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第3章 慟哭する亡霊洋館【case2:精霊獏】
ep.26 幸せをもっといっぱい
しおりを挟む「……あれ? 約束した日よりも随分早い来訪だね。何か緊急の用事でもあった?」
既に実体化を済ませた精霊獏が、私達の前に姿を現した。
トコトコと階段を下りてきて、精霊獏は不思議そうに首を傾げている。
「約束した日にしか来ないと言っておきながら申し訳ありません。お察しの通り、緊急で確認してもらいたい案件があり、お邪魔させていただきました」
副団長はそう告げると、リアムさんに目で合図を送る。リアムさんはゆっくりと精霊獏の前に立って、ペコリと頭を下げた。
「えぇと、初めまして。リアムと言います。僕が母から受け継いだ懐中時計が、カレ家の物だったそうで……母はカレ家の血筋のようなのですが、懐中時計が本物か確認していただきたく、持ってまいりました」
精霊獏は、リアムさんが話している間、じっと静かに見つめていた。
「……うん。君の言葉からは、嘘も悪意も感じられない。全部本当の事なんだね」
そうか、君がイザークの遠縁の子なんだと、精霊獏はホッと力を抜いて微笑んだ。
懐中時計を確認するよりも先にそう結論づけた精霊獏に、副団長もリアムさんもどうして、という顔を向けていた。
私はというと、何故かその言葉に納得していた。もしかしてだけど……
「あの、今のお話の感じって、獏は悪夢を食べる……そういう言い伝えみたいなものが関係してたりしますか?」
私が問いかけると、精霊獏は驚いたように大きく目を見開いた。
「本当に……君は動物の事をよく知ってるんだね。でも本来は夢というよりも、人の悪意を食べる、そう言った方が正しいかもしれない。僕は人の感情に敏感で、潜在的に人の言葉の中に悪意が含まれているのかが分かるんだ」
なるほど。その能力で、訪れるカレ伯爵の親戚の悪意を感じ取った……という感じなのかな?
「君が連れてきてくれた彼は、純粋な心の持ち主のようだ。カレ家の懐中時計を売らず、大事に持っていてくれた。そして動物を第一に考える優しさも持ち合わせているようだしね」
精霊獏は嬉しそうに笑ってリアムさんを見つめると、実体化を解き、精霊の姿に戻った。
『彼なら大丈夫だ。洋館を託せる人がいて、ようやく安心できたよ……本当に、ありがとう』
「……?」
何かが、いつもと違う感じがした。
ふわりと浮かんだ精霊獏の半透明の身体はもう既に、半分くらい見えなくなっていたのだ。私なら、精霊動物の姿が見えなくなるなんてはないのに……?
「ま、待ってください……! いなくなってしまうんですかっ……?」
自分の存在を、この世界から消そうとしている。
精霊獏に向かって私が思わず叫ぶと、リアムさんが驚いた様子でこちらを見た気配がした。
「メル、精霊動物に寿命という概念がないのは知っている?」
「……うん」
ニアからの問いかけに、私は小さな声で返事をした。
「だから本来であれば、パートナーが寿命を迎えると、自分の意志で空に還って新しく生まれ変わるか、このままの姿でまた別の人間と契約を結ぶかを選べるの。……パートナーと一度結んだ契約は、切っても切れない大切な絆になる。それでも新しいパートナーを作らずに1人で残っているのは、精霊動物としては稀なのよ。よっぽど前のパートナーとの絆が強いか、その人の生前の願いを叶える為に自分が生き残っているかね」
「じゃあ精霊獏は、伯爵の願いを無事に叶えたから……」
空に還ってしまうの……?
私が声に出さずに飲み込んだ言葉を察してか、精霊獏は小さく微笑んだように見えた。
「あのっ……! 僕と、もう少しこの洋館で過ごしませんか……!?」
「ねぇ、ちょっとだけ試したい事があるんだけど、精霊獏も付き合ってくれないかしら?」
リアムさんの声と、ニアからの突然の申し出が、見事に被った。精霊獏も私も副団長も、皆ポカンである。
リアムさんが、ニアにどうぞどうぞと発言権を譲った。
「コホン……話を聞いた感じ、リアムは貴族の血が混じってるのよね? 薄々気が付いてはいたんだけど、自覚がないだけでリアムには精霊適性がありそうじゃない?」
「えっ、そんなこともあるんですか?」
ニアの見解に、リアムさんは動揺のあまり声が裏返っていた。
「ええ。相性のいい精霊動物に出会ってなかったっていうのも、気が付かなかった原因かもしれないわ」
ニアは、うにゃうにゃ……と猫らしく唸りながら、リアムさんの周りをウロウロとする。
「うぅん……ただ、適性自体が低いのは確かね。相性がよっぽどよくないと無理かもしれないわ」
物は試しでやってみたらどうかしら、とニアは前足をちょいちょいと上げて、リアムさんを呼んだ。
「ここに立ってみて。どう? 何か近くで感じる?」
リアムさんはおずおずと、自分の周囲に手を伸ばして、見えない精霊獏の姿を探した。最初は自分の左右に、次は後ろ。
そして目の前に手のひらをかざした時、リアムさんはピタリと手を止めた。
私はその姿にハッと息をのんだ。そう、精霊獏はリアムさんのすぐ目の前にいたから。
「……不思議ですね。姿は見えないのに、温かくて優しい気配がします……ここに精霊獏さんがいるんですか?」
リアムさんは、くすぐったそうに笑った。
『……っ!』
精霊獏にはきっと、リアムさんが嘘偽りなく言葉を紡いでいるのが感じ取れたのだろう。
リアムさんは、見えていないのはずなのに、精霊獏の頬をそっと優しく両手で包み込んだ。
「洋館を維持するには、工事が必須だと聞きました。でも、なるべくこのままの姿を残せるようにしたいと思っています。お恥ずかしながら、僕だけじゃこの洋館の事は分かりません。だから貴方に教えてもらえたら嬉しいです。……パートナー契約が出来なくてもいいんです。イザーク様との絆を無理に切る必要もありません。少しの間だけ、僕と家族になってくれませんか?」
『君は……初めて会ったのに、僕の想いまで汲み取ってくれるのか……そっか。イザークとの思い出を抱えたまま、もう少しここに留まるのもいいのかもしれないね』
「それに僕、イザーク様との思い出話も、沢山聞きたいですし!」
リアムさんに精霊姿の声は聞こえていないはずだけど、2人の会話は不思議と成立していた。
『うん……ありがとう。君とならいいよ。結んでみよう、パートナー契約を』
リアムさんの両手と、精霊獏の頬。
触れ合ったままの2人の間に、キラキラと小さな光の粒が舞い落ちて2人の中に溶け込んでいく。それはパートナー契約の成立を意味していた。
「わぁ……精霊の姿の君に会えました……!」
『これからよろしくね、リアム。パートナーとして、僕に新しい名前を付けてくれないか?』
「じゃあ……ミニュイ。そう呼んでもいいですか?」
リアムさんは暫く悩んだ末に、そう呟いた。ミニュイは確か、真夜中を意味する言葉だった気がする。夜に活動する精霊獏にピッタリの名前だ。
『……!!! あぁ……あぁ、勿論だよ……!』
精霊獏は何故か、今日一番の驚きを見せた。見開いた瞳からは、涙がこぼれ落ちそうになっている。
「ははぁ……奇跡って、何度も起きるものなのねぇ……」
ニアは何か思うところがあるのか、感慨深そうに頷いていた。ニアにミニュイはどうして泣きそうになっているのかと聞こうとした時、くいと肩を掴まれた。
「……何となくは察して様子を見てましたが、一部始終を説明してください」
「あ」
苦い顔をした副団長が、私にぐいと顔を近づけてくる。
そうか、私とニアは普通に聞こえるから気にしてなかったけど、副団長は精霊姿に戻った獏の声が聞こえないんだった。
副団長が空気に徹していたの、ちょっと面白いかも。私の口角がにまにまと持ち上がっているのを見て、今度は渋い顔をしている。
「……いい度胸ですね、アシュレー?」
「ひぇっ、すみませんっ! 気になりますよね、そうですよね……!」
でも距離が近いんですってば……!
貴方の女嫌いとやらはどこいったんだという言葉が、ここまで出かかった。
「私が教えてあげるから、もうちょっとメルから離れなさいよねっ!」
困っている私を見かねたニアが副団長の額に、ていっ! と猫パンチをお見舞いしてくれた。
――それから暫くして、亡霊洋館は無事に改修工事の運びとなった。
洋館の一角が野良猫たちの保護カフェスペースとして生まれ変わるのは、もう少しあとの話である。
―第3章 終―
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