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7.縮まる距離
しおりを挟む夜も更けた頃、外はすっかりどしゃ降り雨に変わってしまっていた。雨音も時折激しく聞こえてくる。窓を見つめると、苦い表情を浮かべた自分の顔が写った。
「……頼むから、あんまり酷くならないでよ……?」
今夜は長くなりそうだなと思い、普段の仕事スタイルであるきっちりと纏めた髪の毛を一度解いた。本当ならウィッグも外したいところだけど、そこは堪えて、緩く三つ編みに縛り直すだけに留めておく。これで少しは楽ちんだ。尚、伊達メガネは勿論付けたままである。
チリン、と呼び出しのベルが小さく鳴った。
扉を一枚隔てた先の寝室に向かうと、ベッドの横にある一人掛けのソファーに腰掛け、書類に目を通すレオ様が居た。側に置かれていた小さめなサイドテーブルには、不似合いな程の書類の多さである。
レオ様の夜の過ごし方を初めて見たけれど、この方は寝る前にも色々とお仕事をされているのか……
せっかく楽な寝間着を着用しているのに、これじゃ寝る前のリラックスタイムなんてあるのかも怪しいものである。私の前では腹黒で意地悪な王子様でも、何だかんだ真面目な姿を目の当たりにして、呆れを通り越して少しだけ、尊敬の念が生まれた。
「いつものやつが飲みたい」
書類から目を離したかと思うと、私を見てミルクティーを希望する。
「……就寝前なので、ミルクティーは出しませんよ?」
チッ、と舌打ちをする姿は普段と変わらなかった。なんだ、夜でも通常運転か。
「お前は普段夜にいないんだから、今日くらいいいじゃないか。……というか、その髪」
ん? と首を傾げる私に、目を細めて軽く笑った。
「いつもの堅苦しい髪型より、それくらいラフな方がいい」
「……あ、ありがとうございます……?」
褒められてるのか、はたまた普段の髪型を貶されているのか。よく分からなくなった私は、とりあえずお礼を述べたのだった。
「……レオ様、そろそろいらっしゃるようです」
「本当に来やがったのか」
扉付近に待機していたロラン様が、小声でそう告げた。レオ様はハァ、と溜息をつくと、私の腕をパッと取る。
「えっ?」
「ルル、こっち」
グイ、と引かれるままに連れて行かれ、私は待機室へと逆戻りしたのだった。
「あ、あの? レオ様もこちらに来てしまっていいんですか……!?」
あたふたしている私を他所に、レオ様は真剣な表情で、今しがた閉めたばかりの扉に身体を近づけた。
聞きたい事は色々あるけれど、今は騒いでいる場合じゃないって事か。私はレオ様に倣って、隣で寝室の様子を覗き込む。ちなみに扉に付いている隠し穴は、今回の為だけに特注で作ったらしい。
さっきまで私たちがいた寝室のベットに腰掛ける人は、扉越しに見ていると、背格好がレオ様に瓜二つだった。ほんのりうす暗い部屋の中じゃ、別人だと気づける人は殆どいなそうだ。
「ハーニャ嬢、こんな夜遅くにどうしたんだい?」
「レオドール王子。夜間の私室への入室、失礼である事は充分承知でございます。……ただ、政務をこなされているお疲れの身体を、私が癒やして差し上げたいと思って……」
「わぁ……影武者の方、声まで似てる……お上手ですね」
「元々そういう事に特化した間諜だからな」
私たちがヒソヒソと話している間に、事は進んでいた。ハーニャ様は肩にかけていたショールを自らスルリと外す。露出の激しい艶やかなナイトドレスが現れる。その胸元を更にはだけさせながら、影武者の方に迫り、そのまま押し倒したのである。
普段はそんな風な方に全く見えなかったのに。女の私でも顔が赤くなるレベルの色気に、クラクラとあてられそうになった。
「入室の許可をいただけたのは、そういう事ですよね……?」
妖艶に微笑んだハーニャ様は、顔を首元にうずめ……たところで居室の明かりが、パッと全て点灯した。
「きゃっ、何……? ……っ!?」
襲われそうになっていた影武者の方、寝室で身を潜めていたロラン様、そして隣室で一部始終を見ていたレオ様と私。はい、目撃者多数。レオ様もこの目で見たという事で、ハーニャ様は反論の余地もなく、すぐにロラン様と護衛騎士様によって、別室へと連れていかれたのだった。ハニートラップ、恐るべし。
この夜這い事件は、どういった処分を下されるんだろうか。また一人、花嫁候補の脱落者が出てしまった事に、何ともいえない気持ちになった私だった。
────────────────
雨音だけが響く部屋には、レオ様と私の二人だけがポツリと残った。
「あー、終わった終わった」
レオ様は張っていた気をようやく緩めたようで、ベッドにボスッと腰掛けた。
「ま、思ったよりスムーズに事は片付いたか。今回のネズミトリは、ロランの勘が冴えたな」
「ですね」
きっとロラン様も普段から女性に言い寄られているだろうから、それで分かったんだろうなぁ……
その時、外がピカッと光ったかと思うと、一拍遅れですぐに雷の音が轟いた。まずい。私がヒュッと息を詰めたのとほぼ同時に、部屋まで真っ暗になってしまった。
「……雷か。近くに落ちたのか……」
「っ……!」
私は腰が抜けて、その場にぺたんと座り込んだ。寒いわけではないのに、カタカタと震えは止まらない。立とうという自分の意思とは反対に、腕と足には上手く力が入らなかった。
「……ルル? 大丈夫か?」
近くにいるはずのレオ様の声が、やけに遠くに聞こえる。
雨の夜。真っ暗な部屋。
雷は、いつまで経っても駄目だ。あの日の夜を嫌でも思い出すから。
父様、母様、どうして帰ってこないの──
「おいっ……!? ルル、どうした?」
──肩を掴まれて、私はハッと思考の渦から戻ってくる。
私の異変に気がつき、近づいてしゃがみ込んでくれたのだろう。暗闇の中で、レオ様の気配をすぐ近くに感じた。
「す、すみません。か、雷がっ……苦手でっ……」
震えながら、やっとの思いでそう告げた、と同時に、私に伝わってきたのは温もりだった。
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