ殿が招いた災厄”と伝えられています。とはいえ、民の間では……貴方の見解もまた噂として広まっている。」
アーベンは静かに目を伏せた。そして、ふたたびミュリエルに問いかける。
「それを踏まえた上で……あなたは何故、忠誠を変えた? オーデントが崩れる以前から、事の成り行きを予見していたのだろう?」
ミュリエルはゆっくりと息を吐き、わずかに首を振った。
「いえ、あのような結末になるとは知りませんでした。ですが、私は“もしもの時”に備えて、既にサイスル殿下に忠誠を誓っておりました。……それは私だけではなく、多くの者が。」
その言葉の裏に、現実主義と生存の知恵がにじむ。ミュリエルはさらに続けた。
「ケイオス殿下は、優れた指導者でありました。ですが、その治世は王都の繁栄を謳う一方で、地方は信仰者狩りと戦の備えによって疲弊していた。限界は、確かにあったのです。」
アーベンはその言葉を聞き、何も言わずに小さく頷いた。
「……確かに、ケイオスのやり方がすべて正しかったとは私も思わない。だが、ベイルガルドのやり口を正当化できるものではない。神罰という名を借りて、ただの虐殺を行ったに過ぎない。」
ミュリエルの目が細まり、静かに、重く語る。
「ええ。彼の国が正義などとは思っていません。しかし、それでも――アーベン殿、私は貴方に王となってほしかった。民を導くのに必要なのは、理想ではなく現実を知る者です。」
アーベンは、皮肉ともつかぬ笑みを浮かべながら、肩をすくめた。
「よく言われたよ。だが、誰が王になろうと同じことさ。方向性が変わるだけで、状況が良くなるとは限らない。私のような者に期待しても、結局は破綻する。」
ミュリエルは静かに頷きながらも、視線を外さず告げた。
「だからこそ…貴方のような者に託したかった。」
そして、もう一つの問いが発せられた。
「…アーベン殿。何故、今さらこの街に現れたのですか? 何を望んでここに?」
アーベンは答える。
「確かめたかったのだ。あなたがどちらに忠誠を誓っていたのか、そして今、何を選ぼうとしているのか。」
ミュリエルは重く首を振った。
「私はどちらが勝とうが構いませんでした。だからこそ…両者に忠誠を誓った。オーデントにも真なる王にも」
それにアーベンは微笑んだ。
「それもまた正解だろうね。」
沈黙の中、ミュリエルは椅子を立ち、淡々と告げた。
「…物資と幾ばくかの金を、ドーユンを通じて届けさせましょう。かつて仕えた王家への、せめてもの情けです。ですが覚えておいてください。もし再びこの街に現れたなら――私は貴方を捕らえ、サイスル殿下に差し出します。」
アーベンはそれを素直に受け取り、深く頭を下げた。
「感謝するよ。閣下。」
しかし、ミュリエルの眼差しはすでに冷えていた。
最後に、呼び名ではっきりと線を引く。
「残念でした。アーベン・オーデント。」
その言葉には、過去への別れと現在の立場を明確にする意志が込められていた。
父を促し、サラサルが立ち上がる。二人の背中が教会の扉へと消えていくのを、アーベンは黙って見送った。
誰もいなくなった教会。闇が静かに堂内を満たす中で、アーベンはわずかに笑みを漏らした。
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