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9.お見舞い
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案内されて入った、殿下の寝室。
……一度も使っていない夫婦の寝室ではなくて、殿下の私室にある寝室だ。そこに殿下が寝ていて、その脇にはパウラさんがいた。
「妃殿下っ……!」
慌ててパウラさんが立ち上がろうとしたけれど、私はそれを手で制す。風邪で休まれている殿下の側で、礼儀も何もない。
「いいわ。――殿下の様子は、どう?」
言いながら、殿下の顔を見る。熱のせいだろうか、赤い顔をして苦しそうにしている。そして、口が動いていた。
「……たすけて、くれ。だれか、たすけて」
それを聞いて、私はパウラさんに視線を向けると、静かに首を横に振った。
「ずっと、繰り返しているんです。それだけをずっと、辛そうに」
「そうなのね……」
正直な所を言えば、「来るな」と追い返されることも覚悟しながらここに来た。寝ていてホッとしたけれど、魘されている姿が想像以上に辛そうで、見ているこちらも胸が苦しくなる。
パウラさんとは反対側に、用意された椅子に座る。そして、パウラさんが殿下の手を握っていることに気付いた。
「……………」
迷惑かもしれないと、頭をよぎった。私なんかが力になれるはずがない。それでも、私は手を伸ばしたくなる衝動を、堪えきれなかった。
恐る恐る、手を伸ばす。いきなり手を握る勇気は出なくて、伸ばした先は額に乗っている布だ。汗ばんでいるのが分かったから、その布で汗を拭き取る。
「妃殿下、私どもがやりますので」
「代わりの布をちょうだい」
侍女の言葉に答える代わりに、使った布を差し出す。それ以上は何も言われず、侍女は布を受け取り、新しく水で絞った布を渡してくれる。それを殿下の額に乗せたけれど、苦しそうな顔は変わらない。
私はもう一度手を伸ばした。緊張しつつも、何度も私の手を取ってくれた、殿下の手に。何か反応を期待していたわけじゃない。振り払われることだって、覚悟した。
「…………!」
だから、私は驚いた。
殿下は、振り払った。……パウラさんの、手を。そして、恐る恐る伸ばした私の手を、握ったのだ。力強く。
「な、んで……」
なぜパウラさんの手を払うの。なぜ、私の手を取るの。
思わず殿下の顔を見て、気付いた。
相変わらず赤い顔だけど、その口は閉ざされていた。つい先ほどまで魘されていたのが嘘のように、安心した顔をして眠っている。
「あら」
「まあ……」
エレーセや他の侍女たちが少し驚いたように、微笑ましそうにつぶやいたのが聞こえて、私は我に返った。
「こ、これは、ただの偶然でしょう……!」
「偶然と言うには、ちょっとタイミングが良すぎますよ。本当にずっと、苦しそうにされていたのですから」
ずっと殿下の側で世話をしていた侍女に言われれば、信じるしかない。
――でも、本当に……? 私の手を取って、それで安心したの……?
聞きたくても、当の本人はほんのり笑顔を浮かべて、寝ているだけ。でもその笑顔に、私は激しく動揺する。
「殿下が落ち着かれて良かったです。あたしはこれで退室します」
「……ま、待ちなさい、パウラさん」
衝撃で、パウラさんの存在が抜け落ちていた。手を振り払われた側のパウラさんは、どういう気持ちなのだろうか。
そのまま退室しようとする彼女を、慌てて引き留める。
「疲れたなら、いったん戻って休むのは構わないけれど、休んだらまた戻ってきてちょうだい」
「妃殿下がいらっしゃれば、あたしは不要です」
「そんなはずないでしょう。この二週間、殿下が側に置いたのはあなたなのだから」
殿下は寝ているのだから、その行動の理由を求めてもしょうがない。殿下の目が覚めたとき、側にいるのはパウラさんでなければいけない。それを、彼女自身も分かっていなければならない。
「……かしこまりました。そのようにいたします。けれど妃殿下、これだけはお伝えします」
パウラさんの目は、どこか泣きそうな目に見えた。
「あたしと一緒にいても、殿下はあたしを見ていませんでした。いつもあたしを通して、誰かを見ておりました」
「……え?」
「それだけです。では申し訳ありませんが、お言葉に甘えて一度退室させて頂きます」
頭を下げて出ていくパウラさんを、私は呆然と見送った。
「どういうこと……?」
つぶやいた疑問に、返ってくる答えはなかった。
……一度も使っていない夫婦の寝室ではなくて、殿下の私室にある寝室だ。そこに殿下が寝ていて、その脇にはパウラさんがいた。
「妃殿下っ……!」
慌ててパウラさんが立ち上がろうとしたけれど、私はそれを手で制す。風邪で休まれている殿下の側で、礼儀も何もない。
「いいわ。――殿下の様子は、どう?」
言いながら、殿下の顔を見る。熱のせいだろうか、赤い顔をして苦しそうにしている。そして、口が動いていた。
「……たすけて、くれ。だれか、たすけて」
それを聞いて、私はパウラさんに視線を向けると、静かに首を横に振った。
「ずっと、繰り返しているんです。それだけをずっと、辛そうに」
「そうなのね……」
正直な所を言えば、「来るな」と追い返されることも覚悟しながらここに来た。寝ていてホッとしたけれど、魘されている姿が想像以上に辛そうで、見ているこちらも胸が苦しくなる。
パウラさんとは反対側に、用意された椅子に座る。そして、パウラさんが殿下の手を握っていることに気付いた。
「……………」
迷惑かもしれないと、頭をよぎった。私なんかが力になれるはずがない。それでも、私は手を伸ばしたくなる衝動を、堪えきれなかった。
恐る恐る、手を伸ばす。いきなり手を握る勇気は出なくて、伸ばした先は額に乗っている布だ。汗ばんでいるのが分かったから、その布で汗を拭き取る。
「妃殿下、私どもがやりますので」
「代わりの布をちょうだい」
侍女の言葉に答える代わりに、使った布を差し出す。それ以上は何も言われず、侍女は布を受け取り、新しく水で絞った布を渡してくれる。それを殿下の額に乗せたけれど、苦しそうな顔は変わらない。
私はもう一度手を伸ばした。緊張しつつも、何度も私の手を取ってくれた、殿下の手に。何か反応を期待していたわけじゃない。振り払われることだって、覚悟した。
「…………!」
だから、私は驚いた。
殿下は、振り払った。……パウラさんの、手を。そして、恐る恐る伸ばした私の手を、握ったのだ。力強く。
「な、んで……」
なぜパウラさんの手を払うの。なぜ、私の手を取るの。
思わず殿下の顔を見て、気付いた。
相変わらず赤い顔だけど、その口は閉ざされていた。つい先ほどまで魘されていたのが嘘のように、安心した顔をして眠っている。
「あら」
「まあ……」
エレーセや他の侍女たちが少し驚いたように、微笑ましそうにつぶやいたのが聞こえて、私は我に返った。
「こ、これは、ただの偶然でしょう……!」
「偶然と言うには、ちょっとタイミングが良すぎますよ。本当にずっと、苦しそうにされていたのですから」
ずっと殿下の側で世話をしていた侍女に言われれば、信じるしかない。
――でも、本当に……? 私の手を取って、それで安心したの……?
聞きたくても、当の本人はほんのり笑顔を浮かべて、寝ているだけ。でもその笑顔に、私は激しく動揺する。
「殿下が落ち着かれて良かったです。あたしはこれで退室します」
「……ま、待ちなさい、パウラさん」
衝撃で、パウラさんの存在が抜け落ちていた。手を振り払われた側のパウラさんは、どういう気持ちなのだろうか。
そのまま退室しようとする彼女を、慌てて引き留める。
「疲れたなら、いったん戻って休むのは構わないけれど、休んだらまた戻ってきてちょうだい」
「妃殿下がいらっしゃれば、あたしは不要です」
「そんなはずないでしょう。この二週間、殿下が側に置いたのはあなたなのだから」
殿下は寝ているのだから、その行動の理由を求めてもしょうがない。殿下の目が覚めたとき、側にいるのはパウラさんでなければいけない。それを、彼女自身も分かっていなければならない。
「……かしこまりました。そのようにいたします。けれど妃殿下、これだけはお伝えします」
パウラさんの目は、どこか泣きそうな目に見えた。
「あたしと一緒にいても、殿下はあたしを見ていませんでした。いつもあたしを通して、誰かを見ておりました」
「……え?」
「それだけです。では申し訳ありませんが、お言葉に甘えて一度退室させて頂きます」
頭を下げて出ていくパウラさんを、私は呆然と見送った。
「どういうこと……?」
つぶやいた疑問に、返ってくる答えはなかった。
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