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第5章 死神は十字架を背負うべきか【case4:精霊栗鼠】
ep.36 貴方の時も止まったまま
しおりを挟むそれから少しして副団長は書類を書き終えたようで、静かにペンをテーブルに置いた。そのペンに視線を向けたまま、副団長の口が小さく開く。
「……今日の私の休暇理由については、団長から聞いてますよね?」
「はい。あの、お兄様の命日とだけ、ですけど……」
私が自信なさげに小さな声で告げると、副団長は私を見て、少しだけ驚いたような顔をした。
え、人のプライバシーに関する事を根掘り葉掘り聞くような女だと思ってました……? 流石に心外なんですけど……?
「えーっと、副団長がお嫌でしたら、このままそろっと人目に付かないようにして帰りますので。もしバレても、ご家族への挨拶がなくて「不敬だ!」とか言われないように、きちんと根回ししてくださいね?」
私が必死に言質を取ろうとしているのが可笑しかったのか、副団長の顔には、ふ、と力が抜けたような笑みが見えた。
「大丈夫ですよ。……兄への祈りの時間は既に終わりましたから。あとは形式ばった食事会を終えれば……すぐに騎士団へ戻るつもりです」
「……え? あ、そうなんですか……?」
私は前のめりになっていた身体をソファーに戻した。
「はい。この家に……私の居場所はありませんので」
……居場所が、ない? ご実家なのに?
徐々に湧き上がってくる疑問に、追いつけなくなっている私を知ってか知らずか、副団長は更に言葉を続けた。
「……病弱だった5つ上の兄は、私が生まれた同日に亡くなったそうです」
「……っ、え!?」
突然の爆弾発言にギョッとして、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「ちょ、副団長……!? これって、私が聞いていい話じゃ……!?」
「いいんですよ。その内どこかから嫌でも聞く事になるでしょう」
副団長は、私を静かにじっと見つめた。
「だったら、私が君に直接話したいんです」
その真っすぐな瞳に吞まれそうになって、私はあわあわとした動きをピタリと止める。辛うじて、コクリと首を縦に動かした私なのだった。
「次男はその子どもの命と引き換えに、死神に連れていかれたんじゃないか。産後の母親は息子の死に際に立ち会えなかった。そういった心無い親戚からの言葉に、家族は心を痛めました。あぁ……私自身、家族から表立って蔑ろにされた事はありません。ですが、どこか一歩引いた状態で接されているように感じてしまい……どうにも、実家は居心地が悪くて」
「そう、だったんですね」
そこから家族との溝が埋まる事なく、今に至っている……という感じなのだろうか。
長い年月の中で自然と時間が解決してくれる事もあれば、秒針が狂ったまま止まってしまう、時計のような事もある。
詳しい事は分からないけれど、ステラ家は恐らく後者の方なんだろう。
ただ私は、その話を聞いてようやくあの嫌な噂話が出回っている理由が分かった。
人の不幸話が好きな一部の貴族達が、【ステラ家の死神】の話を聞いて、副団長の強さへの妬みも込めて副団長を揶揄し、今もなおそうやって噂しているのだと。
「……辛かった、ですよね」
ありきたりな事しか言えなかったけれど、もしも自分がその境地にいたらと、想像しただけでゾッとした。
私の生まれや境遇だって、普通の家とは全く異なるものだ。でも、私はカインの家で育ててもらって、カインの家族から、血が繋がっていなくても沢山の愛情を受けたから。
物心ついた頃にはもう既に家族がよそよそしくて、家の雰囲気が暗い事に気が付いたら?
知らない人間から、家族が話してくれない自分の家の事情を……聞いてもいないのに聞かされたら?
たとえ何かしたくても、子供じゃ自分で動く事もできなかっただろう。
そんなの、私だったら歯がゆくて仕方ないよ。
「そうですね……なので学園へ通える年齢になってからは、ずっと学園の寮で生活をしていました。今も実家に帰るのは年に1回、兄の命日にだけです」
「あぁ、そういうご事情で寮に……色々と、納得しました」
副団長が普段寮暮らしをしている理由は分かった私は、なるほど……と頷いた。
「……あれ?」
「どうかしましたか?」
そういえば、副団長の側にニアがいない。
ニアは基本的にフリーダムな猫だけど、副団長との絆や信頼関係はしっかりあると思う。そのニアが、副団長が居心地が悪いと語ったステラ家の中で、副団長のそばにいないっていうのもなんだか変だな……?
なんというか、ニアらしくないっていうか……
不思議に思った私は、思わずその疑問を副団長に問いかけていた。
「あの……副団長? さっきから少し思っていたんですけど、ニアって……今日、いないんですか?」
「ニアは……毎年この日になると、姿を消してしまうんです。この家のどこかにいるという事は分かりますし、私が家を出る頃にはいつの間にか側に戻って来るのですが……何をしているのかは聞いても教えてくれなくて」
「えぇぇ……?」
それじゃ、副団長が余計にこの家で疎外感を感じてしまうと思うんだけど……ニアは副団長にも内緒で、一体1人で何をしてるんだろうか?
悶々と考えていたら、部屋に再びノック音が響いた。
「はい」
さっきの執事さんだろうと思い、私があまり深く考えずに条件反射で返事をすると、扉を開けたのは見知らぬ人だった。
「シルヴァ……? それに……そちらのお嬢さんは……?」
「……父上」
一瞬にして、副団長は表情を硬くした。
「え、え?」
私はテンパりながら、副団長と副団長のお父様を交互に見返した。確かに、よく見たら雰囲気がそっくりだ……!
「だが、その団服……お前の職場の方だろう? 私もだが、アリアだって挨拶くらい……」
「……父上達には関係ないでしょう。……アシュレー、行きましょう。送ります」
副団長はそう告げると、私達が座るソファーの近くまで足を進めていたお父様とすれ違うようにして、1人扉へと向かってしまう。
「あ、あの、お邪魔しました……!」
私は副団長のお父様にペコリと頭を下げてから、慌てて部屋を出て副団長の後ろ姿を追いかけた。
ちょ、副団長……足が長いうえに、早足で歩くから追いつかないんですけどっ……!
このままじゃ玄関ホールに着くまでに絶対追いつかないと悟った私は、小走りになりながら声を掛けた。
「副団長っ!」
私の声にハッとした様子の副団長が、やっと歩みを止めてくれた。
「っ、すみません」
「あのっ……ニアを探しにいきませんかっ!?」
「…………はい?」
私が予想外の発言をしたからか、副団長はポカンとした顔になった。
私はその隙に、副団長の片腕を両手で掴んで、玄関ホールとは正反対の方向へ足を向けた。
「ちょ、アシュレー? 急に何を……」
「ニアが何をしているのか教えてくれなくても、どこにいるのか探しちゃダメなんて言われてないですよね?」
さっきまで早く帰りたがっていた私が、突拍子もない事を言っている自覚はある。
だけど、この家の、異様なまでに静かな雰囲気。
部屋を出る時に一瞬だけ見えた、副団長のお父様の悲しそうに歪んだ表情。
ステラ家の時が止まったままなのは、副団長のせいじゃないんだと、何かもっと他の理由があるんじゃないかと思いたくて。
もしかしたら、ニアもそれを探してくれているんじゃないかって思いたくて。
マナーなんて今は忘れて、私は副団長の手を握ったまま、ステラ家の廊下を走りだした。
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