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第3章 慟哭する亡霊洋館【case2:精霊獏】
ep.24 宵闇に忠誠を誓った獏
しおりを挟む「僕のパートナーは、この洋館の主だったイザーク・カレ。今は亡き、カレ伯爵だ」
「カレ、伯爵……」
貴族社会について詳しくない私は、そういう家があったのかというニュアンスで、精霊獏の言葉を復唱した。
「……玄関のドアノッカーの装飾にあった、四角を組み合わせたものはカレ伯爵家の家紋でしたね。獏のモチーフが重なっていので、最初は気が付きませんでしたが」
「あぁ、君もあれ、見てくれたんだ? 何を思ったのか、家紋の上に僕のモチーフをくっつけちゃってね。変わった男だったよホントに」
副団長からの指摘に、精霊獏はクスクスと笑いをこぼす。
「どうやらイザークは、貴族社会では気難しくて変わった人間、そういう風に有名だったらしいね。でも僕はそんな彼と気が合って、パートナー契約を結んだんだ。それから彼が年を取って、彼の寿命が尽きるその時まで、2人で自由気ままにここで過ごしたよ。あぁ……楽しかったなぁ」
きっと幸せな日々を思い返しているのだろう。
精霊獏は、私達と対峙していた時の強張った表情とは全く異なる、優しい表情をしていた。
「だけど、イザークが病で亡くなってすぐの事だ。財産や洋館を目当てに、今まで音沙汰がなかった親族の人間が、ここにズカズカと足を踏み入れるようになったんだよ」
親族には碌な人間がいないんだって、イザークがグチグチ言ってたのをようやく実感したよねと、精霊獏は苦笑いのような表情を浮かべた。
「もしかして……貴方はお爺さんの親族を追い出すために、怪奇現象を起こしていたの?」
だから亡霊洋館だと噂は広まり、次第に人が寄り付かなくなった……?
「うん、正解。面倒な親族を何度か追い払って、来なくなった後は、まぁ……悪戯とか度胸試しで、夜に門を乗り越えて無断侵入してくる人間も、たまにいたから。その時はご要望通り、驚かしてあげたけど」
「どちらかといえば、そちらの方が亡霊洋館の名前を助長させていたようにも思いますけどね」
副団長は何とも言えない顔を精霊獏に向けた。まぁ、無断侵入する人の方が悪いから、精霊獏にあれこれ文句を言う気はないようである。
「まぁね。あぁ、ここ最近騎士団が来た時は、普通に失礼な態度で侵入してきたからってのもあるけど、昼間は眠いのに無理やり起こされたからさ。寝起きが悪くて、ちょっと精霊魔法が暴走ぎみだったかも。それは謝るよ』
「それはこちらとしても、団員のマナーがなっておらず、大変失礼をしたと思っています。副団長として謝罪いたします」
私は副団長に倣って、一緒に深く頭を下げる。そんな私達に、精霊獏はもういいよ、と軽く笑ってくれた。
「イザークはさ、生前話していたんだ。この洋館の価値を心から理解し、大切にしてくれる血縁者に財産とともに譲りたいって。僕は、そんな彼の願いを叶えてあげたかったんだ」
精霊獏の悲しみは、精霊魔法となって小さく洋館を揺らした。本当は慟哭する程の想いをグッと飲み込んで、隠すかのように。
「だからその時まで、この洋館を守るって約束した。ほんの少しだけ期待をしてたけど……何年経っても叶いそうにないし……もう無理なのかなぁ……」
遥か遠く、窓の向こうを静かに眺める精霊獏。終始言葉を発する事なく見守っていたニアは、その横にそっと寄り添っていた。精霊獏は窓からゆっくりと視線を逸らすと、副団長へと視線を向ける。
「……これが僕がイザークとした約束。で? 騎士団が来てたのは、ここの老朽化の調査だっけ?」
「はい。元々建築年数が古い建物だったようでしたので、人が住まなくなった事もあり、恐らく老朽化はかなり進んでいると思います」
「このままだと……人間社会ではどういう扱いになってしまうのかな」
「……そうですね。正式な後継者がいない場合は、土地とともに王国へと還す事になるかと。最悪、取り壊しも考えなくてはいけないかもしれません」
『シルヴァ、そんなはっきり言わなくても……』
ニアが顔をしかめながら副団長を非難すると、精霊獏はぷるぷると首を横に振った。
「ううん。変に気を遣われて、隠されるよりもいいよ。精霊猫の君も、ありがとう」
それから副団長は精霊獏へ今後についての流れを説明し、誠実に対応した。
不特定多数の団員ではなく、選抜された少数の団員が、事前に約束した日にだけ確認の為に洋館を訪れる。そういう約束を、精霊獏の許可を貰ったのだった。
亡霊洋館の正体も、その理由もきちんと分かったのに、どこか釈然としない終わりを迎えてしまった。
幸せな終わりを迎えられない事だってある。
頭では分かっているけれど、精霊獏の想いを考えると、私は胸がずくりと痛んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
私がその店の扉を開けると、扉の上部に付いていたベルが揺れ、チリリンと可愛らしく鳴った。開けた途端に、香ばしい焼きたてのパンの香りが鼻をくすぐる。
「いらっしゃいませ……あ、メルさん!」
「こんにちは、リアムさん」
私は休日を利用して、城下町の猫使いのお兄さんこと、リアムさんが働いているパン屋へと足を運んでいた。
猫誘拐事件から、今日が初めての来店という訳でもない。お互いの名前も知るくらいには、実は常連さんとして仲良くなったのである。
イートインできるちょっとしたスペースが併設されているので、私は飲み物を注文し、選んだパンを会計してから窓際のカウンター席に着いた。木で出来た温かみのある造りで、優しい雰囲気に包まれたこのお店は、とても落ち着ける空間だ。
少ししてから、リアムさんが注文した紅茶を運んできてくれた。
「今日も猫の確認をしに来てくださったんですか?」
「はい。自分の買い物ついでとかにはなっちゃうんですけど、念の為」
隣国の怪しい団体が諦めていなかったら、金目の猫はまた攫われてしまうかもしれない。そう危惧している私は、何かいい保護の方法がないか、ずっと考えていた。
もちろん私1人だけじゃなく、騎士団をはじめとして、リアムさんも一緒に考えてくれているので、頼もしい事この上ないのだが。
「いやいや、ありがたいですよ~! 僕も今日はもうすぐ仕事が上がりになるので、路地裏に顔を出せるかなとは思うんですが……」
今何時くらいかな……そう言って時間を確認する、リアムさんが手にしていた懐中時計に、ふと目がいった。
「わぁ……素敵なアンティーク調の懐中時計ですね」
「ありがとうございます。かなり年季は入っているんですけど、味があっていいですよね。実はこれ、母の形見なんです。メルさんはアンティーク品に詳しいんですか?」
「あっ、いえ、全然ですよ!? 最近そういう品を見る機会があったもので……」
慌てて否定したけれど、よかったら近くで見てみてください、と手渡されてしまった。
えぇぇ……人様のお母さまの形見を……?
恐縮しながら、私は懐中時計の蓋をそっと開けた。
その蓋の内側に彫られた模様を見て、息をのんだ。
だって、それは私がつい最近見た事のある、四角をモチーフにしたあの家紋だったから。
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