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王宮の廊下は、どこまでも長く、そして無駄に豪華ですわね。
私はギルベルト様のエスコートを受けながら、出口へと向かっていました。
「……ふう。ギルベルト様、先ほどのプディングのおかげで、私の血糖値は今、最高に幸せな数値を叩き出しておりますわ」
「血糖値などという不穏な言葉を夜会で使うな。……だが、まあ、あんたが満足したなら連れてきた甲斐もあったというものだ」
ギルベルト様は少しだけ声を和らげました。
その時、背後から「待て!」という、今日何度目か分からない甲高い声が響きました。
振り返ると、アインス王子が肩を怒らせて、大股で歩み寄ってくるではありませんか。
「……また殿下か。しつこい男は嫌われるという自覚がないらしい」
ギルベルト様が小声で毒づきましたが、王子はそれを無視して、私たちの前に立ちふさがりました。
「ニュール! 貴様、先ほどから見ていれば、ギルベルトと親しげにしおって! 誰の許可を得てそんな男の隣に立っているのだ!」
「誰の許可、ですか? 私の右足と左足が、ギルベルト様の隣が一番歩きやすいと申しておりますわ」
私は正直に答えました。
「何を! 貴様は私の婚約者だった女だぞ! 私が捨てたとはいえ、他の男……ましてや私の臣下であるギルベルトと馴れ合うなど、私の顔に泥を塗る行為だ!」
「あら、泥なら先日たくさん頂きましたわ。これ以上は、お庭が泥だらけになってしまいます」
「堆肥の話はもういい! ……ギルベルト! 貴公も貴公だ! このような性格の悪い、悪役令嬢として名高い女を連れ回して、宰相としての矜持はないのか!」
王子がギルベルト様の胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄ります。
ギルベルト様は、冷ややかな瞳で王子を見下ろしました。
「矜持、ですか。殿下が放り出した有能な……いえ、稀有な人材を私が拾い上げただけのこと。それに、彼女と過ごすティータイムは、殿下の無意味な夜会よりもはるかに私の精神を安定させてくれます」
「……っ! なんだと!? 貴公、私に喧嘩を売っているのか!」
「いいえ。事実を述べているまでです」
ギルベルト様の毅然とした態度に、王子はさらに顔を真っ赤にしました。
すると王子は、何を思ったのか、私の手首を強引に掴もうとしました。
「ニュール! 貴様、やはり私が恋しいのだろう? だからわざとギルベルトを誘惑して、私の気を引こうとしているのだな! その作戦には乗らんぞ!」
「誘惑……。私がギルベルト様にしたことと言えば、トーストを焼いたくらいですわ」
「トーストだと!? 私には焼いたことがないくせに!」
……王子の嫉妬の方向性が、だんだんおかしくなってきましたわ。
「ニュール、戻ってこい! ミスティは確かに可愛らしいが、貴様のその……何事にも動じない不気味なほどの図太さ、あれはあれで、私を際立たせる背景として悪くなかった!」
「背景、ですか。私はカーテンや壁紙ではありませんので、お断りいたしますわ」
私は王子の手をひょいとかわし、ギルベルト様の背中に隠れました。
「殿下。彼女はもう、あなたの『所有物』ではありません。これ以上無作法を働かれるなら、私も宰相として、王家への諫言(かんげん)を控えねばならなくなります」
ギルベルト様が、一歩前に出ました。
その圧倒的な威圧感に、王子は思わず後ずさりしました。
「……く、くそっ! ギルベルト、貴様……覚えていろよ! ニュール、貴様もだ! そんな不愛想な男と一緒にいても、美味しいものは食べられんぞ!」
「いえ、ギルベルト様の家のお湯は、とてもよく沸きますの。さようなら、アインス様。ミスティ様とお幸せに。あ、ミスティ様のドレスの裾が、柱の飾りに引っかかっていますわよ」
「……えっ!? きゃあああっ!」
遠くでミスティ様の悲鳴が聞こえ、王子は慌ててそちらへ駆け戻っていきました。
「……やれやれ。嵐のような男だ」
ギルベルト様が、深く溜息をつきながら私の手を取りました。
「お怪我はありませんか、ニュール」
「ええ。怪我はありませんが……少しだけ、心に穴が開きましたわ」
「……穴? やはり、殿下の言葉に傷ついたのか?」
ギルベルト様が、今日一番の、痛みを共有するような優しい眼差しを私に向けました。
私は彼を見上げ、切実な声で言いました。
「いいえ。お腹に穴が開いたのですわ。先ほどの騒ぎで、プディングのカロリーがすべて消費されてしまったようです」
「…………」
ギルベルト様は数秒間、沈黙しました。
そして、堪えきれないといった様子で、低く笑い声を漏らしました。
「……あんたという女は。……わかった、帰りにあの角のパン屋が開いていたら、好きなだけ買え。俺が奢ってやる」
「まあ! ギルベルト様、あなたは王子様よりもずっと王子様ですわ!」
私は歓喜の声を上げ、彼の腕に抱きつきました。
「よせ、恥ずかしい。……さあ、行くぞ。これ以上ここにいたら、俺の胃に穴が開きそうだ」
私は意気揚々と、夜の王都へと駆け出しました。
元婚約者の歪な嫉妬よりも、明日の朝食。
私らしく生きるということは、つまり、一番美味しい道を選ぶということなのですから。
私はギルベルト様のエスコートを受けながら、出口へと向かっていました。
「……ふう。ギルベルト様、先ほどのプディングのおかげで、私の血糖値は今、最高に幸せな数値を叩き出しておりますわ」
「血糖値などという不穏な言葉を夜会で使うな。……だが、まあ、あんたが満足したなら連れてきた甲斐もあったというものだ」
ギルベルト様は少しだけ声を和らげました。
その時、背後から「待て!」という、今日何度目か分からない甲高い声が響きました。
振り返ると、アインス王子が肩を怒らせて、大股で歩み寄ってくるではありませんか。
「……また殿下か。しつこい男は嫌われるという自覚がないらしい」
ギルベルト様が小声で毒づきましたが、王子はそれを無視して、私たちの前に立ちふさがりました。
「ニュール! 貴様、先ほどから見ていれば、ギルベルトと親しげにしおって! 誰の許可を得てそんな男の隣に立っているのだ!」
「誰の許可、ですか? 私の右足と左足が、ギルベルト様の隣が一番歩きやすいと申しておりますわ」
私は正直に答えました。
「何を! 貴様は私の婚約者だった女だぞ! 私が捨てたとはいえ、他の男……ましてや私の臣下であるギルベルトと馴れ合うなど、私の顔に泥を塗る行為だ!」
「あら、泥なら先日たくさん頂きましたわ。これ以上は、お庭が泥だらけになってしまいます」
「堆肥の話はもういい! ……ギルベルト! 貴公も貴公だ! このような性格の悪い、悪役令嬢として名高い女を連れ回して、宰相としての矜持はないのか!」
王子がギルベルト様の胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄ります。
ギルベルト様は、冷ややかな瞳で王子を見下ろしました。
「矜持、ですか。殿下が放り出した有能な……いえ、稀有な人材を私が拾い上げただけのこと。それに、彼女と過ごすティータイムは、殿下の無意味な夜会よりもはるかに私の精神を安定させてくれます」
「……っ! なんだと!? 貴公、私に喧嘩を売っているのか!」
「いいえ。事実を述べているまでです」
ギルベルト様の毅然とした態度に、王子はさらに顔を真っ赤にしました。
すると王子は、何を思ったのか、私の手首を強引に掴もうとしました。
「ニュール! 貴様、やはり私が恋しいのだろう? だからわざとギルベルトを誘惑して、私の気を引こうとしているのだな! その作戦には乗らんぞ!」
「誘惑……。私がギルベルト様にしたことと言えば、トーストを焼いたくらいですわ」
「トーストだと!? 私には焼いたことがないくせに!」
……王子の嫉妬の方向性が、だんだんおかしくなってきましたわ。
「ニュール、戻ってこい! ミスティは確かに可愛らしいが、貴様のその……何事にも動じない不気味なほどの図太さ、あれはあれで、私を際立たせる背景として悪くなかった!」
「背景、ですか。私はカーテンや壁紙ではありませんので、お断りいたしますわ」
私は王子の手をひょいとかわし、ギルベルト様の背中に隠れました。
「殿下。彼女はもう、あなたの『所有物』ではありません。これ以上無作法を働かれるなら、私も宰相として、王家への諫言(かんげん)を控えねばならなくなります」
ギルベルト様が、一歩前に出ました。
その圧倒的な威圧感に、王子は思わず後ずさりしました。
「……く、くそっ! ギルベルト、貴様……覚えていろよ! ニュール、貴様もだ! そんな不愛想な男と一緒にいても、美味しいものは食べられんぞ!」
「いえ、ギルベルト様の家のお湯は、とてもよく沸きますの。さようなら、アインス様。ミスティ様とお幸せに。あ、ミスティ様のドレスの裾が、柱の飾りに引っかかっていますわよ」
「……えっ!? きゃあああっ!」
遠くでミスティ様の悲鳴が聞こえ、王子は慌ててそちらへ駆け戻っていきました。
「……やれやれ。嵐のような男だ」
ギルベルト様が、深く溜息をつきながら私の手を取りました。
「お怪我はありませんか、ニュール」
「ええ。怪我はありませんが……少しだけ、心に穴が開きましたわ」
「……穴? やはり、殿下の言葉に傷ついたのか?」
ギルベルト様が、今日一番の、痛みを共有するような優しい眼差しを私に向けました。
私は彼を見上げ、切実な声で言いました。
「いいえ。お腹に穴が開いたのですわ。先ほどの騒ぎで、プディングのカロリーがすべて消費されてしまったようです」
「…………」
ギルベルト様は数秒間、沈黙しました。
そして、堪えきれないといった様子で、低く笑い声を漏らしました。
「……あんたという女は。……わかった、帰りにあの角のパン屋が開いていたら、好きなだけ買え。俺が奢ってやる」
「まあ! ギルベルト様、あなたは王子様よりもずっと王子様ですわ!」
私は歓喜の声を上げ、彼の腕に抱きつきました。
「よせ、恥ずかしい。……さあ、行くぞ。これ以上ここにいたら、俺の胃に穴が開きそうだ」
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私らしく生きるということは、つまり、一番美味しい道を選ぶということなのですから。
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