世界の果ての階段を

kijima13

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1.プロローグ

出発

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「なるほど」
 博士は笑いながら言った。
「結局、迷って帰れなくなると」
 からかうような調子だったが、どこか呆れも混じっている。
「だから階段には行くなと言ったんです。迷うから。
 ――まさか、ここでも迷うとは思いませんでしたが」
 セドは返す言葉を持たなかった。
 途方に暮れて廊下に立ち尽くしていたところへ、
 背後から声をかけられ、気づけばこの部屋に連れて来られていた。
 博士の部屋だった。
 中に入った瞬間、鼻をつく匂いがある。
 湿った紙と埃が混じった、かび臭さ。
 壁という壁に、本がびっしりと並んでいる。
 床にも、机の上にも、積み上げられ、押し込まれ、
 整理されているのか、放置されているのか判別がつかない。
 椅子は脚が歪み、
 ベッドは沈みきって、もはや寝台としての体裁を保っていなかった。
 部屋全体が、くたびれている。
 ただひとつ例外があった。
 部屋の隅に掛けられた服だけが、
 きちんと畳まれ、埃一つなく管理されている。
 そこだけが、この部屋で唯一、
 「今も使われている」ことを主張していた。
 セドは、何気ない口調で言った。
「ところで……何の研究をされてるんですか」
 博士は一瞬、きょとんとした顔になる。
「だって、博士なんですよね?」
 そう付け加えると、博士は小さく笑った。
「ああ。あれはただの渾名ですよ」
 肩をすくめる。
「研究者でも、学者でもありません。
 この建物……実はここは教会でしてね」
 博士は軽く咳払いをした。
「正式には時務教会と呼ばれています。
 時間を祈るための場所ではありません。
 ――時間を“処理”する場所です」
 本の山に囲まれた部屋を見回す。
「冬に時間が伸びるのも、
 春に均されるのも、
 放っておけば島は持たない」
 博士は笑う。
「だから誰かが帳尻を合わせる。
 私はその雑務を、延々とやっているだけですよ」
 さらりと言ってから、言葉を継ぐ。
「私はここに一番長く住んでいる。
 それだけです。長くいれば、嫌でも色々知ることになる」
 本の山に目を向ける。
「ここがどういう場所で、
 何が行われてきて、
 何が壊れて、何が残ったのか」
 博士はセドを見る。
「言うならば……」
 少し考える素振りをしてから、結論を落とした。
「この教会の、案内人でしょうか。
 あるいは、墓守か」
 どちらとも取れる曖昧な笑みを浮かべた。

「そろそろ食事の時間ですね」
 博士が言った。
「よければ、私のほうで用意しましょう」
 そうして案内されたのは、食堂だった。
 時間が早いせいか、人影はまばらだ。
 座っている者のほとんどが軍服を着ている。
 私語はなく、食器の触れ合う音だけが、低く反響している。
 博士は歩きながら言った。
「今日は料理人が夜しかいない日でしてね。
 ですから、勝手に作るしかありません」
 厨房の奥にある小さな蔵を開け、
 赤い花弁のついた草と、濃い緑色の葉を取り出す。
 草の根元には、わずかに膨らんだ部分があった。
 博士はそこだけを選び、ナイフで切り落とす。
 それを細かく刻み、
 濃緑色の油と一緒に鍋へ入れ、火にかけた。
 火力は弱い。
 ほとんど、ついていないのではないかと思うほどだ。
 それでも、鍋が温まるにつれて、
 刺激的な香りが立ち上り、鼻を刺した。
 次に、塩漬けの肉を一口大に切り、
 緑の葉をちぎりながら鍋に加える。
 最後に、細長い棒状のものを束ねた食材を取り出し、
 湯に入れてふやかす。
 柔らかくなったそれを、
 鍋の中の具材と合わせた。
 鍋をかき混ぜながら、博士は言った。
「冥花の根っこは、そのままだと毒でしてね。
 必ず火を通さなければならない」
 火を見つめる視線は、妙に真剣だった。
「ただ、火入れは慎重に。
 焦がすと、途端に苦みが溢れます。
 ――とても食べられたものじゃない」
 だから、と博士は言う。
「弱火で、じっくりです」
 ほとんど燃えていないような火を、指先で調整する。
「アカラ猪の塩漬けは、仕込みに十日ほどかかりますが……
 水蛇の季節にやると駄目なんですよ」
 鍋に肉を落としながら続ける。
「湿気が強すぎて、すぐ傷んでしまう。
 ですから、あの時期は作れない」
 最後に、ちぎった緑の葉を放り込み、
 あっさりと言った。
「これは、そのへんにいくらでも生えています。
 特に気にするものでもありません」
 鍋の中で、色と香りが静かに混ざっていく。
 食事は、申し分なかった。
 いつも出てくる、あの素っ気ない料理とはまるで違う。
 味があり、香りがあり、噛むたびに変化があった。
 ふと、ビャクの言葉を思い出す。
 ――代わりに、何かを失う。
 味覚を失うのは、嫌だな、と思った。
 そのとき、博士が怪訝そうにこちらを見た。
 セドは、考えたことをそのまま口にした。
「……味が、なくなるのは困りますね」
 博士は一瞬黙り込み、
 それから、興味深そうに目を細めた。
「なるほど」
 そう言って、ゆっくり頷く。
「あなたも、失いたくないものを一つ、手に入れたわけですね」
 博士は満足げに笑った。
「料理を褒めていただいて、ありがとうございます。
 あれは――案外、悪くない評価基準です」
 そう言って、残った料理に目を落とした。
「うまそうな匂いだな」
 不意に声をかけられた。
 振り返ると、赤い髪を下ろしたシュが立っていた。
「いただき」
 そう言うが早いか、シュはセドの皿に手を突っ込む。
 つまみ上げた料理を、そのまま口に放り込んだ。
「……悪くない。むしろ美味いな」
「シュ様、それは私の――」
 セドは思わず声を上げる。
 様付けしたのは、昨日の帰り道で博士から聞かされていたからだ。
 あの四人は“四使役”という役職に就く人物で、身分が高い。
 気軽に呼ばないように、と。
「お前のものはアタシのもの。
 アタシのものは……当然、アタシのものだ」
 シュは悪びれもせず言った。
「シュ様、もし入り用でしたら、新しいものをお作りしますが」
 博士は丁寧な口調で言う。
「いや、いらん。もう飯は食った」
 シュは手を振った。
「食いすぎると、体のキレが悪くなる」
「左様ですか。しかし、食堂にいらっしゃるのは珍しいですね」
「まあね」
 シュは肩をすくめる。
「そいつに用があったんで」
 そう言って、顎でセドを指した。
「舌、見せろ」
 シュが言った。
 セドがためらいながら舌を出すと、
 シュは少し身を乗り出し、覗き込む。
「おお……綺麗な色が出てるじゃないか」
 満足そうに頷く。
「あいつにしちゃ、珍しく上手くいったな。
 まあ、私の鳥炎のおかげだな。うん、そうだ」
 一人で結論づける。
「それしか考えられない。
 なにせ私は史上最高の鳥炎師だし、
 あいつは――ろくでもないチンピラだからな」
「誰がチンピラだ、このお祭り女」
 背後から声がした。
 振り返ると、ビャクが立っていた。
 朝早いというのに、身体にはすでに防具を纏っている。
 動きやすさを優先した簡素な装備だが、
 使い込まれているのが一目でわかる。
「訓練か?」
 シュが口の端を吊り上げる。
「朝っぱらから、元気なこって」
「ところで」
 と、ビャクが言った。
「もしかしたら、出発が早まるかもしれない。
 場合によっては、今晩に出る」
 セドは少し間を置いてから聞いた。
「……なぜですか」
「問題が発生した」
 ビャクは短く答える。
「なるべく早く対処しなくちゃならない」
「問題って、なんなのさ」
 シュが興味本位に口を挟んだ。
「南に関係ないことさ」
 ビャクは、ぴしゃりと言う。
「あらあら」
 シュは肩をすくめ、
 わざとらしく、普段あまり使わない丁寧な口調に切り替えた。
「それはそれは。
 こちらに火の粉が飛ばないよう、
 くれぐれもお願い致しますわ」
 意地の悪い笑顔を浮かべる。
 ビャクはシュを睨みつける。
 シュはその視線を気にも留めず、
 小指で耳の穴をかきながら、半笑いで応じた。
「まあまあ」
 博士が慌てて割って入る。
「とにかく、準備を急がなくてはいけませんね」

「「じゃ。邪魔したね」
 シュは軽く手を振り、食堂を出ていった。
 扉が閉じる。
 博士は無言で立ち上がり、
 使い終えた皿を一枚、また一枚と重ねた。
 重ね方は整然としていて、音も立てない。
 いつもと変わらない手つきだ。
 ただ、
 最後の一枚を持ち上げるまでの間が、
 ほんのわずか――
 間延びしたように見えただけだった。
 博士はそのまま流しへ向かい、
 水を出す。勢いも温度も、いつも通り。
「……さて」
 自然な調子で言い、
 濡れた手を布で拭く。
「出発が早まりそうですね」
 それ以上、その話題には触れない。
 表情も声色も変わらない。
 動きにも、淀みはない。
 セドは、
 なぜかその一瞬の“間”だけが、
 記憶に残った。
 ――キィ、キィ、キィ。
 遠くで、甲高い鳥の鳴き声が重なった。
 一羽ではない。群れの声だ。
 食堂の誰も気に留めない。
 博士も、振り返らない。
 セドの脳裏に、
 シュの残した一言がよみがえる。
 ――ルージ・ノールに気をつけな。
 博士は皿を所定の棚に収め、
 静かに戸を閉めた。
 完璧な所作だった。
 それが、
 かえって気になった。
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