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太陽の光がカーテンの隙間から差し込み、小鳥たちが楽しげに囀っています。
絶好の「追い出され日和」ですわね。
私はふかふかのベッドから這い出すと、大きく伸びをしました。
「……ふぁあ。よく寝ましたわ。さて、荷造りの仕上げをしましょうか」
私が鼻歌を歌いながら、昨晩用意した鞄に茶葉の缶を詰め込んでいると、部屋の扉が遠慮がちにノックされました。
「お嬢様……いえ、ニュール様。入ってもよろしいでしょうか」
入ってきたのは、長年私のお世話をしてくれていた初老の侍女、マルタでした。
彼女の目は真っ赤に腫れており、手には震える指で握られた布の包みが握られています。
「あらマルタ、おはようございます。そんなに泣いて、顔がパンパンですよ? まるで焼きたてのフォカッチャのようですわ」
「ニュール様! こんな時まで食べ物の例え話をなさるなんて……! 本当に行ってしまわれるのですか?」
「ええ、お父様との契約(サイン)は完了しましたから。不法占拠で訴えられるのは御免ですもの」
「旦那様も横暴すぎます。たかがお菓子を一口食べただけで、実の娘を平民に落とすなんて……」
マルタは私の手を取り、包みを押し付けてきました。
「これは、私が長年貯めてきた僅かばかりの貯金です。どうか、これを持って……」
「まあ、マルタ。それは受け取れませんわ。あなたの老後の楽しみ、美味しいお菓子を買うためのお金でしょう?」
「私はいいのです! それよりも、お嬢様のこれからの生活が……!」
私はマルタの肩を優しく叩き、自分の鞄を指差しました。
「心配いりません。見てください、この鞄の重量感を。イチゴジャムが三瓶、高級茶葉が五種類、それにスコーンを焼くための型まで入っています。これだけあれば、どこでも生きていけますわ」
「……お嬢様。普通、家を追い出される方は、宝石やドレスを詰め込むものですよ」
「宝石は重いですし、食べられませんもの。ドレスも歩きにくいだけですわ。見てください、今日の私の格好を」
私はくるりと回って、動きやすいリネンのワンピースを見せました。
「これならどこまででも歩けます。さあ、マルタ。お別れの挨拶は湿っぽいのは無しにしましょう」
私は鞄を肩にかけ、もう片方の手には昨日お父様から許可(?)をもらったジャムの袋を提げました。
部屋を出て廊下を進むと、使用人たちが一列に並んで私を見送ってくれました。
皆、悲痛な表情を浮かべていますが、私は一人一人に笑顔で会釈をします。
「皆さん、今までありがとうございました。お掃除のコツ、忘れないでくださいね。特に窓のサンは埃が溜まりやすいですから」
「お嬢様……お元気で……っ!」
エントランスまで降りると、そこにはお父様が苦々しい顔で立っていました。
「……本当に、それだけの荷物で出ていくというのだな」
「ええ、お約束通り。あ、お父様。最後にお願いがあるのですが」
「……なんだ。やはり金が必要か?」
お父様が蔑むような、それでいてどこか期待したような表情で財布に手をかけました。
私は首を横に振り、真剣な眼差しでお父様を見つめました。
「屋敷の裏庭にあるハーブ園、あそこのミントが少し枯れかけていました。週に一度、たっぷりお水をあげてください。あの子たちは喉が渇きやすいのです」
「……は?」
「では、失礼いたします。お父様も、あまり怒りすぎてお腹を壊さないように」
私は完璧な一礼を残すと、重い扉を開けて、朝の光の中へと踏み出しました。
石畳の道を、軽やかな足取りで歩きます。
後ろで扉が閉まる大きな音が聞こえましたが、振り返ることはしませんでした。
「さて、まずは角のパン屋さんへ寄りましょうか。焼きたてのクロワッサンが私を待っていますわ」
ササール侯爵家の広大な敷地を抜け、門番に軽く手を振って公道に出ました。
行き交う人々は、私を「没落した悪役令嬢」だとは気づいていないようです。
ただの、少し荷物の多い楽しげな娘にしか見えないでしょう。
「……ふふ。自由って、空気が美味しいですわね」
私は大きく深呼吸をしました。
今までなら、外出には馬車が必要で、護衛がついて、着替えるのにも一時間かかっていました。
それが今は、こうして自分の足で好きな場所へ行けるのです。
「あ、見えてきましたわ。青い屋根のパン屋さん」
香ばしいバターの香りが、風に乗って鼻をくすぐります。
私はお財布を確認しました。
マルタの貯金は断りましたが、自分のへそくり(おやつ代の残り)はしっかりと持っています。
「すみません、クロワッサンを二つ。あ、それからあそこのリンゴのデニッシュもくださいな」
店主のおじさんは、私の身なりを見て少し驚いたようですが、すぐに笑顔で袋に詰めてくれました。
「はいよ、お嬢ちゃん。景気がいいな」
「ええ、今日は人生で一番のピクニック日和ですから」
私は袋を受け取ると、ベンチのある公園へと向かいました。
そこで優雅に朝食を済ませてから、不動産屋……いえ、新しい「隠れ家」を探すつもりです。
「サクサクですわ……。この層の重なり、芸術的です……」
ベンチに座り、クロワッサンを頬張りながら、私はこれからの生活に思いを馳せました。
家がない? 仕事がない?
そんなことよりも、このデニッシュのリンゴがどれほど甘いかの方が、今の私には重要なのです。
「私は、私。どこにいても、おやつが美味しければそこが私の天国ですわ」
私は二つ目のパンに手を伸ばしました。
悪役令嬢と呼ばれ、家を追われた私の「自由すぎる一人暮らし」が、今ここから始まったのです。
絶好の「追い出され日和」ですわね。
私はふかふかのベッドから這い出すと、大きく伸びをしました。
「……ふぁあ。よく寝ましたわ。さて、荷造りの仕上げをしましょうか」
私が鼻歌を歌いながら、昨晩用意した鞄に茶葉の缶を詰め込んでいると、部屋の扉が遠慮がちにノックされました。
「お嬢様……いえ、ニュール様。入ってもよろしいでしょうか」
入ってきたのは、長年私のお世話をしてくれていた初老の侍女、マルタでした。
彼女の目は真っ赤に腫れており、手には震える指で握られた布の包みが握られています。
「あらマルタ、おはようございます。そんなに泣いて、顔がパンパンですよ? まるで焼きたてのフォカッチャのようですわ」
「ニュール様! こんな時まで食べ物の例え話をなさるなんて……! 本当に行ってしまわれるのですか?」
「ええ、お父様との契約(サイン)は完了しましたから。不法占拠で訴えられるのは御免ですもの」
「旦那様も横暴すぎます。たかがお菓子を一口食べただけで、実の娘を平民に落とすなんて……」
マルタは私の手を取り、包みを押し付けてきました。
「これは、私が長年貯めてきた僅かばかりの貯金です。どうか、これを持って……」
「まあ、マルタ。それは受け取れませんわ。あなたの老後の楽しみ、美味しいお菓子を買うためのお金でしょう?」
「私はいいのです! それよりも、お嬢様のこれからの生活が……!」
私はマルタの肩を優しく叩き、自分の鞄を指差しました。
「心配いりません。見てください、この鞄の重量感を。イチゴジャムが三瓶、高級茶葉が五種類、それにスコーンを焼くための型まで入っています。これだけあれば、どこでも生きていけますわ」
「……お嬢様。普通、家を追い出される方は、宝石やドレスを詰め込むものですよ」
「宝石は重いですし、食べられませんもの。ドレスも歩きにくいだけですわ。見てください、今日の私の格好を」
私はくるりと回って、動きやすいリネンのワンピースを見せました。
「これならどこまででも歩けます。さあ、マルタ。お別れの挨拶は湿っぽいのは無しにしましょう」
私は鞄を肩にかけ、もう片方の手には昨日お父様から許可(?)をもらったジャムの袋を提げました。
部屋を出て廊下を進むと、使用人たちが一列に並んで私を見送ってくれました。
皆、悲痛な表情を浮かべていますが、私は一人一人に笑顔で会釈をします。
「皆さん、今までありがとうございました。お掃除のコツ、忘れないでくださいね。特に窓のサンは埃が溜まりやすいですから」
「お嬢様……お元気で……っ!」
エントランスまで降りると、そこにはお父様が苦々しい顔で立っていました。
「……本当に、それだけの荷物で出ていくというのだな」
「ええ、お約束通り。あ、お父様。最後にお願いがあるのですが」
「……なんだ。やはり金が必要か?」
お父様が蔑むような、それでいてどこか期待したような表情で財布に手をかけました。
私は首を横に振り、真剣な眼差しでお父様を見つめました。
「屋敷の裏庭にあるハーブ園、あそこのミントが少し枯れかけていました。週に一度、たっぷりお水をあげてください。あの子たちは喉が渇きやすいのです」
「……は?」
「では、失礼いたします。お父様も、あまり怒りすぎてお腹を壊さないように」
私は完璧な一礼を残すと、重い扉を開けて、朝の光の中へと踏み出しました。
石畳の道を、軽やかな足取りで歩きます。
後ろで扉が閉まる大きな音が聞こえましたが、振り返ることはしませんでした。
「さて、まずは角のパン屋さんへ寄りましょうか。焼きたてのクロワッサンが私を待っていますわ」
ササール侯爵家の広大な敷地を抜け、門番に軽く手を振って公道に出ました。
行き交う人々は、私を「没落した悪役令嬢」だとは気づいていないようです。
ただの、少し荷物の多い楽しげな娘にしか見えないでしょう。
「……ふふ。自由って、空気が美味しいですわね」
私は大きく深呼吸をしました。
今までなら、外出には馬車が必要で、護衛がついて、着替えるのにも一時間かかっていました。
それが今は、こうして自分の足で好きな場所へ行けるのです。
「あ、見えてきましたわ。青い屋根のパン屋さん」
香ばしいバターの香りが、風に乗って鼻をくすぐります。
私はお財布を確認しました。
マルタの貯金は断りましたが、自分のへそくり(おやつ代の残り)はしっかりと持っています。
「すみません、クロワッサンを二つ。あ、それからあそこのリンゴのデニッシュもくださいな」
店主のおじさんは、私の身なりを見て少し驚いたようですが、すぐに笑顔で袋に詰めてくれました。
「はいよ、お嬢ちゃん。景気がいいな」
「ええ、今日は人生で一番のピクニック日和ですから」
私は袋を受け取ると、ベンチのある公園へと向かいました。
そこで優雅に朝食を済ませてから、不動産屋……いえ、新しい「隠れ家」を探すつもりです。
「サクサクですわ……。この層の重なり、芸術的です……」
ベンチに座り、クロワッサンを頬張りながら、私はこれからの生活に思いを馳せました。
家がない? 仕事がない?
そんなことよりも、このデニッシュのリンゴがどれほど甘いかの方が、今の私には重要なのです。
「私は、私。どこにいても、おやつが美味しければそこが私の天国ですわ」
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