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0_悪逆神帝の最後
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桜待祈里が腰の刀に手を掛けようとした時、その掌を貫いて剣が胸に突き刺さった。一瞬遅れて体に激痛が走る。祈里は胸に刺さった剣が抜かれると、身体を支えきれずに玉座から崩れ落ちた。白い軍服が瞬く間に赤く染まり、床まで広がる。
刺された胸を手で抑えるが、血は止めどなく溢れ出す。ああ、死ぬのだと、やけに冷静な頭の中で呟いた。
「この国は終わりだ」
凛とした、よく響く声が祈里の耳に届いた。彼の声は今まで何百回と聞いてきたが、こんなに澄み渡るような声はを聞いたのは初めてだった。彼はいつも祈里を非難し、侮蔑する言葉を吐くばかりだったからだ。
祈里は思わず自虐の笑みを零した。自分がいなければ、彼はこんなにも美しい声を出せるのだ。己という存在が、彼にとってどれだけ疎ましいものだったのか改めて感じた。
祈里は床に這いつくばったまま、自分を刺した男を見上げた。
クリスティアナ=ミュラメント。敵国ミュラメント聖国の第三皇子にして、人々に愛された高潔の騎士。そして、祈里がもうすぐ終わる生涯で唯一愛した男である。騎士として申し分ない堂々とした体躯に、陽を透かす淡い金髪が輝く天使の輪を描いている。大陸一の美丈夫と名高かった彼は、その美しさだけでなくその正義感の強さと清廉さに、敵味方を問わず多くの人々から愛されていた。
「……クリス」
祈里が口から血を溢れさせながら辛うじて名前を呼ぶと、クリスは微かに眉を歪ませた。
「……血の通っていない人形の様な貴方も、傷付けば血が流れるのですね」
祈里にだけ聞こえる程の小さな声でクリスはそう言った。血を流す祈里に同情したのだろう。彼は常に騎士らしい凛々しさを崩さないが、根は優しく人を傷つけることを好まない性分だ。例え正義の行いだとしても、傷つき倒れる者を前にすると良心が痛むのだろう。
だがいささか人が良すぎる。祈里はこの男を愛するがあまり、国同士の同盟を盾にして己の愛人に落したのだ。毎晩抱くことを強制する祈里を、彼がどんなに憎んだかは想像に難くない。血を流す祈里を見て気が晴れることがあっても、憐憫の情など抱くなど余りにも優しすぎる。
祈里はどうしてもこのどこまでも高潔な美しい男が欲しかった。だが人の愛し方を知らなかった祈里には、彼の騎士としての矜持を手折ると分かっていても、愛人として傍に置くことしか出来なかったのだ。
クリスは一瞬の同情から直ぐに騎士の表情に戻ると、祈里の血で濡れた剣を再び持ち上げた。
「……悪逆の神帝、桜待祈里。度重なる戦争により国々を支配し、多くの民を苦しめた罪を償ってもらう」
クリスはっきりと、だが怒りのない落ち着いた声でそう言った。それは祈里の命を奪う行為を、騎士としての、そして民の為の正義の行いであるということを証明しているかのようだった。よく見ると、クリスの後ろには何人もの兵士や官職の人間が立っていた。皆この国の人間である。ある者は主君への反逆に恐れを抱き、ある者は悪を打ち倒す正義に酔いしれているような表情をしていた。だが誰一人として、地に伏した祈里を助けようとする人間はいなかった。
宣言をされなくとも、祈里にも彼に正義があることが分かっていた。自分が悪い君主であったことも、自国の人間にでさえ「戦争好きの氷神帝」と呼ばれ恐れられていたことも知っていた。だから、これは当然の結末だと思った。
「この国を守っている結界も直に消える。そうなれば、この国は直ぐにでも他国から報復を受けるだろう」
「!」
クリスの言葉に、祈里は目を見開いた。彼の言う通り、この国を守っている結界が消えれば、この国はただの小さな島国に過ぎない。その後のことは言うまでもないだろう。だが結界を壊すには「国の君主である祈里が命を終える」だけでは無く、もう一つ条件があるのだ。その条件は代々神帝しか知らず、他の人間にも教えることも決して出来ない。だから、クリスがその条件を知っているはずがないと祈里は思った。
信じられない気持ちで祈里はクリスをもう一度見上げたが、蒼穹を思わせる淡青の瞳と目が合った時、祈里はクリスの言葉の真偽などとても些細なことだと思った。自分は死に、結界が破られればこの国は無くなるだろう。だが、それでもいいと思った。クリスの母国であるミュラメント聖国は、弱者を助けることを旨とする騎士の国だ。この国が消えたとしても、国民達にはそこまで暗い未来は待っていないだろう。それに、祈里を苛んでいた長年の苦痛も国と共に終わる。
愛した男に殺されるという事実に胸は痛むが、不思議と悲しくは無かった。むしろ、この結末を望んでいた気さえした。こちらを見下ろすクリスに目を向けると、玉座の後ろにある祈里の権威を照らす為のステンドグラスが、今は正義の天使を祝福するように彼を照らしていた。神殺しの聖剣を手に正義を行うその姿を、生涯の最後にと祈里は目に焼き付けた。クリスはその魂が輝いているのかと錯覚するほどに燦燦と煌めいており、それはクリスを一目見た時から祈里が焦がれ続けた光そのものだった。
ああ、本当に美しい。私の愛する、高潔の騎士。処刑される身であっても、自分は存外幸せなのかもしれない。この血塗れの人生を、愛した男の手で終われるのだから。
「貴方との約束、今果たします」
「……?」
クリスが小さな声でそう言ったが、祈里にはその言葉の意味が分からなかった。思い返してみても、クリスと何かを約束した記憶はない。少し気にはなったが、祈里はすぐにどうでもいいことだと思い直した。この身はもうすぐこの世から消える。もう、国のことも、未来のことも、祈里には関係ないことだ。今の祈里は、ただの死にかけの人間なのだから。
「クリス……」
祈里は掠れた声で彼の名前を呼び、手を伸ばした。血を流し過ぎたせいか手を上げることも出来ず、ただ無様に床を這いつくばるようにしか動けない。床に落ちた影の動きで、クリスが剣を持ち上げたことが分かった。あの剣が振り下ろさせた時が、この命の最後だ。
死ぬことは怖くない。祈里の人生で一番の後悔は、愛した人間を身勝手な愛ゆえに不幸にしてしまったことである。本当は、祈里は彼の幸福を誰よりも願っていたはずだった。
祈里の伸ばされた手は、愛した男には届かなかった。
愛してる――
それが悪逆の神帝・桜待祈里の最後の言葉であった。
刺された胸を手で抑えるが、血は止めどなく溢れ出す。ああ、死ぬのだと、やけに冷静な頭の中で呟いた。
「この国は終わりだ」
凛とした、よく響く声が祈里の耳に届いた。彼の声は今まで何百回と聞いてきたが、こんなに澄み渡るような声はを聞いたのは初めてだった。彼はいつも祈里を非難し、侮蔑する言葉を吐くばかりだったからだ。
祈里は思わず自虐の笑みを零した。自分がいなければ、彼はこんなにも美しい声を出せるのだ。己という存在が、彼にとってどれだけ疎ましいものだったのか改めて感じた。
祈里は床に這いつくばったまま、自分を刺した男を見上げた。
クリスティアナ=ミュラメント。敵国ミュラメント聖国の第三皇子にして、人々に愛された高潔の騎士。そして、祈里がもうすぐ終わる生涯で唯一愛した男である。騎士として申し分ない堂々とした体躯に、陽を透かす淡い金髪が輝く天使の輪を描いている。大陸一の美丈夫と名高かった彼は、その美しさだけでなくその正義感の強さと清廉さに、敵味方を問わず多くの人々から愛されていた。
「……クリス」
祈里が口から血を溢れさせながら辛うじて名前を呼ぶと、クリスは微かに眉を歪ませた。
「……血の通っていない人形の様な貴方も、傷付けば血が流れるのですね」
祈里にだけ聞こえる程の小さな声でクリスはそう言った。血を流す祈里に同情したのだろう。彼は常に騎士らしい凛々しさを崩さないが、根は優しく人を傷つけることを好まない性分だ。例え正義の行いだとしても、傷つき倒れる者を前にすると良心が痛むのだろう。
だがいささか人が良すぎる。祈里はこの男を愛するがあまり、国同士の同盟を盾にして己の愛人に落したのだ。毎晩抱くことを強制する祈里を、彼がどんなに憎んだかは想像に難くない。血を流す祈里を見て気が晴れることがあっても、憐憫の情など抱くなど余りにも優しすぎる。
祈里はどうしてもこのどこまでも高潔な美しい男が欲しかった。だが人の愛し方を知らなかった祈里には、彼の騎士としての矜持を手折ると分かっていても、愛人として傍に置くことしか出来なかったのだ。
クリスは一瞬の同情から直ぐに騎士の表情に戻ると、祈里の血で濡れた剣を再び持ち上げた。
「……悪逆の神帝、桜待祈里。度重なる戦争により国々を支配し、多くの民を苦しめた罪を償ってもらう」
クリスはっきりと、だが怒りのない落ち着いた声でそう言った。それは祈里の命を奪う行為を、騎士としての、そして民の為の正義の行いであるということを証明しているかのようだった。よく見ると、クリスの後ろには何人もの兵士や官職の人間が立っていた。皆この国の人間である。ある者は主君への反逆に恐れを抱き、ある者は悪を打ち倒す正義に酔いしれているような表情をしていた。だが誰一人として、地に伏した祈里を助けようとする人間はいなかった。
宣言をされなくとも、祈里にも彼に正義があることが分かっていた。自分が悪い君主であったことも、自国の人間にでさえ「戦争好きの氷神帝」と呼ばれ恐れられていたことも知っていた。だから、これは当然の結末だと思った。
「この国を守っている結界も直に消える。そうなれば、この国は直ぐにでも他国から報復を受けるだろう」
「!」
クリスの言葉に、祈里は目を見開いた。彼の言う通り、この国を守っている結界が消えれば、この国はただの小さな島国に過ぎない。その後のことは言うまでもないだろう。だが結界を壊すには「国の君主である祈里が命を終える」だけでは無く、もう一つ条件があるのだ。その条件は代々神帝しか知らず、他の人間にも教えることも決して出来ない。だから、クリスがその条件を知っているはずがないと祈里は思った。
信じられない気持ちで祈里はクリスをもう一度見上げたが、蒼穹を思わせる淡青の瞳と目が合った時、祈里はクリスの言葉の真偽などとても些細なことだと思った。自分は死に、結界が破られればこの国は無くなるだろう。だが、それでもいいと思った。クリスの母国であるミュラメント聖国は、弱者を助けることを旨とする騎士の国だ。この国が消えたとしても、国民達にはそこまで暗い未来は待っていないだろう。それに、祈里を苛んでいた長年の苦痛も国と共に終わる。
愛した男に殺されるという事実に胸は痛むが、不思議と悲しくは無かった。むしろ、この結末を望んでいた気さえした。こちらを見下ろすクリスに目を向けると、玉座の後ろにある祈里の権威を照らす為のステンドグラスが、今は正義の天使を祝福するように彼を照らしていた。神殺しの聖剣を手に正義を行うその姿を、生涯の最後にと祈里は目に焼き付けた。クリスはその魂が輝いているのかと錯覚するほどに燦燦と煌めいており、それはクリスを一目見た時から祈里が焦がれ続けた光そのものだった。
ああ、本当に美しい。私の愛する、高潔の騎士。処刑される身であっても、自分は存外幸せなのかもしれない。この血塗れの人生を、愛した男の手で終われるのだから。
「貴方との約束、今果たします」
「……?」
クリスが小さな声でそう言ったが、祈里にはその言葉の意味が分からなかった。思い返してみても、クリスと何かを約束した記憶はない。少し気にはなったが、祈里はすぐにどうでもいいことだと思い直した。この身はもうすぐこの世から消える。もう、国のことも、未来のことも、祈里には関係ないことだ。今の祈里は、ただの死にかけの人間なのだから。
「クリス……」
祈里は掠れた声で彼の名前を呼び、手を伸ばした。血を流し過ぎたせいか手を上げることも出来ず、ただ無様に床を這いつくばるようにしか動けない。床に落ちた影の動きで、クリスが剣を持ち上げたことが分かった。あの剣が振り下ろさせた時が、この命の最後だ。
死ぬことは怖くない。祈里の人生で一番の後悔は、愛した人間を身勝手な愛ゆえに不幸にしてしまったことである。本当は、祈里は彼の幸福を誰よりも願っていたはずだった。
祈里の伸ばされた手は、愛した男には届かなかった。
愛してる――
それが悪逆の神帝・桜待祈里の最後の言葉であった。
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