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5.求められた証明
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熱が下がってパウラと別れた翌日、俺はマルティエナの私室の前に来ていた。
「マルティエナと話をしたいんだが」
心臓をバクバクさせながら、侍女に告げる。声が裏返りそうになったのを何とか押さえたが、成功したかどうか怪しい。
「お待ち下さいませ」
侍女は丁寧に頭を下げて、中に入っていく。心臓がうるさい。そのせいで、緊張が高まるばかりだ。
やがて出てきた侍女は、口を開いた。
「中へどうぞお入り下さい」
その言葉に、安心するのと緊張が高まるのと、同時に感じた。さらにうるさくなった心臓に文句を言いたくなりながら、俺は中に入った。
*****
「いらっしゃいませ、王太子殿下。体調はもうよろしいのでしょうか」
「ああ……。昨日熱が下がって、そのままゆっくり休んだからな。今日はもう問題ない」
マルティエナは仕事をしていたのだろう。デスクには書類が置いてある。本来であれば、俺がやらなければならない仕事だ。
本当は、昨日マルティエナの元に訪れたかったのだ。だが、まだ大人しくしていろと医師に言われてしまい、侍女たちが監視するように近くにいるものだから、動けなかった。
今日になって、ようやく許可が下りたのだ。
「エナ、二人で話したい」
マルティエナの後ろに控えている侍女たちにチラリと視線を向けながら、俺はそう告げる。"エナ"と俺たちだけの特別な呼び名で呼んだことが、よほど驚きだったのだろうか。目を大きく見開いた。
「承知致しました。……あなたたち、下がってちょうだい」
マルティエナは俺の要望を汲んで、侍女たちを下げてくれた。
俺が侍女たちに言うのが駄目というわけではないが、彼女たちはマルティエナの侍女である以上は、彼女にそれを言ってもらうのが筋だった。
「それで王太子殿下、話とは何でしょうか」
二人きりになったというのに、マルティエナ……エナは俺を名前では呼ばない。それが、俺のしてしまったことの罰のような気がしてならない。
「……すまなかった、エナ。俺が悪かった。パウラは実家に帰った。その、もう一度、俺とやり直して欲しいんだ」
「左様でございますか。ご心配なさらずとも、結婚した以上はそう簡単に離縁もできません。殿下がどんな女性を側に置いても、私が王太子妃であることに変わりはありませんから」
「だ、だからっ、もう他の女性を側に置くことはない!」
「結婚してすぐ、別の女性を側に置いた殿方の言うことを信じろと仰るのですか?」
素っ気ないエナの言葉に、詰まった。何も言い返せない。全くもってその通りだ。俺が何を言ったところで、エナからしたら信じられるものではない。
けれど、諦められなかった。
「……俺が熱を出して寝ているとき、エナ、君も来てくれたんだろう?」
「……!」
エナが大きく目を見開いた。が、すぐ苦笑する。
「全く。パウラさんには言わないように言ったのに」
「いや、彼女は何も言わなかったよ。ただ、俺が気付いたんだ。俺が手を握った人は、パウラじゃない。エナだったんだと」
「……起きてらっしゃったの?」
「まさか。ただ、誰かの手を握って、安心したのは覚えている」
俺の言葉に、エナの目が揺れたように見えた。
少し迷うように彷徨った後、躊躇いがちに口を開いた。
「あの時、殿下はずっと"助けてくれ"と繰り返し言って、魘されていました。私の手を握って、笑ったと思ったら魘されることなく眠りについたのです」
「……口にしていたのか」
そう思っていた事は覚えている。まさかそれを口にして魘されていたとは思わなかった。心の中だけで求めていたものが、熱で表に出てしまったのか。
「殿下は、何を助けて欲しかったのですか?」
そう聞くエナの表情は読めなかった。先ほど見せた目の揺れもない。
無表情……でもない。何か感情はあるような気はする。けれど、その感情が何なのか、俺には分からなかった。
「……何なんだろうな、自分でもよく分からない。けれど、助けて欲しかった。自分の中の何かが、今までとズレて違うものになってしまって、それをどう戻していいかが分からなかった。自分では、どうすることもできなかった」
曖昧すぎる俺の言葉に、エナは小さく首を傾げる。
「それは、今もですか?」
「いや」
俺は首を横に振った。それが分かったから、きっと俺はパウラに別れを告げられたし、こうしてエナに会いに来ることもできた。
「婚姻パーティーの日、疲れていた俺はパウラにあった。あの時の彼女の裏表のない表情が、初めて会った日の君に似ているな、と思ったんだ」
でも、俺もエナも、子供のままではいられない。学んで努力して、次期国王と王妃になるために成長していかなければならない。いつしか、素直に言葉を言うことすら、忘れていた。
「無意識に、俺はパウラにエナを重ねてみていたんだ。……二人に対して、本当に失礼な話だけどな。だけど今、俺は本当に大切なことに気付いたから」
俺は、頭を下げた。
「すまなかった、エナ。俺には君しかいない。どうかまた、俺の隣にいて欲しい。"ルト"と呼んで欲しいんだ」
頭を下げたまま、エナの言葉を待つ。これで駄目だったら……いや、許してもらえるまで言葉を尽くすだけだ。
「では、それを証明して下さい」
「……証明?」
エナの言葉に、頭を上げる。
証明とは、具体的にどうすれば証明したことになるのか。
「明日から十日間、私の好きなものを一個ずつ贈って下さいな。すべてきちんと好きなものを贈って下さったのなら、考えてみます」
「……好きなもの? 何が欲しいんだ?」
「それを言ったら、意味ないじゃないですか。殿下が考えて下さいませ」
「あ、ああ……」
「それと、これまで私ずっと仕事を頑張ってきましたから、その十日間は休みを下さいませ。よろしいですね?」
「わ、分かった」
否と言えるはずもない。その仕事は、本来なら俺がやるべきことなのだから。
俺の返事に、エナはにっこりと笑った。
「では、話は終わりですね。どうぞお戻り下さいませ。この後、今やっている仕事を片付けて、殿下へ申し送ることをまとめますので」
「あ、ああ……」
これは逆らっちゃいけない笑顔だ。
それを察した俺は、部屋を後にしたのだった。
「マルティエナと話をしたいんだが」
心臓をバクバクさせながら、侍女に告げる。声が裏返りそうになったのを何とか押さえたが、成功したかどうか怪しい。
「お待ち下さいませ」
侍女は丁寧に頭を下げて、中に入っていく。心臓がうるさい。そのせいで、緊張が高まるばかりだ。
やがて出てきた侍女は、口を開いた。
「中へどうぞお入り下さい」
その言葉に、安心するのと緊張が高まるのと、同時に感じた。さらにうるさくなった心臓に文句を言いたくなりながら、俺は中に入った。
*****
「いらっしゃいませ、王太子殿下。体調はもうよろしいのでしょうか」
「ああ……。昨日熱が下がって、そのままゆっくり休んだからな。今日はもう問題ない」
マルティエナは仕事をしていたのだろう。デスクには書類が置いてある。本来であれば、俺がやらなければならない仕事だ。
本当は、昨日マルティエナの元に訪れたかったのだ。だが、まだ大人しくしていろと医師に言われてしまい、侍女たちが監視するように近くにいるものだから、動けなかった。
今日になって、ようやく許可が下りたのだ。
「エナ、二人で話したい」
マルティエナの後ろに控えている侍女たちにチラリと視線を向けながら、俺はそう告げる。"エナ"と俺たちだけの特別な呼び名で呼んだことが、よほど驚きだったのだろうか。目を大きく見開いた。
「承知致しました。……あなたたち、下がってちょうだい」
マルティエナは俺の要望を汲んで、侍女たちを下げてくれた。
俺が侍女たちに言うのが駄目というわけではないが、彼女たちはマルティエナの侍女である以上は、彼女にそれを言ってもらうのが筋だった。
「それで王太子殿下、話とは何でしょうか」
二人きりになったというのに、マルティエナ……エナは俺を名前では呼ばない。それが、俺のしてしまったことの罰のような気がしてならない。
「……すまなかった、エナ。俺が悪かった。パウラは実家に帰った。その、もう一度、俺とやり直して欲しいんだ」
「左様でございますか。ご心配なさらずとも、結婚した以上はそう簡単に離縁もできません。殿下がどんな女性を側に置いても、私が王太子妃であることに変わりはありませんから」
「だ、だからっ、もう他の女性を側に置くことはない!」
「結婚してすぐ、別の女性を側に置いた殿方の言うことを信じろと仰るのですか?」
素っ気ないエナの言葉に、詰まった。何も言い返せない。全くもってその通りだ。俺が何を言ったところで、エナからしたら信じられるものではない。
けれど、諦められなかった。
「……俺が熱を出して寝ているとき、エナ、君も来てくれたんだろう?」
「……!」
エナが大きく目を見開いた。が、すぐ苦笑する。
「全く。パウラさんには言わないように言ったのに」
「いや、彼女は何も言わなかったよ。ただ、俺が気付いたんだ。俺が手を握った人は、パウラじゃない。エナだったんだと」
「……起きてらっしゃったの?」
「まさか。ただ、誰かの手を握って、安心したのは覚えている」
俺の言葉に、エナの目が揺れたように見えた。
少し迷うように彷徨った後、躊躇いがちに口を開いた。
「あの時、殿下はずっと"助けてくれ"と繰り返し言って、魘されていました。私の手を握って、笑ったと思ったら魘されることなく眠りについたのです」
「……口にしていたのか」
そう思っていた事は覚えている。まさかそれを口にして魘されていたとは思わなかった。心の中だけで求めていたものが、熱で表に出てしまったのか。
「殿下は、何を助けて欲しかったのですか?」
そう聞くエナの表情は読めなかった。先ほど見せた目の揺れもない。
無表情……でもない。何か感情はあるような気はする。けれど、その感情が何なのか、俺には分からなかった。
「……何なんだろうな、自分でもよく分からない。けれど、助けて欲しかった。自分の中の何かが、今までとズレて違うものになってしまって、それをどう戻していいかが分からなかった。自分では、どうすることもできなかった」
曖昧すぎる俺の言葉に、エナは小さく首を傾げる。
「それは、今もですか?」
「いや」
俺は首を横に振った。それが分かったから、きっと俺はパウラに別れを告げられたし、こうしてエナに会いに来ることもできた。
「婚姻パーティーの日、疲れていた俺はパウラにあった。あの時の彼女の裏表のない表情が、初めて会った日の君に似ているな、と思ったんだ」
でも、俺もエナも、子供のままではいられない。学んで努力して、次期国王と王妃になるために成長していかなければならない。いつしか、素直に言葉を言うことすら、忘れていた。
「無意識に、俺はパウラにエナを重ねてみていたんだ。……二人に対して、本当に失礼な話だけどな。だけど今、俺は本当に大切なことに気付いたから」
俺は、頭を下げた。
「すまなかった、エナ。俺には君しかいない。どうかまた、俺の隣にいて欲しい。"ルト"と呼んで欲しいんだ」
頭を下げたまま、エナの言葉を待つ。これで駄目だったら……いや、許してもらえるまで言葉を尽くすだけだ。
「では、それを証明して下さい」
「……証明?」
エナの言葉に、頭を上げる。
証明とは、具体的にどうすれば証明したことになるのか。
「明日から十日間、私の好きなものを一個ずつ贈って下さいな。すべてきちんと好きなものを贈って下さったのなら、考えてみます」
「……好きなもの? 何が欲しいんだ?」
「それを言ったら、意味ないじゃないですか。殿下が考えて下さいませ」
「あ、ああ……」
「それと、これまで私ずっと仕事を頑張ってきましたから、その十日間は休みを下さいませ。よろしいですね?」
「わ、分かった」
否と言えるはずもない。その仕事は、本来なら俺がやるべきことなのだから。
俺の返事に、エナはにっこりと笑った。
「では、話は終わりですね。どうぞお戻り下さいませ。この後、今やっている仕事を片付けて、殿下へ申し送ることをまとめますので」
「あ、ああ……」
これは逆らっちゃいけない笑顔だ。
それを察した俺は、部屋を後にしたのだった。
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