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「……あ。雲の色が、焦がしすぎたキャラメルソースのような色になってきましたわ」
私が庭の隅で、貴重な野生の木の実を収穫していた時のことです。
さっきまであんなに晴れていた空が、あっという間に機嫌を損ね、大粒の雨が降り注いできました。
「おっと。これは急がなくては。せっかくの実が水浸しになってしまいますわ」
私が慌てて実をエプロンに包み込んだ瞬間、強い力で腕を引かれました。
「ニュール! こっちだ、早く!」
そこにいたのは、いつの間にか外に出てきていたギルベルト様でした。
彼は自分の上着を傘代わりに広げ、私を庭の端にある小さな農具小屋へと押し込みました。
「……っ、ふう。間一髪だったな。ずぶ濡れになるところだったぞ、あんたは」
小屋の中は、二人入ればいっぱいいっぱいになるほどの狭さです。
埃っぽい匂いと、雨の湿った匂い。そして、すぐ隣にいるギルベルト様の熱と、微かなお香の香りが混ざり合います。
「あら。ギルベルト様、助かりましたわ。おかげでこの木の実も無事です」
「実のことより自分の心配をしろ。……冷えてはいないか?」
「ええ。ギルベルト様がこうして密着してくださっているおかげで、まるでお団子の蒸し器の中にいるようにポカポカしていますわ」
「……例えが色気なさすぎるだろう」
ギルベルト様は呆れたように息を吐きましたが、その腕は私の肩をしっかりと抱き寄せたままです。
小屋の外では、叩きつけるような雨音が響いています。
薄暗い空間の中で、私たちの距離は、吐息が重なるほどに近づいていました。
「……ニュール。あんたは、こういう状況になっても何も感じないのか?」
ギルベルト様の声が、少しだけ低く、熱を帯びたものに変わりました。
「感じますわよ。……ギルベルト様」
「……。なんだ。言ってみろ」
彼が私の顔を覗き込みます。その瞳には、雨音さえも消し去るような真剣な光が宿っていました。
「ギルベルト様の心臓の音が、まるで出来立てのポップコーンが弾けるようなリズムを刻んでいますわ。お腹が空いていらっしゃるのですか?」
「…………」
ギルベルト様は天を仰ぎ、そして深く、深すぎる溜息をつきました。
「……ポップコーンか。俺の緊張をそんな軽快なスナック菓子に変換できるのは、世界中であんただけだ」
「あら、緊張していらしたのですか? 確かに、この狭さは少し息苦しいかもしれませんわね。でも、見てください。この壁の隙間から見える雨粒……まるで銀色の金平糖が降っているようですわ」
私はギルベルト様の胸元に頭を預けたまま、外の景色を眺めました。
「……あんた、本当に俺をどうしたいんだ。昨日の今日で、これだけ近くにいて、平然と食べ物の話ばかりして……」
ギルベルト様の手が、私の髪を優しく撫でました。
その指先が少し震えていることに、私は気づかないふりをしました。
「ギルベルト様。私は、今のこの時間がとても気に入っていますわ」
「……ほう。ようやく食べ物以外の感想が出てきたな」
「ええ。雨の音を聴きながら、温かい誰かと一緒にいる。これは、最高級の茶葉を淹れる時の『蒸らし時間』に似ていますの。静かで、期待に満ちていて……心がふっくらと膨らむような、そんな贅沢な時間ですわ」
私は彼を見上げ、にっこりと微笑みました。
ギルベルト様は、私の言葉を噛みしめるように何度も瞬きをしました。
やがて、彼は観念したように私の額に自分の額をこつんと預けました。
「……蒸らし時間、か。なら、もう少しこのまま。お茶が美味しくなるまで、こうしていてもいいか」
「もちろんですわ。あ、でも、あんまり長く蒸らしすぎると、渋みが出てしまいますから気をつけてくださいね」
「……分かっている。その時は、甘いお菓子で中和すればいいんだろう?」
「正解です、ギルベルト様。お勉強の成果が出ていますわね」
雨脚が弱まるまでの十数分。
私たちは、狭い小屋の中で、お互いの体温を分け合いながら過ごしました。
私の頭の中には、この後で焼く木の実のパイのことでいっぱいでしたが。
でも、それを支えてくれているギルベルト様の腕が、とても心地よいということだけは、確かな事実だったのでした。
私が庭の隅で、貴重な野生の木の実を収穫していた時のことです。
さっきまであんなに晴れていた空が、あっという間に機嫌を損ね、大粒の雨が降り注いできました。
「おっと。これは急がなくては。せっかくの実が水浸しになってしまいますわ」
私が慌てて実をエプロンに包み込んだ瞬間、強い力で腕を引かれました。
「ニュール! こっちだ、早く!」
そこにいたのは、いつの間にか外に出てきていたギルベルト様でした。
彼は自分の上着を傘代わりに広げ、私を庭の端にある小さな農具小屋へと押し込みました。
「……っ、ふう。間一髪だったな。ずぶ濡れになるところだったぞ、あんたは」
小屋の中は、二人入ればいっぱいいっぱいになるほどの狭さです。
埃っぽい匂いと、雨の湿った匂い。そして、すぐ隣にいるギルベルト様の熱と、微かなお香の香りが混ざり合います。
「あら。ギルベルト様、助かりましたわ。おかげでこの木の実も無事です」
「実のことより自分の心配をしろ。……冷えてはいないか?」
「ええ。ギルベルト様がこうして密着してくださっているおかげで、まるでお団子の蒸し器の中にいるようにポカポカしていますわ」
「……例えが色気なさすぎるだろう」
ギルベルト様は呆れたように息を吐きましたが、その腕は私の肩をしっかりと抱き寄せたままです。
小屋の外では、叩きつけるような雨音が響いています。
薄暗い空間の中で、私たちの距離は、吐息が重なるほどに近づいていました。
「……ニュール。あんたは、こういう状況になっても何も感じないのか?」
ギルベルト様の声が、少しだけ低く、熱を帯びたものに変わりました。
「感じますわよ。……ギルベルト様」
「……。なんだ。言ってみろ」
彼が私の顔を覗き込みます。その瞳には、雨音さえも消し去るような真剣な光が宿っていました。
「ギルベルト様の心臓の音が、まるで出来立てのポップコーンが弾けるようなリズムを刻んでいますわ。お腹が空いていらっしゃるのですか?」
「…………」
ギルベルト様は天を仰ぎ、そして深く、深すぎる溜息をつきました。
「……ポップコーンか。俺の緊張をそんな軽快なスナック菓子に変換できるのは、世界中であんただけだ」
「あら、緊張していらしたのですか? 確かに、この狭さは少し息苦しいかもしれませんわね。でも、見てください。この壁の隙間から見える雨粒……まるで銀色の金平糖が降っているようですわ」
私はギルベルト様の胸元に頭を預けたまま、外の景色を眺めました。
「……あんた、本当に俺をどうしたいんだ。昨日の今日で、これだけ近くにいて、平然と食べ物の話ばかりして……」
ギルベルト様の手が、私の髪を優しく撫でました。
その指先が少し震えていることに、私は気づかないふりをしました。
「ギルベルト様。私は、今のこの時間がとても気に入っていますわ」
「……ほう。ようやく食べ物以外の感想が出てきたな」
「ええ。雨の音を聴きながら、温かい誰かと一緒にいる。これは、最高級の茶葉を淹れる時の『蒸らし時間』に似ていますの。静かで、期待に満ちていて……心がふっくらと膨らむような、そんな贅沢な時間ですわ」
私は彼を見上げ、にっこりと微笑みました。
ギルベルト様は、私の言葉を噛みしめるように何度も瞬きをしました。
やがて、彼は観念したように私の額に自分の額をこつんと預けました。
「……蒸らし時間、か。なら、もう少しこのまま。お茶が美味しくなるまで、こうしていてもいいか」
「もちろんですわ。あ、でも、あんまり長く蒸らしすぎると、渋みが出てしまいますから気をつけてくださいね」
「……分かっている。その時は、甘いお菓子で中和すればいいんだろう?」
「正解です、ギルベルト様。お勉強の成果が出ていますわね」
雨脚が弱まるまでの十数分。
私たちは、狭い小屋の中で、お互いの体温を分け合いながら過ごしました。
私の頭の中には、この後で焼く木の実のパイのことでいっぱいでしたが。
でも、それを支えてくれているギルベルト様の腕が、とても心地よいということだけは、確かな事実だったのでした。
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