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5章 運命
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しおりを挟む夕陽が傾きはじめ、街道に長く影を落とす頃。ミエラは、アーベンと別れてからドーユンに導かれ、無言のまま街の門まで歩いていた。彼女の心中には、さまざまな感情が渦巻いていた。屈辱、疑念、安堵、そして微かな迷い。それでも足は迷わず前へと進んでいた。
門に立つ兵士は、ミエラの姿を認めるなり、露骨に顔をしかめ、ドーユンに向かってぶしつけに言い放つ。
「おいおい、冗談だろ? お目に叶わなかったのか? 俺が保証する、雇うべきだ。」
その下卑た声にミエラは奥歯を噛みしめた。だが、ドーユンは微塵も動じず、相変わらずの穏やかな口調で言い返す。
「……パルテナスがオステリィアに送り込んだ女性です。連れてきた男が事情を理解していなかっただけ。自ら望んだわけではなく、国から国へと送られた者。私なら、たとえ優れた素質を持とうと、そうした者を雇うことなど恐ろしくてできませんよ。国の問題になりますからね。」
一瞬、兵士たちは顔を見合わせ、ようやくその意味を悟ったように黙りこくった。
ミエラは心の中で呪詛を吐く。いっそ魔法のひとつでも放って、この男たちの鼻っ柱をへし折ってやりたかった。だが、今はただ堪え、深く礼をしてドーユンに感謝の言葉を述べた。そして、ゆっくりと街を離れていった。
指定された場所に戻ると、アイリーンとロスティンが待っていた。ミエラの姿を認めるや否や、二人は声を荒げる。
「はぁ!? 娼館!? それで別行動だったのかよ!? あの野郎…」
「なによそれ! その兵士って、今からアタシがぶっ飛ばしてやるから案内しなさいよ!」
怒りをあらわにする二人に、ミエラは困ったように両手を上げて制止した。
「……アーベン様は話し合いの末、まだ街に残っています。私たちはここで待つしかありません。」
その言葉にロスティンは眉をひそめ、ぽつりと呟いた。
「……もう置いてっちまえばいいんじゃないか? あの王子様よ。」
思わずミエラは首を振った。
「流石にそれは……」
ロスティンは地面に寝転びながらも、不機嫌そうに言葉を続けた。
「まぁ任せるけどよ。帰ってきたときに、すっきりした顔してたら俺、ここで待ってた自分を一生後悔するわ。」
その言葉に、アイリーンも不満げに腕を組み、唇を尖らせる。
「そうよ! 娼館のツテがあるなら、最初から言えばよかったのに! 絶対、ミエラちゃん断るって思ってたから、黙ってたんでしょ、あの男!」
ミエラは苦笑した。アイリーンの推測はほぼ的中している。確かにアーベンは何かを隠していた。話し合いで別の選択肢もあったかもしれない――だが、それでも彼のように、自分の信じた道を貫けるその意志は、少しだけ羨ましくも思えた。
ただし――このまま待つのは危うい選択でもある。捕らえられて戻ってこない可能性も、決してゼロではなかった。
そう考えを巡らせていた時、ロスティンが呟いた。
「……ちっ、野郎。しばらくは頭が上がらなそうだ。」
彼の視線を追ったミエラは、思わず目を見開いた。
夕暮れの道を、三頭の馬と荷馬車を引き連れて、堂々とアーベンが戻ってくる。陽を背に受けて悠々と歩く姿は、どこか王者の風格すら感じさせる。
ロスティンは悔しげに眉をひそめつつも、思わず口元が緩んだ。
「想像以上に、上玉もらってやがるな……これでやっと、マシな飯にありつけるってわけだ。」
一方でアイリーンは、黙ってアーベンを睨みつけると、小さく毒を吐いた。
「……あの“したり顔”……今すぐ張り倒してやりたい……」
ミエラはそれを聞こえないふりでやり過ごしながら、近づいてくるアーベンの顔を見つめた。
アーベンは自慢げに馬から降り、満足そうな笑みを浮かべながら言った。
「さて、待たせてしまってすまなかった。だがこれで、今までの足手まといぶりは、多少は挽回できたかな?」
ロスティンはアーベンに目もくれず、黙々と荷馬車を漁っていた。物資の量を確認しながら、低くぼやく。
「……これに免じて、今までのグズはチャラにしてやる。だがな、娼館の件は、まだ帳尻が合っちゃいねぇ。」
その言葉に乗るように、アイリーンがアーベンの前に立ちはだかる。
「本当に最低ね。あんたのせいで、ミエラちゃんがどんな目にあったか……!」
怒りを隠そうともしない。アーベンは小さく肩をすくめ、弁明の言葉も挟めぬまま、しばらく彼女に詰め寄られていた。
その様子を横目に、ミエラは特に助け舟を出すこともなく、ロスティンと共に荷馬車の中を確認することにした。
夜も更けはじめ、荷馬車と食料という恵まれた環境を得た一行は、街の近くから少し離れた林の中に移動し、ようやく腰を落ち着けた。荷馬車に揺られる旅路は、徒歩の疲れを忘れさせるほどに快適だった。
木々がざわめき、焚き火の音が心地よく響く中、ミエラはぽつりと問いかけた。
「……ドーユンさん、大丈夫でしょうか? あの件で、何か処罰を受けるようなことはないのでしょうか?」
手綱を握るロスティンの姿をチラリと見やりながら、アーベンが口を開く。
「大丈夫さ。あの男は抜け目がない。立ち回りも心得ているし、昔のように妙な難癖さえつけられなければ問題ない。……それに、眷属の血を引く者を雇い、あの街で娼館を経営している時点で、並の才ではないよ。」
それを受けてロスティンが眉をひそめる。
「しかしよ、あいつ……パルテナスの人間なんだろ? あの辺りの連中は、何かと面倒ごとを抱えてるんだよな。」
ミエラはわずかに眉をひそめた。ドーユンの人柄は信頼できると思っていた。しかしロスティンの言葉に、どこか引っかかるものを感じる。
「ドーユンさんは……良い方でした。恩を返すことも、何かを要求することもなくて……」
アイリーンが皮肉げに笑い、ロスティンは手綱を握り直しながら続けた。
「いや、俺が言ってるのは“人”じゃなくて“国”の話さ。パルテナスの文化はちょっと、特殊でな。」
「特殊……?」
アイリーンの問いに、今度はアーベンが答える。
「信頼ができないという話だよ。誤解しないでほしいが、ドーユン個人を貶める意図はない。むしろ、彼は誠実だ。だが、あの国の“恩義”の概念は、我々とは根本的に異なる。」
ミエラはふと、ドーユンが語った信仰の話を思い出し、口にした。
「……“天秤の神”の教え……でしょうか?」
アーベンは微かに頷き、神妙な面持ちになる。
「そう。彼らにとって、恩義とは神への誓いに等しい。“受けた恩には報いよ”という思想が骨の髄まで染みついている。問題は……“どれほどの恩”と“どれほどの返礼”を、誰が天秤にかけるのか、ということだ。」
アイリーンがやや苛立たしげに口を挟む。
「……だけど、それでもあんた、助けてもらったのよね? それをそんな風に言える神経、どうかしてるわよ。」
アーベンは苦笑し、肩をすくめる。
「勿論だとも。感謝はしているよ。だが忘れてはいけない――彼が恩を返すと判断したのは、彼自身でも、私でもない。“神”だ。」
ミエラはその言葉に、身の内を一瞬冷たいものが走るのを感じた。
「……つまり、ドーユンさんは自らの意思でなく、神意に従って……?」
「意思もあるよ。それに啓示が本当にあったかどうかは私にもわからない。だが、彼らの多くはそれを信じて行動している。そこが恐ろしいんだ。こちらが恩を与える分にはいい。だが、向こうから“恩”を押しつけられた時は――その代償が命であっても、文句は言えない。」
その言葉にロスティンがため息をつき、呟く。
「……昔な、俺もパルテナスの連中にやられたことがあったんだ。仕事で情報もらった代わりに、“ある人物”を殺せって言われた。断ったらよ、後日そいつに襲われたんだよ。あいつら、腕も立つんだよな……まぁ、運よく助かったけど。」
「それでどうなったの……?」
アイリーンが息を呑むと、ロスティンは首を振って話を濁した。
「……ま、ボスがいてな。なんとかなったさ。」
アーベンはその言葉に、あきれたように微笑みながらも付け加える。
「すべてが命を要求するわけじゃない。ただし、代償は思っているより重くつく。だからこそ、気をつけるべきなんだ。」
ミエラはふと、不安げに口を開く。
「私が湯をいただいたり、門まで見送っていただいたのも……?」
アーベンは優しく笑い、揺れるランタンの灯りの下で言った。
「大丈夫さ。彼らが“恩義の取引”を行う時は、必ず“天秤の神”に誓いを立てる。それがなければ、彼らにとってそれは“行為”に過ぎない。あくまで、誓いがあって初めて“契約”となるんだ。」
ロスティンはその場を和らげるように、誤魔化すように言った。
「……俺は忘れたな。神も見てなかっただろ。たぶん、きっと、たぶんだ。」
そう言って、肩をすくめながら止めた、荷馬車の上に横たわる。その姿に、アイリーンも呆れたように笑みを浮かべ、ミエラはようやく、胸に宿っていた不安の一部がほどけていくのを感じていた。
けれど――
彼女の心の奥には、それでも拭いきれない違和感が残っていた。ドーユンのあの完璧すぎる礼儀、計算されたような物腰……それは、信頼と同時に、どこか“異質”なものとして刻まれていた。
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