「君が大学を辞めずに済むなら」と先輩に抱かれ続けた彼女。俺、自力で特待生になったけど? ~無意味な献身と横領先輩の末路~

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第一話 献身という名の裏切り

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五月の湿った風が、大学キャンパスの並木道を揺らしている。新緑の爽やかさとは裏腹に、俺、瀬川蒼太の足取りは鉛のように重かった。手には一通の封筒が握りしめられている。大学の事務局から届いた、学費納入の督促状だ。

「……あと、二十万か」

誰もいない校舎裏のベンチで、俺は小さく溜息をついた。
父の経営していた町工場が傾き、事実上の倒産状態に陥ったのは半年前のことだ。実家からの仕送りは完全にストップし、それどころか俺がバイトで稼いだ金の一部を家に送るような状況が続いていた。
奨学金を借りてはいるが、それだけでは生活費と学費の全てを賄うことはできない。私立理系大学の学費は、今の俺たち家族にはあまりにも高すぎる壁だった。

「退学、か……」

脳裏に最悪の二文字がよぎる。
だが、すぐに頭を振ってその思考を追い払った。ここで大学を辞めたら、高卒として就職することになる。今の時代、それでも生きてはいけるだろうが、父さんが必死に頭を下げて俺を入れてくれたこの大学を、こんな形で去るわけにはいかない。それに、俺には将来、エンジニアになって家族を楽にさせるという目標がある。

「やるしかない。今月のシフト、もっと入れてもらおう」

スマホを取り出し、バイト先の店長に連絡を入れようとしたとき、視界の端に馴染みのある姿が映り込んだ。

「あ、蒼太くん!」

パッと花が咲いたような笑顔で駆け寄ってきたのは、高校時代からの付き合いになる恋人、飯島美咲だ。ふわりとしたシフォンのスカートを揺らし、手には小さなトートバッグを持っている。
彼女は俺の隣に座ると、心配そうに俺の顔を覗き込んだ。

「またこんなどころにいた。最近、全然学食に行かないんだもん。……またお昼、食べてないんでしょ?」
「ああ、まあな。ちょっと課題が忙しくてさ」

督促状を無造作に鞄の奥へと押し込みながら、俺は努めて明るく振る舞った。美咲に余計な心配をかけたくない。彼女はただでさえ感受性が強く、俺の不幸を自分のことのように悲しんでしまう性格だ。以前、少し金がないと漏らしただけで、自分の貯金を切り崩そうとしたことがあった。あれ以来、俺は経済的な窮状の「詳細」を彼女には伏せている。

「もう、嘘ばっかり。課題じゃなくて、節約してるんでしょ? ほら、これ」

美咲はトートバッグから可愛らしい包みの弁当箱を取り出した。

「作りすぎちゃったから、食べて。蒼太くんの好きな唐揚げ、入ってるよ」
「美咲……悪いな、いつも」
「いいの。私が好きでやってるんだから。……ねえ、蒼太くん」

弁当を受け取ろうとした俺の手を、美咲の白い手がそっと包み込む。彼女の瞳が、真剣な光を宿して俺を見つめていた。

「私にできることなら、何でも言ってね? 辛いときは支え合いたいよ。私たち、ずっと一緒にいるって約束したじゃない」

その言葉は温かく、同時に俺の胸を締め付けた。彼女の純粋な好意が、今の俺には少しだけ重い。情けない男だと思われたくないというプライドと、彼女を巻き込みたくないという責任感がない交ぜになる。

「ありがとう、美咲。でも大丈夫だ。俺、なんとかするから。お前の笑顔が見られるだけで十分だよ」

俺は彼女の頭をポンと撫でた。美咲は嬉しそうに、でもどこか物足りなさそうに目を細める。
その時、予鈴のチャイムが鳴った。

「やべ、次の講義、別棟だ。行くわ」
「うん、頑張ってね。あ、お弁当、ちゃんと食べてね!」
「おう、ありがとな!」

走り出す俺の背中を、美咲はずっと見送っていたはずだ。
その時の俺は知る由もなかった。
自分の「大丈夫」という言葉が、逆に彼女を追い詰め、誤った方向へと走らせてしまう引き金になるなんて。

***

蒼太が走り去った後のベンチに、美咲は一人佇んでいた。
彼女の胸の中には、黒い不安が渦巻いていた。蒼太は「大丈夫」と言ったけれど、彼の顔色は明らかに悪い。頬はこけ、目の下には隈ができている。着ているシャツも、ここ数ヶ月ずっと同じものだ。

「蒼太くん、無理してる……」

彼は優しいから、私に心配かけまいとしているんだわ。でも、私には分かる。このままじゃ、蒼太くんは大学を続けられなくなるかもしれない。彼から「大学」という夢を奪いたくない。彼が笑顔でいられる未来を守りたい。
そのためなら、私、なんだって――。

「よう、飯島ちゃん。彼氏はもう行っちゃったのかい?」

背後からかけられた粘り気のある声に、美咲は肩を震わせた。
振り返ると、そこには仕立ての良いブランド物のジャケットを着崩した男が立っていた。学生会副会長の鰐淵恭介だ。整った顔立ちをしているが、その瞳には常に他人を見下すような冷たい色が浮かんでいる。

「鰐淵先輩……。こんにちは」
「こんにちは。いやあ、今の会話、少し聞こえちゃってさ。瀬川のやつ、相当参ってるみたいだねえ」

鰐淵はニヤリと笑いながら、美咲の隣に腰を下ろした。その距離が近すぎて、美咲は反射的に身を引こうとしたが、続く言葉にその動きを止められた。

「あいつ、もうすぐ除籍になるって知ってた?」
「えっ……?」

美咲の心臓が早鐘を打つ。

「嘘……ですよね? 蒼太くん、そんなこと一言も……」
「言うわけないだろ。男のプライドってやつさ。でも、学生会の役員には事務局からリストが回ってくるんだよ。『学費未納者リスト』っていうのがね」

鰐淵はもっともらしい嘘を平然と口にした。実際にはそんなリストが学生会ごときに回ってくるはずもないのだが、世間知らずでパニック状態の美咲には、その嘘を見抜く術がない。

「事務局の決定はシビアだ。今月末までに納入がなければ、即刻退学処分。再入学も認めないらしい。瀬川のやつ、成績も悪くないのに惜しいよなあ」
「そ、そんな……どうしよう……」

美咲の顔から血の気が引いていく。蒼太が大学を辞める姿など想像したくない。彼はあんなに勉強を頑張っているのに。彼の夢が、お金なんかで潰えてしまうなんて。

「お金……私、貯金なら少しあります。それを蒼太くんに……」
「ははっ、甘いね飯島ちゃん。二十万や三十万でどうにかなる額じゃないんだよ、未納分は。それに、あいつはお金を受け取らないだろ? さっきも断ってたじゃないか」

図星だった。蒼太は頑固だ。私からのお金なんて絶対に受け取らない。
絶望に暮れる美咲の耳元に、鰐淵が唇を寄せた。悪魔の囁きが鼓膜を震わせる。

「でも、俺なら助けてやれるかもしれない」
「え……?」
「俺の実家、知ってるだろ? 大学の理事とも懇意にしててね。俺の口利きがあれば、事務局に手を回して『特例措置』を適用させることができる。奨学金の特別枠を無理やりこじ開けて、彼の学費を全額免除にすることも、不可能じゃない」

「本当、ですか……!?」

美咲が縋るような目で鰐淵を見た。鰐淵の口元が醜悪に歪むのを、彼女は見逃した。

「ああ、本当だとも。瀬川の未来を救えるのは、世界でたった一人。飯島ちゃん、君だけだ」
「私……だけ……」
「そう。君が俺のお願いを聞いてくれれば、今すぐにでも理事に電話してやるよ。彼の学生生活を守りたんだろ? 彼の夢を、君の手で繋ぎ止めてあげたくないかい?」

鰐淵の手が、美咲の太腿に這い上がった。ビクリと体を強張らせる美咲。
その意味するところを理解できないほど、彼女は子供ではなかった。
拒絶の言葉が喉まで出かかった。けれど、脳裏に浮かんだのは、さっき見た蒼太の疲れ切った笑顔だった。
もし断って、蒼太くんが退学になったら?
私がここで我慢しなかったせいで、彼の人生が狂ってしまったら?
それは、私が彼を見捨てることと同じじゃないのか。
愛しているなら、身を削ってでも彼を支えるのが「彼女」の役目じゃないのか。

歪んだ正義感と自己犠牲の精神が、美咲の理性を麻痺させていく。

「……本当に、蒼太くんを助けてくれますか?」
「約束するよ。俺は学生会副会長だぞ? 嘘なんてつくわけない」
「……分かり、ました」

美咲は震える声で告げた。
その瞬間、彼女は自分自身を「悲劇のヒロイン」という舞台装置に嵌め込んだのだ。汚れることで愛を証明する、愚かで哀れな道へと。

***

駅前のビジネスホテルの一室。
安っぽい芳香剤の匂いが充満する部屋で、美咲はベッドの端に座っていた。シャワーを浴びるように命じられ、バスルームから出たばかりの彼女の体は、バスタオル一枚に包まれている。

「いい体してるねえ、飯島ちゃん。ずっと狙ってたんだよ」

シャワーを浴び終えた鰐淵が、下卑た笑みを浮かべて近づいてくる。
美咲はギュッと目を閉じた。涙が滲む。
怖い。気持ち悪い。逃げ出したい。
けれど、これは蒼太くんのため。
これは蒼太くんの学費。これは蒼太くんの未来。
心の中で呪文のように繰り返す。

「さあ、こっちを向けよ。彼氏のために頑張るんだろ?」

鰐淵の手がバスタオルを剥ぎ取る。露わになった肌に、冷たい空気が触れる。
美咲は抵抗しなかった。されるがままにベッドに押し倒され、天井を見上げた。
シミの浮いた天井が、涙でぼやけていく。

「蒼太くん……ごめんね……」

口では謝罪を呟きながらも、美咲の心の奥底には、奇妙な高揚感が芽生え始めていた。
私は今、彼のために自分を犠牲にしている。
誰にも言えない秘密を抱えて、彼の代わりに傷ついている。
その事実は、彼女にとって「究極の愛の証明」のように感じられたのだ。

痛みと屈辱が体を貫くたびに、彼女は自分に言い聞かせた。
これで今月も、彼は大学に通える。
私のこの体一つで、彼の夢が守られるなら安いものだ、と。

行為の最中、鰐淵が美咲の耳元で囁く。

「いい声で鳴けよ。事務局への裏工作、結構大変なんだからさあ」
「は、い……あっ……」

美咲は鰐淵の背中に爪を立て、必死に応えた。
彼を喜ばせなければならない。そうしなければ、契約が破棄されてしまうかもしれないから。
その思考こそが、鰐淵の思う壺であるとも知らずに。

***

その頃、蒼太は大学から数駅離れた工事現場にいた。
夜勤の交通誘導警備。ヘルメットを被り、誘導灯を振る単純作業だが、長時間立ちっぱなしの重労働だ。
冷たい夜風が汗ばんだ肌を冷やしていく。身体の節々が悲鳴を上げているが、蒼太の目は死んでいなかった。

「……よし、休憩入っていいぞ」
「お疲れ様です!」

現場監督の声に、蒼太は大きく息を吐いてヘルメットを脱いだ。
パイプ椅子に座り込み、コンビニで買ったおにぎりを齧る。
スマホを取り出し、スケジュールアプリを開く。そこには、バイトのシフト以外に、びっしりと書き込まれた予定があった。

『特待生選抜試験 対策勉強』
『小論文推敲』
『教授への質問リスト作成』

そう、蒼太はただ闇雲に働いているわけではなかった。
今の大学には、成績上位者に対して次年度の学費を全額免除する「特別奨学生制度」がある。その枠は極めて狭き門だが、蒼太は一年生の時からこの枠を狙って猛勉強を続けてきた。
バイトで生活費を稼ぎつつ、睡眠時間を削って勉強し、トップの成績を維持する。
それは並大抵の努力ではない。鼻血が出るほどの過労とプレッシャーに耐える日々だ。

「今回の模試の結果なら、A判定は確実だ……」

スマホの画面に表示された成績データを見つめ、蒼太は力強く拳を握った。
誰かに頼るつもりはない。
怪しい裏技なんて使うつもりもない。
正々堂々と、自分の実力で権利を勝ち取る。それが、父さんに対する、そして美咲に対する俺なりの誠意だ。

「美咲……心配かけてごめんな」

画面を切り替え、美咲とのトーク画面を開く。
『今日は遅くなるから、先に寝てて。今度の休み、埋め合わせするから』
そうメッセージを送った。
彼女が今頃、温かいベッドで眠っていることを願いながら。

***

ホテルの一室。事後の気配が濃厚に漂う中、美咲はバスルームの鏡の前に立っていた。
首筋や鎖骨につけられた赤い痕。それを指先でなぞりながら、彼女は虚ろな目で鏡の中の自分を見つめる。
スマホが震えた。蒼太からのメッセージだ。

『今日は遅くなるから、先に寝てて。今度の休み、埋め合わせするから』

その文面を見た瞬間、美咲の目から大粒の涙が溢れ出した。
蒼太くんは何も知らない。私がどれだけ汚れたか、何をして彼を守ったのか。
でも、それでいい。
この汚れは、私の勲章だ。

「……私のおかげだよ、蒼太くん」

美咲は震える手でリップを引き直した。
鏡の中の彼女は、泣き腫らした目をしていながらも、どこか狂信的な微笑みを浮かべていた。
鰐淵はシャワーを浴びながら、鼻歌交じりにご機嫌だ。彼は美咲に「来月も『更新料』が必要だな」と言い捨てた。
美咲はそれを、必要な経費だと信じ込んでいる。

「私が頑張らなきゃ。彼が卒業するその日まで、私がこの身を捧げて支え続けるの」

美咲はスマホを胸に抱きしめる。
彼女の「献身」は、まだ始まったばかりだった。
それが全くの無意味であり、ただの独りよがりな裏切りでしかないという残酷な真実が露呈するのは、まだ少し先の話である。
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